4の1 新大陸到達
天正二十一年(1593、昨年十二月八日に改元し文禄二年。成実らはこの事を知らず)正月十三日。
早朝、深い霧が出た。
昨夜は、大湾(サンフランシスコ湾)にある小島(アルカトラズ島)と大島(エンゼル島)のうち、大島に停泊した。
雲の中に居るような濃い霧は日が昇るにつれ、薄くなり消えていった。
大島は、焦げ茶色の山肌に濃い緑の樹木が張り付いていた。野性味豊かで、人による耕作の気配はない。
各船から物見を上陸させ、成実も直に乗り込んで島の土を踏んだ。
ふた月半ぶりの大地である。身体に波の周期に合わせて揺れる感覚が身についていて、揺れぬ大地には少々違和感があった。
「人は住んでおりませぬ。付近に沢がなく、水を得るには井戸を掘る必要がありまする」
配下の報告に成実は命じた。
「根拠地は島でなく、もっと広い平地にしよう。戦略的には、大湾の入り口を固めたい。そっちに移ろうではないか。物見をすぐに戻らせろ」
思いつくと行動は早い。
すぐに毘沙門に乗り込むと、先陣を切って湾口に向かった。
湾口は幅二十五町(約2700メートル)も有り、かなり広い。
岬は湾口の北側(マリン半島)と南側(サンフランシスコ半島)にある。
両方とも崖状で、大湾の防御には、崖上に大砲を据えると良いだろう。
湾内では南の半島が、平地が広くて好立地である。
陸戦での防御では、地続きの南面のみを防御すればよい。
もし、内陸奥地に拠点を置いた場合は、四面を守る必要が生じ、少人数では防御不可能である。
その点、半島部なら一面で守り易い。
「よし、南側に上陸してみよう」
成実は、停船させた毘沙門から、物見を出した。
次の小船で成実も上陸し、地形を見て取った。
遠目には平坦的であったが、低い丘が多い。
足元一面には、香りの強い薄荷の葉が生い茂る。その一枚をもいで芳香を嗅いだ。すうっとした冷たい香りと強い青臭さが、同時に感じられた。
数刻後には、物見が戻り、報告を始めた。
「南に一里半(6キロ)の所に村がありまする。春とは申せ、村人は褌姿にござった」
「うむ、大儀。この地は左程寒くないのであろう。風土が違えば、衣服も違う。いちいち驚くことではない」
「報告します。南西に三里(12キロ)の所に小村と大きな湖が在りました」
「ご苦労」
成実は、遊佐に語った。
「村長の所に使者を送らねばなるまい。いや、俺が行こう。鉄砲武者五〇を用意しろ」
「殿、危険でござる。使者なら某が」
「いや、この地に根を張るには、敵味方を見極めねばならぬ。出来れば懐柔させたい」
「しかし、殿に万一のことが有っては……」
遊佐が真剣に心配する。
「大丈夫だ。相手は裸の男たちだ。武器は精々が毒矢ぐらいであろう。鎧を着て注意すればよい。それより土産の蜻蛉玉と金銀をいくらか用意しといてくれ」
「はっ」
遊佐は、それ以上は言わなかった。成実は、こうと決めたらやる漢だからだ。
成実は、異民族との出会いが楽しみであった。
完全武装の五〇名を従えた成実は、南一里半の村(ミッション付近)に入った。
三方は丘に囲まれている沢地であった。
女子供は、茅葺きの家屋の陰からこちらを恐る恐る覗いている。
夕刻、気温も下がって毛皮を羽織った男たちは、手に短い槍を持ち、村の入り口に集まっていた。
「物供、ここで止まれ。俺一人で行く。油断するなよ」
朱に獅子の陣羽織を背負った成実は、たった一人で前に進んだ。
「村長に物申す。我らは敵ではない。好を通じたい」
成実が、日本語で宣言すると、一人の男が群衆の前に出てきた。全身を覆う赤い鳥の羽のコート。おそらく小鳥千羽では下るまい。鉢巻には鷹の羽を差していた。
引き締まった年配の顔。この漢が村長であろう。
何か喋っている。「敵ならば去れ」というところか?
成実はゆっくりと二礼し、大きく両手を開いて見せ、柏手を二回叩いて礼をした。
日本古来の「手に武器を持たず、よって敵意なし」の意味を示した神社の礼拝法である。
一応は通じたらしい。
成実と村長は一歩ずつ歩み寄った。
成実は懐から蜻蛉玉の簪を数本取り出し、大きい動作で両手に掲げ差し出した。
村長は、それを受け取って夕日にかざす。
ガラスに様々な色を配した蜻蛉玉は、美しく光りを放って周囲を魅了した。
成実の陣羽織も村長と同じ朱色であったことも良かったのであろう。
村男たちに何か言うと、男たちは二つに割れ、村への道を開いた。
成実は村長に従って、村に入った。
女子供たちも出てくる。今宵は、どうやら宴の雰囲気だ。
露天で鹿肉が焼かれ、菓子を食べるように勧められた。
成実は、菓子をばりばり食べた。毒などにビビッては、日本男児が廃るのだ。
「美味い。美味い」
実際はあまり美味くないが、世辞の一つも必要だろう。
村長が、何やら得意そうに自慢話を喋っているが、「オーローン」の言葉が何度となしに聴かれる。
おそらく国名か民族名であろうと察した。
成実が逆の立場だったら、「奥州では」とか「伊達家は」と言うであろう。
成実は心で「王論族」と勝手に理解した。
成実は話を「ほうほう、なるほど、そうでござるか」と適当に相槌を打って話をあわせた。
「おお、そうだ。これを王論の皆さまに」
そう言って成実は、金貨と銀貨を袋から取り出し、村長と家族に各一枚ずつを渡し始めた。
焚き火でも、金銀の輝きは判る。美しいものには価値がある。人の心は、万国共通であろう。この金銀に、村人は喜んだ様子だ。
金貨と銀貨は共に四匁(15グラム)の重さで南蛮風の真円形。刻印には、伊達家家紋の「竹に雀」を押してある。
お礼とばかりに、村長から宝貝の入った袋を幾つか貰った。
推測だが、この貝が金銀に相当する価値をもっているのであろう。
何とも不思議な国であったが、成実は楽しんでいた。
政宗や太閤秀吉でさえ、思いの及ばぬ世界はあるのだ。そして今まさに成実は、異国に来て居る。愉快ではないか。
成実は、宴の主役である鹿料理を食べて村を去った。
感触では、友好的な村であった。
心配する兵士をよそに、成実は見事な月を眺めて帰った。
港では、遊佐が半泣きで出迎えた。成実が、一人で村に入ったとの報告を聞き、居ても立っても居られなかったそうだ。
「心配するな、遊佐。天が俺を見放すはずが無い」
成実は、自信満々に言ってみせた。




