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新大陸伊達王国  作者: いばらき良好
第2章
17/33

2の8 伊達海軍を創る

 天正二十年(1592)一月五日。

 政宗は、秀吉から五〇〇の出兵要請に対し、三〇〇〇の兵を率いて京都へと旅立った。

 いよいよ秀吉の唐入りが始まるのだ。

 秀吉は、朝鮮国を経て明国へ出陣する構えで、九州の肥前名護屋に巨大な陣城を造った。

 日本の統治には、甥の豊臣(三好)秀次を関白に据えて、京の聚楽第に置いた。秀吉は自ら「太閤」と称し、朝廷から独立した立場で遠征を行なう考えらしい。


 成実は、新式鉄砲とカノン砲、それに南蛮船、これらを使った新しい戦さの仕方を考えて、毎日を過ごしていた。

 最初に完成した南蛮船を「毘沙門」と命名してカノン砲を据え、帆や碇、石弾や船上での煮炊きに使う竈を設えた。

 櫓の前面と両端、船首部には鉄板で防弾装甲を施す考えだ。

 同型船を他に四隻建造する予定である。名前は「蔵王」「不動」「金剛」「文殊」とする。

 さらに馬小屋を備えた「孔雀王」の完成をもって、新大陸へ打って出る。

 成実はまた、新式鉄砲の量産にも全力を傾ける。

 目標は、新式鉄砲二〇〇〇挺と椎の実弾を鉄砲一挺につき一〇〇発、しめて二〇万発(鉛にして3000キロ)を用意すること。

 南蛮の大砲(青銅砲)も製造したいが、材料の銅も多量すぎて求められず、唐入りの戦さで物入りなので、牛坂右近に命じて抱え大筒を作らせることにした。

 大筒ならば、鉄砲造りの技術がそのまま応用出来るし、材料の鉄鉱石は領内に余るほどある。

 成実は工夫して、釜石に製鉄所の「永代たたら」を作らせた。

 通常の「野だたら」は屋外で、途中もし雨が降れば廃棄で、かつ、たたら炉も一度だけの使い捨てであった。

 成実の永代たたらは、高い吹き抜けの館内に製鉄炉を設け、原料は鉄鉱石と木炭に石灰石を用い、これに空気を下から吹き付けて燃焼温度を上げさせる「吹子ふいご」には、水車動力を利用した完全自動化方法を工夫した。

「水車吹子」ともいうこの新方法は、通常の踏み吹子にともなう労働者(番子と呼ばれ六人ずつの二組が三日三晩交代で踏み続ける)の重労働を肩代わりする新発明だった。

 この永代たたらで、初めに毘沙門の装甲板を、後には鍬、鋤、万能、鎌への材料提供を計画した。

 忙しい成実には、伊東マンショや原田孫七郎の頭脳と行動力が大助かりであった。


 早くも晩秋となった。造船は六隻目の「孔雀王」に取り掛かっている。

 この船は馬用の輸送船とした。つまり、一階と二階は馬小屋。船蔵には食糧と大量の水を積み、甲板には軽い干草を束ねて積むようにする。

 一階と二階は、馬小屋の周りを、馬を引いて歩けるように、ぐるり馬場を設ける。

 船大工に聞くと、完成は十月末ということだ。

 よって、仮の出航予定日を「十一月一日」と取り決めた。

 遊佐は、右腕の怪我で刀は振れなくなったが、正直な性格から周りに慕われ、感の良さも手伝って成実の勘定方を全て任せられる漢になっていた。僅かな暇を見つけては、書物で兵法の勉強をしているのも知っている。

「刀を抜かずに勝てれば、兵も民百姓も、誰も死なずにすむではござらんか?」

 今年三十歳の遊佐は、成実にそう意見することもある。

 苦労は人を良くも悪くも変えるが、遊佐は確実に成長したと、成実は喜んでいる。

「遊佐、右腕はどうじゃ?」

 酔った勢いで聞いてみた。

「箸や筆は持てても、残念ながら太刀は振れませぬ」

 遊佐は下を向く。

「なら、左手を使え。逆手の武士も面白いだろう」

 成実は、右腕を怪我して戦えぬ侍の気持ちを気にしていた。遊佐なれば、乗り越えるであろうが、武士の誇りを大切にしてやりたい。だから酔いに任せて言ってやった。

 遊佐が応える。

「殿の仰せなら、左手一本でも敵と戦いましょう」

「そうか。武士は鍛錬じゃ。精進してくれ」

 翌日から、遊佐は刃渡り二尺の長脇差を右腰に差すようになった。


 一方、那坐礼の伊東マンショは、ガラスを制作していた。

 主に、透明なシリカにソーダ(炭酸ナトリウム)と石灰(炭酸カルシウム)を混ぜて、高温で溶融させると、ガラスになる。

 これに微量の鉱物を混ぜると様々な色を発色する。

 伊東は、教会用のステンドグラスの窓と、かんざしにする蜻蛉玉を工夫していた。

 その話を聞き、成実は那坐礼の伊東の元を訪れた。

「これは、成実殿よくいらっしゃいました」

 南蛮服の伊東が出迎える。この那坐礼では、一般にも南蛮服も普及している。

「また珍しい物を作ったそうだな。見に来たぞ」

「はい、では教会にどうぞ」

 そう言って成実を促した。

 十字架を屋根に抱いた、塔のような外観で天井の高い教会は、石造りで四角い柱が天井に向かってみごとな曲線を描いている。その窓には色鮮やかな色ガラスが、七色の光に輝いていた。

「南蛮風にステンドグラスを作りました」

「美しいな。蔵のような石造りが、この輝きで神々しく見えるぞ」

 成実は率直な感想を述べる。

「ガラス作りには色々と苦労しました。これをご覧下さい」

 箱から簪の蜻蛉玉を取り出した。

「これが色見本みたいなものです。ここから始めたのです」

「おお伊東殿、此度の異国土産に是非これを持っていきたい。譲って貰えぬか?」

 成実は、即決で伊東に発注した。

「解かりました。たくさん作ってみましょう」

 ガラスは原料を作ってしまえば、あとは加工だけ。

 加工は職人が、手作業で行なう。

 那坐礼には、「鳴き砂」という、歩くと音の鳴る汚れの無い純粋な砂がある。これを原料にしたのだろう。

 蜻蛉玉が大量に届いたのは、二十日ほども過ぎたころ。

 遊佐は、代金を米で払った。那坐礼は、キリシタンが三万人もいる人口密集地で、米は不足するからだ。


 船に積む兵糧米も用意した。

 これは一人一日五合食して一年間食べていける量と決めた。実際には、女子供が五合も食べられないだろうから、十五ヶ月以上と見て良かった。

 野菜は、石巻で大量に仕入れた大根と、那坐礼と気仙沼特産の西洋人参を、刻んで乾燥させた物を準備する。胡瓜や茄子も漬物にして持って行く。

 魚は「だぶ漬け」と言って生魚に塩をきつくして桶に漬けた物を用意する。鯨肉の塩漬けや燻製、干し肉も大量に準備した。

 新鮮な魚を釣れるように釣竿、釣り針、絹糸や馬毛のテグス、木綿の凧糸も作らせた。

 凍み豆腐も作らせるつもりだ。さらに豆、麦、蕎麦も用意する。

 様々な種子も手元に揃え、渡海先での農作も確保する。

 成実は、出陣までの間、船乗りたちに航海訓練をさせている。

 指揮を取るカピタンの原田によると、アカプルコ=マニラ間は三ヶ月もかかるらしい。

 船団は、石巻と気仙沼を常時往復して実践を積んだ。

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