2の6 伊達海軍を創る
十月から気仙沼では、船大工と人夫合わせて三〇〇〇人体制を維持し、二ヶ月で南蛮船一隻を建造するまでになった。
原田は、リベルタ号でマニラへ往復して新しい青銅製カノン砲六門を入手して来た。
成実は、大砲と硝石代に砂金六貫目(22・5キロ)を支払い、浜で試し撃ちをした。
(小判の普及は徳川幕府の金座開設(1601年)以降のこと。秀吉の大判はあった)
台座に固定したカノン砲は、重量二百十三貫目(約800キロ)、長さ六尺五寸(約2メートル)ほどもあり、口火を着けると激しい音をたてて砲弾を発射した。
距離は水平撃ち(5度)で、一貫目半(約5・6キロ)の砲弾を十四町(約1・52キロメートル)も飛ばした。一回の発射に火薬は三百匁(約1・1キロ)が必要だ。
砲弾に鉛玉はもったいない。これが鉄砲玉なら数百発分にもなる。だから成実は、領内各地から石弾を吟味させた。
一方で硝石だ。鉄砲と大砲の運用では二桁も使用量が違う。
土硝法では最低でも一年掛かるのだが、無いよりはまし。鉄砲大将の萱場源兵衛に命じて、領内各地で古い民家の床下を掘り、土に厠の土(硝化菌)と大量の草、蚕の糞や人尿を混ぜて、床下で一年間寝かせるようにした。
後には、掘り出した土を釜に入れ、灰汁を加えて煮込み、冷まして上澄み液を濾し取って煮詰めれば硝石が得られる。
また、天然硝石は明国奥地やインドの砂漠から掘ったもので、ここでも南蛮人商人は儲けている。
木綿と合わせて、輸入硝石の買い付けを原田に頼んだ。
築城に造船、大砲や硝石の購入と出費がかさみ、成実の金蔵の銭が心もとない。
しかし、成実領内の産金については軌道に乗りつつあり、年間推定で三十貫目(約113キロ)の生産は堅いだろう。
一方、小十郎が主導する鉱山開発も順調で、涌谷金山(遠田郡涌谷町)、水越金山(登米市)、鮎川金山(石巻市)、古歌葉金山(江刺市)、細倉銀・鉛・亜鉛山(栗原市)、下嵐江銀・鉛山(胆沢郡胆沢町)、尿前銅山、宮崎銅山(加美郡加美町)、根津葉銅山、捲ヶ洞銅山(江刺市)、田茂山銅山(水沢市)、鬼首鉛山(玉造郡鳴子町)、若柳鉛山(栗原市)、大瓜鉛山(江刺市)から必要量を得ていた。
そこで成実は、政宗と小十郎へ使者を交して、藩金を作ることで合意した。
金貨と銀貨は共に四匁(15グラム)の重さで南蛮風の真円形(金貨直径23・3ミリ、銀貨直径31・6ミリ)とし、刻印は伊達家家紋の「竹に雀」を表面に、裏面には「四匁」と押すことにした。
銅銭は穴開きの一匁(3・75グラム=5円玉の重さ)で刻印は「石」とする。
これらの交換比率は、金貨一枚に対して、銀貨なら十枚、銅銭は四貫文(4000枚)と決めて通用させる。もちろん金銀の相場で、価値が高低するのは仕方ない。
西国でも、秀吉の作った天正大判は、一枚が四十四匁(165・4グラム)であるから、伊達家金貨十一枚で吊り合う計算だ。
秀吉は、全国の大名領での産金産銀について、数割の税を掛けて取り締まっている。
しかし、政宗も成実も税を払うつもりはなかった。
政宗は情報集団の黒脛巾組と剣豪集団の不断衆を組ませて、領内に入った他国の密偵を片っ端から斬り捨てさせた。
ついに那坐礼の伊東は、突貫工事で病院と薬草園、学校、教会、港を完成させた。
三万人のキリシタンは建設に大いに活躍したが、古くからの歴史があった大島神社は打ち壊されて焼かれてしまった。キリスト教には他を認める事が欠如しているようだ。
ただし、良い点は奉仕の精神であろうか。伊東は真摯に病人を治療している。
パードレの岐部ペドロは、屋根に十字架を載せた石作りの教会で、毎週説法をしていた。ここでは、西暦と和暦を併用し、クリスマスやイースターなどの行事は、西暦を中心に運営される。
鉄砲大将の牛坂右近は、那坐礼に足繁く通い、伊東からスイス人考案のらせん溝式鉄砲の原理を聞いて、何度も失敗工夫の末にやっと試作品を完成させた。
要は溝を削ろうとするから難しいのであって、硬い鋼の針金十数本を等間隔で溝のある心棒に捲いて内径を鍛造し、これを従来の滑空の鉄砲に差し込んで焼付ければ、砲身内にらせん状の凹凸が生じた鉄砲が完成する。
弾丸は椎の実型で、後部に凹みを付ける。火薬が発火すると、この後部の凹みに圧力がかかって弾が膨らみ、鉄砲の溝に接触して回転力が発生する仕組みだそうだ。
成実立会いの下で、通常の鉄砲と新式鉄砲の撃ち比べをする。
ここに持ってくるまでに何度も確かめたのだろう。牛坂の顔は自信に満ちていた。
火縄銃では、鉛玉の重さの半量の火薬を使うのが定石で、遠撃ちでは適宜火薬の分量を増やす。
まず、通常の四匁鉄砲は、鉛玉四匁(15グラム)に黒色火薬二匁を用いた。
新式は、一般の四匁鉄砲に鋼の針金を入れて再鍛造したもので、口径は二匁鉄砲相当(11ミリ)、鉛弾は重さ四匁の尖った椎の実型、火薬は二匁とした。
的は、三十間(55メートル)離れた所に一尺(30センチ)四方の板と、一町(109メートル)離れた所に、墨で丸を書いた畳の的を用意させた。
撃ち手は技量の差が出ないように、牛坂右近ただ一人。
「よし、始めよ」
成実が指揮し、牛坂が両種の鉄砲とも同じ動作で玉を込めて撃った。
さすがは鉄砲大将の牛坂。近距離では鉄砲二種とも、全弾命中していた。
的の検分には、牛坂とともに成実も飛び出して行った。四匁玉は、遠距離の畳を撃ち抜けなかったが、新式の尖った弾丸は、畳をも撃ち抜いた。
さらに問題は命中精度で、これは圧倒的に新式に軍配が上がった。墨の的内に多くが集中していて、一目瞭然である。
「新式は玉の伸びが良く狙いに素直で、通常の丸玉のように当たる寸前での沈み込みが少ないでござる」
牛坂は冷静に感触を伝えた。
「上々。新式の玉込めは簡単か?」
「はい。上下さえ間違わねば、従来と同じでござる」
「そうか。牛坂よくやった。褒美として、蔵米を一〇〇〇俵に加増して鉄砲大将兼家老格にする。すぐに領内の鉄砲を集め新式鉄砲に改造せよ。型式は玉四匁で統一する。俺は、鉄砲を増やすように政宗公とも掛け合ってみる」
早速、成実は政宗と交渉しに気仙沼を発った。




