あらすじ
伊達家を出奔した成実は京都で関白豊臣秀吉を襲撃し、追われて南蛮寺に飛び込んだ。救ったのは天正遣欧使節の代表・伊東マンショ祐益である。危機を逃れて堺へ移ると、南蛮船の豪傑船長・原田孫七郎と意気投合。南蛮船にて奥州へ帰った。
奥州荒浜に上陸した所で、留守中に二本松城を旧相馬家浪人・梅村日向守に奪われたと知る。亘理城の義祖父・元安斎から兵二〇〇を借り、集まった旧臣たちと共に城を奪還した。すでに秀吉から転封を命ぜられた伊達政宗と、広く見聞を広めた成実が合流し、将来の海戦を念頭に置いた新改革を始める。
気仙沼大島を伊東に与えて那坐礼と改名し、奥州のキリシタン三万人を移住させた。交易と造船は原田に任せる。金山、銀山、製鉄、換金農業を開発する。改革は進んで、南蛮船が順次竣工し、軍資金の金貨銀貨銅銭も潤沢に増えた。さらにライフリングを施した新式鉄砲も揃えさせた。
朝鮮の陣の頃、成実は新造南蛮船で世界最大の国「日の沈まぬ国イスパニア」に挑戦するべく、ヌエバ・エスパーニャ(新大陸)へと船出した。
長期の船旅を乗り越え、未開の地・王論に到達する。ここに国造りの第一歩として日本町を造った。次には待望のヌエバ・エスパーニャに船を向ける。
港湾都市のアカプルコでは、解放軍として受け入れられた。現地民は、イスパニア人からの強制労働、農作物の搾取、妻子への暴行など、心底怒りが爆発したのだろう。成美たちと共に武器を取った。
首都のメキシコ(シティ)はテスカカ湖に浮かぶ大島で、四本の直線堤防で外界に繋がる要塞都市。防御楯と新式鉄砲でこの直線堤防を強行突破し、メキシコを占領した。敵の副王ルイス・デ・ベラスコを捕らえ、成実は一騎打ちにて勝利した。
大西洋岸のベラクルスを落として、残るキューバ島とイスパニョーラ島攻撃に向かうと、敵のイスパニア大艦隊と洋上決戦になった。激しい砲撃戦で成実の南蛮船は沈みそうだ。急遽、敵船をぶん取ることにして斬り込み、敵船長に銃撃されるも間一髪。敵船を奪取した。
戦さは、成実らの勝利で終わり、キューバ島を萱場源兵衛に、イスパニョーラ島を黒人の黒田勘太郎光良に与えて、残敵掃討を命じた。
これによりヨーロッパにあるイスパニア本国への送金は止まって国力は弱まり、対英戦争にも負けてイスパニアの復権は皆無となった。
初代伊達王として新大陸に君臨した成実は、奥州に多量の大砲、硝石、金銀、砂糖を送って、政宗の天下取りを支援した。