怒ってもどうにもならない…ということに気付いたのは多分死んでからだ
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この、怒りとはなんだろう…
死んでも、喜びなどは減るくせに、怒りは生きていた時のようになくなることがない。
怒りとは何だろう?怒りとは?
一度怒ると心の中でファイティングポーズをとる。そうなると何日もいつでもどこでもすぐにファイティングポーズがとれるようになる。人の怒りに敏感になり理不尽に敏感になり、人の怒りに簡単に便乗できるようになる。
怒りや理不尽が自分に向いていなくても、心の中の私はシュッシュとただの空気を殴りだす。
テレビつまらない、ネットもつまらない、なんで24時間かけて100キロ人気者が走るの?それに対して終盤で皆で歌を歌って何になるの?何がしたいの?いつまで大谷の話題で持ちきりなの?他の海外にいる日本の選手はどうだったの?なんで一人の事しか取り上げないの?なんで人は自然と共存してるみたいな事人が言ってるの?そんなコマーシャルどうなの?政治に対してニュースでとやかく言うけど、それって反映されたことあるの?だったら言う意味あるの?というよりもニュースで政治的な話を否定してない時ってないんじゃないの?何でもかんでも批判してるんじゃないの?こう言っておけば視聴者が食いつくとでも思ってんじゃないの?有名人の不倫なんてどうでもいいよ。芸能人の謝罪会見でなんで皆怒ってるの?というよりもスポンサーとかにはだけど、私達は関係ないよね。いつまでネットニュースで取り上げてんの?いつまで炎上してるの?
怒りはどういうことか縦横無尽に飛び回り、私とは関係のないことになぜか嚙みついていく。噛みついてもスッとすることもなく、噛めば何か味が出ることもなく、噛んだら次はもっと強く噛むことになる。
怒ってもどうにもならない…ということに気付いたのは多分死んでからだ。
でも、怒ってしまう。落胆して傷付いてしまう。寂しさを虚しさを自分のせいだと怒ってしまう。これらには意味がないとわかっていながら、私達はこの感情をどうすることもできずに、時間を過ごしている。
死んでも傷を負いながら
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(怒うやるの!)が(怒うして!)に変化し腕を組みドスンと座っている。そこにはもう私が座るほどのスペースは残っておらず、(怒うして!)の目の入らぬところで沈黙に耐え兼ね挙手をし発言する。
「え~あのう、ご、ごめんなさい」
「どうして!」
(怒うして!)はこちらを見ずに少し上を見ながら大きな声を出した。
「え?え~、な、何がですか?」
「どうしてあんなこと言ったの!」
「あぁ…はぃ…そぅれ、はぁ」
「言っていい事と悪いことがある!全て言ってはいけない事を口にした!どうして!」
「つ、つい、カッとなってしまって」
「怒ったら何してもいいの?怒ったら(死ね!)って言ってもいいの?傷付けてもいいの?」
「いや!でもね!」
「どうして?どうして言い訳できるの!」
「向こうが傷付けてきたから!私も、ね、ほら、なん、なんて言うんだろう?負けないように、さぁ」
「あなたが傷付けたからでしょ!あなたが勉強をしてなかったからこうなったんでしょ!ノートを見せてって普通の事でしょ!あなたがすべて悪いじゃない」
(怒うして!)は私を見ようとしない。
「あ、ぅん…ぇぇ……ぐぅ…」
私はぐうの音しか出せず、下を向く。そこには(ごめんなさい)と書かれたボタンがあり、それを足で踏む。
カチ!という音と共に「ごめんなさい」と私の声で放送される。
「うるさい!どうして!どうしてそんな気軽にそんなこと言えるの?何に対しての?きちんとわかって言ってるの?」
「ぁぁ」
もう、これは、ダメだね…
私はそのまま眠りに就いた。




