第5章:奈々を守るために
橘 樹は、校舎の屋上で静かに夜空を見上げていた。星がまばらに瞬く夜空は、静かでどこか冷たい。橘の胸の中には、複雑な感情が渦巻いていた。犯人の記憶に潜り込み、そこで見た少女の「影」。彼女が犯人の過去に深く関わる存在であり、その過去が犯人の行動を駆り立てていることは明らかだった。
だが、橘にはまだ分からないことが多すぎた。犯人の真の目的、そして彼がどれだけの力を持っているのか。何より、奈々が今後どうなるかという不安が、彼の心を重くしていた。
「奈々を守らなければ……」
橘は自分に言い聞かせるように呟いた。奈々の記憶が操作されたことで、彼女は何度も危険な状況にさらされている。彼女を守るためには、犯人を完全に止めるしかない。
その時、背後から足音が聞こえた。振り返ると、神崎 零士が静かに歩み寄ってきた。彼の表情は相変わらず冷静だが、橘にはどこか思慮深いものを感じた。
「考え込んでいるようだな」
神崎は淡々とした声で言いながら、橘の隣に立った。橘は頷きながら言った。
「俺は……奈々を守るために、この力を使うって決めた。でも、まだ自分が本当にその覚悟を持っているのか分からないんだ」
橘の声には迷いがあった。神崎はしばらく橘の言葉を聞いてから、静かに言葉を発した。
「お前は覚悟を問うが、それはお前自身が決めることだ。誰かを守るために力を使うのは、リスクを伴う。しかし、リスクを恐れて何もしないなら、何も得られない」
神崎の言葉は冷静だったが、その中には橘への信頼も感じられた。橘は深く息を吸い込み、拳を握りしめた。
「そうだな……何もせずに待っているわけにはいかない。俺は、奈々を守るために行動するんだ」
橘は決意を固めた。その決意は揺るぎないものであり、これ以上奈々が犠牲になることを防ぐために、彼は自分の力を最大限に使うつもりだった。
その日の放課後、橘は神崎とともに奈々に接触することにした。彼女の身の安全を確保するためにも、直接話をし、これからの危険について彼女に警告しなければならない。
橘と神崎は、奈々が一人でいる場所を見つけ、静かに声をかけた。
「奈々、少し話せるか?」
奈々は少し驚いた表情を浮かべたが、すぐに微笑んで頷いた。彼女の笑顔は、橘にとっていつも安心感を与えてくれるものだったが、今はその裏に不安が隠されていることがわかっていた。
「樹……どうしたの?」
奈々の問いかけに、橘はしばらく言葉を選んでから静かに話し始めた。
「奈々、君に話さなきゃならないことがあるんだ。今、学校で起きていること……記憶喪失事件、君も知っているよな?」
奈々は少し表情を曇らせたが、すぐに真剣な顔で頷いた。
「ええ、聞いたわ。何かおかしいことが続いているって」
橘は神崎と目を合わせ、続けた。
「それは、ある能力者が記憶を操作しているからなんだ。その人物が、君の記憶にも手を加えた可能性が高い」
奈々の顔色が一瞬青ざめた。彼女は自分の記憶に何か異変を感じていたが、それが他人によって操作されたものだという事実に衝撃を受けたのだ。
「……私の記憶が操作されているってこと?」
奈々の声には震えが混じっていた。橘は彼女の手を握り、力強く言った。
「でも大丈夫だ。俺たちが君を守る。君に何か危険が迫る前に、必ず犯人を止めてみせるから」
奈々は橘の手を見つめ、やがて静かに頷いた。
「……樹、ありがとう。でも、私は自分が何をされたのか、まだ完全には分からない。でも、あなたが一緒にいてくれるなら……少しは安心できるわ」
彼女の言葉に、橘は強い決意を感じた。奈々を守るためには、彼は自分の力を最大限に引き出すしかない。だが、そのためには、自分の力を完全にコントロールし、相手に対抗する準備が必要だった。
翌日、橘と神崎は再び犯人を追い詰めるために動き出した。だが、犯人も橘たちの動きを察知しているようで、次々と巧妙な手を使って逃げ続けていた。彼の目的が何なのかはまだ完全には掴めていないが、確実に奈々が狙われていることは明白だった。
「奈々を守るためには、まず俺たちが奴を見つけ出さなければならない」
橘はそう言いながら、神崎とともに学校内を捜索していた。記憶の中に潜んでいた少女の「影」が、犯人の動機に深く関わっていることは明らかだが、その全貌はまだ見えていない。
「橘、冷静に行動しろ。感情に流されては、相手に隙を突かれる」
神崎は冷静に助言するが、橘の心は焦っていた。奈々が再び危険な目に遭うことを恐れ、彼は自分の感情を抑えきれずにいた。
その時、橘のスマートフォンが鳴った。画面には奈々の名前が表示されている。
「奈々……?」
不安な気持ちで通話ボタンを押すと、奈々の怯えた声が電話の向こうから聞こえてきた。
「樹……助けて……!」
その声に、橘は瞬時に状況の深刻さを悟った。
「奈々! 今どこにいる!? すぐに行くから!」
橘は焦燥感に駆られながら奈々の居場所を聞き出し、神崎に向き直った。
「行くぞ! 奈々が狙われている!」
神崎もすぐに頷き、二人は全力で奈々の元へと駆け出した。橘の胸は焦りで張り裂けそうになっていた。彼はただ一つのことしか考えられなかった――「奈々を守るために、何があっても止めるんだ」と。