第4章:記憶の中の影
橘 樹は、校舎の薄暗い廊下を全力で駆け抜けていた。犯人の気配を感じ取り、神崎の制止を振り切ってまで追いかけている。彼の頭の中は、ただ一つの思いでいっぱいだった――「早く追いつかなければ」。奈々を守るため、そしてこれ以上生徒たちが犠牲になるのを防ぐためには、犯人を見つけ出し、その力を止めるしかない。
夜の校舎は静まり返り、橘の足音だけが響いていた。廊下の曲がり角を曲がった瞬間、彼の目に暗い影が揺れた。それは犯人だ。だが、その影は一瞬で消え、まるで空気のように消失した。
「くそ……」
橘は足を止め、息を整えながらその場に立ち尽くした。犯人が巧妙に逃げ続けていることに苛立ちを感じていたが、追い詰めるには策が必要だ。神崎の言う通り、無計画に動くことは逆効果だった。
その時、橘の背後から冷静な声が響いた。
「だから言っただろう、無理に追うのは危険だ」
振り返ると、神崎が落ち着いた表情で立っていた。彼は橘が逃した犯人の行方をすでに把握しているかのような、冷静な態度を崩さなかった。
「俺たちが手にすべきなのは、犯人の『記憶』だ。追いかけるだけじゃ捕まらない。だが、もし奴の記憶にアクセスできれば、奴の動きも真の目的も分かる」
神崎の提案に、橘は一瞬戸惑った。記憶に入り込む――それは、橘と神崎が持つ力の最も強力な部分だ。だが、その力には大きなリスクも伴う。相手の記憶に触れることで、何かしらの影響を受ける可能性もあるし、敵がその記憶を改ざんし、罠を仕掛けてくることもある。
「記憶に入るって……それは、奴が強力な能力者なら、逆に俺たちが罠にはまるかもしれないんじゃないか?」
橘の言葉に、神崎は静かに頷いた。
「そうだ。その可能性はある。だが、奴を追い詰めるためには、このリスクを冒すしかない。俺たちが奴の記憶に入り込み、真実を掴むんだ」
神崎の冷静な提案に、橘はしばらく考え込んだ。しかし、彼の心には一つの確信があった。奈々を守るためには、この戦いに勝つしかない。橘は深く息を吸い込み、神崎の提案を受け入れる決意を固めた。
「分かった。俺たちで奴の記憶に潜ろう」
橘と神崎は、学校の中で犯人が活動しているであろう場所を絞り込み、慎重に待ち伏せた。そしてついに、奴が現れた瞬間を捉え、記憶にアクセスする機会を得た。
記憶に入り込む感覚は、橘にとってもまだ慣れないものだった。視界がゆっくりと暗転し、次第に目の前に広がるのは、犯人の記憶の中に存在する「世界」。そこには現実とは異なる風景が広がり、空気が異様に歪んでいた。
「ここが……あいつの記憶の中か」
橘が呟くと、神崎が隣で静かに頷いた。
「気を付けろ。この中では何が真実で、何が作り物か分からない。記憶を操作できる奴なら、罠を仕掛けている可能性が高い」
二人は慎重に足を進めた。記憶の中では、周囲の風景がまるで夢の中のように不安定で、どこか現実離れしていた。建物が捻じれ、色彩が歪み、時折無音の世界に変わる。その異常さに、橘の心は不安を感じていたが、前に進むしかないという覚悟で歩み続けた。
記憶の奥へ進むにつれ、彼らは次第に犯人の過去を垣間見るようになった。学校内で生徒たちを操り、記憶を操作している場面が何度も映し出される。その中で、橘と神崎は犯人の真の目的に近づいていった。
「これは……」
突然、二人の前に大きな扉が現れた。それは、この記憶の中で最も重要な部分――犯人の核心を示すものであることを、橘は直感的に感じ取った。
「ここだ。この扉の向こうに、奴の本当の意図が隠されている」
神崎が冷静に言うと、二人はその扉を開いた。扉の向こうに広がっていたのは、暗く冷たい部屋。そこには一人の少女が立っていた。
「誰だ……?」
橘が戸惑いの声を上げた瞬間、その少女は振り返った。彼女の目には、深い悲しみと憎しみが宿っていた。
「私は、ずっとここにいた……」
彼女は静かに呟き、その目は橘と神崎を見つめていた。橘はその瞬間、彼女が犯人と何らかの関係があることを直感した。この少女こそが、犯人が抱える「影」だったのだ。
「君は……あいつとどういう関係なんだ?」
橘が問いかけると、少女はゆっくりと歩み寄り、低い声で言った。
「私は彼の記憶の一部……彼が消そうとした過去の影」
その言葉に、橘は驚愕した。少女は、犯人が自らの記憶から消し去ろうとした存在だったのだ。彼女は、彼が記憶を操る能力を得た理由、そしてその力を使って何を成し遂げようとしているのかに深く関わっていた。
「彼は私を忘れようとした。でも、私は消えない。私は、彼がどれだけ記憶を操作しようとも、彼の中に残り続ける影なの」
少女の言葉は、深い悲しみと共に、犯人の真の動機を示唆していた。彼は過去に何か重大な罪や苦しみを抱え、それを忘れようと記憶を操る力を使い始めたのだ。そして、その過去が今、再び彼を支配しようとしていた。
橘と神崎は、その影の存在に圧倒されながらも、真実に近づいていることを感じていた。しかし、彼らはまだ犯人の全貌を掴みきれていなかった。彼の目的が何であるか、そして彼が何を求めて記憶を操作し続けるのか――その答えは、さらに深いところに隠されている。
「もう少しだ。真実はすぐそこにある」
神崎がそう呟くと、橘は強く頷いた。二人は、さらに記憶の奥深くへと進む決意を固めた。