5. カノン、動く
ギアを追加で大量投入したことで「連合」軍の戦線を崩壊寸前にまで追い込んだ「共同体」軍だが、フェイレイ・ルース騎士団や、別の戦線で戦っていた歴戦の傭兵団の活躍で、「連合」軍側が一時的に戦線の立て直しに成功したかに見えた。
だが、「連合」軍本体の戦力は一部が敗走に移り、戦線には穴が空き始めていた。攻勢に出ていた「共同体」軍がそれをむざむざ見過ごすはずもなく、空いた穴を拡大すべく錐のように突入部隊をもみこませた。
戦闘開始以来のエネルギーの奔流のおかげで、大平原を草原となしていた植物はすべて吹き飛び、重金属を含んだ黒っぽい土が露出し、生命を全く感じさせない異様な光景が出現していた。
そんな光景の中、戦線を無理矢理に後退させて孤立を逃れたはずのフェイレイ・ルース騎士団だったが、後退を成功させた一時間後にはさらなる危機に陥っていた。
彼らが後退した広大なスペースに敵がすぐに侵入してくることはなかったが、周囲はそうでもない。後退を始めた時点ですでに左右が敵に囲まれ始めていたのだから、その敵が前進したら同じように囲まれる道理だ。
そして、騎士団の左右を進撃する敵の数は明らかに増加している。
正面に立っていた敵は、フィルやメグの一撃離脱戦法でかき回され、すぐに前進することはできなかったが、左右に展開していた敵はろくに抵抗も受けずに前進し続けている。それを押し止める力は、すでに「連合」軍の主力には無かった。
後方に待機していたはずの予備兵力は、「連合」軍司令部の守備に回ったために前線には出てこなかった。まともに戦わない兵力をそのようにして産んでしまった時点で、いわゆる遊兵を作ってしまった時点で、司令部の失敗は明らかだったが、それについてとやかく言っていられる余裕は、騎士団には無い。
「この平原の戦いが始まるまでの優勢は、どこ行ったんだかね」
のんきに評しているのはレイで、口とは裏腹に手は凄まじい勢いでデータを処理している。
「兵の勢いとはそのようなものであろう」
淡々とした調子で返すのはカノンで、こちらは難戦の中でも衰えることを知らない輝かんばかりの美貌から表情を落としたまま、戦闘用糧食のバーをつまらなさそうに食べている。
普段からさほど仲が良いとは思われていない二人だが、狭い騎士団司令部の中で顔を突き合わせていれば、会話くらいはするらしい。
「戦線の崩壊はもはや止められまいな」
「まあ、ねえ」
「どうやって死線を離脱するかにシフトするべきところではあろうが……」
のほほんとして見えて、メグやフィルが驚くほど万端に準備を整えてくる「ロジスティクスの悪魔」レイは、カノンの含みのありそうな言葉に手を止める。
「……またなんか考えちゃってる?」
彼のおかげで、戦線崩壊寸前の危機的状況の中でありながら、騎士団司令部に集まっている情報の量は、戦線に並ぶ他の友軍とは比較にならないほど質が高い。
塹壕戦の陣頭指揮から一時下がり、自機の補給と自らの食事を行いながらその情報を眺めて、二〇代前半というちょっと信じがたいほどの若さで少将にまで上り詰めたカノンは、なにやら別のことを考え始めたらしい。
カノンはレイの言葉には答えず、宙に浮かべたデータ表示用の数枚のモニターを無表情に睨んでいた。
レイは肩をすくめると、自分の仕事に戻る。
と、付け足すように言葉を継ぐ。
「ああ、新型のパーツはね、砲台として使えるように仕込んで一五機分稼働できるようにしたよ。安全マージン考えたら三機はもう少し仕上げたいから、実働一二機かな」
「……それがこれか」
モニターの一つに表示されたデータを、長く細い指で示す。レイはそちらを見もしないで「そ」と応えた。大概無礼な男だが、この男は相手が騎士団長だろうが列強の皇帝だろうが態度が変わらない、真正の機械バカと評判である。
「移動は自力では無理。防御フィールドは別口でジェネレータに繋いでるから連動も無理。本当に撃つだけの砲台だよ」
「今から戦線に並べられるか」
「あと一時間欲しいな。ギアみたいに自立できないから、敷設工事が必要だよ」
「そんなことができるのか? この激戦のさなかに」
「工事ったって、ややこしくはないから。ただ、その場所を平らにするのに意外に時間がかかりそうでね。土木機械なんか準備できないしさ」
「スペックが異常に高いのは?」
「最新型だもん。今使ってる砲も新型だけど、こっちのは同時に開発を進めてた別系統の砲でね。現行機には搭載できないから、新型に載せようと思ってたんだけどさ」
「完成も程遠いような新型機とやらをそんなに持ってきておったのか」
「それこそ自走する砲台として使えるところまでは持っていけるかなって思ってたんだよ。思った以上に『共同体』軍が素早かったから計画狂っちゃった』
てへ、といわんばかりののんきな表情で笑ったレイに冷たい一瞥をくれると、カノンは白い頬に指を当てた。
「……なるほど、マッドエンジニアが持ち込んだバカ兵器を活かせば、多少は状況を改善できるか」
「だれがマッドだ、ていうか兵器にバカをつけるな」
そこか? というツッコミは入らない。その役がいない。
司令部内には副官すらいない。完全にふたりきりの空間だが、この二人の間に男女の甘さや緊張感は微塵も無い。どちらも壊滅的に色気というものが無い。
突き抜けた美貌、天才的な戦術能力、圧倒的なカリスマを備え、敵にすら女神と呼ばれるカノンだが、騎士団の連中は誰もが知るとおり、性的魅力とか妖艶さだとかいう成分をどこかに置き忘れて生まれてきたらしい。
レイは……いうまでもない。エンジニアや企業経営者としての実力に疑問を持つものはいないが、人として色々残念なことも知れ渡っている。
「新型の補給に問題あるまいな」
「誰にいってるのさ、『ネイエヴェールはロジスティクスで勝つ』んだよ」
「どこまで信じられるか知らぬが、それを前提に戦術を組み直そうか」
「どうすんだよ、今さら」
「情報と装備が両輪としてあれば、状況は変えられるというところを見せようではないか」
無表情なカノンが大言壮語を口にしているのか、単に事実を述べているだけなのか、一瞬探るようにその顔を見たレイだが、口に出しては何もいわなかった。
口に出したのは別のことだ。
「最悪、砲台一つにギア一機をつければ、移動はどうにかなるよ。機動戦力を減らしてまでやることかどうかは別としてね」
「結構。存分に使わせていただく」
カノンは長い髪を揺らして立ち上がった。疲れ切っているはずのその顔に、鋭気が浮かんでいた。透き通るようなその表情は、あるいは見る者を陶然とさせる得体のしれないほどの艶やかな美しさだったのだが、残念ながら受け止めるギャラリーに欠けていたのだった。
騎士団が戦闘状況に入ってから六〇時間を超えている。
多少は交代しながら休息を取っているとはいえ、当然ながら兵士たちの疲労はとっくに限界を超えている。
薬剤で疲労の様々な要因を体から取り去ることもできるし、栄養や水分の補給だけは万全に行われもしていたが、生命の危機を延々と突きつけられる精神的な疲労は、取り去りようがない。
体内の化学物質のバランスを調整するナノマシンは、一般化して久しい、ごくありふれた技術だ。これを使えば、興奮も鎮静も、攻撃性の励起も収束も、双極性の先鋭化も鈍化も、容易かつ少ないリスクで管理できる。
だが、戦場でこれは使えない。妨害技術が凄まじい地上戦で、繊細極まりないナノマシンの制御など瞬時に崩壊する。暴走を避けたければ、ナノマシン自体を体から排除する必要すらある。
常に敵の砲火が頭上を通過する、だけではない。妨害が激しいがゆえに「連合」の友軍の砲撃すら飛び交っている。
優秀なギアの防御フィールドがしっかり敵の攻撃を防いでくれてはいるが、フィールドのエネルギー密度を超える攻撃がそれを突き抜け、塹壕内を暴れまわることも無いわけではない。
戦術アルゴリズムにしたがってオートで砲撃を続けるギアの周囲で、そのための補給作業を続ける兵士たちの疲労は計り知れない。
それでもなお、拠点防御戦術で戦線を維持しているのは、ほとんど奇跡的といって良い。
そんな極限状況の中で、フェイレイ・ルース騎士団全隊にカノンからの指示が伝わった。
連隊単位の指揮官に伝えられた戦術指示が、小隊レベルの動きに分化され末端まで下ろされていく。
「……鬼だな」
「……まだ働けと」
「……死にたくなきゃ戦わねえとな、そりゃわかるんだけどよ」
「……動きたくても動かねえよ……」
などといいつつ、兵士たちはテキパキと動く。経験の少ない兵士たちはとっくにグロッキーだが、ベテランたちは力を抜くところと入れるところの勘所を押さえているから、口ではグチグチと文句や泣き言を並べながら、手や足は結構動く。
傭兵であるがゆえに常に戦場にある彼らならではだ。
国軍である「連合」軍や「共同体」軍の兵士たちとは、場数が違う。長期に渡る戦争を続けて歴戦の兵士になってしまったこの惑星の兵士たちといえど、宇宙各所の紛争地帯を這い回り、宇宙空間戦や宇宙要塞戦、大気圏突入型の作戦、海洋戦、海底戦、市街戦など様々な戦場を生き抜いてきた精強な傭兵に、経験で及ぶものではない。
『戦友諸君』
から始まるごく短時間の音声が、すべての兵士に送られている。適宜閲覧が求められていたその二次元映像は、指揮官カノンの訓示である。
『拠点防御戦術でここまで戦線を支え続けた諸君ら対し、指揮官として誠に感謝に堪えぬ。されど、このまま我らが戦線を保とうと、いずれ近いうちに友軍が破綻するは必定。ゆえに、妾は今こそ勝負に出んとぞ思うておる。
諸君らと再び生きて相まみえるため、必勝の策を以て挑む。願わくは、今しばらく死力を尽くし、騎士団領首都ヴェネティゼータにて再び互いの生あるを喜ばんと欲す』
荘重な雅語の連なりが、カノンの少し低めのしっとりした声で語られると、男性兵はおろか女性兵まで陶然となった。
実のところ、騎士団においてカノンは女性人気が抜群に高い。美丈夫フィル・エーカーもアイドル的な人気はあるが、生真面目キャラが知れ渡りすぎて少々人気を落としている。
むしろ男性人気はフィルの真面目さやメグの磊落さに傾いていて、あまりにも高嶺の花に過ぎるカノンは、尊敬や畏怖の対象ではあっても、アイドル的な人気とは無縁だった。
「しゃあねえ、女王様のためにもうひと働きすっかよ」
「生きて帰るぜ」
もっとも、信頼はされている。特に前線で彼女に率いられた経験のある兵士たちからの信頼は絶大だった。
同時に伝えられていた各部隊への命令が実行に移される。
前線の兵士たちの水準では、与えられる情報に限りがあるために自他の状況というものがあまりわかっていないが、自分たちがなんとか後退を成功させて戦線を再構築したあとも「共同体」軍の前進が止まらず、むしろ「連合」軍の他の戦線が崩壊していくに従い、騎士団がより孤立化の危機を深めていることくらいは想像がつく。
フェイレイ・ルース騎士団は、歪になった大平原内の両勢力の戦線の中で、結果として突出した形になっている。三方から攻撃を受けても仕方がないところではあるのだが、騎士団側に火力の優勢があるために「共同体」軍が戦線を押し上げられず、また「共同体」側も不規則な前進が戦線にズレを生じさせたために攻撃にかなりの粗密が生じており、戦線の再構築が必要になっていたから、ここまではどうにかやり過ごすことができていた。
そんな状況の中で、本来なら戦線を縮小させながら後退し、友軍と並ぶかそのまま撤退するかを判断すべき騎士団が、カノンの号令一下、敵も味方も全く想像していない行動を取り始める。
「連合」側優勢の状況から、大平原を勢力下に置くための戦いに移行し、「共同体」の一か八かのギア集中投入戦略によって状況が反転、「連合」に傭兵団として雇われたフェイレイ・ルース騎士団は一転して危地に立たされた。
兵器の優越によって一時的に危機から脱したものの、現在では半包囲の危機にあり、下がろうにも下がれず、疲労は濃く、援軍も期待できない。
どう考えても不利な状況下、絶望まで一直線という中にありながら、指揮官カノン・ドゥ・メルシエ少将は、友軍司令部に諮ることもなく……諮ろうにも「連合」軍司令部には騎士団と通信を繋いでおこうという気すら無いのだが……新たな行動に移ろうとしていた。
「ガレント遭遇戦」は幾度目かの転換点を迎える。