聖人様はヒトデナシ
「待ちなさい!!」
魔女として火炙りの刑にかけられそうになっていた私の命を救ってくれたのは、王子様ではなく、聖人様でした。実は、とびきり人でなしの。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ある日、私が住んでいる村に、狼のような姿かたちをした数匹の魔物が現れました。周囲にいる村人に手当たり次第に襲い掛かり、噛みつき大怪我を負わせる魔物に、皆悲鳴を上げ逃げ惑いました。私も孤児院の施設長からおつかいを頼まれ、市場に出掛けていたところ、その場面に遭遇したのです。
なす術もなく立ち尽くす私の前には、両親とはぐれたのか、まだ小さな女の子が怯えてうずくまっていました。最悪のタイミングで、魔物がその子目掛けてまっすぐじりじりと進んできます。
今となってはどうしてそんなことをしたのか分かりませんが、私は「わああああ!!」と大声で叫びながら魔物に向かって手をかざしていました。すると宙から突然小さな火の玉が発生し、モンスターのどてっぱらに直撃したのです。おそらく大した火傷ではありませんでしたが、人間からの思わぬ反撃に怯んだ魔物達は、そのまま村の外へ逃げ出しました。
駆けつけてきた少女の両親は泣きながら地べたに頭を擦り付けるようにして繰り返しお礼を述べました。私も何が起きたのか分からず混乱していましたが、とにかく女の子が無事だったことに安心して、腰が抜けてしまっていました。
ただ、トラブルはそこで終わりませんでした。私が魔女の生まれ変わりではないかという噂が広まり始めたのです。古の悪しき魔女は、炎の魔法を使い、罪のない人々を焼き討ちにしていたという伝承が残っていたためでした。
今でも魔法を使うことが出来る人間は、百人に一人程度の割合で現れているのですが、水や風、土を司る魔法の持ち主がほとんどです。おそらく、火を司る魔法の持ち主は、風評被害を避けるため、人目につかぬようこっそり日陰者として生きているのでしょう。
私だって、自分が火の魔法を使えると知っていれば、あの場で少女を助けることを躊躇ったかもしれません。でも結局、目の前の命を救うためなら、やはり同じことをしたはずです。別に私は聖人ではありませんが、自分の命欲しさに他人を見殺しにできるほど図太い精神を持ち合わせてはいませんから。
女の子と家族、それから孤児院の職員や友人たちは、懸命に庇ってくれましたが、最終的な領主の決定には逆らうことができませんでした。私は魔女裁判にかけられることになりました。裁判とは名ばかりで、実際には火炙りにされるだけですが。炎に飲まれて生きていられる訳がありません。
「ごめんなさい……私のせいで……ごめんなさい……」
「あなたは何も悪くないわ。あなたがこれからも元気で生きてくれていたら、それだけで十分よ」
真っ赤に泣き腫らした目をして何度も私に謝る少女とその両親に、小刻みに震える手足を気付かれないよう、精一杯平静を装い私は答えます。
正直なところ、目前に迫りくる確定した死は、どんな魔物よりもずっと恐ろしく感じられました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「待ちなさい!」
磔にされた私の足元に火が灯されようとした、まさにその時、一人の男性がその場に現れました。その出で立ちを見て、その場に集まった観衆はどよめきます。
「あ、あなたは……聖人アラン様ではありませんか!!」
「一体どうしてこのようなところに聖人様が……」
一度亡くなったあと、奇跡の復活を成し遂げた聖人として王国で崇められる存在。各地を訪ね歩いているという話は聞いていましたが、まさかこんな辺境の村にやってこられるなんて。
「魔女の噂を聞いてここまで訪ねてまいりましたが、私には一目見れば分かります。彼女は魔女ではない。国に安寧をもたらす聖女です!」
それを聞いて慌てたのは領主でした。このままでは面子が丸つぶれだと必死に反論します。
「そ、そんなはずは、ありません! このイザベラという女は悪しき炎の魔法を使う、世にも恐ろしい魔女ですよ!」
「では、その魔法を使って、誰か一人でも他人を傷つけることがありましたか? そこまで私の言うことが信用できませんか?」
「いえ……そんなことは……」
たかだか村の領主が、王国全土で信仰されている聖人の言葉に逆らうことはできるはずもなく、私は無事解放されることになりました。
「聖女の力に目覚めて日が浅いようですね。私が手解きをしてあげましょう」
万が一、魔法が暴発して周りに迷惑をかけてはいけないということで村はずれの廃墟にて稽古をつけていただくことになりました。
「稽古の前にまずお礼を述べさせてください!! ……命を助けていただいて、本当にありがとうございました!! この御恩は一生忘れません!!」
「気にしなくていいよ。当然のことをしただけだから。本当のことを言うと君を助けたのには、ちょっとした下心があってね……」
急に砕けた口調になる聖人様。下心って……。聖人様にもそのような欲求があるのでしょうか。正直、ほんの少し幻滅してしまいましたが、命を助けて頂いた以上は、出来る範囲で恩に報いるべきなのでしょうか……?
「……その……私に出来る範囲のことでしたら……あいたっ!」
勢いよく顔を上げたせいで、聖人様のあごに思いっきり後頭部をぶつけてしまいました。
「も、申し訳ありません!! ……って……えっ……」
ドスンッ……ゴロゴロ……
床の上を転がるその物体は、どこからどうみても聖人様の生首でした。
「ぎゃああああ!! 私!! 命の恩人を頭突きで殺してしまった!! あ……あああああ!!!」
パニックになり絶叫した後、私の意識は遠のいていきました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……気が付いたかい?」
「ああ……聖人様……生きていらっしゃって良かった……私、処刑されそうになったせいで、よっぽど気が張っていたみたいです……とても恐ろしい夢を見てしまいました……」
「あはは、あれは夢じゃないよ。さすがに僕もびっくりしたけど。ほら」
ご自分の両手で首を持ち上げて見せる聖人様。再び気絶しそうになるのを、なんとか気合で堪えます。
「ひぃっ……そ……それも、聖人様の奇跡の力なのですか?」
「君だけでなく、王国のみんなを騙して申し訳ないんだけど、僕は聖人なんかじゃないんだ。ただのアンデッドなんだよ。言い訳をさせてもらえるならば、自分で聖人だと名乗ったことは一度もないんだけどね」
「アンデッドですって!? ……まさか! 私を食べるつもりですか!?」
「食べないよ! 人間を食べるだとか、噛みついたり引っ掻いたりするとアンデッドになるっていうのは、あくまでも迷信なんだ」
失礼なことを言われて傷ついたような表情で話すアラン様。
「それならどうして聖人の振りなどなさっていたのですか?」
「僕は元々人間が好きでね。こうして絵具で変装して町中で人間と一緒に暮らしていたんだよ。数百年もの間、ずっと」
アラン様が頬をローブの袖で拭うと塗料が取れて、アンデッドらしい土気色の地肌が現れました。
「でも、あるときぼーっとしていて街中で馬車に轢かれてしまってね。気絶している間に医師に診察されて、死亡を宣告された直後に目が覚めたんだ。すぐさま、とんでもない大騒ぎになって……」
気付けば聖人として祀り上げられていたそうです。私が耳にした噂では、邪教徒に磔にされ処刑されたあと、生き返ったと聞いていました。噂話は当てになりませんね。
「……そうだったんですね。アラン様が聖人様であれアンデッドであれ、私にとって命の恩人であることに変わりはありません……それで、何か私に頼みたい事でもおありになるのですか……?」
「ありがとう。難しいことではないんだ。僕を君の炎で火葬してほしい。アンデッドの唯一の弱点である、魔法の炎で」
「……一体何を仰っているのですか? 私に命の恩人を殺せと?」
思わず怒気を含んだ口調で問いかけてしまいました。
「殺すのではなく、弔ってほしいんだよ。先程見せたように僕の身体はもう限界がきているんだ。元からこんな風に土気色でボロボロだったわけじゃない。数百年以上生きてきた生涯で、ここ十年の間の変化だ。そのうちまともに動くことすら出来なくなるだろう。だからその前に君の炎で僕を救ってほしいんだ」
「……そんな……いくら命の恩人であるアラン様の頼みでも……」
「理不尽なお願いをしていることは自覚している。この村には、まだ三日ほど留まる予定だから、それまでじっくり考えてくれて構わない」
彼に魔法の使い方を習いながら、三日間、夜もろくに眠ることが出来ずに、ひたすら彼の頼みについて、悶々と考え続けていましたが、やはり私には無理だという結論に至りました。最後の日、深々と頭を下げて謝りましたが、アラン様は微笑んで許してくれました。
「こちらこそ、どこまでも勝手で残酷な依頼をしてごめんね。どうか君の人生に幸あらんことを」
去っていくアラン様の後を一人の少女が追いかけます。あの子は、以前魔物に襲われていた……
「聖人様~!! お姉ちゃんを助けてくれてありがと~!!」
勢いあまって、アラン様にぶつかる女の子。よろめいた彼の頭はゴロンと転がり……
「ひぃ……いやあああ!!!」
一瞬でパニックに陥る村の人々。
アラン様は生首を拾い上げ元通りくっつけると、とんでもないことを喋り始めました。
「……まさか、ここで正体がバレてしまうとは……聖人に化けて聖女を救い、信用されたところで聖女諸共、我々アンデッドの眷属にしてやろうかと思っていたが……こうなっては仕方がない……まずはそのチビから仲間にしてやろう!!」
彼は私の方を向いて、ほんの一瞬だけ口を動かしたように見えました。本当にごめんね、と。
謝ってすむわけがありません! 結局、選択肢なんて残されていないではありませんか。私の命を助けておいて、その私に命を奪わせるなんて。
胸が引き裂かれるような心の痛みに苦しみながら、彼に教わった通り、照準を定めて呪文を唱えました。
「清き炎により汝の罪を焼き滅ぼさん。軛より解き放たれ天に還れ!」
初めて放った火の玉の数十倍はありそうな炎の塊に包まれたアラン様の身体は……一瞬で……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「アンデッドが蘇ることが無いよう処置した上、私が責任を持って埋葬します」
村人にはそう説明して、村の外れにある景色の良い小高い丘に彼の遺体を運びました。今まで辛いことがあるといつもここを訪れていました。このお気に入りの場所で、安らかな眠りついてくれることを祈ります。
「イザベラ……」
私……幻聴が聞こえてしまうくらい……いつの間にか彼のことを……
「ねえ、イザベラ、聞いてる?」
肩に置かれた手……え?
振り返ると全裸のアラン様がそこにいました。後ろには脱皮したあとに残されたさなぎのような真っ黒こげの塊が……
「はあ!? ……ちょっ……えっ……変態!!!」
いろいろな気持ちが入り混じった結果、最終的に罵声を浴びせてしまいました。一緒に棺に収める予定だったローブを投げつけます。
「ご、ごめん……声を掛けるタイミングが掴めなくて。ただ、僕、閉所恐怖症だから、埋葬されるまえにと思ったんだ」
「何で生きているんですか!!」
本当に良かったと心の底から安堵しながらも、つい喧嘩を売るような言葉を吐いてしまいました。
「いや、僕も驚いたんだよ! てっきり火が弱点だと思い込んでいたけど、あれもただのデマだったみたいだね。まるで生まれ変わったみたいな清々しい気分だ! ほら、肌だって、とてもつやつやしてるでしょ? やっぱり僕と君とはこうして出会う運命だったんだ!!」
浮かれてはしゃいでいるアラン様を見て、ブチッと堪忍袋の緒が切れました。
「……バカアラン様!! 私がどれだけ傷ついて、苦しんで、どんなに辛い思いで炎をあなたに放ったと思っているんですか!!」
「……すみません……でした……」
「許しません! 一生かけて、責任取ってもらいますから!!」
「一生か……それは……大変だな……」
頭を掻きながら情けなく笑う彼をみていると、ほんの少しだけ口許が緩むのを抑えられませんでした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
村の人々に別れの挨拶を済ませ、こっそり廃墟に隠れていたアラン様と合流しました。
「……本当に村を出て良かったのかい?」
「誰かさんのせいで聖女認定されてしまいましたからね……アラン様には責任を取ってもらわないといけませんし……」
「うん……そうだね……頑張るよ」
どことなく寂しげに微笑んでいるような気がして、勇気を出して一つの質問をぶつけます。
「以前、噛みついたり引っ掻いたりしてもアンデッドにはならないと仰っていましたが、他にアンデッドになる方法はないのですか? ……その……深い意味はなく、アラン様には一生かけて私に償いをしていただかないといけませんし、それなら私も同じくらい長生きしないといけませんから……」
「……イザベラ……! ……実は、あるにはあるんだけど……結構ハードルが高いというか……複雑な問題があるというか……」
「何ですかモジモジして!! 数百年生きているっていうのに年頃の少女じゃあるまいし気持ち悪い!!」
かなり緊張しながら、ほぼプロポーズと言っても過言ではない問いかけをしたのに、何だか私よりも頬を赤らめてモゴモゴと喋るアラン様を見て、つい腹を立ててしまいました。
「酷いなあ! 年齢のことは割と気にしているから言わないでくれよ……そのアンデッドになるには……」
私に耳打ちするアラン様。
「……はあ!? またデマとかではないですよね!?」
「そればっかりはなんとも……僕だって実際に確かめたことはないし……そういう経験もないから……」
「えっ……アラン様って数百歳のくせに、童て……」
「だから!! 何でも人間の尺度に当てはめないでくれよ! 相手の人生に対して、取り返しのつかない甚大な影響を及ぼす行為なんだよ!! 慎重になるのは当たり前だろ!?」
今まで見たこともないくらい顔を真っ赤にして、アラン様は抗議しています。とても数百歳年上とは思えないその姿に、ついおかしくて笑ってしまいました。
「……からかってすみません。では、私も一緒に旅をしながら慎重に判断させていただきますね。あなたとこれから生涯共にすることができるかどうか」
「……うん……よろしくお願いします」
「こちらこそ、不束者ですが、よろしくお願いします」
こうして、聖人の皮を被ったアンデッドと、今のところ只の聖女見習いの人間である私は長い長い旅に出ることになったのでした。