第三話 サムガラ案内前編
落ちる場がないと言うのは、退屈らしい。
「ナミナが私を見つけてくれたのは悲鳴をあげたせいであろうがなー…もしも無口だったらどうやって落ちた供え物がいると分かるのか。ヴァニマ様の視力を使って定期的に調べている…?気配もそんなに遠くからでは探れないし、底が無い所など、永久に調べるハメになりそうだが…これもヴァニマ様の力?ヴァニマ様が直々お調べなさっているのか?真なら、一体どの目が彼方の縁の目だ…?あれー?」
海淵宮で休憩を満喫しようとしてツヅミに邪魔されてしまってから、時が過ぎ、未だメリは茶碗の元へ戻って仕事を続行しようと思っていたこの頃。当然ながら、世の彼方へ向かう為にはまず、彼方の縁を越えなければならないのだが。メリには常世の住民としての力はなく、飛ぶ事が出来ないのである。故に現在、彼方の縁で落下中のメリは救いを待ちながら独り言を呟いている。茶碗が気になっていた重みのある動物についても、もうお勧めの一つ二つを用意していたから考察の材料が尽きて別の事を考えあぐねていた。
「あら、メリじゃない」
はっと我に返って上を見上げるメリは、見知った領主の姿を拝見して、自分の思考と苦戦して失っていた活気が戻ってくるように感じて。
「よーし、ユラギリだ!説教されずに済む!」と両腕を振りながら叫ぶ。
世の彼方の領主の数は多いが、メリとは最も仲が良い領主はセガタと、今目の前にいる植物のつるの姿をしているユラギリである。複数のつるが細かく絡まれていて僅かと子供の大きさの人間を象っているが、顔がいそうな部分は大きな葉で隠されていて後ろにあるつるの花は見辛い。葉には自動で描かれる簡単な表情の絵が載っていて、今の絵はニコッと笑う絵である。下半身に当たる部分には、赤いポピーの花が詰まっていて、上半身にはコチョウランとつるの花が活けてある。顔に注目しやすくする為か、ユラギリは体の部分にマントみたいな白い布を着ている。
「うふふふっ、その言葉、セガタには内緒にした方がいいわね」
ユラギリがそう言った間につるが伸びてメリの腕を掴むようにして絡まっていた。
「うん、そうしといて!で、丁度良いから仕事に付き合ってくれる?これから供え物にサムガラを紹介していくから、祀主も直接見てたら実感湧くだろうなーって」
つるが頑丈にメリを縛っていた後、ユラギリは余裕な姿勢で世の彼方の方向に向かって、上へ浮く。両腕がつるに絡まれているせいで、宙に吊らされたような気分を味わうメリだが、これも日常の一環である。
「それもそうね。いいわ、セガタとは只今交代したし。供え物を安心させてあげましょ」と意外と躊躇いもなく言うユラギリ。暇だと思わせる返事の速度だが、実はただの興味本位で誘いを遊びにように見ているだけであった。
「流石ユラギリ!頼りになるー!好き!人間の女子の姿をしていたら惚れてたかもしれぬー!」
嬉しさの具合に合わせて空中に揺れるメリ。つるはユラギリの力によってかなり強く、メリが全力で揺れてまた落ちようとしたころでつるは解けない。よって、人間の女性に期待される体重を以ってして揺れても離される恐れはないのである。
「あら、運命のお姫様でも憧れるようになったの?」
「あーそれって実を言うと分からないよね。ザエに会ってきたが、忙しくって余り話せなかったの」
「チクソラで何かあったのかしらね…って、うん?ザエが好きになったの?」とユラギリが問うている間、顔の葉にはてなが描かれる。
「恋とは違うが、友達としては好きだし大体人間の姿をしているから、何気によーく見ていたら好みじゃないかと…」
「面白い発想ね。でも、今更見ようとしているのも、貴女が最初から女には無関心だった証拠じゃない?」
「自覚がなかったのかもしれぬよ」
「ま、分からないけど、とりあえずは頑張って!」とまた満面の笑顔が葉に描かれながらユラギリは言う。
「おう!」
ユラギリと約束を立てた今、茶碗にまた集中出来たメリは深呼吸をして目を閉じて。開いた後、ヴァニマの視力を使って居場所を探ろうとする。
「っと、茶碗君は…」
「茶碗?」
「今回の仕事で一番最初に見つけた供え物。海淵宮の案内もあって結局茶碗しか見てないの」
「他の語主に獲られてなきゃいいけど」
「ちゃ、茶碗君は私を裏切るような子ではない!と、信じたい…」
「着いたわよ」
いきなり足が硬い地面に衝突する感触に襲われて、瞬きをして視界を取り戻すメリ。
「痛っ!ビックリした…!ヴァニマ様の力で目が見えないから、もうちょっと優しく降ろしてくれても良いではないかー」
周囲を見渡したら、メリは確かに世の彼方に着いていたが、急に降ろされて膝が未だに痛んでいる。居心地悪く座っているまま、メリはまた瞬きをしてヴァニマの力を発動する。
「ごめんなさいね。で、茶碗君は見つかった?」
「えーっとね…」
そもそもどこで探していたのか分からず、また探索を一からやり直す事になったメリは、一分近く経って世の彼方を高速度で見回っている。本来なら探している者を想像するだけですぐに見つかるが、茶碗の姿が安定していない上にヴァニマの加護は視力の一部に過ぎないから、前に会った茶碗を思い浮かべても見当たらない。姿が変わったに違いないと思っていると、色合いと気配が似ている住民が見えた。
「あ、あった!うわー何この姿、凄い事になってる」
遂に茶碗を見つけてはいたが、驚く事に容姿を変えようとしていない。佇んでいる元茶碗は集中しているかのように、動かない。今となっては100センチをも越えていた頭のない蜘蛛の姿に変えて、足が柱のように太く、白亜の肌で動き辛そうに見えたが、重みがあると言う感想も浮かばない。体には幾つかな物が絵として描写されて、画風はあっさりしているが色が細かく、丁寧に描き込まれているようだ。世の彼方の風景から取り入れた要素もあって、足には神木、石祠等が世の彼方にそぐわない桜と菊の花に囲まれている。描いている物が金色ではなくなった結果として、元の黒い肌が目立たず逆に茶碗が色濃くように見える。
「転制が終わったの?」
「姿を保とうとしているようだが、意外だ。重みのある動物が良いと言ってたのに…」
瞬きをして、ユラギリのために写していた茶碗の映像は消える。思い悩んだ事が台無しにされ、何と言えない気分であったメリだが、隣にいるユラギリの葉にあるキラキラの絵を見て、微笑み掛ける。
「とにかく、こっちだよ」と、手を自分の方に振ってユラギリを誘導するようにメリは言う。
「はーい」
ユラギリは歩き出すメリの後を追うようにしてつるを引き摺る。茶碗を探して様子を伺おうとしたのは事実でありながらも、世の彼方に来たメリにはもう一つの目的があった。それは、他に迷っている供え物、もしくはもう転制を終えた、ここからどうすればと悩んでいる常世の住民を探して、案内をする事だ。故に、メリは近道を選ばずに、語主に挨拶しながら孤独な供え物に自己紹介しては拾っていく。そうしてメリは、茶碗の視界に入るまでの間で、五名もの供え物を茶碗の元に連れてきて明るく手を振っていた。
「帰ったよ、茶碗君!お仲間も連れてきたが、皆に自己紹介してくれる?」
メリの後ろにいる供え物に圧倒されたかのように、茶碗は一歩引いて。体にある、目の役割を模している金色の点は震えている。
「え、えー?なんで大勢いるの?」
「それは、語主だから。供え物一名につき語主一名が付いていたら切りがないじゃないか。供え物は常に流れ着いてくる者よ。と言う事で、自己紹介よろしく!皆仲良く私に付いていくように!」
メリは供え物を茶碗に良く見せる為に横へと供え物から離れて、腕を組んで茶碗の一言を待っている。共に来た供え物も不思議そうに知り合いとなる茶碗を見つめている。
「あ、僕は…シャタ。よろしく」
視線を感じて二本の足を体の部分に使ってまるで自分を隠そうとした、今はシャタと呼ばれた者は低い声でそう言った。そして、皆から注目を引くようにしてメリは感想を述べ始める。
「シャタ、ね。良い、良い!似合うと思うよ。で、皆!この子は転制を遂げて、自分に名前を付けた供え物。言わば、もう、常世の住民よ。この中で転制をこなした者はレイアね」
メリは紙で出来たかかしの姿をしている供え物を指差してそう言った。棒で支えられる筈のかかしだが、その足も紙で創られて地に着かず浮いている。
「うん!悩んだけどねー!」と返すレイア。
「解る!悩むねー!と、皆もシャタに自己紹介して!彼も寂しがっているに違いないから」
レイア以外の供え物はどう割り切れば良いか考えていた途中、ユラギリはつるを振って自分に気を引かせようとする。
「はい、私からでもいい?祀主だけど」
「まつりぬし?」と団子の姿のままの供え物が戸惑ったように問う。
「ヴァニマ様を支えるように選ばれた常世の住民を表す言葉!語主も、祀主が就けれる仕事よ!」
「へー!」
メリは苦笑いしながら、「はい、分かってないの口調だね、それ!後で詳しく説明するから、待ってて!」と注意する。
「私はユラギリって言うの。この世の彼方で領主をやっているわ。簡単に言えば、警備員ね。皆が安全に暮らせるように、世の彼方を見回っているのよ。最近捧げられた者じゃなくて、ただメリに付いているだけ」
ユラギリは供え物の混乱を気にせず、葉に描いた純粋な笑顔を見るにまだご機嫌らしい。それで安心しそうであったメリは、供え物の反応を確認しようと思っていたが、殆どが意外と無関心であった。
「何か悪い事でもしたの?」と只今思い浮かんだかのように問うシャタ。
「ここで裏切らないでよ、シャタ…」
「うふふふ、メリはいい子なのよ。みんなの様子を見に来ているだけ。ついでに、領主の仕事を教えていけば幸いね」
「参考に領主を連れて来たの、凄いでしょう?私」
「自分で領主の事、説明出来ないの?」
鉄の箱に近い形に自分を創り上げていた供え物に極純粋に訊かれて、怯まずにはいられなかったメリ。
「い、いやいや、出来るが念を押して本物を連れているのよ。分かる?」
「それは、どうかな」
「え?」
メリの一行は、新たな者の声を聞いてその方向へと向いて、人の姿をした住民を見た。見た目が安定していて、転制を終えていたであろう、世の彼方に彷徨っていた新住民。人と言えど、姿は結構年を取った、長いヒゲの付いた男に近しい。刀を腰に差して、鎧を着ている事を踏まえて、武人を装っていたに違いない。自信溢れた笑顔を浮かべては、メリに目線を集中させている。
「お前は神の使いに間違いなさそうだが、ガッカリだな。他の住民と大して変わらない、とは言えないくらいに弱い気配だ」
「けはい?」
危険の予感がしてまた俯きながら「目立つけど…」と呟いたシャタだが。
「茶碗風情が無意味な発言をするな。私は神の使いに用があるだけだ」
武人の姿の住民に聞こえていたらしく、そのせいで一瞬、厳しく睨まれていた。しかし、彼はシャタの方向に歩まず、まだメリに近付いてくる。
「貴方、霊力は強い方と見て良いな?」
知った風にそう言ったメリは、亡霊の体質で実際にヴァニマの力を使っていないと気配など感知出来ないのである。故に、ただの憶測に賭けて強がろうとしているが、当たっている事にもメリは自信があった。小さく笑って愛想良く振る舞っているが、現在のメリは供え物が怖がらないか心配である。
「当然だろう。私は穢れを知らぬ刀。その美しさの余りに捧げられた者。この魂は、唯一無二なのだ」
「刀…成程ね」
住民が持っている刀は恐らく転制した前の姿であり、変身してまでなろうとしている人間は彼を一度も戦争などに使う事はなかった主と、メリはふと勘付いた。そして、今、大切に扱われたせいで、自分が他の供え物より優れていると思い込んでいる所であろう。メリはそんな思考を表に出さずに、ただ会話の流れに沿う。
「で、何の用?案内志望?」
「ヴァニマに案内せよ。私は多いに価値のある存在。神に選ばれても不思議ではないくらいだ」
「却下だね」
「何?」
睨まれても怯まないメリ。その躊躇のない、冷静な態度は眼差しからも伝えられて、見つめ返されていた元刀の住民は少し、狼狽えているのであった。
「ヴァニマ様にお会いになる資格は、貴方には無い。増してや用件のない者など、ヴァニマ様に会わせる訳がないの。大人しく供え物と案内を受けるが良い」
「何だと…この私に向かってなんて事を…」
「力があっても、神どころか祀主に選ばれない事だってあるの。その資格を得たいならば、次の祀主選抜試験に参加する事だね。神になれるのは、祀主だけよ。だから、ヴァニマ様にお会いになるにはまだ早いと言っているだけ。そこは勘違いしたら困るね」
怒りの余りに、刀の住民は震え、レイアとシャタも不安で下がっている。
「神の使いだとは言え、こんな弱い奴に、侮辱されて…」
メリが何を言えば住民の機嫌が治るのかを考えていた頃、ユラギリは前に出てつるを刀の住民の方向へと飛ばす。つるは腰にある刀の数センチ前に止まっていたのは、ユラギリの慈悲深さ故で。彼女はきっと、住民から何かを感じ取って一行の守りの体勢に入ったのであろう。顔の葉は、黒く塗り潰されて自分でも表現したくない事を描写している。
「はいはい、乱暴な真似は領主の目の前では止める事。祀主じゃない者が祟りを使うのは、重罪だわ。そうしたら、違う形でヴァニマ様にお会いするのかもしれないのよ?」
珍しく真剣な口調であったユラギリがそう言って、メリの目は驚きで瞬きを繰り替えしている。祟りは基本的に亡霊でも目に見えるものだが、それはあえて発動し始めたらの場合で。発動前の霊力が溜める様は、メリには解らないが、引き下がっていたシャタとレイアは祟りの不穏な気配を無意識的に察知していたのかもしれない。少なくてもユラギリには、祟りの気配がしていたのである。
自分でも何をしようとしていたのかをまるで理解していなかったのようにただ、一歩引いて周囲を見渡している刀の住民。常世に着いて浅い者には勿論、祟りの概念の多くは知らない。しかし、彼は確かに威嚇として襲い掛かろうと思って、ユラギリに止められたのである。そして、ユラギリのつるからも気配が感じられる住民は、彼女の強さを充分に想像出来る。皮肉にも無力と化された刀の住民は、逃げ場に縋る事も許せず。ユラギリにさえ立ち向かえない事を実感して、ただただ必死に訴えるしかなかった。
「くっ、これは何かの間違いだろう!私は最強の人間の想いを継がれし者!この刃は穢れだって斬れると言うのに、この陳腐な者と同じ扱いを受けなければならないと言うのか?!」
「そうよ」
即答であったメリに、刀の住民はまたして怯んで、顔を顰めた。
「供え物は皆、立場が同じ。ここで暮らして、常世を創っていくだけの者。だからこそ、霊力が強くても関係ない。霊力の強い捧げ物なんていくらでも集められるからね」
「私が特別ではない、と…お前は言うのか?」
「だが、祀主にはなれるはずだよ。ユラギリにもいつか敵うのかもしれない。だから、特別でなくても、良い住民になれる事に間違いないよ」
メリからは、哀れんでいる眼差しはなく、逆に期待を表情に宿していたのだ。しかし、それを目の当たりにして、他の供え物からも不安以外の感情が見えず、彼に恐怖すらしていない様子でメリの言葉を支えている真実を思い知らせれる。そう本能的に想った刀の住民は、メリから目を逸らして。
「…神の国なんて、興醒めだ」
言い訳を告げ、逃げるのではなくただ、一行から自分の意思で去っていくと言う褪せた認識でその場を後にしたのだった。歩いていく姿は慌しく、いっそ走っていた方が遅かったようなペースで、それを見つめていたメリは不安を漏らすように溜め息を吐く。
「ユラギリ、様子を見てあげて。無茶な事をするかもしれぬ」
「任せて」とつるを引っ込めながら、ユラギリは言う。
そしたら彼女の体が薄くも光出していたが、後ろにいた供え物は刀の住民の事を思い浮かべてそれどころではなかった。しかし、ユラギリが発動させたのは、紛う事なきヴァニマの力である。自分で目はなくても視力があるのは、常世の日常茶飯事の一つで、そもそもヴァニマの目を使っている時点で祀主自身の目は不要だ。ユラギリは供え物の後ろに下がり、メリは皆の前で軽く拍手して注目を集めようとする。
「で、邪魔されたが、もう大丈夫!自己紹介を再開しよう!貴方からでいいよ!」
適当な供え物に指差そうとして、団子の姿の供え物を指すメリ。それに反応して団子は地面でコロコロ揺れた。
「あ、ぼく?!名前がないけど、団子だよ!優しそうな人間がぼくを石像に乗せてたら、ここにいた!」
「よろしく、団子君!で、貴方は?!」
メリは団子の隣にいる、大きさが定まらない白く光っている玉と化している供え物に指差して叫んだ。
「桃。大きくなりたい」
光っている割には口調が控えめで、桃がボーとしているように聞こえる。しかし、それを良い方に捉えて桃を欲望に忠実と思えたメリの元気な姿勢は崩さない。
「転制して大きくなってね!はい、次!」
「針!気づいたら、ここにいた!」と、以前は鉄の箱に似た姿の供え物は叫ぶ。今は、桃に見習ったか丸くなっている。
「捧げられていない供え物ね。はい、次!」
「あたしはレイア。捧げられたのはいいけど、これから何をすればいいんだろうって棒立ちしてたらメリさんに見つかった住民だよ。何となく何を残したいのかは決まってるけど」
「見たいな、その残したい物!出来てたら声を掛けといて!で、最後の貴方!」
一行の端っこで霧としての姿を微妙に保てていた供え物に指差すメリ。霧が声をだして答えるには、数秒が経ったが、空気にもなれる事実に気取られていた供え物はそれを実感しなかった。
「椿だったの。花にはもうなりたくはないけど、今はそう呼んでいいわ。貴方達は、どう転制すればいいか悩んでいるようだけど…」
「悩んで当然だよ!自分が本来、何者なのか。これは中々分かり辛いのよ」とメリは他の供え物の反論を受け付けずにフォローを言う。
「そのための語主でしょう」
「ふふっ、語主だからって私は貴方達の心の姿は分からないよ。だが、手伝いはするからどんどん頼って!」
「頼る!ぼくはね、団子のままでもいいの?」
「良いのよ!そのままの姿に転制しても他の住民と何の違いもないから」
「へー!じゃあ、団子がいいな!」
団子は興奮を示すように転がるばかり。姿は団子とは変わらないと発言したが、色は変える予定らしく、今でも青に変わるか黄色に変わるかで迷っている模様。それを見て、メリは笑う。
「可愛くて丁度良いと思うよ!他に相談に乗りたい者は?」
「とりあえず大きくなりたい」
そう言った桃は、未だメリの慎重をも上回っていた高さを誇る、光る玉と化していたのである。太陽にでもなりたいつもりか、と内心突っ込みたくなったメリだが。
「大きい桃は如何?」とだけ呆気なく進める。
「いや、それも地味な気がする」
「地味じゃないよ!ぼくだって、団子のままだよ!」
「一緒にされたくない」
「えー!」
悔しがっている間に桃の回りで転がっている団子。移動方法はそれで固定のようだ。桃は動く素振りを見せる事なく、光の差し加減を調整しようとして玉から出る明かりを薄くしている途中だ。
「姿が変わるなら。もっと迫力のある者になりたい、と思う」
「迫力…鳥だね!」
「鳥な訳ないよ」と自然のようにメリに言い返すシャタ。
「ぐっ、桃君は別にいやと言ってないから、案外鳥が良いよー…」
「鳥も何か違う」
「しくー!迫力のある者と申しても、そんな感じの住民はヴァニマ様くらいな気が…」
掠れた声でメリは言った。一方、ユラギリは落ち込んだメリの声を聞いて位置を当てて、つるを手の代わりに肩を優しく叩いている。
「ヴァニマサマってどんな見た目をしてるの?!」と、針は問う。捧げられなかった分、神には興味津々のようである。
「ヴァニマ様はね、人型だと思えば六本の腕と両足で行動もタコだし、顔が目だらけで肌も光ってるから動物や物に比べても違和感があるよね。ヴァニマ様はとにかく自分で見なければ検討も付かない姿をなさっているよ」
「わかんないけど、凄そう!」
「ピンと来ない」
桃の姿は、桃が考え込むにつれ縮んで、メリの膝にしか届かなくなっている。姿が安定しない程に悩んでいる事が明白であって、メリは可哀想に思ったが、桃と同じく良い案が浮かばない。そうして、メリは自然と首を傾げている。
「うーん、別に今から転制する必要もないから、案内を受けて色んな者を見てこよう?そうしたら、良い発想が増えるかもしれない」
「賛成。私も早くこんな所から出たいわ」
椿は飽きれたようにそう言って、メリに近寄る。世の彼方を不気味に思われているのであろうと察したメリは、苦笑いをする。住民が住まない、草すら生やさない砂のない砂漠のような山道は、椿にとっては不自然であるに違いない。しかしながらそんな神秘的な世の彼方だからこそ、メリは好き好んで山道を見渡して、散らばっている依代を興味深く思えるのだ。生きた感じのしない所にも魅力があると考えているメリだが、それを中心に話を持ち越してはおかしいと、それを伏せて言い切る。
「世の彼方は何もない所に見える事も多いが、不思議な場所でもあるんだ。現世に行き来出来るのもそうだが、ただの岩でさえ妙に霊力を放たれてるの。世の彼方が余り穢れていないのもこの依代のせいだよ」
常世の住民が見る依代は、世の彼方の丘に孤立して佇んでいる木、岩、石像や祠を指している単語で、メリも少し山道はずれにある小さな石像を指差している。石像は、目しか顔に刻まれていない人を描いていて、それに加えて六本の腕も持っているベースとなったヴァニマと比べても、控えめでより不気味な印象を与えられる。
「なんで?」とただ純粋に聞いている団子が問う。そもそも話題の意味を理解すらしていないのである。
「えっとね、ヴァニマ様から聞くに、依代は現世側からも浄められているそうで、霊力がここにも届くんだよね。依代は現世にあり、常世にある、と。外側と内側が二つに一つだ。供え物がここへ来れるのも、神の力の器として常世に通じている依代があるからだよ。供え物の多くは、現世の依代に置かれてそのまま常世へと転送されるんだ。依代とは言っても、色んな種類はあるが、祀主を目指していない限り、これは別に覚えなくてもいいよ。私が説明しているのより、滅茶苦茶細かいから」
実はそういう細かい所が好きで世の彼方は気に入っているが、一行を退屈させないためにも依代の殆どの役割を明かす事を遠慮したメリ。供え物の反応を伺うと、飽きれてはいないが然程興味を示している訳でもないのである。
「じゃあ、さっさと行こう!」
針は何やら世の彼方の外の方に興奮して跳ねている。やはり世の彼方より、これから暮らすであろう領域の方が気になってしまうのだ。メリはそう思うと、ユラギリの方を見やる。
「はーい!だが、その前にユラギリ!刀の彼、変な動きしてない?」
未だヴァニマの力を解除したユラギリは、「こっちに来てるわよ」とだ余りにもけあっさりしたように言って、メリと供え物が意味を理解するには数秒が経つ。
「来てる?!」
信じられないとばかりに手を口に寄せているメリ。返ってユラギリは、三点が顔の葉に描かれていて、落ち着いたように見えたが未だ元気を取り戻していない。
「まあ、私が付いてるからには、心配要らないんでしょうし、大丈夫じゃない?」
「それはそうだが、嫌われたのかと思ったよ…」
「不安だな…」
そう言ったシャタは、メリの後ろに隠れる。団子と針はシャタの下で状況をやり過ごそうとしていて、椿、桃とレイアはユラギリの隣にいる。そうしてあの刀の住民が訪れるための準備を終えたと思って彼との会話を本能的にメリに任せた供え物は待っていた。山道であっても、木が周囲の視界を邪魔していないから道から外れた者は見つけ易いし、そもそも山道を歩かない者が多い。刀の住民も、去っていた時は丘を登るように歩いていたから、居場所を知っているユラギリを除いて皆は山道の道外れから来ると予想していた。
近付いていると注意しようと、ユラギリはつるを一行の前に振って左を向かせようとしている。その意図が読めたメリは最初にそうして、人影が遠くにある小さな廃神社(世の彼方に詳しいメリでないと分からないくらいに遠い)を通ってゆっくりと歩いている景色を見た。彼女の視線を追った供え物は固まったように動かないが、転制を遂げていない者の姿は色褪せていく。刀の住民の顔が見えるくらいに彼が近付いた頃には、色に悩んでいた団子は全体的に灰色になっていた。
刀の住民の目線の先には、やはりメリがいた。
「私が特別ではないとお前は言うなら、証明してみろ」
「ほ?」
意外と思えた刀の住民の発言にどう感じれば良いか迷った末にメリはただキョトンとした様子。もう道の反対側にいた住民はメリの反応を見て、冷たくもこう言う。
「その他特別な者を私に見せるのだ」
怒りが収まったように見える刀の住民は、余裕が残っているように振る舞っていたかったのか命令な口調であるが、一応頼みを持ち掛けようとしていた。それを容易く見抜いたメリは彼の言葉の意味と重大さを分かって、優しく、成長する者を見るように微笑む。
「お安いご用だよ。付いてくるが良い」
メリの接し方を観察して、顔を担っている葉に笑顔が描かれていたユラギリ。先輩に当たるメリとユラギリが和んでいる姿勢を見て、団子と針はシャタの下から出て、桃の隣から様子を見ている。何だかんだ、少々見下されている事に捉えられて、刀の住民は腕を組んでは目を細めている。
「ふん、弱いくせして、自信だけはあるな」
「自信なくして、語主は勤まれぬ。ただ、それだけの事」
「メリはどちらかと言うと、悪い意味で特別だからね」と空気をお構いなしにユラギリは言っては前に出て、顔の葉を光に絵に切り替える。
「ちょっと、ユラギリが言うと心の奥まで刺さるが…!」
「ところで、お名前は?」
メリが大げさに泣き喚いている間に、ユラギリは刀の住民にそう訊いた。
ユラギリを前にして一瞬、何とも言えない感情に浸っていた故に、数秒経ってから彼は、「カナシロ・オエツグだ」と、凛々しく言ってみせた。
とりあえず危険はないと安心させられた供え物はメリの前を囲うように並び始める。団子の姿に色が戻って、全体的に桃色と化していた。針はシャタを参考に黒い姿を試していて、桃は光る要素を諦めて玉に刺を加えている。どれもオエツグと話す気はなかった事に対して転制を既に終わらせているレイアは彼に話賭ける。
「名字付きか、細かいね。あたしはレイア。他に名前ある者はシャタで、神の使いは人間っぽいメリと隣のユラギリ」
「お、よくぞ私の代わりに紹介してくれた!」
一瞬にして立ち直ったメリは誇らしげにそう言った。供え物がオエツグを拒絶する恐れがあって心配していた事がレイアの行いで一気に薄めていたのであって、供え物全員が安心して案内を受ける証明であった。
「ま、常世の案内はただでさえ大変そうだからさ」
「気遣いありがとう!だが、それは放っておいて、貴方はカナシロって呼んでいい?」
「オエツグでもいい」
「分かった。では、オエツグ!貴方は飛べるであろうな?」
「飛べる、だと?」
顔を顰めて首をも傾げたオエツグは、そもそもメリの意図が掴めていないと示すばかり。宙に浮いているレイアはオエツグの姿を詳しく知りたそうに彼の周りを飛んでいる。
「世の彼方の先にある彼方の縁を越えるには飛ばなければいけないから、転制した者に供え物を運ばせてもらう仕組みなんだ。彼方の縁はまだ見てないの?」
「知らないな」とオエツグは言う。
他の供え物も同じ気持ちのようで、メリをじっと見つめている。だからメリは、彼方の縁の方向へ向いて、数歩歩いては皆が後を付いて来るように待つ。
「ならば、連れて行ってあげよう。そうしたら、案内が本格的に始まる」
無意識に勇ましく聞こえているメリを見て、うふふと笑うユラギリは供え物が動く前にメリの後を追う。そしたら、後ろを向いて、ハートの絵が葉に描かれる。
「彼方の縁を出たら、いい事を教えてあげるわ」と言い残して、威勢良く歩いていくメリの後ろを浮く。
椿、レイア、シャタとオエツグは無言でありながらも好奇心を隠せずに、お互いにぶつかりそうだったくらいに同じタイミングでユラギリに追い付こうとする。一方、団子と針はゆっくり転がっていつも通りの機嫌であった。
「いいこと!何だろう?」
「わかんないよ!」
「地面って、広いな」
「へ?」と、桃の適当すぎた発言に団子と針が同時に言い放つ。
桃も転がってメリを追っていたものの、他の供え物より遅く、未だにボーとしている様子である。まだ供え物である者の姿が安定しない中、一行は暫く他愛ない会話を挟んで山道を下っている。世の彼方で見られる景色はやはり古く小さい神社と建物、そして石像の類であったが。それと共に見えたのは、超絶に高く、太い木。注連縄で巻かれていて、不思議と木の周りだけが風が通っているようになっていた。やはりその木が気になっていて、針はメリに質問を持ち掛ける。
「この木は供え物じゃないの?」
針の言っている木は一行の右側にあって、かなり近いため風が吹く感触を皆が体験していた。木の少し先にいたメリは後ろを向いて、こう答える。
「これは神木、依代よ。現世では生き物に間違いないが、常世にあるこの木は人の精神の力によって創られた物なんだ。注連縄が見えるであろう?木を神の象徴にしたところで、木に新たな魂が作られる訳がないから、体が常世の霊力の器にされただけよ。要するに現世の木はそもそもここにはいないから常世を全然認識してないし見えてないから住民じゃないの。だが、依代としての体は確かにここにあるのよね。供え物とそうではない物の区別は大体気配で探れるが、それが出来ない者は全然動かない、変わらない物を背景の一部と思うように」
「はーい!」
「木…」
木の高さ、大きさに気取られている桃。枝を生やそうとして、以前刺だった部分が益々危険そうに見えた。体の模様に役立つかもしれないと踏んで、姿の方向性が気掛かりであるシャタが問うた。
「何か思い付いたの?」
「木も嫌だな」
「そ、そう」
しかし、桃からは収穫は得られないと悟って彼から遠ざかる。その間にレイアはメリに話し掛ける。
「気配って、見たら妙な感じになるヤツ?」
「神木を見て変に圧倒されてたら霊力の強い物を見ている感じ。気配ではあるが、それだと常世の住民との区別が付かないよ?」と、また知った風にメリは言うが。
当然ながら、気配など感じた事がないメリは祀主の証言を頼りに似合いそうな言葉を並べているだけである。
「え、じゃあ…」
「オエツグを見たら違う感覚でしょう?」
本当に霊力が強ければね、とふと思っていたメリ。オエツグの方を指してああ言ったものの、いっその事ユラギリを例に上げた方が良かったのかと今更迷っている。
「うーん…あ、そういえば!光ってるって言うか、なんて言うか…」
しかし幸運な事に、レイアは本当にオエツグからは何かと強い気配を感じ取れるのだった。メリはひたすら微笑みながら頷いて話を流そうとしている。
「光っている?笑止。息をしている感覚だ」
「でも何か、風がないのに揺れている的な?反射してる何かがあるような気がするけど」
「どっちでもいい。私は、私が見える事にしか興味はない」
「それって、辻褄が合ってるような、ないような…」
「あ、メリさん!ぼく、名前を決めたけど」
軽く言い合っていたレイアとオエツグの話を遮って、団子はメリの目の前に転がっては揺れている。気配の話題から逃れる良い機会かもしれないと、メリは屈んで団子に近付く。
「ほほー、教えてみよ」
「ダン!これにしたよ!」
「うわ、可愛いね!言い易いし、良いではないか!」
「地味」と、ダンの横から転がる桃。移動の邪魔になっていた枝は排除し、今は葉を玉に追加している。
「ダンゴじゃないんだね!」
ダンが気になって近付いてみた針も、木材で出来た箱の姿を試している途中である。
「へー?!でも、ぼく、ダンがいいよ!」
桃と針に囲まれて、桃色の団子として転制を遂げたダンはメリの両足の隙間から両名から逃げて。メリは立って息を飲んだ。
「それで良いなら、異議なし!住民の名前は大切な物。誰にでも変えられないよ」
「ありがと!やっぱりダンでいいよね!」
「ああ!」
反論した所でメリはそれを拒み、ダンを問い詰めようと思っていた供え物はすぐに諦める。転制を遂げた同士を不思議に思っていたであろう、とメリは知っても。転制して間もないダンにとって姿形は繊細な問題であったに違いない。そうして、メリはダンからも話題を逸らしヴァニマの石像について語って崖までの道のりを賑わせた。崖が見えてきて、供え物一行は好奇心の余りに近付いて、下を覗きに行く。
「はい、到着いたしましたよ、彼方の縁!」とメリは崖の先を眺めながら、今更言う。
「崖だわ」
「下が見えない!」
下を覗いた感想を言ってから供え物はまたメリの近くに添って彼女の説明を待っている。
「底なしだからね!落ちたらまず地に着かない。飛ぶ以外先へ行ける方法がないんだ」
「転制は出来たけど、飛べるかな…?」
呟いていたシャタを聞いて、ユラギリは、「何なら、私が運びましょうか?メリにもそうする予定だったし」と彼を安心させようとして言う。
「え、メリさんも緊張しちゃうの?飛べるのって。大先輩じゃないの?」
「し、失礼ね!祀主にしては若い方だよ!」
レイアの質問はごもっともであったが、メリは突っ込みで誤魔化そうと試みる。語主としてメリはいつも彼方の縁を越えなくてはならないが、その結果、毎回飛べない自分を晒している。しかし、サムガラの住民は亡霊と言う概念を習わないし、習ったとして転制をしていない者としか言われるのだ。故に、メリが飛べない事を不思議と思っても、転制をしていないから飛べないと言う結論には至れない。常世の住民と亡霊の気配が余りにも似ていて、何者か怪しまれたとしても、メリには飛べない口実もあった。それは、飛行が苦手だから固まって飛ぶ所ではない、とされている。口実の半分割は事実である。
「口調が変だけど」と不意に付け加える椿。
「癖よ!と、とにかくそういう事だから!」
「情けない。これでお前は神の使いになったのか」
「そうだよ、これでも自力でなってみせたんだから凄いと思え!貴方こそ飛べるの?」
オエツグに話を振れた自分に内心喜んで、期待の眼差しで彼の反応を待つ。昔の影響で飛ぶ事を怖いと思っている、などと恥ずかしい言い訳をするよりメリは断然話題を誤魔化してなかった事にする方法を好んでいる。そして、オエツグならば挑戦を断る筈がないとメリは信じている。
「飛べるとお前が言うなら、受けて立とう。私はこんな所では終われない」
シャタとは真逆の態度で、「え、えー?」とふいに戸惑いを声に出す。
案の定、直接挑発されなくても、プライドの高そうなオエツグはすぐにも崖の端に近付いて、彼方の縁を見つめている。恐らく、どうすればメリの指示を頼れずに飛べば良いかで悩んでいたが、それを露にしなかったせいで、誰も気づかなかった。故にオエツグの顔を見ていなかったメリは彼を急かすために叫ぶ。
「参れ!」
「…言わずとも!」
オエツグはもう一歩縁へと出ては、深呼吸をする。そして、覚悟が決まったであろう時に崖の先へと跳んで、バランスがとれるように両腕を広げる。落ち掛けたように見えた筈のオエツグは、いつの間にか立ったまま宙に浮いているが、動かない。自分でもどうして成功出来たのかの多くは分からないと少し内心は焦っているオエツグ。
「その調子よ!」
しかし、あんなに見られてはそう言える筈もなく、溜め息を吐く。広げても無意味と分かって腕を元に下ろし、まるで身を空中に任せるように向こう側を目指す。何か方法を間違っているのか考えている途中、日光速度が結構遅い事には無自覚で、反対側の供え物とメリの文句は集中している故、聞こえない。
横になっている男が宙を浮く姿を、今回で供え物は経験出来たと言う事で、等と同時にメリは思ってしまう。本人は、仕事のせいでこういう場面には慣れていて、無関心である。やっと陸に近づいた時、オエツグは少し上へ浮いて、最初落ちていた事を補ってからゆっくりと足を地に当てる。その後、オエツグは後ろを向いて何事もなかったかのように初対面以外で初めてにやにやと笑っている。悩んでいた事をすっかり忘れて、今回の飛行を大成功として記憶に刻んだらしい。
「ほらな!!」と向こう側から叫ぶ彼。
「合格!では、ここに戻って他の供え物を運んどいて!!」
メリは反対側から手を振って、オエツグが戻っていく姿を見つめる。隣にいるユラギリなんては、ヒューヒューと叫びながら応援しているのだが、オエツグはそれを無視しようとユラギリから目線を逸らしている。他の供え物は、呆然としながらオエツグが最初に飛んだ事を思い浮かべているのだった。
「飛び方、ダサい」
「初めにしてはいいんじゃないかな…」
例外として、シャタはまだ飛ぶ事を恐れて俯いている。桃は羽を創ろうとしているが、明確な形を思い出さないため、絶妙に生々しいリボンにしか見えない。そもそももう飛んで動いているレイアはメリの隣へ向かってこう尋ねる。
「でも、オエツグにとっては宙を歩くってのは出来ないの?どうして足を使わなかったのかなー」
肩をすくめてメリは、「さあ?宙を歩く事は少なくとも出来るが」と答える。レイアみたいな心配は、メリにはなかったのだ。
皆が話している間にオエツグは飛んだままメリの前に来る。まだ自信満々のようで、慎重の高さを利用してメリを見下ろしている。
「この供え物を私に預からせるとな?運ぶ義理もないが」
「見捨てる義理もないでしょう?」
当たり前のようにメリはそう返したが、オエツグが不機嫌な様子。メリから遠ざけながらこう呟く。
「ふん、反論のし甲斐もない」
どうやらメリを挑発しようとしていたらしい。そう気付かされたメリはキョトンとして、未だその意味、意図さえ分からない。馴れ合うつもりだったかと疑うばかりに、白い目でオエツグを見つめる。思ってたより不器用な者だなー、と考えながら。
隣でユラギリが笑っていた。オエツグが向かっていた位置は桃、針、シャタと椿がいる、ユラギリとはちょっとしか離れていない場所だ。ダンが転制を遂げた事によって安定して浮く事は出来て、それをレイアの前に見せ付けたのであったが。一方、霧の姿の椿は崖を越えようとして落ちていったから、姿を桃みたいな玉に変えてオエツグの手に乗せてもらった。こうして、転制した者としていない者の違いをまた見る事になるメリ。
安定して何にもなれる、常世の住民と。
元の姿とその特徴以外が安定しない、供え物。
メリは、そのどちらでもない、変身を拒む亡霊であった。
ユラギリに声を掛けられて、ボーとしていた事を自覚してしまうメリ。意外とセガタの説教が応えたのか、とひたすら思ってユラギリのつるで縛られている間、結局全員背負ってしまったオエツグが供え物を反対側へ運んだのだ。そしたら、レイアがシャタを引っ張る事になって、メリとユラギリは両名と同時に彼方の縁を越えていった。今回のユラギリは優しく、遅くもメリを降ろしてくれて、メリは笑顔で震えているシャタを見守る。レイアに引っ張られてはいたものの、説得されて自分で宙を歩いていたらしい。今はレイアによしよしと足を撫でられていて、聞く耳持たずである。
「着いたけど、何かいい事を言うんじゃなかったかしら」
ユラギリがメリから少し離れた時にこう問うた椿。一番乗りのオエツグと供え物一行は同じく好奇心に満ちて、ユラギリを見つめている。ダンはメリと同じくシャタを見守っていたが、椿の話し声を聞いてユラギリの方へ振り向く。
「あら、そういえばそうね。とってもいい事よ」
「なになに?どういうこと?!」
「このサムガラで生活するにおいての掟!ズバリ教えちゃうわ!」
ハートが顔の葉に描かれていて、ユラギリは祝い気味に複数のつるを振る。テンションに合わせてメリは拍手をするが、他の供え物は真剣にユラギリの言葉を考え込んでいるようだ。
「掟、成程ね」
「なんの?」
「まあ、まあ。聞きなさい。私ったら領主をやってるでしょう?常世にも、皆の気持ちなんて考えた事もない悪党が出るのよ。だから、そういう者を捕まえてヴァニマ様にお渡しする仕事が存在するわ。で、誰がそんな悪党なのかを決定付ける戒め─掟が領主の仕事に大きく関わるの。何せ、捕まえる側だからね。でも、捕まるなんて嫌じゃない?だから何をしたら領主に怒られるのかを知っていくのは大事!だから、はい、サムガラの掟、第一目!」
『一』の文字が顔に描かれてから、ユラギリは説明を続ける。呼ばれる数字によって顔の葉はその文字を描く仕組みで供え物に退屈せずに追い付けるように配慮をしている。
「祟りを使わない事!第二!祀主に協力する事!第三!穢れと隙間を目撃した場合、必ず祀主に報告する事!第四、住民に危害を加えない、穢さない事!第五、サムガラの背景を壊さない事!そして最後にして第六、ヴァニマ様に必ず従う事!いいわね?」
頷ける者は頷き、他の供え物は佇む。
「わかんないけど、覚えとく!」
「うん、いい調子!分からない事は、メリに説明してもらって。そのためにいるんだから。兎に角掟さえ守れば、何をしても自由。罰が下らないわ」と、キラキラが葉に描かれた状態でユラギリはそう言って、メリを目立たせるために彼女の後ろに付く。
他の供え物より遠くからユラギリの話を聞いていたレイアとシャタはメリに近付いていく。
「一応訊くけど、穢れって何?どうやって見切れるの?」
「それより祟りの事が知りたいね…」
「どちらも何かの関係性があるから、両方について語ろう。浄めと穢れはそもそも霊魂の力、霊力の種類を指しているが、祟りは完全に穢れた者と完全に浄められた者、両方が使える力よ。浄められた者でも祟りを使って穢れを生やす場合はあるから要注意と言っても過言ではないね」
「完全に穢れた『者』…?」と、オエツグは呟く。
「悪霊、怨霊と悪魔の類よ。黄泉の国に封印されている危険な生物。万が一会うことはないが、これらも祟りは使えるらしいから加えてみたんだ」
「らしいって…」
「完全に穢れた者など見た事がないからなー」
レイアの不安に対してメリは、襲われただけの情報を提供出来てご機嫌である。者を見てなくても、メリに記憶にまだ情報が残っていたからだ。語主にとって、記憶力は大事で、余り知られていない事でも説明出来るとなるとメリは己れの知識を誇るしかない、と謙遜の欠片もないような事を思っていた。メリの答えを聞いたオエツグは、納得したように頷く。
「それだけこの土地が守られているのか」
「いかにも!浄主の働きによって黄泉への門が閉ざされている。まあ、そこに近付いていたら忠告するから良いとして。完全に穢れている者については知らないから何も言えないが、完全に浄められた者は言わば、私達常世に住んでいる者なんだ。そして完全に浄められているのは、簡単に申すと自分で自分を穢さない状態を表している。例えば、転んだら割れない、傷も付かない、死なない事よ」
他の供え物がショックを受けていた中、レイアは、「不死なの?!」とだけ叫び、無意味に考え事をせずメリの説明を待つ事にした。
重い話題を前に、メリは苦笑いをする。
「都合が良さそうだが、生憎常世の住民は死ねるよ。ただ、現世の者とは違って、亡骸を残さない。消えるだけ。何も穢さない方法で死んでいく、と言った方が正しいか。これを住民は『成仏』、と呼んでいるの。とにかく、浄められているのは綺麗である事ならば、自分が汚れているのは穢れている状態。血が出ている、泥が付いているなどが穢れの証だ」
「…誰かに穢された場合、私達は祟りとやらを使えなくなるのか」と、思い浮かんだ事を真剣に尋ねるオエツグ。
「いや、そうでもない。完全に霊力で出来ているって事には変わりがないんだから」
「何のことー?」
「現世ならではの肉体。持っていないでしょう?私達が自由自在に姿を変えるのも、肉体や器なる物がないからで、完全に霊力で出来ているからだよ。確かに穢されたら祟りはまだ使えるが、力の源が浄められている残りの霊力だから弱まっているに違いないね。少し穢されただけなら浄主に治してもらえるが、多くの穢れを受けた場合、存在が保てなくなるから極端に穢れを避けるように!」
「汚れで死ねるんだね、私達って。転制中に汚れた格好にしようと思っていたらどうなってたんだろう」
レイアは俯きながらそう言った。自分のせいで供え物を不安にさせたと分かって、メリはあえてより愛想の良い笑顔になる。
「転制で汚れているような見た目をしたなら、結局汚れても平気だよ!いけないのは、勝手に現れる汚れなんだ。だが、常世も穢れが滅多にない場所。危険が少ないんだよ」
「そうね、強いて言えば浄主の縄張りに近づかなければ基本的に穢れる事がないわ」とユラギリはメリの説明に足すように言う。
「穢されたとすると、祟りで自分を浄める事が出来ないのか?」
「出来ないね。祟りはそもそも何かを浄める事が出来ないの。浄主や創主が使うのは浄め自体で、祟りは浄めも穢れとは関係のない魔法的なもの。穢れを生やせると言った場合も、もしも常世の住民が祟りを使って人間を火の玉で襲ったらなどの例だから、祟りを他の住民に使うと痛いなだけか…」
わざとらしい間を取るメリだが、質問を持ち掛けたオエツグには無効化な演出である。隣にいるダンは恐怖ではなく、好奇心でぴょんぴょん跳ねている。転制を終えてそんな力を会得したようだ。
「な、なに?他になにかあるの?」
「…呪われるか、だよねー。『こうもしない限り貴方は永遠に姿を変えられない!』と言った呪文で者を苛める行為を意味している訳だ。相手より霊力が強ければ祟りは自力で解けるが、そうでもないと条件を満たさなければ一生呪われる事になるから、異常に厄介だよ。だからこそ祟りの使用は祀主にしか許可されないし、使ったとしても図主が原因を認めなければ呪いを解くからこっち側も結構厳しいんだ」
「相変わらずの情報量だね…」
むしろ足りないと思っていたメリはそうシャタに言い返さない、と言うよりは言い返せない。祟りの存在について語ったとしても、サムガラには祟りの使い方は意図的に伏せてある話だ。住民の殆どは反射的に使い方を学ぶか、そもそも一生使わない。メリの場合、亡霊である以上そう言った祟りの力は不安定で、使いものにならないのだ。誰も詳しく祟りについて訊かないでいるのは、メリにとっても幸いな事態である。
「休憩だてらに周りを見ても良いと思うよ。場所案内も兼ねているから」
そう言ってメリは、供え物が付いて来ると信じて崖から歩き始めた。メリを追わずにはいられなかった供え物はそうして、周囲を細かく見渡す事になるが、辺りにめぼしい物はいない。強いて言うと、砂を初めて見た者にとっては興味深く映るが、植物も何もない砂漠である。砂漠とは異なる点は、サムガラの五区同様、温度が熱くも寒くもない事。そして、砂に足を踏んでも、砂に呑まれない事だ。供え物がそう実感している間にメリは続けて言う。
「で、ここは最果てと呼ばれている、沙漠の一部にして世の彼方へ行くには必ず通る所。ここからは住民が住む場所だから穴とか屋敷とかが見当たったら誰かの住処と思うが良い!」
「名物はないの?」と針は訊く。
「あるよ!だが、速やかに全区を案内して最後にヴァニマ様の住まう海淵宮の居場所やどうやって行けるかを教えるように指摘されてるから、その殆どは自分で見なくちゃいけないのよ。語主も供え物を迎えるのに忙しいって事ね。だが、オエツグが納得出来るような特別な者や風景を見せるつもりだから、それは楽しみにしといて!」
メリはオエツグにウィンクするが、オエツグは目を逸らして無視する。それに笑っていたメリに、レイアは念のためにこう問う。
「全区って?」
「はいはーい、今度は私が説明していい?」
まだメリの真後ろを付いていたユラギリがそう言い出して、葉の絵は笑顔となる。
「お、語ってみよ!」
「じゃあ、『区』はね。サムガラの違う部分を分ける境の事だわ。領域の中にある小さい領域、と言う感じよ。でも、『なんでサムガラが分けられているのー?』って思うでしょう?それはね、神と祀主の仕事がもっと楽になるためよ。領域が区に分けられると、各祀主に仕事の量を区に合わせて分担出来るからね。まあ、こんな話は領主と図主にしか適してないけど、領主の場合。サムガラ全体を巡回したら疲れちゃうじゃない?だから領主に、『土区をお願い』って言えるのが便利なのよ。領主は土区だけ見ればいいなら、そこで家を建てて簡単に仕事をこなせるわ。ね?」
「でも、どうやって区を作ったの?区別の基準はあるでしょう?」と椿はユラギリに問う。オエツグに乗せてもらってからはオエツグの肩のうえにいて、未だ黒い玉から姿を変える気はない。
「あ、これは私が答えよう!サムガラは世の彼方を除いて五区に分かれていて、五区が象徴とする五行に似つかわしい雰囲気と構造を基準にしてそうなったのよ。ヴァニマ様からお伺いした所、五行が基準となったのは森羅万象を見通す事を表すためだって。因みに今いるのは土区!とにかく土が特徴だね」
「それだけー?」
ダンの反応に、ニヤニヤ笑うメリ。正しく何か企んでいる表情である。
「ふふーん、ここは特に何もないが、進めば進む程に住民が見える。面白そうな物を創った住民が、なー」といつも異常に低い声でメリは言う。
「でもその前に私は退散するわ」
一行から少し離れて、ユラギリはそう言った。顔の葉にまたキラキラが描かれていて、ユラギリは真剣にお別れを取り扱うつもりはないとばかり示している。メリは急に出て行くユラギリに大して驚いてはいないが、供え物の方が心配そうに立ち止まった。
「えー、もう?」
「領主について説明したし、皆にサムガラの掟も話したから、私なんてもう用済みなのよ。もしも他に訊きたい事があれば、別の領主には訊かないでちゃんとメリに伝えるのよ?巡回中でしょうから」
「仕事に戻らなくちゃならないの?」とレイアは訊く。
「いや、まだ休憩中だけど。他に用事があってね」
メリが大して驚かなかったのも、ユラギリが普段から休憩時間を使って最果てにある家へ戻るからだ。住む事が許されない世の彼方の領主としては、最果てに家を建てる事が必須。しかし、ユラギリは他の領主と違って一般住民と共同生活をして、良く会いに来ているのだ。ユラギリが供え物と面識が浅いからか、この事を他言しなかったように見えて、メリもそれについては何も言わない事にする。
「神の使いは休憩が長いものだな」
「手が余っていたら結構自由に休憩出来るよ。祀主の殆どが語主か領主だから間に合ってる事が多いんだ」とメリはオエツグの発言を機会に説明する。
「そういう事。絶対仕事に戻らなくちゃいけない時は図主が働くように伝えてくるから、事前に戻るかどうかは自分が決める訳よ。図主が言った時に帰らないなら単のサボリね」
「図主の怒りは恐ろしいよ。覚えておくように!」
「それじゃ、案内を楽しんで行っておいで!」
「バイバイ、ユラギリさん!」
ユラギリが一行から去っていく間に別れを告げる供え物。メリも手を振ってからまた、最果てを歩く。供え物はユラギリが浮いている方向を数秒見つめると、メリの後を負う事にするが、流石にユラギリの用事が気になっていたのか、腑に落ちない。
「短い間しかいなかったのね」と、椿は頷いているオエツグの肩の上で言う。
ユラギリが行った謎の方向の影響で、針とダンはメリとはちょっと離れた周囲を探索している様子。レイアとシャタはメリの近くにいるが、両名を気に掛けている。
「休憩中に付いてきてくれただけでありがたいよ。領主は警備員のような物と言ったが、それよりもっと大変な仕事なんだ。犯罪者や異端者を捕まえるのは勿論、地形や住民の視察、巡回の報告、探主の護衛、各区においての特徴に応じた依頼なども平気で任されているからとにかく偉い。偉いがそれでいてかなり辛い。配置された区の住民を丸ごと把握するくらいよ?領主の休憩時間を尊重しようね?」
「尊重してないの、メリさんじゃない」と椿が容赦なく言い返して。
「ごもっともー」
メリは鈍い声で、反論をする意思のなさを一瞬にして見せた。元々他の祀主に迷惑を掛けるような存在がメリだ。否定のしようもないとメリは思っている。
「ねね、穴を見つけたよ!」
メリの右側を隈なく探索に掛かっていた針はそう叫んで、反対側にいたダンを一気に呼び付ける。メリも立ち止まって、首を傾げる。
「穴?渦みたいな穴じゃないよね?」
「ただの穴!」
ほっとして溜め息を吐くメリ。何事もなければ止まる必要もないと判断してまた最果てを進んでいく。
「ならば、住民の住処に違いない。勝手に入ると怒られるかもしれんよ」と悪戯っぽく言うメリ。
穴に興味がないメリを見て、ダンと針は住民の住処らしき所を置いていく。最果ての遠くからは色濃いテントや、木で建てられた小さな家が見えるが、未だその住処の主は見掛けない。オエツグはメリの隣まで歩いて、尋ねる。
「渦みたいな穴は、ユラギリが掟を述べる際に隙間と呼んだ物か」
「オエツグは察しが良いね!そうだよ。隙間は常世の住民が成仏する時に生じる可能性のある、世界の綻びみたいな現象。常世の全ては誰かの発想によって創造されたものだから、創造者がいなくなると、当然ながら創られたものも不安定になって崩壊する事がある」
「必ず崩壊する訳じゃないのね」と椿は確認のために言う。
「他の住民がそれを覚えていたら全てが消える事はないが、容姿が変わるの。それを崩壊と見なしたら、消える場合が多いね。住民が景色を大切にしていると、無意識に支えるから案外ものは皆の霊力で保たれているんだ。まあ、そもそも領域全体が保たれいるのは、ヴァニマ様がいるお陰だがね。ヴァニマ様と創主は隙間が生まれる前に五区の修理に取り掛かるから滅多に穴が開かないんだ。見る事はあまりないが、怪しい穴を見つけたら入ろうとせずに即祀主に報告するように!隙間は何よりも危険だからね!」
「はーい」とオエツグと椿を除いて同時に言って、メリは笑う。しかし、ここで会話が途切れては仕事にならないので何か説明しなければならない事を考えていた途中で、レイアが近付いて、メリに声を掛ける。
「思ったんだけどさ、祀主とそうでない者の区別はどうやって付くの?」
「ヴァニマ様の力を使っている者は確実に祀主だが、区別は大体付かないの。住民に訊くしかないね」
「ええ?」
「心配はせずとも、供え物は必ず語主と知り合いになるから祀主一名は既に分かるの。そして語主は唯一一般住民に呼ばれる祀主だよ。呼ばれると言うのはね、呪文を唱えて語主を待つ事。それさえすれば、祀主は確定で来るから」
「呪文は何て言うの?」と後ろから問うシャタ。
「それは、『サムガラの言の葉を紡がんとする者よ』だが、集中して言わないと発動しない。後、特定の語主を呼びたい場合は、名前を付け加えるのよ。これ以外の呪文はあるが、最終地点に着いたら教えるとしよう。あ、序でに伝えておくが、砂丘が見えてきただろう?この先には凄い住民がいるからオエツグも期待しといてー」
メリの言った通りに、遠くから砂丘が聳え立つ。砂の色とは違う点は、遠くから見える住民の住処ではあるが、ダンと針は一緒に点の正体を明かそうと推測を立てていた。一方、注意されたオエツグは期待を隠すように目を閉じただただ進む。しかし、会話に参加しなかった事が彼の気持ちを一番表していた。メリとレイアは土区の名物について話しながら砂丘を目指していた。
辿り着くと、登っている時でさえ足が砂に埋まれない事が判明されて、シャタは安心したのかメリとレイアの会話に少しながら加わっていた。桃は未だ近くにあった住処の観察をして自分の姿に採用出来るか試した結果、布で出来た玉と化していた。点が植物でなく住処であった事で騒いでいた針とダンは、いざメリよりも先に砂丘の頂点に立つと、急に黙る。
理由は、砂丘を越えた先の景色を今見る供え物が一瞬で分かってしまった。砂丘に囲まれた地に、巨大な熊に近い姿をした住民が横たわって、眠っている。そして、体の上には屋台が建ててあり、どうやら数々の住民で賑わっている様子。屋台の場所として使われている住民の大きさは海淵殿にも匹敵して、飛ばない方法で屋台を訪れるには体を登るか、砂丘の頂点には縄と木で出来た橋を渡るしかない。
「大きい」
久しぶりに話す桃がこれを感想として述べるが、珍しい事に彼と他の供え物の思考が一致している。あの住民に目を掛けると、そこまでの者にもなれたのかと思ってしまうのだ。それに加えて屋台が見える事を不思議にも思って、行動力の早いレイアは橋の近くを飛んでこう呟く。
「何これ…」
「言っておくが、祭じゃないよ。市場なんだ。霊力の高い住民は特別な効果を発揮する物を創れる事が出来るのだが、創りすぎて手放したい時は屋台を建てそれらを住民に配るか、他の住民の物と交換するの」
言われて見れば、殆どの屋台が色んな種類の物で詰まっていて、屋台自体が見辛い。屋台の後ろのも物が置かれていて、どの場所も適当な物が余っている印象だ。
「じゃあ、屋台やっている全員が凄いって事?」とレイアは信じられないみたいな口調で問う。
「創主程ではない者もいるが、大抵は優れ者だよ。特別な効果を発する物を創れる住民は、その効果をある程度制御出来る可能性が高い。よって、その力を振るう事も出来よう」
「彼らの元の姿は何だったのか…?」
黙り込んでいたオエツグは突然、低い声でメリにそう訊いた。オエツグの目線は彼女にはなく、市場にあった。メリには分からないが、あの市場からは凄まじい気配が感じられる。住民と創られた物が同じ場所にあるせいだ。しかし、どうしてオエツグは圧倒されているのかを詳しく知らずとも、メリには彼が住民の強さで悩んでいる事は分かる。だからこそ、メリはこうして事実をオエツグに告げる。
「纏められないくらいに色々だよ。そもそも供え物でなくても常世に流れ着く事はあるから、元から浄められていた者も、そうでない者もいる。食べ物だった住民でも、貴方より強い場合もあるの」
オエツグは刀の柄に手を翳し、俯く。刀の柄をほぼ握っている手は、震えていた。
「なら、私がここにいる意味は一体何なのだ…」と、苦痛の交えた声でオエツグは呟く。
「暮らしているだけで役立っているの。住処を創るだけで常世の安定に関わっているし、自分が何かを残したいと思ったらそれも皆の為の行動。こうして物を創っている住民でさえ、常世の存在を皆に刻んでいるんだ」
メリはオエツグの前に移動するが、オエツグはメリから目を逸らし、先に市場の橋を渡る。暫く考え事をしたいと察したメリは、彼を追っては後ろを見て、皆がちゃんといるかを確認する。
橋の一番近くにある屋台主に見られて、そこにいる住民に挨拶されるメリ。それに気付いてオエツグは立ち止まって、振り向くが近付かない。ただ、一行の様子を見るつもりである。やがてメリは、屋台主にさえ声を掛けられる。
「お、メリちゃんじゃないかい!いらっしゃい!」
隣の屋台にいた屋台主も、「メリにこそ何かあげたいね。小さくなれる壺は如何?塩がたっぷり詰まっているからもし、穢れた物と遭遇したらこれで身を守れるよ」とメリに言ってメリの頭の大きさのツボを軽く持ち上げる。
「いやいや、そんな勿体ない。ヴァニマ様のご加護だけで充分だよ!」
断るようにして会釈をするメリ。住民が創ったアイテムは魅力的に見えるが、使いたくても効果が発動するには安定した霊力の一定量が必要なため、亡霊のメリには到底扱えない。もしも空を飛ぶ道具を使おうとして失敗したら、落ちる様が余計に怪しまれると踏んでメリはあえてアイテムを使わないでいる。しかし、人間の認知を越えた物が使えない事が人らしいと思っているので、この体質を残念とまでは感じないのである。
事情を隠すような作り笑いを浮かべるメリにレイアは隣から話し掛ける。
「知り合い?」
「語主だから顔が広いのよー」
一番近くにある屋台の上に品定めをしていたらしいリスの姿の住民は、「案内中だね?下で眠っている住民はワキモ。この市場を一時的に支えているのさ。盗人から守ってくれる分、領主を困らせる事もないからね」とメリの一行に言う。メリを気遣おうとしていたに違いないので、メリはまた彼に会釈をする。
「いやはや、説明は助かりますー」
「で、転制もまだな連中もいるけど、どうかね?何かもらっとくかい?」
「誰でも使える品を揃っているのよ、是非持っていてよねー。家は本当、入れないくらいにこんなので埋まってるからさー」
屋台主が一行に話そうとしていた間に、針、ダンと桃はリスの住民との会話で盛り上がっていた。屋台主とメリに集中していたレイアは、屋台主にこう訊く。
「そんなに創るの?」
「創るのは楽しいけど、使い道もないんじゃ勿体ないでしょう?だから住処に置きっぱなしにされるより、住民にあげた方がいいのよー」
少し離れた所にいたオエツグ(と肩に乗っている椿)はメリの前に出て、橋の一番近くにいる屋台主と目を合わせる。
「私にも、物は創れるのか」
余りにも真剣な表情で、屋台主は一瞬、何者だろうと首を傾げてから落ち着いた声で答える。
「…コツを掴んだらそりゃ誰だって多少は創れるモンさ。けど、霊力低い程創り難くなるから面倒くさがるヤツもいる。お前は…心配要らなそうだけどな」
「そうか」
オエツグは満足したかのようにメリの後ろに下がって、自分がメリが案内していた供え物である事を近くの住民に認識させる。答えに満足したとしても、誰とも話す気分ではなく、今は己れの思考に浸っている。メリは、雰囲気が気まずくなる前にこう叫ぶ。
「と言うことで、序でに欲しい物があれば貰っていくが良い!但し、交換条件付きの品は盗まぬ事!私が止めに入らなくともワキモが捕獲するから」
「住民だけでもヤバいよ、こんな数の屋台があるし」とレイアは言って。
メリと屋台の住民は軽く笑う。屋台主の強さについてはあえて多くを語らないつもりでいるようだ。そして、思い出したかのように、一番近くにいる屋台主は言い始める。
「ここで屋台をやってんのも、実は理由はあんぜ?昔から最果ての前で物をあげる伝統があんでな。来たばかりの供え物に常世のすごさを伝えて、気持ちを和らげる為だ。メリも小さい頃は急に新しい世界に来て緊張しててな。ナミナの後ろにべったりで、俺らと話す時─」
「はいはい恥ずかしい話はその辺にせぬかー、供え物の前だよ」
「長生きは良く喋るモンさ」
屋台主の話題をなかった事にしようと、メリは咳払いをして供え物の気を引き付ける。
「兎に角大事なのはこの品渡しの市場には歴史があると言う事。数年前は施し場と呼ばれていたが今ではそんな固い雰囲気を消すべく名前まで変えられた。ここにいる住民が考えた事だが、ここに住んでいるのはワキモだけ。屋台がやってる時間帯は割と自由だし住民によるから特定の物が欲しければ創主に依頼した方が早いし確実だよー」
「依頼は受け付けない主義も多いしねー」と隣の屋台主は言う。
「そりゃそうだ。依頼やりたいって思ってたら創主になろうとしてたからな!」
「備えあれば憂いなしとも言えるから、ここの品は住民が思い付かない事態に使えるのよ」
「ここに来たばかりだから想定外な事が余る程現れるだろうな。危険はまず少ないから想像力を擽られたと思って見て行こう!転制への第一歩になるかもしれぬよ!」
心にもない事を言い残してから、供え物に解散するように各々で屋台を見て回る許可を下すメリ。内心は、屋台主が言おうとした昔話の影響で最初常世に来た事を思い出している。しかし、そればかりに気を配っている訳ではなく、供え物の様子を伺いに屋台を見回って、知り合いに挨拶をしている。
メリが最初、品渡しの市場を見た時はナミナと一緒で、ナミナに事情を明かして泣いてからの頃だった。ナミナの羽を握って、屋台を通りすぎていたメリは何も見ていなかったし、見たくもなかった。しかし、その時、ナミナは屋台の前に立ち止まって、屋台主と会話をして、物を貰っていった。その後、メリの方を見た。
「結局、パパとママの所へ帰るんでしょう?なら、ここを回ろう?一度きりの機会を損にしてはいけないよ。お面を付けてたら、誰も貴方が誰かなんて分からないから」
迷いながらも幼いメリは、一時的に猫の仮面を付けた。ナミナは、メリが異様な姿をした住民を怖いと思った事を察していたのだ。住民に似せていたら、絡まれる事はないと思ったメリは仮面を受け取り、まだナミナの羽を握った状態で見回っていたが、確かにあれは二度と訪れない機会。子供のメリにとって、品渡しの市場は不思議な魔法のアイテムが集まっている、実は楽しい場所だった。屋台を見回ると同時に屋台主と話す事は必然で、ナミナを支えにメリは話し掛けるしかなかったのだ。
だが、あの時のナミナは大きな嘘を吐いた。メリは結局、現世に帰った事が一度もなく、親の顔すらをもう覚えていない。それでも、メリは思う。
ナミナが嘘を吐いてくれて、今でも感謝している、と。メリが屋台主と会話をして、実は優しいと気付かされてから晴れた気持ちでヴァニマの元へ向えたのは、そのお陰であった。だからこそメリは、他の供え物をも安心させられる語主としての仕事を、心から愛している。そんな想いのこめた笑顔でメリは今回も、供え物を見守るのだ。
一話の後書きで五月の間(残り一週間)に十話をも投稿出来るような事を書いた自分が恥ずかしいです(涙)。ひたすら眠い…
最後はかなり悩みました。メリとナミナだけでまた十話書けそうなので、回想を絞るのが結構大変です。それを除いても、三話は兎に角キャラクターの数が多くて油断も隙もないって感じでした。ツンデレっぽいオエツグですが、見た目は渋いおじさんです(重要)。