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第二話 海淵宮案内

ヴァニマが住まう海淵宮(かいえんぐう)の道を辿る前にはまず、サムガラの最も西にある海へ向かってはいけない。岩でできている岸が見え始めたら、その先は無名の海──サムガラの海がある。無限に広がるサムガラの海は水を好む住民が住む場所であり、サムガラを統べる神、ヴァニマが住まう海淵宮が隠されている場所でもある。ヴァニマの加護を授かった者のみが海淵宮への道を知る事が出来る仕様となっているからこそ、必要あらば語主が必ずサムガラの住民をそこへ案内する義務がある。住民が海に手を当て、呪文を唱えると、時間のある語主は至急、海淵宮に連れてくるように岸に赴かなければならない。しかし、語主は資格ある者しか連れてくる事が許されない。


太陽など存在しないサムガラでは、空の色は元から海に等しい緑でありながらも、そこから地上へと日差しと言ったものは差し掛からないのである。故に風景は薄らと緑色に染まることはないが、それと引き換えに水面には何も映らない原理がある。更に加えると水が透明ではない為、水溜まりでも池でも海でさえも覗いても中は見えない。しかし、小さなな波はまだ寄せては引いていくのである。


メリが周囲を見渡すと、波に当たってまで海に近く佇んでいる象へと走る。水が透明ではなくても、濡れると言う常識はサムガラの住民と神によってまだ残されているのだから、象の足も濡れたままである。


象が呪文を唱えた後だろうと推測したメリは「失礼致しまーす!」と象の気を引き付けるように叫んでから象の右に立つ。


象が向いた先に、メリが敬礼をしている。


「海淵宮のご案内に参りました、語主のメリと申します!初めての方でいらっしゃいますね?」


「あ、はい」


戸惑っている様子の象は、狐を模した尻尾を引っ込める。


「祀主とはいえ、想像以上に早く来られますねえ…」


「神の使いたる者、行動あるべしでございます。ヴァニマ様も速やかなご案内をご希望なさっていましょう。では──」


「待ちなさいこの嘘吐き!」


「なぬ?!」


仕事中に突っ込まれて、不意に体勢を崩すメリ。後ろを向くと、そこには見知った語主の姿がいた。メリの身長の半分くらいある、猫にしては大きい体型の住民で、白い毛が短く整えられているように見える。全足が地に付いている分、語主の彼女がメリを指して指のように使っている体の部分は三つの内の真ん中に位置付けられる一つの尻尾である。右と左側の尻尾はそれぞれ赤と緑のリボンが結ばれており、猫の尻尾に期待される動きをしている。意外にも体にぴったりと似合っている、リボンの色と同じ組み合わせの着物を着ていて手に靴下見たいな灰色な布を履いている。綺麗は青い瞳が、メリを睨んでいるせいで鋭くも見えるのだ。


「呪文が唱えられたのも現世では五分程度。世の彼方にいたはずの貴女がここまで来る時間帯ではないわ!」


余りにも自信満々に言われて、動揺を隠しきれないメリは震える右手で逆に語主を指す。


「あ、あんたこそどうして私が世の彼方にいたって言い切れるの?!まさか監視してたとかはないであろうな?!」


猫の語主は手を横に振るかのように真ん中の尻尾を振って、こう答える。


「ふん。極簡単な推理よ。語主と言えば世の彼方でしょう?私も丁度向かおうと思った瞬間に呪文が届いたわ。海の近くにいて世の彼方の道を進んでいたのにも拘らず、私より前に岸に着いた貴女を一度も見なかった。詰まり、世の彼方にいた筈の貴女が誰よりも早く着くには私を通り過ぎる必要はあったのに、いなかったと言う事は矛盾しているわよ。分かる?」


「いや、解せぬって。海淵宮を出たばかりとも考えられるじゃないか。向こう側から来たのではなく、内側から来たら貴女を見かけなくて済むよ」


「爪が甘いのね、メリは。辻褄が合わないのよ。だって、海淵宮から出たばかりと仮定したら私がまた岸に戻った時にはもう貴女、その方と共に海に潜っている筈だわ。さあ、説明なさい。貴女は一体どうして呪文が唱えられた前に来てたのかしら」


「あ、それはね。たまたまヴァニマ様の視力を使っていたから、海に向かっている所を見つけたの」


数秒ものの間に、沈黙が続いた。困惑に陥っていた猫の語主と、一体何故彼女が黙っているのか疑問が浮かべて話を再開する事すら忘れたメリ。そして、ひたすら気まずく状況を見守っている象。


「そ、そう」


この謎の事態を終われせるのはやはり自分でなくてはならないと確信して、猫の語主は弱気でもメリに応えてみせた。それと同時に、象がメリに近付く。


「あのー、何か事件でも起きたのですか」


象をやっと思い出したかのようにすぐ象へと向くメリだが、一番早く象と話をし始めるのは猫の語主の方。


「あ、いえいえ。どうぞご案内を受けなさいな」


陽気に見せかけようと口調を明るくしてメリを見やる。


「メリ、上手く連れてくるのよ?」


「いや貴方に言われなくてもやってたよ」と珍しく無気力に返すメリ。


「失礼するわ!」


照れ隠しで速やかに走り去っていく猫の語主を見て、メリは溜め息を吐く。


「もう、何なの。調子狂うね」


「先の方は一体…」


象の声を聞いてメリは一気に姿勢を正して、笑顔を彼に向いた。


「語主のエイミ、でございます。何か勘違いしてしまったようなので、お気になさらず」と何事もなかったかのように言って、メリは象の視線誘導を考えて海の方へと一歩近付く。


「は、はい」


躊躇しながらも確かに先の出来事に振れずに自分の用事を優先する象。小さな目が海を見通しているが、やはりその不透明様を不思議に思うばかりである。常世の景色は全て、住民が創り出した物。であれば、こんな穢れたように暗い海を創った者の意図は、一体。


「では改めてご案内に取り掛かりましょう。まずはお名前とご用件をお聞きしてもよろしいでしょうか?」


考え込んでいた象はメリの声によって我に返って、彼女の方へと向く。質問の内容は把握せずとも、語主なら決まっていた。それは、名前と海淵宮へ来た理由である。


「えー、レアテと申します。創主(つくりぬし)のインヒラ様に是非とも修理していただきたい物があって、面会出来るように海淵宮まで来ました」


「確かに記憶致しました。では、後ろを付いて来ますよう、お願い致します。どうぞ、こちらへ」


メリは敬礼をしてから、海へと振り向いてはゆっくりと歩き始める。


「海の中を歩く事になりますので泳ごうとしないようにご注意ください」


「ああ、ですが資格は…?海淵宮に入るためには資格が要ると聞きましたけども」とレアテはメリを追わずに問いかける。資格が揃わなかったら罰せられる恐れがあるため、メリがはっきりと海淵宮に入る資格について語らなかった事を不安に感じている模様。


「創主に依頼を申し込むには資格が充分にあります」


海に足を付けたメリは、後ろを向いてレアテを見やる。レアテが付いて来ていなかった事をやっと勘付いていたのであろう。


「私から目を離さぬようにしてくださいね」


低く、まるで集中しているかのような口調でメリは告げてから海の中へと続いてしまう。レアテはコクッと息を飲み、海に沈んでいくメリを追う。両方が海の下にあった時、もうメリの前に不思議と光が発していた。レアテはそれを当てにして周囲を見ているが、海は黒い霧のように濃く、見辛い。海を歩いている筈が、そもそも地面らしき表面は足元には見えないし、感じられない。宙を歩いているような、浮いているに近しい感覚である。前方のメリも何に足をつけているのか不明であり、目から放てれている光を使ってしても解るはずもない。常世の住民でも一瞬、圧倒されるかのような、サムガラの中心部である海淵宮への道とは思えない程の薄暗い雰囲気を漂っている。


そんな雰囲気から逃れる術として、レアテはメリに話しかけてみる。


「他の住民は見当たりませんねえ…」


声がもう水中にいるかのような音となっているのにも拘らず、濡れている感触はない事に少し戸惑いを覚えてしまうレアテ。この海のようでないような雰囲気は不思議を取り越して不気味であった。


「海淵宮への道ですので祀主に同行していない住民には通行不可となっております。穢れが一度も海淵宮に届かないように構築されたと伺っております」


「穢れ、ですか…それにしては、何だか、穢れに似ている暗さですね」


「どうでしょう。闇は原始の常世だ!とヴァニマ様が前に仰っておいででしたので、暗い方が浄めた状態に似ているのかもしれませんね」


「それは、ヴァニマ様が仰せなら、否定出来ませんね。不覚、不覚…」


自分の偏見に気まずく感じたレアテは以降何も話さなかった。暗闇を歩いている途中は、そもそも海の中にいるのかと思わせるくらいに何も見当たらないが、それはあえて、レアテみたいに深海を知らない者の思考である。海の奥底は、現世の常識と違って太陽で照らされる事を期待されてはいけない。メリが放っている光はあくまでヴァニマが齎している悟りの力である。


「そろそろ着きますよ」と前触れもなく言うメリ。


「…これもまた、早い到着ですねえ」


天門(てんもん)へと続く道は海門(かいもん)より近いので、これもまた仕様でございます。因みに、天門とは海淵宮にある創図探院(そうずたんいん)に繋がる入り口を指します。海門の方は、ヴァニマ様がいらっしゃる海淵宮本部へと続きますので、ご覧になる事はないでしょう」


海淵宮についての情報を飲み込んで、頷く事しか出来なかったせいで、またメリとの会話が途切れてしまったが、やっと遠くから建物らしき形が見えて来た。暗い海と相反した存在のように近くへ歩いて歩く程に周囲は明るく見えて、水中はまるで昼間の空と化す。気づいたら、メリとレアテは山の頂点に立っていて、地面も期待通りの感触である。小さな屋敷みたいな建物は、入り口の青い門を開きっ放しにしている。そこから見えるのは昆布と鮮やかな藻類の庭園である。藻類を囲むマーベルの床は建物の壁と同じ銀に近い白。門を潜って庭園をと通った先には端だけが金色の柱で支えられているベランダと、陰が注している下の大きな扉がある。レアテが興味深く辺りを見渡している中、メリは腕を扉の方向へと伸ばしそこにレアテの注目を引こうとしているが、最終的に語りかける。


「こちらは海淵宮の南東部にある創図探院でございます」


目が元通りの翡翠色になっている事で、前は見えるようになったメリはやっとレアテの表情を伺うと、好奇心を丸出しにしているレアテに対して優しく微笑む。


創主(つくりぬし)図主(はかりぬし)探主(さぐりぬし)同様がヴァニマ様への報告を練って、サムガラの住民と面会をし、それぞれで会議を行う屋敷となっております。渡主と語主は渡語院(とぎょいん)と言う屋敷に住んでおりますので、万が一お会いする事がございません」


「浄主は流石に海淵宮の土地には滞在出来ないのですね」


「浄主に依頼がありましたら海淵宮まで赴いて、図主と面会なさって事情を告知する形で依頼が考慮されます。浄主が必要と決断された場合、浄主のお住まいまで図主は内容をお伝えして浄主が依頼遂行に移します」


「ナラキラとは殆ど変わらない仕様ですねえ」


「ナラキラ出身でしたか?」


「え、はい。最近ナラキラから引っ越した者です」


それを聞いて、メリは敬礼をする。


「よくぞおいでになりました、レアテ様。海淵宮のお客様として、僭越ながらヴァニマ様に代わって歓迎致します」


「は、はい。ありがとうございます」と畏まって、いつもの速度でお礼を言えなかったレアテ。


「では、中に入りましょう。インヒラ様がお待ちになっております」


そう言って扉を押し開くメリ。レアテが通れるように扉を抑えて中に入るが、レアテは速やかに歩いてくる為、メリはすぐにまた扉を閉じる。玄関は想像以上に狭く、長い廊下だけが左右に続いている。どの方向に行けばいいと悩んでいたレアテを、メリは右を歩き始める事により安心させた。


「左側は探主が住まう寮と陰影の間がございますので、こちらへどうぞ。真ん中の階段もお気になさらず」


「図主の場ですかねえ」


「然様でございます。今から向かうは、この先にある創造の間でございます。他に創主はいらっしゃるかもしれませんので、理解の程をお願い致します」


天上まで届く扉が見えて、レアテはそれを創造の間の入り口と判断して。メリがただただ進む姿を見て、扉が徐々に誰にも触れる事なく開いてくる様子に驚かされる。メリは扉を潜ると、レアテの方へ向いて彼を待つ。


「只今創造の間に到着致しました。幾つか扉がございますが、そちらは寮に繋がるか、或いは創主専用の倉庫となっております。倉庫の立ち入りは遠慮しますようお願い致します」


レアテが創造の間に入っている間に、メリは最敬礼をしてから奥を見やる。


「私は控えていますのでどうぞ、奥にいらっしゃるインヒラ様とご用件を済ませてください」


「ツレないねー、メリ君は」


奥から呼ぶ声がして、メリは一瞬だけまた創造の間の奥を見る。創造の間は名に似つかない程何も置かれていない、全体的に白く、広い面会室のような場所。奥はテーブルも椅子すらなく、メリに声を掛けた創主はただ立っている。本来、創造の間が空っぽなのは、創主が必要に応じてそこで物を創って置くためで、腰掛けるような物を創っては後々に邪魔になるだけだからである。


そして、メリを呼ぼうとした創主はレアテが求めていた、インヒラであったが、彼の隣にはもう一名の創主がいた。インヒラの方は青い炎の姿をして、顔みたいな形が見当たらないのに左上には鎖で炎に繋ぎ止めている片眼鏡が掛けてある。片眼鏡の下はインヒラの小さい体には大きすぎる白い着物が着せてあるが、インヒラは腕も足もないため、袖がぶら下がっている。隣の創主は藁の帽子を被っている灰色のフラミンゴの姿をして、羽の下に人の腕が生えて、右腕が杖を構えている。嘴の橋と目だけが桃色を保てているが、両者は帽子の大きさで見辛い。


「仕事中ですので」とメリは冷静に返し、目線を創造の間の左下にある柱に集中させた。


「仕事中でなければ顔を出さないくせに。もっと近寄ったらどうかね?厳密にしなければいけない依頼でもあるまいに」


レアテがもうインヒラの前に立っていた間にも、メリに話を振ろうとしているインヒラ。口調は軽く、チャラい印象を与えるが、メリにはインヒラがただただ誰に対してもほぼ対等な扱いである事を理解している。


「はいはい、メリを困らさんな。語主の名が廃るじゃないの」


インヒラの隣にいる創主はインヒラを見下ろしながら、飽きれたようにそう言った。インヒラが彼女の方へ向くと、片眼鏡が少し煌めいたように見えた。


「常世にそんな常識は通用しないね。廃って困る名など、ヴァニマ様の名くらいしかないのだよ」


言い合いになると予感してメリは、「依頼主にご注目されては如何でしょう、お二方?」と創主の会話を遮るようにして言う。


「あたしには関係ない住民さね。寮に帰らせてもらうよ」


「そうしたまえ。クレハはいつも一言が多いのでね」


さも自然的にまた一言を挟むインヒラは、隣の創主の怒りを期待して声に笑いがこもっているようにさえ聞こえてしまう。


「それはこっちの台詞だよ!」


クレハと呼ばれた創主は慌しく杖を使って右奥の扉を目指す。インヒラとレアテはクレハの去っていく姿を見た後、お互いをやっと認識し、インヒラは割り切って前より大人しい口調で言う。


「で、この私が指名される程の依頼とは?」


「実は、住処の近くに穴が開いてしまいまして。元は桜の木が植えてあったのですが、今は渦みたいな形と化したのです。創った住民には可哀想と思って創主に相談出来ないか隣に住んでいる住民を尋ねてみた所、インヒラ様が勧められまして…」


「ここまで来た、と。生きていない物が消えて地面にまで()()()()()()()しまうとは、相当影の薄い桜だったのかね。独りの住民の無意識の内に植えられた物かもしれない。物の修理はまだしも、地形が欠けているとなると、ここにはいられまい。隙間の報告は感謝しよう」


「やはり、その穴が危険でしたか」


「危険かもしれないし、無害かもしれない。いずれにせよ、隙間はより曖昧な想像を伴う、悍ましき現象なのだよ」


「ナラキラでそんな現象は聞いたことがないのですが…」


「他領の構造には詳しくないのでね。ナラキラの隙間が単に、その神の影響で違った形であったのかもしれない。或いは、ナラキラの神が隙間の話を極端に避けようとしたとも考えられる。君も、どんなに長く生きたとしても、こんな穴を初めて見てもおかしくないのだよ。創主とこの領域を統べる神も、隙間がそもそも現れないように働いているのだから、驚くことはあるまい」


「成程、常世は魂の力で成り立っているとは知っていたのですが、それが亡くなった時にこんな風になるとは…」とまるで自分に言い聞かせるように小さく言うレアテ。


「今の説明で分かったのなら、サッサと海淵宮を後にするよ。隙間を見つけた君なら案内が勤まるのだろうね?」


「え、はい、行き方なら分かりますが…」


インヒラが通り過ぎる様を見て、レアテは未だ実感沸かない様子で付いてくる。インヒラの移動手段が想像も出来なかったものの、どうやら普段から宙を浮くらしい。


「では、行くとしよう。因みにメリ君は同行しても構わないのだが」


インヒラがメリの位置に近付くとそう言って、メリの返事を待つようにして動かない。それを察してメリは目もくれずに、後ろを付いているレアテを気にかけて微笑む。


「いえ、これから休憩に入ろうと思っていたので」


「やっぱりツレないねー」


「嫌っていませんよって。ですが、レアテ様。次にそんな穴を見つけてこちらまでご用件を申し込む際は、隙間の報告と仰ってください。桜の修理も兼ねているとしても、場合によって隙間は海淵宮へお越しになる前にヴァニマ様に知らせなければなりませんので。それを踏まえて、今後とも宜しくお願い致します」


「分かりました。えーっと、海淵宮までのご案内をしていただき、本当にありがとうございました」


メリの敬礼を真似て頭を下げたレアテ。メリは余りの嬉しさを表にしないため、両手を合わせて以前と比べて明るく答える。


「いえいえ。では、いってらっしゃいませー」


レアテが頷いた後、インヒラにまた付いて二名は創造の間の自動に開く扉から出て行く。メリは、彼らを見つめながら妙な手の動きに気づいて、自分に呆然として。


「…寮の道使って出よう」と最終的に落ち込んだ姿勢で独り言を呟いてしまう。


右奥の小さい扉を開けて、メリはまた廊下と合間見る。廊下の壁は幾つもの扉があり、それらが全部創主が使う筈の部屋だが、全部屋を埋める創主の数がない為、空き部屋の方が多いにある。廊下の奥まで渡ると、既に開かれた扉がありメリは裏庭へと進んでいく。裏庭は大体祀主と海淵宮に仕えている金魚しか通れない場所であり、語るまでもない場所でもある。藻類が生えている庭園とは違って、裏庭は水を囲むように石像が並べられている。石像は、人や動物ではなく、木の類を描かれていて、描写されている季節ごとに配置が時計回りに定められている。東に置かれている石像は、春を代表して花を永久に咲かせている。創主の寮から出たメリは冬の石像の方向へと歩いているが、庭師の金魚を見つけては立ち止まって挨拶をしていた。


他の扉とは比べ物にならない大きさの門、星海門(せいかいもん)へと到着してそれを一手で押し開いたメリは現在、海淵宮の本部の海淵殿(かいえんどの)を目指そうとしている。そこには彼女が暇を持て余している時によく通っている中庭があるからである。しかし、海淵殿にある中庭自体が気に入っている訳ではなく、メリは誰かに会いに来る為に通いつめている。そして、その者がいるかどうかを確認するべくヴァニマの力を発動したメリは、求めていた住民が中庭にいる事を知って視界を元に戻し、目から光は消える。メリは他の道を無視して広く段の短い階段を下りてから水色の床を歩いていると、ガラスのアーチと壁が見えてくる。だが、アーチの下を渡っても、ガラスの鳥居しか視界に入れないのだから、その下を通ってはならない。そうすればやっと、中庭に着くのである。


中庭は外側からは眩しく、ガラス越しの壁からは様子は伺えない仕様となっているため、鳥居を越さないと中庭がないように見えてしまう。中に入ると、天候は晴れて、天井が青い空を装っている。地面は土だけで出来ているから、入ろうとすると思わず草に踏んでしまう、まるで手入れをされた事がない小さい平原である。壁際にまで植物が伸びているが、その伸び代は下から果てしなく感じる程に見えなくなっている。この穏やかな空間の真ん中に正座して中庭の殆どをその大きさで埋め尽くしている者はサムガラの神、ヴァニマである。


石像のように灰色の肌とは裏腹に、六本の腕の内の二本が波の揺れか、たこの触手の動きに似た衝動に浸っている。顔を天井が視界の先になるまで上げてヴァニマの顔を見ようとしたメリは、ヴァニマの顔の右上にある三つの目が見つめ返している事に気付き、微笑むがあえて話し掛けない。


「そなたは悩んでいるように見える。違うか」


「いいえ、お察しの通りでございます」


そう言って最敬礼してから、メリも地面に正座する。ヴァニマの一番上にあった目は閉じ、顎の右にある目は開くが、髪を模している注連縄が邪魔で見辛くなっているので、メリはヴァニマの性格から察して、どの目が開いているかの検討を付いた。


ヴァニマの特徴として、開いている目によって僅かながらも考えている事と見ている事が分かってしまう。そんな個性を素敵と思えたメリは、かなりの時間を掛けてヴァニマを観察した末、数々の眼差しを解釈出来るようになった。故に、顎の右にある両目は感情的な物事を見ようとする力を指していると、メリは予め分かっていた。返って右上の目はヴァニマが自分の力を使って常世を見ている事を指していて、一番上にあった目もヴァニマの視力の加護を授かった者を通じて何かを見ている事を意味している。現在その目が閉じたのは、憶測に過ぎぬが、ヴァニマの力を使っていた祀主がいて、只今使わなくなっていたからであろう。メリは海淵宮の中にいたから、目を開けずとも全てが見えてしまうのだ。


「欲しければ、話してみよ。我は然程忙しくしておらぬ」


メリはもう一度ヴァニマの顔を確認してから、深呼吸をする。ヴァニマの目の殆どが閉じているのは、ヴァニマが余り自分の力を使っていない証拠。しかし、サムガラの安定を見守って、保つ為にも上にある目の幾つかくらいは開いている。ヴァニマに本当の休憩の概念は存在しないが、暇を持て余している事は真らしい。それを定めて、メリはゆっくりと、まるで肩の力が抜けたように言い始める。


「…実は、世の彼方から出る時に、セガタとキリュウに会って来たのだが。セガタからは、恋した相手が男子でないとダメか、と問うて自分では分からなかった。後で偶然会ったノヤはどれでも良いと答えたものの、私には果たして、女子でも愛せるのか。それが分からぬ」


顎の右にある目の片方を閉じて、数秒もメリの状況説明を考え込んだヴァニマはやがて両目を開いて、瞳の金色が少し薄めた眼差しでメリを見ている。少々呆れているようであった。


「毎回下らぬ思考を巡らせて己れを惑わせぬようにせい、メリよ」


「く、下らないんですね、申し訳ございませんお許しを…」


「考えて解決出来ぬ問題ならば、無意味に悩まぬ事だ。行動に出てから、思考に移れい。発想は経験を元に満ちる」


いつもながら至って冷静に言い返したヴァニマに、逆に戸惑うメリ。行動に出る、とは?楽々と答えを手に入れた事に、少し自分を無力とさえ感じ始める。


「しかし、行動とは言うっても、私には一体何が出来よう。知人の女子を密会に誘う訳には行かぬであろう」


「出会いを重ねればその必要もなかろう。そなたが言う運命の恋人が存在するならば、会った時点で惹かれていよう。その他の事など無関係と思えば合理的だ」


「確かにそうかもしれないが、運命の相手ではない者にも惹かれていたらどう区別すれば良いのかは分からぬ」


「分からなくとも良い。所詮運命が基準の者とは、いるだけで存在意義を成している。誰しもには欠点があろう世に、細かな区別など紛い物だ。そなたは完全なる恋人の蜃気楼に囚われてはならぬ」


「何だろう、正論すぎてそもそもヴァニマ様に言い返してた自分が恥ずかしく見えて来た…」


自分の発言に対しても恥ずかしく感じて、苦笑いをするメリ。


「ヴァニマ様って本当に何でもご存知でいらっしゃてますよね。恋煩いでも」


「気に病んで損するだけの経験の差だ」


「経験って言い回しが意味深でございます、ヴァニマ様。それって案外もしかして、嫁にした人間もあったのにいざ私が嫁がれると気が変わるとか何かでしょうか」


メリを見ているヴァニマの目は細める。またしてメリの言葉の意味を考えているらしいが、苦戦している模様。


「我を前にして何故にそんな戯れ言が言えるのか、心底理解が出来ぬぞ。説明してみよ」とヴァニマは、今でも落ち着いた口調で言う。


メリはヴァニマから目線を逸らして、命令されたからには答える。


「たまには思うが、私が最初からヴァニマ様の嫁に行けたら夢が全部叶えただろうなーって。人生これから何をすれば良かろうなど考えることもなかった上に、既に運命の相手も決まっていたから。ヴァニマ様も性格だけで素敵だし…」


これを聞いてヴァニマは顎にある目を閉じる。メリの心情は充分に見たと確信しているであろう。その代わりに、未来を見ようとする、顔の真ん中にある目は開く。


「メリよ。そなたは目には見えぬ事程求めてしまう性分だ。しかし、見えぬからと言ってそれが必ずしも今この時より快適な事とは限らぬ。そして想像は、そなたを悲しませる為にあってはならぬぞ」


「…ごもっともですね。本当に流石でございます。それを知っていてもこうして私は、何かに縋りたいと感じてしまう。一体、どうしてであろうな…」


「目には見えぬ事を求めてしまうからこそ、そなたの願望も大きく、果てしないのだ。だが、欲を定めた暁には、そなたのその(まなこ)も、この常世には役立つであろうと我は信じている。そなたが縋ろうとするのは、その願望が留まる所──或いは、者だ」


「だが、私が何者かは、自分でしか分からぬであろう?運命の相手を見つけたとしても、満足する事はないと思った方が良いか…」とメリは以前より理性を口調に加えて言う。ヴァニマの的確な言葉の影響で、ついついただ状況と結果だけを考え始めていたからだ。感情を捨てているとまではいかないが、それをまで見通しているようになって、気分が逆に晴れるのだった。


「どれでも良い。己が役目を全うさえすれば、そなたは自由だ」


ヴァニマの些細な励ましに喜んでついつい明るく微笑むメリ。


「有難き幸せでございますってこれ、また全部私のお悩み相談になっているじゃないか!私の悩みなど聞くに耐えぬ些細な事だと言うのに…!」


しかし、ヴァニマの貴重な時間を楽しませるような事で使っていない事をやっと悟って、正座した筈のメリは倒れるように頭を草にぶつける。その間にヴァニマの真ん中にある目は閉じて、肌の光が少し増している。


「生臭い話が聞ける時は、そなたが来る時位だ。充分に有意義であろう」


「生臭い話のどこが有意義か分からぬが、そこも流石でございます…」


メリがまた正座しようとしてからそう言って、ヴァニマを見上げた。体の光から察するに、ヴァニマは何かを楽しんでいるようだ。それに気付いて、メリは自然とまた笑顔になる。


「我は者の真意が一番興味深いと思っているだけだ。そなたの悩みを聞こうとしたのも、我だ。人生には喜怒哀楽が必然と考えるが良い」


「私の喜怒哀楽などで良かったら、まあいくらでも差し出せるが、ヴァニマ様のは?何かございましたら、それこそ何なりとお聞かせくださいませ、ですよ!」


「ふっ。我の感情こそ、聞くに耐えない事ばかり。隙間が生じている、修理せねばなどが我の悩みの類だ。そなたが先案内した住民が報告したような物だな」


「うーん、立派なお悩みだとは思うが、聞くに耐えないとヴァニマ様はお思いで…?」


「立派ではあるが、そなたに聞かせるに値しない極単純な事だ。地形の安定がどう保証されるのかは、このサムガラの住民は皆承知の上の筈だからな」


「住民にそれを語り継ぐ立場としては確かに知り尽くしている内容ではあるが…」


メリが、優れた知性をお持ちのヴァニマの思考が聞くに耐えない事な筈がないとどうしても否定したくても、言い返す言葉が浮かんで来なくて悔しく感じていたその時。鳥居を通っている者がいると知らせる、鳥居から放たれる白い光でメリもヴァニマもその方向へと向く。


中庭に入った者は最近、やたらとサムガラを行き来している探主(さぐりぬし)だが、サムガラの探主ではなく、他領からサムガラに滞在する事が許された探主である。たぬきの頭に青い烏帽子を被っていて、体は猿その物である。故に立ち方も猿に期待される少し下を向いた位置で、指は人間で近しい。体を覆うように金色の着物を着ているが、背中の穴から普通のたぬきと比べては長い尻尾が出ている。


「おやおや、そこにいらしていたのですね、ヴァニマ様。メリ殿もご一緒のようで」と探主はニヤニヤした勢いで言う。


「チクソラの知らせか。すぐに向かおう」


そう言って、ヴァニマは立つが、その影響で頭はもう探主にも、メリにも見えない。探主は鳥居から右に歩いて、ヴァニマが通れるように離れる。


「行動力が相変わらずのようで助かります」


「ヴァニマ様の御前でそのような言葉遣いは慎むようにお願い申し上げます、ツヅミ様」


もう立ってしまったメリは、ツヅミと呼ばれた探主に強い口調でこう言ったが、ツヅミは余裕のまま。尻尾を大きく振って、メリを躊躇もせずに見上げている。


「タメ口で神様と雑談をするメリ殿には言われたくありませんね。では」


余りにも正論を言われた気がして、無言になるメリ。会話が途切れたと分かって、ツヅミはヴァニマの行動を追ってメリを無視しようと試みる。まるでメリとツヅミの言い合いを気にも止めていないかのようで、ただ鳥居の方へと歩いている。歩いている度に地面が揺れないのは正しく精神に基づいている力のせいである。


鳥居の前に来たヴァニマは、足一本を鳥居に入れてから片足を滑らせるように小さすぎる出口を潜る。海淵宮の天井の高さはヴァニマの身長に適しているのに数々の扉が小さい事を不思議に思える事もあるが、ヴァニマは困った素振りもない。何故なら、ヴァニマはどんなに小さい隙間でも通れるからだ。鳥居に座っているように見える今は、腕一本一本を次第に鳥居に突っ込んで、さもたこのように手足から中庭を出ている。石でできているように見える体は実質、骨がまるでないかのように柔らかく、鳥居に圧縮されている腕と足は痛まずに鳥居を通っていた。腕と足の次に体を鳥居に入れてから、頭部も見えなくなった頃にツヅミはヴァニマの後を追うようにして中庭を去っていく。


独り残されたメリは、ただただツヅミの一言を頭の中で繰り替えしてその意味を考察しながら呟いている。


「私は、ヴァニマ様の嫁になる筈だった人だから、良いのだ…お許しも、貰えたし…」


見苦しい言い訳と分かって溜め息を吐いたメリも鳥居を潜って中庭を出る事にする。中庭の出口は水色の床がある廊下に繋がるが、どうやらヴァニマとツヅミはこの廊下でさえをも出たらしい。誰も見当たらないままに寂しい休憩を過ごすかと思っていたメリであったが、この廊下を通る者の姿を意外と早く見つけて、気分が一気に晴れる。「ザエ!もう、聞いてよー!」


階段を先下りた者はメリと大して代わらない身長で、ほぼ人間を姿である探主のザエである。大体の姿は人間の女性に上手く変えているが、同時にアヒルの足をしている。耳にしか届かない髪は茶色で、素肌はメリより黒い、黄褐色をも越えた色である。メリが声を掛けた事で、ザエがメリが手を振っている仕草をすぐにも気付いて近付いてくる。


「何か用?今はちょっと、取り込み中だけど」と中庭の入り口をチラッと見てどこか素っ気なく言うザエ。


「ツヅミを探しているの?」


仕事の事であろうと当てたメリは、またツヅミの事を思い出して肩を少し落とす。


「そりゃ、チクソラの伝言を預からせちゃあ、ね。まだこっちだって状況を把握したいのに、創主に急かされて…」


「ツヅミならもう、ヴァニマ様と共に中庭を出たよ」


「えー、面倒くさいな。尚更急がないと。ごめんね、メリ。久しぶりなのに」


困ったように髪を掻いているザエは、メリの落ち込んでいる様に気付いて苦笑いをするが、長居をするつもりはないとばかりに一歩遠のいている。


「あ、いや、良いの。だが、案内の時には顔を出してね!」


「はいはい、そうしとく!けど今はあのあざとい探主を追わなくっちゃ!じゃあね!」


瞬きをすると同時に、ザエはそう叫んだ。開いた後は階段の逆方向へと向いて、光っている目で走り出してメリを後にする。


「ツヅミはビシッと説教して良いぞー!」と別れ際に言うメリだが、ザエには聞こえなかった。


ザエが忙しい事を知って、また独りとなったメリ。休憩にしてヴァニマと話そうと思っていたが、ツヅミと、他領のチクソラの特別な事情によってその計画も狂わされたしまった。よって、このまま仕事をしなくても暇を持て余すだけなので、メリはヴァニマの休憩をこうして逃した事を一瞬悔やんでからまた語主としての仕事について考えた。確か、出会った茶碗は重みのある動物の姿を求めていた。ヴァニマによって、自分の恋愛事情が全て解決された訳ではないが、メリには供え物を導く義務があり、自分の事ばかり考えていても仕方がないのだ。ヴァニマの言った通りに、後から機会を伺って、女性を見てから判断を下そう。


そう思った瞬間、ザエが正に人間の女性の姿をしていたのに外見に目もくれなかった事にやっと気がついて、立ち止まるメリ。今思い返しても、ザエを恋愛対象として見た事が一切なく無意味に感じて、俯く。


…また茶碗の理想の動物が頭に浮かぶまでは、現世で言う半時間近くも経ってしまうのである。

登場人物について未だに語っていませんが、後書きを出来るだけ短くしようとしているからです。喋り出したら止まらないので…


ヴァニマは見た目的に注意すべき事が多くて、書き足すのが好きです。因みにツヅミはキリュウみたいに性別がありません。服を着ているのも裸が恥ずかしい訳ではなく、単純に好き好んで服を着ています。動物だから裸の方が好きと言う常識も、常世では通用しない、と言う事で。

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