表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/22

第1話 2004/12/24 AM12:00

  ふわぁ、と口からあくびが洩れる。

  先程から繰り返される、老年の教師の同じような話はとうに聞き飽きて、今は寝ないようにするので精一杯だ。

 

  ついでに、昼休み──つまりお弁当を食べてからあまり時間が経っていないこともあって、余計に眠気が感じられた。

 

(クラシックかよ)


  心の中で愚痴を言い、少しでも眠気を冷まそうと窓の外を見る。


(何だあれ!?)


  思わず手元で遊ばせていたペンを落とした。

  黒い粒子のような、モヤのようなものが、まるで壁のように立ち塞がろうとしていた。

 


「祈夜、何ぼーっとしてんだ」



  見た目のわりに渋い教師の声に、慌てて前を向く。どうやら、窓の方を向いたままポカンとしていたために注意されたらしい。


  けれど、あれは仕方ないと思う。だって、あんなものが外にあったら、誰だってびっくりするに違いない。

  教師が再び黒板に向き合ったことを確認すると、俺はもう一度、窓の外を見た。


(ほんとに何なんだ、あれ)


  もう窓の外は真っ黒で、遠くまで見渡すことはできない。言い様のない恐怖に、背中を冷や汗が駆け下りた。







  学校が終わり、俺はクラスメイト達にあの粒子の壁が見えないのか聞いてみた。が、誰一人としてそんなものは見えていないと言う。俺の幻覚なんだろうか。


 幻覚だとしたら、結局それが一番怖いかもしれない。俺はため息をつき、鞄に荷物を詰め、学校の門を出た。


  学校から帰る途中、通学路にある橋で、ゆっくりと空を見上げる。相変わらずそこにはどす黒い壁。

  そんな風に物質が天井にまで覆いかぶさっているが、不思議と日光はここまで届いている。


  あんなに大きなものなら、見えていないフリをするなど無理に等しいだろう。そもそも噂好きの人間が、あんなビッグニュースを黙っていられるわけがない。


  けれど周りの人々は、そんなものなど微塵も見えないとでも言うふうにスタスタと歩いていく。


  俺はもう他にあの壁を見える人がいるのか確かめることを諦めて、人の波に紛れるようにしてその場を離れようとした。



「ねぇ、ちょっと」



  が、誰かにぎゅっと手を掴まれ引き寄せられる。

  アルトの声にミスマッチな、ヒヤッとした手の感触が腕に伝わる。


  (誰だ……?)


  柔らかな手の感触に後ろを振り返ると、そこには身長百五十センチメートルもないんじゃないかというくらいの、少女がいた。

  童顔で、一見小学生かと見まごう程の見た目だが、近所の女子高のセーラー服を着ているし、そういうわけではないのだろう。となれば、俺と同じ高校一年生くらいか。



「あなたもあれ、見えるの?」



  俺が呆気に取られていたせいか、何か言う前に彼女は壁を指さした。どうやら彼女にもそれが見えているらしい。

  思わぬところで同じ境遇の人に出会ったことで、胸が高鳴る。



「見える、けど」



  答えると、彼女は満足そうに頷いた。



「君の名前は?」


祈夜(いりや) 万璃(ばんり)



  随分急だなぁと思ったけど、同じ高校生だということと、しかも近所の高校だということで全く不信感は抱かなかった。



「いりや ばんり ね。分かった。私は、浦風(うらかぜ) 小豆(あずき)。じゃあね」



  なぜか少女は、名前だけ確認して、小走りに去っていった。


(なんなんだ? あいつ)

 

  数多くの疑問は残るものの、相手はただの女子高生である。

  気にする必要はないかと思い、そのまま足を家へと向けた。

  新手の詐欺か何かだったらいやだが、とりあえずあの壁が見えているのが自分だけではないと分かって良かった。

  数時間もやもやしていただけあって、それだけでも立派な収穫のように思える。



「ただいま」



 学校から家までは、結構近い。あの橋からは徒歩五分で着くというほど。


  今の高校を受験したとき、家からの距離をメインに決めたからである。うまい具合に偏差値も近かったし、ある意味自分にとっては運命的なところだと言えた。


 玄関の扉を開けると、キッチンからはよい香りが漂ってきた。おそらく今日の晩御飯は、カレーなんだろう。独特の、あの良い香りがする。



「あら、おかえりなさい」



 俺とよく似た顔の母親がリビングから顔をのぞかせた。

  その腕には、まるで天使かとでも言いたくなるほど可愛らしい赤ちゃんが抱かれている。

 

  弟の灯璃である。灯璃は今年の春生まれて、もうかれこれ八か月ほどたつのだが、とても賢くて、もう言葉すら完全に理解しているような節がある。しかも、赤ちゃんなのに全然ぐずらない。


 年がずいぶん離れているだけあって、すごく可愛く思える。なんというか、この子は将来大物になりそうだ。


 その透き通るような瞳で見つめてくる灯璃の頭をなで、玄関にカバンを置くと、俺はリビングへと入った。


 食卓にはもう、カレーの付け合わせであろうサラダが置いてあった。それから、いつも夕食中に見ているニュースがつけてあった。

 

 今日は最後の授業が長引いていたから、いつもより用意が早く終わったんだろう。もう少し早く帰ってきて、手伝えば良かった。



「さて、ただいま速報が入ってまいりました」



 日々家事に育児にてんてこ舞いしている母の姿と、話のつまらない老年の教師の姿を思い浮かべる。

  溜息をついていると、突然ニュースのキャスターの声色が変わった。

 もしかしたらあの壁の件かもしれない。胸を高鳴らせ、じっと、テレビを食い入るように見つめる。




「えー、今日の正午、突如として、謎の建物が出現いたしました。正確な大きさは今のところまだ分かっていませんが、東京から大阪まで、そして、高さは大気圏まで達するか否か、くらいだと想定されます。原因は不明のようです。また、この建物は、一部の人にだけ見えているとのことです。では、次のニュース。新潟県中越地震から今日で二ヶ月ほど……」


「変な建物って、何かしらねぇ。嘘なんじゃないの?」



  いつの間にか灯璃を寝かしつけた母親が後ろに立っていた。



「確かに。そうかもしれないね」



  どうやら母親には見えていないらしい。


  ニュースを見て、見えるのが自分だけでないと分かってほっとした。が、おそらく見えていない人たちも多いのだろうと母親の様子から思った。


  そうなれば、自分が見える側の人間だと、あまり人には言わない方がいいかもしれない。



「そろそろ、ご飯にしましょうか」



  にっこりと笑った母親に、俺も笑い返した。






 翌日起きると 、黒い壁はまだそこにあった。新聞には、この壁を超えて向こうに行くことはできないことなどが書かれていた。


(ほんとに何なんだ)


  未曾有の事態すぎて、もう誰もちゃんと対処できていない。とりあえず政府は外国に助けを求め、有能な科学者は、この壁に関して寝ずに研究しているらしい。


  読み終わった新聞記事を、ベッドに投げ出した。

  窓の外を見れば、全体的にオレンジ色に染まっている。


  (もう夕方か)


  今日が日曜日だったこともあって、どうやら長く寝すぎてしまったらしい。いや、昨日寝たのが朝の五時とかだったから、それほど長い間寝たわけでもないのか。


(暇だな)


  世間はこんなだし、特にすることもないし、退屈になってくる。近くのコンビニでも行くか、と重い腰を上げた。


  あたりの地面はきれいに夕焼け色に染まっていて、まるでいつもの道じゃないようだった。コンビニに行くまで五分、たったそれだけの道のりが、なんだかとんでもなく長く感じる。






  コンビニまでの、最後の曲がり角を曲がる。






  コンビニは、この曲がり角の、すぐそばにある。






  そして、その瞬間。






 自分の腰くらいまでの大きさの、真っ黒いものにぶつかった。






(何なんだ、こいつ!?)








 今まで、見たことのない生物だ。









  それが、こちらを見た。ゾッと、身体中に嫌悪感が巡る。






 全身が熱い、と思うまでもなく、意識は闇に呑まれた。











「先程、速報が入りました。祈夜 万璃さんが、バラバラになって、殺害されているのが、発見されました。専門家の見解によると、例の"黒い壁"と関連ががある可能性もあるということです。皆様、できるだけ今は、外に出ないように。では、次のニュースです」

 


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ