王子サロモン 1σ
私の婚約者は美しく愛くるしい人だが、大勢の前ではどうしても緊張してしまうようだ。だからライカーからの報告は全く意外ではなかった。
王族に嫁ぐと公務も増える。どうか肩肘をはらないでほしいと思うのだが。
「先週の夜会でも、やはり私とアデレードの不仲説は消えなかったみたいだ。ライカーはまた夜会をセットしたようで、次はもっと恋人らしく振る舞うようにと言っているよ。ただ名誉を重んじるあなたのことだから、負担になりすぎないとよいのだけどね。」
私の問いかけにアデレードは少し憂いに満ちた表情を浮かべると、儚げに私を見つめ返した。その愛しい姿に思わずうっとりしそうになるが、アデレードの意志の強い瞳は私の求めていない答えを示唆している。
「サロモン殿下、私達は節度を保った恋人として、王室と公爵家双方の名誉に恥じない交際を続けてきたはずです。噂を気にして私達の愛のあり方を変えてしまっては、ただの操り人形のような、偽物の愛になってしまいます。」
アデレードはいつも貴族としての誇りを大事にする。その凛とした姿を慕うものは多い。私としてはもっとリラックスをしてほしいと願っているのだが。
この艶やかな黒髪をなびかせる颯爽として美しい女性が、度重なる社交に緊張で疲れ、私に言い寄る女性達と争ってやつれていく姿を私は見たくない。
それ以上に、彼女がすましていると、彼女を愛でることがなんだか憚られてしまうのだ。真剣な彼女の姿に私も影響されてしまうのかもしれない。私が人前で親しくするのをためらう現状は、私とアデレードに愛がないという噂に拍車をかける上に、男としてももやもやする部分がある。
「アデレードの気持ちはよくわかっているつもりだ。公の場では毅然と、堂々としていたいのだよね。でも、ぎこちない政略結婚だと思われているせいか、私に言い寄る令嬢が後をたたない。妾になりたいと言い出す者もいる。少し気恥ずかしいのはわかるけど、アデレードは私達の愛を少しでも周りに祝福してもらうことが、そんなに嫌なのかい?」
アデレードがすこしうろたえるのがわかった。私が誠心誠意お願いをすると、彼女は無下にすることはできない。いい人なのだ。
こういうとき一瞬だけ彼女は鉄の仮面を外すようにして目をウロウロさせる。こんなときの素直なアデレードはとても可愛いと思う。
「私達がテニスやチェスに興じているところを、今一度宮廷貴族の方々に見ていただいてはどうでしょう。今度は私も熱中しすぎないように気をつけますから。健全な形で愛情を見せつける機会はまだあるはずです。」
一瞬だけおろおろしたアデレードは落ち着きを取り戻したようで、まるで周到に準備されたような答弁に戻ってしまった。私と二人のとき、彼女は緊張こそしていないが、節度を保ちすぎて私は物足りなさを覚えてしまう。慣れてくると、アデレードの中に私に対する温かい愛情があるのはたしかにわかるのだが、彼女の中の何かが歯止めをかけてそれが表に出てくることはない。
アデレードは美しいから、たとえ氷の心をしていたって傍にいたいと思ってしまうが。
「アデレード、前回の乗馬でも分かった通り、私がひしひしと感じているアデレードの愛情やさりげない気遣いは、なぜか第三者には見えないようでね。私は君のキリッとした目つき、なめらかな黒髪、凛として綺麗な顔立ちのすべてを好ましく思っているけど、私と勝負している君を第三者が見ると、私に敵意こそあれ好意があるようには見えないらしい。全くアデレードの落ち度はないのだから、不幸な話だけどね。」
「それは・・・」
アデレードがうつむいた。彼女が少しアンニュイな様子でいるのは絵画にしたいほどの美しさなのだが、でも彼女が悲しむのを目にするのはつらく、私はこの痛いようなくすぐったいようなもどかしさに身をさかれそうになった。
必死でフォローしたつもりだが、アデレードは自分の目を気に入っておらず、誤解されるのは全部目つきのせいだと思っている。実際は私と一緒に人前にでるときに、彼女が警戒心を顕にして群衆を睨んでいるようにみえるのが理由だと思うのだが。
ちなみに私は彼女の目が特に好きだが、単に美しいことに加えて、表情を抑えようとする彼女でも感情が一番現れやすいのが、愛おしさにつながっている気がしている。
「アデレード、無理をさせるのは忍びないけど、今回ばかりは私の我儘につきあってくれないかな。私としても、私とアデレードの愛が疑われるのは悲しいし、誰かが割り込んでくるのを見ていると辛いんだ。」
恐る恐るアデレードの手をとる。アデレードの手はすべすべしてなめらかな手触りで、いつまでも触れていたくなる。手以外の場所は基本的に触れることを許されていない上、彼女の合意なしで何かしようとすると怖い親戚軍団が飛んでくるので下手に触れられない。
それでも、手を触れているときにかすかに頬を赤らめるアデレードが天使のように可愛らしいから、今はこれを存分楽しむことにする。
「でも・・・」
「お願いだ、アデレード。私も恥ずかしいが、せっかくの君の愛情を誤解されたままでは心が痛いんだ。せめて頬にキスをするくらいならいいだろう?」
いつも平然としているアデレードの顔が、また迷いを浮かべた。
迷う、戸惑う、そういったあまりポジティブでない感情を見せるときでさえ、私だけのアデレードを見ているようで、妙な満足感を覚えてしまう。
こんなアデレードとの何気ないやり取りを、皆にも見てもらいたい。幸せを分かち合いたい。演技ではなく。
「それは・・・」
アデレードは何か逡巡するように黙ってしまった。ここで畳み掛けたいが、考え事をしているアデレードも女神のように美しいので、おとなしく鑑賞することにする。
ふと決意したような表情を見せ、アデレードは私を見据えた。
「殿下、恥ずかしさのあまり私が壊れてしまったらどうしますか。ふれあいは二人だけのときでいいではありませんか。レディに恥をかかせたりしないでしょう?殿下、お願い・・・」
アデレードがとびきりに潤った目で、私を見上げる。
これはかなわない。いじらしすぎて死んでしまいそうだ。「お願い・・・」なんて言われたのは、確か私のメイドに嫉妬して年配者と入れ替えるように頼んできたとき以来だ。あれは嬉しい思い出のひとつ。
しかし、このまま陥落しては、いつまでたってもアデレードが快適な現状のまま。アデレードの仮面が落ちることもないし、私達の「節度を保った交際」がいつまでも続く。
何かを得ようとするには、何かを手放さなければならない。
「大丈夫だよ、アデレード。二人なら乗り越えられる。これは二人のためだから。何かあっても私が守るから、私だけを見ていればいい。私にまとわる女性たちを説得するにはこれしかないんだ。」
アデレードのお願いをはねつけるのは心が痛かった。でもこれは乗り越えるべき障害だ。
王族にあまりプライバシーはない。公の場で仮面をかぶっていると、そのうち仮面が本物になってしまう。
「殿下・・・」
思いつめたような顔をするアデレード。やはりダメだろうか。
アデレードは「恥をかかない」というのがまるで生きる原動力のようになっている。人前で恥ずかしくないようにと、マナーもダンスも勉学もマスターしていた。たまに行き過ぎているところがあって、乗馬では速さよりも乗馬の見た目を追求したり、趣味は流行を追って自分の好みを抑えたりすることが多い。悪く言えば世間体を気にするのだ。先週の夜会だって、参加者のリストを事前に取り寄せて、テーブルの配置まで気にかけていた。
肩をはらないでほしい、というのは私の行き過ぎた我儘なのだろうか。公の世界にむりやり連れ込んだ以上、素のままでいてほしいというのは無理な願いだろうか。
「恥というと、殿下、うちの兄の少し恥ずかしい秘密をしっていますか。」
私が鬱々とした考え事に浸っていると、いつのまにか毒が抜けたような目をているアデレードが話しかけてきた。
マウリッツ?よく知っている。アデレードがあまりにも性に保守的になってしまったのは、あのシスコンのせいといっても過言ではない。
奴は筋骨隆々とした剣士で、一見武官ながら文官としての才もある有能な男だ。武の名門ノルドファーレン公爵家の伝統に則りつつ、新しい風を吹かせる期待の星。
だがその実は妹アデレードに依存し、妹に手を出す男は私も含めて制裁しようとする悪漢だ。アデレードは兄と異常に距離が近く、そのせいで彼女は「婚約者には結婚するまで手しか触らせてはいけない」などといった不条理な掟を吹き込まれてしまったに違いない。レディに恥じないように殿方との交流はつつしむべし、などと言いくるめてアデレードを囲い込もうとしているに違いない。
そんな妹以上にプライドの高い美丈夫に、恥ずかしい秘密があるとは。
知りたい、すごく。
「それは面白・・・いや、気にかかるけどあまり人の秘密を詮索するのはよくないね。」
詮索したいのは山々だ。だが兄を悪く言ってアデレードに嫌われては、私はこれから生きていけない。だが、なぜアデレードは兄の秘密の話題を出すのか。喧嘩でもしているのだろうか。ひとまず慎重に対処せねば。
「恥ずかしい思いをすると人はどうなってしまうのか、か弱い私のまえに、屈強な男である兄でまず試すのが良いのではないでしょうか。」
アデレードにしては珍しく論理的でない誘いだが、妹が関わらない限り憮然とした表情のマウリッツが慌てふためく場面、それはこの目で見てみたい。
「それもい・・・・いや、しかしマウリッツの気を害するのは・・・」
だが悩ましい。マウリッツは義兄になる男だ。私とアデレードが5才児相当の触れ合いしかできていない元凶だが、ただでさえ私を警戒するあいつに対して、私が無理に知られたくない秘密を探り当てようとしたら、今後数十年に渡って気まずい関係が続く可能性もある。私に秘密を密告してくれるのはマウリッツに勝ったようで嬉しいが、兄妹喧嘩を修復できない段階まで悪化させてしまわないだろうか。
「いや、やめよう。これは私達二人の問題だから。」
私は断腸の思いで誘惑に打ち勝った。この自制心、我ながら誇らしい。
「そうですか。では、私が公爵令嬢としての威厳を失う前に、せめて私の屋敷を訪れて殿下の口から説明していただけませんか。」
すこしがっかりした顔をするアデレード。本人には申し訳ないが、これもいい。
そうか、こういう機会を使ってマウリッツの秘密を解き明かしていくのも悪くはないだろう。知ってしまって黙っている、というのはいざというときの切り札として有効だし、アデレードとマウリッツの兄妹愛にひびをいれずにすむ。
「それなら構わないよ。公爵も事情はわかっているが、私から直接説明しよう。」
公爵夫妻には実は以前にも直接説明してあったが、アデレードがその場にいなかったし、三人での会食は楽しいだろう。実家ではアデレードはよりのびのびしているかもしれないし、未来の両親に挨拶できる機会は多いほど良い。
「ありがとうございます、殿下!」
珍しくワクワクしたような声に思わずびっくりする。
そのままアデレードは私の両手をとった。体温の高いアデレードの温かみがつたわってきて、思わずもっと触れたくなってしまう。
頭をポンポンと叩くのはセーフだ、とアデレートはいっていた。ポンポンが平気なら、そっと撫でるのも許容範囲ではないだろうか。
アデレードの様子を見ながら慎重に頭を撫でる。髪がとてもなめらかで、さわっていて心地よい。
本人は嫌そうにしていない。良かった。
どうせなら頭の固いマウリッツの前で、ノルドファーレン家の常識は保守的すぎるのではないかと疑義をはさんでもよいだろう。
これもいつか素顔のアデレードと一緒に、本物の笑顔で皆の前に立つ未来のためだ。
私は明くる日の訪問に向けて決意を新たにした。