表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

這子稲荷妖奇譚

作者: 野崎昭彦

場所がどこ、とは明言していませんが、とりあえず霧雨市ではないです。

まったくの新作。


といっても、テイストはいつも通りの怪奇小説ですけども。

 古びた石造りの鳥居にかかった真新しい注連縄(しめなわ)は、こんな小さな神社でも管理されていることを示していた。鳥居の脇には神社の名前が彫られた石碑が立っている。

 私はおそるおそるその鳥居をくぐると、参道の石畳を一歩一歩踏みしめるようにして奥に見える拝殿(はいでん)へ向かった。


「こんにちは。ようこそお参りくださいました」


 不意に人の声がして、思わず体が跳ねた。

 声のした方に目をやると、社務所(しゃむしょ)の前で神主さんがにこにこと笑っていた。神主さんはまだ若く、下手をすると私とそう変わらない年頃に見える。線が細くて中性的な面立ちをしているせいで、女性と間違えそうだ。手に竹箒を持っているところから察するに、境内の掃除をしていたところなんだろう。


「あっ、あのう……」

「はい、なんでしょう?」

「あの、そのっ……」


 声が、出ない。

 私はあがり症で、こういう大事な時にはいつも声が出なくなる。

 なんとか、なんとか何か言わないと。


「もしかして、絵馬でしょうか? でしたら、こちらをどうぞ」


 神主さんは社務所に並べてある絵馬の中から一つを取って渡してくれた。

 なんの変哲(へんてつ)も無い、木地そのままの絵馬。

 もっと凝ったデザインかと思っていたが、そんなことはなかった。


「そちらのテーブルをご利用くださってかまいません」

「え、えぇ……はい」


 私は言われるがまま、社務所の前に出されているテーブルについた。

 テーブルの上にはフェルトペンが何本か、平たい木箱に入れて置いてある。私はその中から一本を取り、絵馬に願い事を書き込んだ。


『二年B組の宇城(うき)和樹(かずき)くんと結ばれますように。二年D組黒川(くろかわ)結比(ゆい)


 書き終わった絵馬を絵馬掛けに掛けると、改めて拝殿の前に立った。

 賽銭箱に十五円を投げて、鈴を鳴らすと、がろんがろんという硬い音が境内に響いた。それから、二礼二拍手。

 神様、私の恋を叶えてください。お願いします。

 よくよくお願いして、最後にもう一礼。

 そんな私の様子をずっと見ていたらしく、神主さんは苦笑していた。


「大丈夫、あなたの願いは必ず叶います。当神社の祭神、八面悪弥狐神(やつらおやこのかみ)様はそのような神格ですから」


 やつらおやこのかみ……その神様の名前を聞いただけで、背筋がぞわっとした。

 頭のどこかで「ここにいてはいけない」という警鐘(けいしょう)が鳴っている。


「あ、ありがとうございます。私、勇気を出してみます」


 とりあえずそれだけ言うと、私はそそくさと神社を後にした。


 †


 神社から帰ってきた、その翌日。私は、学校で唯一の友達である吉野実梨(よしのみのり)と昨日観たテレビの話をしていた。そんな中、実梨がふと思い出したようにきいた。


「そういえば例の神社、行ってきたの?」

「んー、うん、まあ……」


 急な質問に、私は言葉を濁した。

 確かにお参りしたし、絵馬も書いてきたけど、それで恋が実るなんて思えない。ましてや、相手の宇城くんは学年トップの秀才でその上特撮俳優みたいな爽やかイケメン。彼の隣を狙うライバルは半端ない人数だ。

 一方の私はといえば……うん、彼には不釣り合いだってことは自分でわかってる。服の趣味も地味だし、きっと話題も合わないに違いない。なにしろ、私は妖怪や怪談……つまりはオカルト好きなのだ。きっと、不気味な根暗女だと思われているに違いない。


「お参りしてきたなら、きっと振り向いてくれるよ。あの神社、評判いいもん」


 実梨は楽しそうに口角を吊り上げた。左のレンズだけが若干厚い黒縁眼鏡の向こうで、色素の薄い目が細められる。


「でも、急がないと他のコに取られちゃうかもよ」

「え、あ……うん」

「もう、はっきりしなよ。ほら、彼が来たよ」


 実梨が教室の入り口を指さした。振り向くと、ちょうど宇城くんとその友達が何人か、ふざけながら教室に入ってくるところだった。まるで特撮ドラマの主人公チームのように、タイプの異なるメンバーが揃っている。


「……にしても、お前も変わってるよな。妖怪が好きなんてさ」

「最初は漫画から入ったんだけどさ、図鑑とか読んでたらどんどん面白くなっちゃって」


 友達に話を振られた宇城くんは照れくさそうに頭をかいた。

 ……って、え?

 私は自分の耳を疑った。


「小学校ん時は妖怪博士になりたいって本気で思ってたな。まあ、口には出さなかったけどさ」

「今でもそう思ってるのか?」

「さてな。でもお化けとか妖怪は好きだし、実話怪談もよく読むぜ」


 信じられない。

 あの宇城くんが、私と同じ妖怪好きだなんて。


「良かったじゃん、結比。彼もお仲間みたいだよ?」

「あ、あう……」

「あーあ、肝心なときにオーバーヒートしちゃうんだから」


 そう言われても、あがってしまうのは仕方ない。私は、あまり人付き合いの得意な方ではないのだから。


「ちょっと呼んでくるから、ここで待ってな」


 実梨はそう言うとすばやく立ち上がり、男子たちの方へとととっ、と駆けていった。

 ど、どうしよう。みるみる内に顔が火照(ほて)っていく。ひょっとすると倒れてしまうかもしれない。


「おーい、宇城ー。君もお化け好きなのー?」

「聞いてたのかよ、吉野。別にいいけどさ」

「ひひっ、まーね。んで、どうなのさ?」

「ちぇっ、地獄耳。……ま、隠しても仕方ないか。お化けとか妖怪が子供ん頃から好きなんだ」

「ほっほう! それなら、優良物件がありますよん。ほら、そこにいる……」


 実梨が私のことを指した。

 案の定、宇城くんの顔に驚きが広がっていく。ああ、やっぱり私、釣り合わないよ。


「お前、黒川さんと友達だったのか。なんで教えてくれないんだよ」

「……へ?」


 意外な反応に、実梨の方が目を丸くしている。けれど、宇城くんは気にする風もなくつかつかと私の席に近づいてきた。

 も、もうだめ、頭が爆発しそう!


「この前、図書館で見かけた時から気になってたんだ。良かったら少し話さない?」

「え、えっと、そのう、わた、わた、私でいい、なら……」


 なんとかそう答えはしたものの、何をどう話していいかわからない。

 助けをもとめるように実梨の方を見るが、実梨は目をキュッと細めて意味深な笑みを浮かべているだけだ。なんて友達甲斐のない……。


「そう照れなくていいよ。それとも、恥っかきにでも取り憑かれたかな?」


 宇城くんは私の右肩の上を払う仕草をした。

 気のせいか、だんだん心が落ち着いてくる。


「この前、図書館で『大妖怪画報』読んでただろ? だからオレ、ひょっとしたら話が合うかもしれない、って思ったんだ」

「そ、そうなんだ。えと、宇城くんも妖怪、好きなんだね。ちょっと意外だったかも」


 一生懸命に言葉を(つむ)いで紡いで、なんとか会話を続けようとする。でも男子とまともに会話したことなんてないから、やっぱり緊張する。

 でも、もしこれが昨日あの神社にお参りした御利益だったら?

 もう少し前向きに、なれるかもしれない。


 †


 あたしは石碑に刻まれた神社の名前を、もう一度だけスマホと見比べた。

 間違いない。ここが、どんな願いも叶うという神社だ。

 意を決して参道に踏み込むと、スニーカーが石畳を踏む、硬い音があたりに響いた。

 神社を囲む雑木林――鎮守の森は静まりかえっていて、あまり生き物の気配を感じない。まあ、神社なんてだいたいそんなものだろう。

 一歩、また一歩と足を進める度に、周囲の空気が変わっていくような気がする。より冷たく、より暗く。


「こんにちは。ようこそお参りくださいました」


 参道の中程まで進むと、急に横合いから声がかかった。見れば若い神主が箒を手にして微笑んでいる。線が細くて中性的な面差しは、ともすれば女性と間違えそうだ。


「ここ、這子(ほうこ)稲荷で間違いないですよね? 必ず願いが叶うっていう」


 あたしがたずねると、神主はおっとりとうなづいた。


「ええ、そうですよ。願掛けでしたら、こちらの絵馬をどうぞ。ペンはそちらのテーブルに用意してあります」


 神主は社務所に並べてある絵馬を一つ、手渡してきた。噂に聞いていた通りの、黒い絵馬だ。

 社務所の前に出されたテーブルには、絵馬が黒いからだろう、白のペンが何本か用意されている。

 あたしはテーブルにつくと、用意されていた白ペンで絵馬に願いを書き込んだ。


『私から宇城和樹を奪った根暗女、黒川結比を罰してください。松田花蓮(まつだかれん)


 絵馬を納めて拝殿に向かう。

 賽銭箱に五円を放って鈴を鳴らし、二回拍手をして手を合わせる。

 神様にお願いしていると、ふつふつとあの女に対する怒りがこみ上げてきた。

 黒川結比。

 先月くらいからあたしの宇城くんと仲良くしている根暗女だ。

 いてもいなくても関係ないその他大勢の一人。

 あたしの方がずっと、宇城くんを見てるのに。

 あんな黒髪ロングで飾り気のない地味子なんかがどうして宇城くんに選ばれるの?

 しかも宇城くんと一対一でお話して盛り上がって……。

 あの女への怒りは次から次へととどまるところを知らない。ともすれば、あまりの怒りにどうかしてしまいそうだ。

 そんな中、あたしの頭の中に誰かの声が聞こえた。


『あんたの願いは分かった。それで、あんたはあたしに何をくれる?』


 女の声だ。ちょうど高校生くらいの、若い女の声。

 あたしは思わず周囲を見回した。けれど、声の主らしい人影は見えない。


『ねえ、どうするのさ?』


 また、声が聞こえた。

 もう一度聞いてようやくわかった。これは、あたしの声だ。

 あたしが、もう一人いる……!?


『あたしが決めていい? じゃあ……』


 あたしが戸惑っている内に、声は勝手に取引を進めようとした。


「ま、待って! 今は何も持ってないの! だから……」

『じゃあ、後で決めればいいよ。でも、あんたの願いと釣り合うだけの対価は払ってもらうからね』


 含み笑いのような余韻を残して、声は聞こえなくなった。

 その余韻が完全に消えたとき、あたしはハッとした。

 ついさっきまで、妖しい夢をみていたような、そんな気分。


「ずいぶんと長く祈ってらっしゃいましたね。そんなに熱心なお願いなら、必ず叶いますよ」


 神主は絵馬を渡してくれた時と同じようにニコリと笑った。

 叶ってくれなければ困る。あの女に罰を与えて、そして、代わりにあたしが宇城くんの隣に立つのだ。

 あたしの心の中に、薄暗い欲望が育っていた。


 †


 なんだか、まだ夢を見ているようだ。

 私みたいなのが宇城くんと友達になれるなんて。

 あれから数日の間で、私は宇城くんと頻繁(ひんぱん)に話すようになり、チャットのアカウントも交換した。

 それから一ヶ月ほどが経った今では、本当にちょっとした、些細(ささい)なことでも連絡を取り合うくらいには仲良くなっている。


「結比さー、最近付き合い悪いよねー」

「あ、あはは、ごめん」

「まあ、別にいいんだよ? 結比が幸せになってくれれば、私はそれで」


 実梨は例によって楽しそうに両目を細めた。

 お昼休みの教室で、私と実梨は机を向かい合わせてお弁当を広げている。実梨とは小学校からの付き合いで、お互いに趣味嗜好がよく分かっている。気が置けない間柄、というのだろうか。だから、同じ中学から進学してきた友達が実梨だけでも、少しも気にならないのだ。


「あー、そうそう。なんか胸騒ぎするからさ、一応これ、渡しとくね」


 実梨はふと思い出したように制服のポケットからお守り袋を取り出した。

 群青(ぐんじょう)色の布で作られた見た目にも地味な袋で、鮮やかな白糸で五芒星(ペンタグラム)が刺繍されているのがちょっと中二っぽい。でも、その御利益は折り紙付きだ。というのも、実梨のお婆ちゃんは私たちの地元では良く知られた拝み屋さんで、大人たちは何かの折りにつけて相談したり、拝んでもらったりしているのだ。

 その才能を受け継いでいるのか、実梨もそういう方面に割と敏感だ。その実梨が胸騒ぎを感じるのだから、きっと何か良くないことが起ころうとしているんだろう。


「ありがとう、もらっておくね」

「それともう一つ、いい?」


 私がスマホにお守りを付けていると、実梨は私の背後に視線を向けながらたずねた。


「えっ、なに?」

「うん。今朝からずっと一緒にいる、おでこに矢が刺さった落ち武者、知り合い?」

「おちむしゃっ!?」


 私はあわてて振り返ったが、そこには誰もいない。


「はぁー、幽霊の知り合いなんていないって……」

「あっははは、まぁ、そうだよね。南無大師遍照金剛なむだいしへんじょうこんごう、南無大師遍照金剛」


 実梨はあっけらかんと笑いながら唱文(しょうもん)を唱えた。それだけで肩がふっ、と軽くなる。


「いつもありがとう。なんか、ただで(はら)ってもらっちゃって」

「いいっていいって。お礼はこの唐揚げでいいよ。おふ、おいひい!」


 実梨は目にも留まらぬ早業で私のお弁当箱から唐揚げをさらっていった。多めに作ってきたから、それは別にいいんだけど。それよりも気になるのは、実梨が胸騒ぎを感じたということだ。


「結比さ、そりゃあんたは心当たりないかもしれないけど、宇城と仲良く話してるところはみんなに見られてるんだからね?」

「でも、実梨だって宇城くんと話してるよね?」

「同級生だからね、共通の話題で盛り上がることもあるさ。でも私はいつだって、ツーショットにならないように計算してるよ」

「あっ……」


 そうだった。思い出してみれば、実梨が男子と話す時、一対一には絶対になっていなかった。なるほど、あれは人から逆恨みされないための計算だったんだ。


「なんだ吉野、距離があるなと思ったらそういう理由だったのか」


 急に宇城くんがやってきて、空いている椅子を引いて私の隣に座った。手には購買で買ってきたらしい味噌パンと焼きそばパンを持っていて、制服のポケットからは缶コーヒーがのぞいている。これが今日のお昼らしい。


「まーね。それに、若い二人の邪魔しちゃまずいし?」


 にひひ、と例によって妖しい笑いをもらす実梨。間違いなく何かを企んでいる。


「ったく、世話焼きのオバサンかっての。それより黒川、昨日のUMAスペシャル観た?」

「うん、観たよ。ああやって大々的に調査してると、本当にいるかもって思えてくるよね」

「かも、じゃなくて本当にいるかもしれないぞ。イリオモテヤマネコやカモノハシみたいに未発見生物が目撃されたのかもしれないし、既知の生物の突然変異個体かもしれない」

「でも、ツチノコはともかく、ヒバゴンはさすがにないと思うよ」

「ヒバゴンはさすがに、町おこしっぽいよな。役場に専用の係作ったりして」

「確かにそこまでやられちゃうとね。それに、町おこし目的なら五年くらいで急に目撃されなくなったのも納得いくよね」

「それから外科医の写真の再現企画も面白かったな」

「あの榛名湖でやってたやつ! 結構よく撮れてたよね」


 私と宇城くんが二人で盛り上がっていると、実梨が眼鏡を外して涙をぬぐう仕草をした。


「えっ、どうしたの?」

「具合でも悪いのか?」

「いんや、違うよ……ただね、ついこの前までぼっちだった結比が男の子と楽しそうに話してると思うと、なんだかうれしくなっちゃってさ」

「親戚のオバサンかっ!?」


 私は思わず、実梨の頭にチョップをたたき込んだのだった。


 †


 神社に行ってから数日。

 あの根暗女は相変わらず、宇城くんと仲良くしている。

 でも、もうあたしは腹を立てる気にはならなかった。いまにヤツラ……なんとかいう神様が天罰を下してくれるからだ。


「花蓮さ、なんか柔らかくなった?」

「うん、丸くなった感じ」


 陽菜(ひな)麻里(まり)が口々に言う。まあ、長くつるんでる二人が言うんだから間違いない。


「いやー、この前、例の神社行ってきたじゃん。あれからなんか、調子いいんだよねー」


 うそだ。でもまあ、このくらいのうそはついてもいいよね。


「それならうちも今度行ってみようかな」

「いいんじゃない? ひょっとしたら意外な出会いがあるかもよ?」

「やだもー」


 あたしたちはふざけながら、いつもの通学路を下校していた。

 学校から駅までは徒歩十分。あたしたちも宇城くんも電車組だけど、途中まではあの根暗とルートが同じだ。

 十数メートルほど先に目をやれば、あたしの宇城くんと並んで、自転車を押している根暗の姿が見える。今も、得体の知れない怪獣だか宇宙人だかの、ガキっぽい話題で盛り上がっている。

 宇城くんは前に宇宙人の話題は嫌いだと言っていた。だから、根暗の話題に渋々合わせているんだろう。神様の罰が下れば、もう宇城くんはそんな気苦労をしなくてすむのだ。

 あたしはそれが楽しみでならなかった。


「花蓮、今すっごく悪い顔してたよ」

「え、ウソ? やばいなー、悪霊が取り憑いたかも」

「まじで? オンミョージ呼ばなきゃじゃん」

「ドーマンセーマン、ナンミョーホーレン、ハライタマイキヨメタマエー」


 ひとしきりふざけて、大笑い。

 いつものやりとりだ。

 けれど、今日のあたしはどうも乗る気になれなかった。例えるなら、遠出する前の、わくわくして目の前のことに集中できない、あの感じ。


「あれっ、根暗のやつ、ちょっとやばくね?」


 麻里が宇城くんたちの方を指さした。

 見れば、あの根暗が歩道から少しだけはみ出している。


「あー、ま、いいんじゃない?」


 あたしは軽く流した。きっとこれから楽しいことが起こるに違いない。

 自然と口角がつり上がる。

 次の瞬間、目の前の曲がり角からスーパーカーが飛び出してきた。だが、宇城くんがいち早く気付いて根暗の腕を引いたせいで、根暗は間一髪、ひかれずにすんだ。

 スーパーカーはそのまま、爆音を(とどろ)かせて去っていく。


「うわ、今のまじでやばかったじゃん」

「宇城くんがひかれるかと思ったよ」

「ちょっと行ってみようか」


 陽菜が駆けだしたので、あたしたちも続いて宇城くんに駆け寄る。


「宇城くん、大丈夫?」

「ああ、無事だよ。黒川は? 怪我はないか?」

「うん、大丈夫。ありがとう、宇城くん」


 根暗は宇城くんに頭を下げている。

 なんだか無性に腹が立つ。こいつは今、自分の目の前にいるのが誰なのか、わかってるんだろうか。


「それにしても危ない運転だったな。松田たちは見てたか?」

「見た見た。危なかったよね」


 一応同意はしておくが、内心では悔しくて仕方がない。でも、宇城くんはそういう人だ。やっぱり、宇城くんにあの根暗は似合わない。


「でも宇城くん、よく分かったね。危機一髪じゃん」

「うん。エンジンの音が急に聞こえてきたから、とっさに黒川を引っ張ったんだ。間に合って良かった」

「あのっ」

「すっごいじゃん、それ! さすが宇城くん!」


 根暗に何かを言わせる隙を挟まず、あたしは言葉を続ける。中身がないのが残念だが、今は根暗を黙らせることが大事だ。

 そうやって宇城くんと根暗を分断していると、あたしたち電車組と根暗が分かれる十字路が近づいてきた。


「あっ、じゃあ宇城くん、私、こっちの道だから……」

「ああ。気を付けてな」


 控えめに挨拶して、根暗は横道に入っていった。


「ねぇ、宇城くん。あの子のどこがいいの?」

「ん? ああ、上手くは言えないけど、趣味が合うから、かな? それだけじゃないんだけど……」

「あ、あれ? 前、怪獣とか宇宙人は嫌いだって言ってなかった?」


 あたしはあわてて宇城くんに確認する。


「確かに宇宙人ネタは嫌いだよ。UFOビリーバーはなんでもかんでも宇宙人の仕業にしてしまうし、いわゆるUFO映像は作りが雑で観てても面白くないからね」


 わけが、わからない。


「じゃ、じゃあなんでネク……あの子と話してるの? 嫌いな話なんでしょ?」

「いや、黒川と話してるのはオカルト話全般。まあ、UFO話もその範疇(はんちゅう)ではあるけど、お互いに嫌いだからはじいてる感じかな」

「えと、どういうこと?」


 あたしの中の宇城くん像が、


「例えば、映画にはホラー、サスペンス、スリラー、ホラーコメディ、ラブコメディ、ラブロマンス、SF、スペースオペラ……っていう風に色々なジャンルがあるだろ」

「う、うん……」


 大きな音を立てて、


「で、映画は好きだけど、その中の特定のジャンル、例えばスパイアクションが嫌いだ、って二人がいたら、その二人は映画の話はするけどスパイアクションの話はしないだろ」

「そ、そうだね……」


 崩れて落ちてゆく。


「まあ、そんな感じ。お互いにUFOは嫌いなんだよ」


 思わず、立ち止まってしまった。

 胸に鈍い一撃が加えられたような、重いショック。


「か、花蓮?」

「ちょっとどうしたの?」


 陽菜と麻里の声がとても遠く聞こえる。


『どう? 対価は決まった?』


 もう一人のあたしが、ゆっくりとイドの底から這い上がってきた。


 †


 鉄錆(てつさび)のような嫌な臭いが辺りに漂っていた。

 さっき、宇城くんと話していた、少し派手目の女子三人組、そのうち二人までもが血溜まりの中に沈んでいる。この出血量だと、おそらくもう息はないだろう。

 急に宇城くんの叫び声が聞こえた気がして戻ってみると、そんな光景が広がっていたのだ。あまりに凄惨な光景に、私は言葉を失った。


「結比、逃げろ!」


 血溜まりに立ち尽くしていた宇城くんがそう言ってくれたけれど、情けないことに、足がすくんで動けない。

 私は、血溜まりの中に立つ、三人組の最後の一人に視線を移した。

 その子は、今まで見たこともない不気味な笑みを浮かべていた。


『あはっ……。やっぱり戻ってきたんだ? 宇城くんはあたしのもの、アンタには渡さないよ?』


 ぐりん、と首だけを回して、彼女は私の方を見る。何重にもエコーがかかったような薄気味悪い声は、一度聞いただけで心の底まで凍り付きそうだ。


『根暗……アンタさえいなければッ!』


 彼女の絶叫と同時に、足下の血溜まりから真っ白い腕が何本も伸びてきた。まるで触手のようにうねうねと(うごめ)き、私の眼前に迫ってくる。


「結比っ、逃げるぞ!」


 立ち上がった宇城くんが私の手を掴んで走り出した。当然ながら、私は宇城くんに引っ張られる形になる。

 背後から不気味な笑い声が聞こえてきた。一人の声じゃない。男の声も女の声も、年寄りの声も子供の声もあった。腕たちの笑い声だ、と直感した。

 しばらく走っても、笑い声は遠ざかるどころか、ますます近づいてきた。振り返ると、腕はすぐそこに迫っていた。


「う、宇城くん!」

「振り向くな! 足が鈍る」

「でも……ひっ!?」


 急に右足が引っ張られた。その刹那(せつな)、私は地面に転んでいた。転んだ拍子につないでいた手が離れてしまう。


「結比っ!」


 宇城くんが私の足を掴んでいる腕を蹴飛ばす。その腕は元来た方向に引っ込んでいくが、すぐに別の腕が伸びてくる。


「いっ、嫌……」


 私の脳裏に、血溜まりに沈んでいた二人の姿がよぎる。

 あんな風にはなりたくない。

 一際大きな腕が顔に向かって伸びてきて、私は思わず目をつぶった。

 その時だった。

 目の前に真っ白な光が広がったかと思うと、耳をつんざくような絶叫が聞こえた。


「結比、おい、結比!」


 目を開けると、宇城くんが私の肩を揺すっていた。


「だ、大丈夫だよ。それより、今の悲鳴は?」

「……いや、見ない方がいい」


 宇城くんが険しい顔で元来た方に顔を向けた。私もそっちを見ると、そこは最初の十字路だった。かなり走ったはずなのに、私たちのいる場所は十字路から三十メートルも離れていない。

 その十字路の真ん中、二人の女子生徒が作った血溜まりに、彼女が立っていた。

 ただし、その体も、手足も、血溜まりから伸びる腕に巻き付かれ、顔には恐怖と絶望がありありと浮かんでいる。


 ――どぼん。


 水面に重いものが落ちたような音と飛沫(しぶき)を立てて、彼女は血溜まりの中に引き込まれて消えた。後にはただ、薄くのっぺりと広がる血溜まりが残るだけだった。


「私たち……助かったの?」

「ああ、たぶん……」


 和樹くんは相変わらず厳しい顔をしていた。


「実梨のお守りのおかげだよ、きっと。でも……」

「お前が気に病むことじゃない。あいつの、自業自得だ」

「う、うん……」


 私たちはそれ以上何も言えないまま、遠くから近づいてくるサイレンの音を聞いていた。


 †


「――と、いうのが今回の顛末(てんまつ)です」


 ぼくはひとしきり報告を終えると、神鏡の向こうに目を向けた。

 そこに映るべき情景は一切映らず、ただひたすらに黒々とした闇が蠢いていた。


「カミサマの横槍は想定外でしたが、概ね理想的な形で終息したかと存じます」


 闇からの無言の啓示に、ぼくは淡々と受け答える。

 だが、一言だけ、嫌みを言ってみたくなった。この闇がどんな反応を示すか、興味が湧いたのだ。


「まあ、どういう形になっても関係ないのですよね。あなたにとってこれは単なる遊びですから」


 特別、反応はなかった。

 あるいは、ぼくのこの小さな実験すら折り込み済みなのかもしれない。


「このゲームはまだ始まったばかり、最後にどうなるか楽しみです。そうですよね、八面悪弥狐神様。――ええ、では、お達しの通りに」


 闇が笑った、ような気がした。

いかにも続きそうですが、続けるかどうかは反応次第で決めたいと思います。

次の話なんて、何も考えてないですしね。


ただ、続けるなら続投するキャラは神主と実梨だけにするつもりです。

主人公も願い事も毎回違うオムニバスで、実梨は彼女の祖母――カミサマの代理人として奮闘する役回りです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ∀・)良いホラー作品でしたね。すごく現代的な怪談といいましょうか、若いコにウケそうな感触がありました。わかりやすい文体があるからかもしれません。それでいて悍ましい情景描写が活きているので。…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ