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戦艦放浪記  作者: ほうこうおんち
第2章:満州国海軍編(1929年~1935年)
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満州航路

 それはウォール街から始まった。

 世界中にそれは伝播する。

 「世界大恐慌」という混乱は、シャム王国をも襲った。


 シャム王国の輸出品である米は、1929年以降売れなくなる。

 それに伴い政府の歳入は下がり、8000万バーツを割り込んで、予算も850万バーツ程不足を出すようになった。

 官僚たちは国王ラーマ7世に改革を迫る。

 だが専制君主であるラーマ7世は首を縦には振らない。

 官僚も、改革を迫る陸軍軍人も、その理由を知っている。

 チョンブリー県の軍港に停泊している巨大戦艦「イサーン」の醸し出す迫力が、王を強気にさせているのだ。


「貴官たちは、一体いつ出て行くのですか?」


 プラヤー・パホンポンパユハセーナー大佐は、数年後にラーマ7世に対し革命を起こす事になるが、1929年のこの時点ではチャクリー王家に対し、特に不満を持ってはいない。

 シャム人に対する呼び方として最適ではないが、以降彼はパホン大佐と呼ぶ。

 パホン大佐は日本を訪問した事がある。

 その時に風貌から「シャムの西郷さん」と呼ばれ、いつか大事を為すだろうと言われた。

 この時、どうやら「計画」について一部なりと知らされていた可能性がある。

 それを踏まえての「いつ出て行くのか?」という発言であった。


 会津出身の朝田艦長は、西郷隆盛と似ているという逸話から、パホン大佐に会おうとしない。

「我ながら過去に囚われ過ぎていると思うが、どうも会津人は融通が利かなくてね」

 それで、事情の一端を説明され、共有している副長の才原中佐が対応する。


「実は我々もまだ知らされていない。

 中国で為すべき事に失敗したと聞いている。

 本来ならばもう諦めて、帰国すべきなのだが、ここに来て直接日本に返還出来ない事が足枷となってしまった」

「陛下にお願いし、売却する第三国を探して貰いましょう。

 それに先立って、なのですが、海軍の軍人を減らしたいと思います。

 この艦では千人もの兵が高等教育を受けていますが、これを減らします。

 どれくらい減らせば良いでしょうか?」

「3交代で艦は運用されている。

 つまり、3分の1居れば最低艦は動かす事は出来る。

 600人を減らそう。

 今はシャム王国に戦争を仕掛けて来る国も居ない。

 本来300人前後で艦を運用する等あってはならないが、やむを得ない……」

 副長は残念そうに話す。

 パホン大佐も、全く協力をしない訳ではない為、日本人に同情的だった。

(彼等が幸せに帰国出来たら良いのだが……)


 世界大恐慌の前から日本は悲惨な状態になっている。

 関東大震災の後は、1927年に昭和金融恐慌が起こり、更に世界大恐慌で主力商品である生糸が売れなくなった。

 さらに1930年には昭和農業恐慌が発生する。

 世界大恐慌でデフレが進行した上に、1930年の米は大豊作であった。

 その為、米の値段が暴落し「豊作飢饉」となる。

 加えて、海外領土の発展を優先する日本は、台湾と朝鮮半島の米を優先的に買い付けた。

 米と繭の二本柱で成り立っていた日本の農村は、その両方の収入源を絶たれた。


 翌1931年には一転して東北地方・北海道地方が冷害により大凶作となる。

 その凶作が形になって現れる前、1931年9月18日に彼が動いた。

 柳条湖付近の南満洲鉄道線路上で爆発が起き、これを理由に関東軍が

「首謀者である奉天軍閥の張学良を倒せ!」

 と動き出す。

 この爆発事件こそ、石原莞爾と板垣征四郎が組んで起こした陰謀であった。


 ついに満州事変が勃発した。


 関東軍の独断専行に対し、若槻禮次郎内閣は何も出来なかった。

 そして関東軍の要望に応え、林銑十郎中将の朝鮮軍も独断で動き出す。

 やがて23万の張学良軍は、1万数千の関東軍に敗北し、満州は関東軍の手に落ちた。




 アメリカ合衆国:

 スティムソン国務長官はフーバー大統領に対し、日本の行動を報告する。

 非難声明を出すというスティムソンに、大統領は

「まあ、しばらく様子を見ようではないか」

 と呑気に言い出した。

「何をおかしな事を言っているのですか?

 これはパリ不戦条約に明らかに抵触します。

 大体、マクマリー(駐中大使)も報告を上げて来ないとは一体何事でしょう!」

「国務長官、落ち着きなさい。

 マクマリー君は大分前に情報を上げていました。

 国務省は中国のシンパが多いから、私が直接この件は仕切っていたのだよ」

「何て事です、日本の行動を貴方は黙認していたというのですね」

「日本の行動、とは言い切れないな。

 ある狙いが有っての事でね。

 だが、国務省は親中派に仕切られているから、多くは話せない」


 中国国民党の蒋介石政権は、蒋介石夫人の宋美齢を使ってアメリカの世論工作をしていた。

 それは相当に効果を挙げていたのだ。

 国務省のホーンベルク極東部長は、日本との協調行動を一切否定している。

 その上長であるスティムソンも、日本とは「軍縮会議においても揉める、面倒な国だ」という認識を持っていた。

「合衆国は、あの無法な日本と協調路線を取るというのですか?」

「日本だけじゃない、イギリスとも、だ。

 上手くいけば、今の大恐慌に対しても効果を出してくれるかもしれないね」

「納得出来ません!

 私はパリ不戦条約に基づき、日本を非難する声明を出します」

「認められない」

 だが、スティムソンは強行した。

 戦線のこれ以上の拡大を認めない「スティムソン談話」を発表し、日本を牽制した。


 イギリスのロバート・セシル国際連盟代表は、かつてのジュネーブ海軍軍縮会議を自国が潰した事に憤り、イギリスの公職からは退き、専ら国際連盟でのみ活動している。

 そのセシルには、イギリス本国は日本と同調的過ぎるように見える。

 「パリ不戦条約に違反する一切の取り決めを認めない」とするスティムソン・ドクトリンに対し、イギリスは

「この文書にイギリスが連名して日本に共同通牒する必要はない」

 と返し、スティムソンにショックを与えた。

 さらに

「中国にしっかりした政府の管理運営の実態はない。

 1922年にも存在しなかった。

 現在もない。

 中国政府によるしっかりとした管理運営は観念上にしか存在しない」

 と中国とアメリカの親中派を批判。

 日本は

「かの地の不統一の現状を酌量されたし」

 とアメリカに書簡を送り、ついにフーバー大統領が

「日本を不必要に刺激しないよう慎重でなければならない。

 対日経済制裁に反対である」

 と国際連盟に書簡を送った為、スティムソンは国務長官職を辞任し、下野した。

 本来保守的な共和党員だった彼だが、この件から意見を同じくする民主党のある議員と共同歩調を取り始める。

 ヘンリー・スティムソンが組んだ相手、その名はフランクリン・デラノ・ルーズベルトと言う。




 満州にて:

 柳条湖事件発生から4日後には、既に「関東軍の支配」ではなく「独立国家建国」が方針とされた。

 その方針策定の2日後の9月24日、袁金鎧を委員長、于冲漢を副委員長とした奉天地方自治維持会が組織される。

 9月26日には煕洽を主席とする吉林省臨時政府が、翌27日にはハルビンで張景恵が東省特別区治安維持委員会を発足させる。

 動きが脚本が有るかのようだった。

 そして清朝最後の皇帝、愛新覚羅溥儀が執政として迎え入れられ、満州国がここに建国された。


 満州国は直ちに国軍を組織する。

 陸海軍ともに日本からの借り物であった。

 そんな中、満州国からシャム王国に外交使節が向かった。


「戦艦『イサーン』を購入したい」


 それが用向きである。




「そうか、ついに来たか……」

 朝田艦長は松尾特務中尉から、満州の事情とシャムへの使節派遣の報を聞いた後に語った。

 予定より4年遅れ、場所も山東半島ではなく満州に代わった。

 満州では「河豚計画」に則って、ユダヤ人自治州設立が為されようとしていた。


 このユダヤ人の安住の地に対し、文句を言って来る勢力は2つある。

 一つは1930年にドイツ・ワイマール共和国で第2党に躍進した国家社会主義ドイツ労働者党、通称「ナチス党」という連中である。

 激しく反ユダヤ主義を唱えている。

 今回もやはり文句を言って来た。

 しかし、彼等は所詮ドイツの一政党に過ぎず、海の物とも山の物ともつかぬ。

 そのナチス党が激しく敵視する共産主義の親玉、ソビエト連邦こそが反ユダヤ人の恐るべき存在と言えた。


 ソビエト連邦の前身、ロシア帝国の時代、怪文書が出回った。

 ”シオン賢者の議定書”と呼ばれるそれは、後に偽書である事が判明する。

 内容は

・ユダヤ人が世界を支配して、全ての民をユダヤ教の前に平伏させる為に行動する。

・その為にシオンの賢者は「自由・博愛・平等」というスローガンを考え出した。

・そしてそのスローガンの下、フランス革命を起こす事に成功した。

・このように世論を操作しながら、シオンの専制君主が全世界の法王となることを目指すのだ。

 というものである。


 これについて偽書と判明してなお、「嘘かどうかは問題ではない、主張が尤もな事が問題なのだ」と、この文書を反ユダヤの根拠とする者も多い。

 ソビエト連邦では、それまでの反ユダヤ主義の反動から、1930年までは親ユダヤ政策が採られていた。

 その優遇こそが、逆に反ユダヤ主義を育て上げる。

 そして満州事変の年、1931年に実権を握ったスターリンという男が「ユダヤ人世界陰謀説」を持ち出し、ソ連とその衛星国家においてユダヤ人迫害を開始した。


 ソ連は言うまでもなく、満州と国境を接する国である。

 共産革命を嫌い、ソ連と戦って満州に逃げて来た白系ロシア人もいる。

 そのソ連を抑え込む鍵は?


 世界最強の戦艦「イサーン」が満州国に鎮座する事となった。

 満州到着後には名を「陸奥」に戻されるという。


「副長、主だった士官を集めてくれ。

 今後の方針と、今まで黙っていた事を話す」

「そうですか、ついにシャムから出るのですね?」

「そうだ。

 隠されていた真の目的の為に『陸奥』は出動する」

「『陸奥』ですか、久々に聞きました。

 『イサーン』という名前より、やはり良いものですなあ」


 かくして主な士官が集められ、初めて

・単なる軍縮逃れでは無かったこと

・世界戦略の中で動いていたこと

・陸軍だけでなく、アメリカやイギリスとも手を組んだ計画であること

 が朝田の口から話された。

 副長すら知らない部分(例えばユダヤ人保護の「河豚計画」や、米英のユダヤ系商会が絶えず援助していた事)もあり、一同は驚きに包まれていた。


「今まで隠していて済まなかった。

 それで、この艦の行動について不満がある者は申し出るように。

 こんな国際的な陰謀についていけないって者は退艦を許可する」


 退艦する者は出なかった。

 まずは日本近海まで「陸奥」に乗って行きたいと言う。

「やる事はシャム海軍と一緒ですかね?」

「いや、我々は満州国海軍を鍛えるのではなく、満州国を守る防壁となるのだ」

「それなら尚更、武人としての本懐ですな」


 士官たちは「艦長に従います」と宣言した。

 兵たちには、満州についてから帰国を許す事も含めて改めて話す事になる。


 号令がかかる

「出撃準備。

 必要な物資を補充せよ。

 目的地は、ひとまず旅順港!』


 巨大戦艦が次なる国へと向かう。

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