第一次中東戦争
1948年5月14日、イスラエルは建国された。
翌5月15日、アラブ諸国連合軍はイスラエルに対し戦線布告をする。
第一次中東戦争の勃発である。
ユダヤ人たちはパレスチナ移住に際し、武器の保有を禁じられていた。
しかし鉄屑として、売却国の半ば合意の元で売られた兵器が、アラブ軍に火を噴く。
砂漠ではアメリカ製M4中戦車が、空からはドイツ製メッサーシュミットMe-109戦闘機がアラブ兵に襲い掛かる。
海の日本製戦艦「陸奥」改め戦艦「ダビデ」もその筈だった。
「朝田艦長、何故出撃しない? 示威行動だけで終わらせる」
苛つくガマル・マツオ海軍司令部付参謀に、朝田艦長はサラッと重要な事を告げる。
「主砲弾が有りませんから」
「何だと?」
「スクラップ予定の艦に砲弾積みっぱなしにする海軍なんて有りませんよ」
戦車の75mm砲弾、戦闘機の7.7mm機銃弾や20mm機関砲弾は、やろうと思えば横流しも泥棒も出来る。
しかし、41センチ主砲弾や13センチ両用砲弾はそうはいかない。
大体、イギリスも「戦艦は見せびらかすだけで効果が有る」という使い方をすると言うから、売却を黙認したところがある。
イギリスの場合、「気づかないなら言う必要も無いな」という底意地の悪さも有ったが。
陸上兵力しか頭に無かったユダヤ人たちは、思いもかけず手に入れられた海軍の巨大戦力に目が眩み、優秀な彼等に相応しくない初歩的なミスをしたのであった。
「だが! 確か追加で砲弾の発注はしたと聞いたが?」
「砲弾を運ぶイギリス商船、キプロス沖まで来たけど、そこで引き返したようですよ。
迎えに行くとは言いましたが、戦地には向かえないって言って。
いやあ、大戦中なら死に物狂いで届けたんでしょうけどねえ」
イスラエルからしたら初耳だった。
そして、朝田はそんなイギリスと連携していたとは……。
「貴様、知ってて黙ってたな!」
詰め寄るガマル・マツオに対し直接的な回答はせず、
「あんた、俺より偉くなったら、本性が出て来たな。
帝国海軍の勘違いしてた連中そっくりになって来たよ。
それとも直臣の子が、陪臣の子に対する態度かな。
改宗してユダヤ人になったのなら、ユダヤ人らしい振る舞いをしたらどうかね」
と返した。
海没処分を誤魔化して手に入れた航空巡洋艦「最上」こと巡洋艦「シナイ」も同じである。
ましてこの艦はイギリス式兵装に改装されていない。
砲弾や魚雷を手に入れるなら日本から買わなければならないが、日本は敗戦により武器の保有を禁じられていて、砲弾・魚雷も同じく製造出来ない。
イスラエルは「シナイ」に関しては武装全換装という無駄な財政負担を強いられる。
イギリスが仕掛けた嫌がらせでもあった。
(もっとも、「最上」の航空甲板を活用した兵員輸送やヘリコプター運用で、この艦は21世紀一歩手前まで現役を続ける長命な艦となる)
結局この戦争中、一切の情報を漏らさずボロを出さない、「艦隊保全主義」を有効活用したイスラエル海軍に、アラブ連合軍は恐れて作戦を制約された。
海岸を使った軍事行動の一切を封じられたのだ。
迂闊に動かす事なく、睨みを利かすだけの朝田の戦い方は間違っていなかったのだ。
松尾等が生温いと思っているが、朝田は(これで良い)と思う。
「陸奥」は強い国と戦って来た。
結果としてそうなっただけだが、もうそろそろ生き方を全うして艦歴を締め括って欲しい。
一発も撃たずに、この地域に出来れば均衡をもたらす、そうでなくても「陸奥」を恐れて敵が動かない、そういう存在でいて欲しい。
「あの日本人はどうかね?」
テルアビブのイスラエル海軍司令部でガマル・マツオは司令官に問われる。
「自由度が高過ぎますな。
明確に敵対はしていませんが……」
イスラエル軍というのは、いくつもの民兵の集合が最近国防軍となったものだ。
連合国日本やホノルル幕府と近しいパルマッハ親組織ハガナーの他にも、幾つもの集団がいる。
その内の過激なイルグンという集団が、国防軍がチャーターした輸送船「アルタレナ」を巡って国防軍と戦闘になった。
朝田は戦艦「ダビデ」を出撃させ、主砲を向ける。
砲弾は無いのだが、それを知らないイルグン兵士は投降。
朝田は投降した兵士を「ダビデ」艦内に収容し、厚遇してイルグンに帰した。
「同じ国民なんだから、殺し合う必要はあるまい」
と朝田は言うが、彼は部外者だから内部の派閥争いが見えない。
朝田は日本でも、海軍が軍縮会議を巡って分裂したロンドン条約の頃はシャム王国にいたし、内部対立のドロドロは知らずに過ごして来た。
イルグンはハガナーを「生温い!」と言って離脱した対アラブの強硬派であり、まずは国軍としての地位を確立したいハガナーには目障りな存在であった。
ハガナー主導で押さえ込みたいのだが、朝田は戦艦を使って内部抗争をさっさと鎮めると共に、イルグンという反動組織の延命もさせてしまった。
善意からかえって事態を掻き回す第三勢力、そんな存在になっている。
戦艦「ダビデ」の航海班と機関班は朝田派であり、彼の命令しか聞かない。
彼等を除こうにも、「ダビデ」には戦傷から来る癖が有るようで、海軍の素人パルナッハ海上部門でどうにかなるものでも無い。
「私の責任です。
私が何とかしましょう」
ガマル・マツオは闇い笑みを浮かべてそう言った。
イスラエル海軍司令官顧問兼戦艦「ダビデ」艦長朝田准将の自殺が発表されたのは、それから数日経っての事だった。
■フランス共和国パリ:
元「陸奥」の角矢砲術長は今は此処にいた。
新聞を読んだ途端、彼は
「松尾の野郎、やりやがったな」
と叫んだと言う。
記事には朝田准将の手記が載せられている。
"私はかつてユダヤ人の苦境に同情していた。
だからアメリカ、イギリス、日本が共同画策した東方エルサレム構想に乗った。
しかし日本の軍国主義者の暴走により、東方エルサレム構想は崩壊した。
私はもう画策から逃れる事は出来ず、イギリスと共に日本と戦う道を選んだ。
そして日本が敗れ、ユダヤ人国家が生まれた。
理想を果たすと共に、祖国を破滅に追いやった自分を許せない。
アラブ諸国との戦争に勝ち、イスラエルはもう立派な国となった。
最早思い残す事は無い。
私は死して、祖国への詫びをしたい。"
というものだった。
「朝田さんは日本の軍国主義者なんて言わないよ」
角矢はそう言う。
「残った連中も出て行った俺たちも、主義に違いなんて無え。
日本が世界に冠たる国であるべし、だ。
その為に海軍って軍事力を選んだ俺たちは、すべからく軍国主義者なんだよ。
『陸奥』で世界を流離っていた時だって、俺たちの頭には日本の名誉、日本人の誇りってのが有った。
こんな外から見た、突き放したらような言い方を、あの人はしない!」
角矢は朝田と話した事を覚えている。
朝田は自分たちの為した事が意味のない事だったかもしれないとは言っていたが、日本に悪影響を与えたとは断言していない。
そうではなくて
「俺たちは、俺たちが為した事に意味が有ったのか無かったのか、日本にとって良き事だったのか、悪しき事だったのか、長い目で見ていかねばならんだろう。
俺たちは日本にとって、きっと良い方に動くだろうと信じて戦い続けた。
だが本国では俺たちのせいで負けたとか言っている。
長い目で見て、俺たちの戦いが日本を破滅から救ったと分かったら、胸を張って帰国しよう。
どんなヨボヨボ爺さんになってるか分からんし、耄碌爺いかもしれんが、長年国外に追いやってくれた貸しを、その時にまとめて返して貰おう」
そう言っていた。
角矢はフランスに腰を落ち着け、自由フランス軍だった同志から情報を聞いたりしている。
ソ連に近い者はかつて、日本のサンディエゴ空襲を聞いて
「アメリカを裏口から戦争に入れられた!
同志は上手くやってくれた!」
と言ったという。
イギリスの海軍関係者の話では、サンディエゴ空襲はアメリカを激怒させ、国土を塵と化すまで許さんとなっていたそうだ。
だがそれを和らげたのは、ヨーロッパでアメリカと共に戦う日本人や日系人だったと言う。
損耗率314%の日系人部隊。
アイゼンハワーを暗殺から救った謎の日本人男爵。
ノルマンディー上陸作戦を影から支えた日本戦艦。
恨みは深かったが、ヨーロッパでの
「死んで骨になっても合衆国の為に戦う日系人」
が怒りを和らげた。
彼等の戦いは無駄では無い。
彼等が居なければ、日本は新型爆弾を何発も落とされ、北半分はソ連に奪われていただろう。
「陸奥」はチャーチルの玩具として必死で戦った事で信頼を得て、チャーチル経由でトルーマンがあれ以上の戦争を止めたのだ。
無論8月8日の奔走が無ければ、あれで前の吉田総理(選挙で敗れ、現在は社会党政権から芦田内閣になっている)の説得に応じていなければ無意味ではあったが。
無謀な戦争を、奇跡と言える形で終わらせられたのだ。
朝田が考えるヨボヨボの爺さんになる前に、「陸奥」の装甲板並に厚い面の皮で堂々と帰国出来たかもしれない。
もう一つ、角矢には疑問が有った。
博打に過ぎるサンディエゴ空襲。
時の連合艦隊司令長官山本五十六に、サンディエゴを先に潰さないと危険と言って、思考誘導した者がいると聞いた。
山本五十六は賊軍・越後長岡の出である。
同じく賊軍の会津若松出身の朝田艦長には、松尾という私的諜報員が居たが、今考えると彼が艦長の行動を束縛していたようにも見える。
情報を与え、恩を売り、少しずつ自分が思うように動かしていく。
角矢はそういう存在について、何となく才原副長から聞いていたが、彼等の一部が逆に外国に取り込まれていて、外国の為に動いているなら、海軍のみならず陸軍でも旧賊軍出の軍人が、何処かで致命的判断ミスを犯した理由に説明がつく。
正しい頭でも、入力された情報に問題が有れば失敗するだろう。
実際、松尾は最初から明らかにユダヤ人のエージェントとして動いていた。
海軍の連絡要員、アメリカの情報を伝える者という形を取ってはいたが。
エチオピアに行くとか、フィンランドと共に戦うという朝田艦長の斜め上っぷりに振り回されてはいたが、最終的に奴は「陸奥」をイスラエルに持っていけた。
それを何となく不快に感じたから、あの時袂を分かったが……。
かつて、広島を訪れた乗組員たちと話した事があった。
朝田艦長、才原副長、角矢砲術長も見て来て、衝撃を受けた面々であった。
朝田艦長は言った。
「かつて、戦艦はそこに在るだけで、敵国の動きを封じ込める究極の兵器であった。
だが、もう戦艦の時代は終わり、海戦の主役は航空機や潜水艦になるだろう。
でも、この辺の艦は戦術における力に過ぎない。
戦艦は、それを建造出来る経済力と独自の技術力、搭載する主砲の巨大さが示す鉄鋼生産能力、その存在が影響する海域が一国の流通を変えてしまう等、政治的・戦略的な威圧を出来ていた。
今後、きっとその役割は、広島に落とされた新型爆弾が担うだろう。
今はアメリカの独占物だが、やがて世界各国が持つようになるだろう。
かつての弩級戦艦たちがそうだったように」
才原副長が聞く。
「では、もう戦艦は遺跡としての用途しかありませんかね?」
朝田は首を振る。
「大国相手の政治的な威圧は消滅したが、小国相手にはまだ十分だ。
まだ使える事を示すには、一度見せしめが必要だろう。
新型爆弾で広島をあんな目に遭わせたように」
角矢は思い付く。
「要はどこかで、いまだに戦艦は世界の破壊者たる力を見せつければ良い、てことですな」
朝田は頷く。
そして語った。
「もし、『陸奥』がどこかの世界を広島のように破壊しようとするなら、その時は……」
そんな鬱鬱としている角矢元少佐の元を訪れる者がある。
「アラブ人に俺は知り合いは居ない。
どんな用か想像は付くが、俺も長年乗った艦を裏切るつもりは無い。
いや、始末するなら自分でする。
見ず知らずの他人に売る気は無い。
他を当たって欲しい」
だが、それに対する返事は英語でもフランス語でもアラビア語でもなく、日本語だった。
「ガハハハ、角矢少佐、相変わらずだな。
俺だよ、俺、伊達順之助だよ!
見ず知らずじゃねえよな」
先祖よろしく片目が潰れ、指も何本か失った老人がそこに居た。
「詐欺はやめろ!
伊達順之助は国民党に引き渡され、処刑されたと聞いている」
「吾輩がそんな死に方をするものか!
俺は今、アラブ民兵組織『イスラム国家社会主義人民革命首長団』の一員なのだ!」
「何だよその、第二次世界大戦で敵対した組織の名前をごちゃ混ぜにした名前は!」
「細かい事はどうでも良いんだろ?
大体分かったと言ってくれ。
まずは俺の話を聞くのだ」
巡洋艦「シナイ」(元日本海軍軽巡→重巡→航空巡洋艦「最上」)のその後。
主砲の20センチ砲は全て撤去され、建造時に近い152ミリ三連装砲に換えられます。
1番砲はミサイルランチャーとなりました。
魚雷発射管も短魚雷に換装。
広大な飛行甲板はヘリコプター運用可能なように強化されます。
後部マストとクレーンがあった位置には対艦ミサイルが装備されます。
高角砲の場所にはCIWSが置かれ、完全に近代化されてイスラエル海軍旗艦を勤めます。
しかし艦体の大きさによる長寿は得たものの、最新式レーダーやデータリンクシステムを搭載するには至らず、1990年代後半からは全く役に立たないと判断され、退役となります。
退役までに、「陸奥」とは異なり、多数の砲弾を民間人に浴びせる事になります。
(砲を搭載した旧式艦を長く使った理由。
沖合からの艦砲射撃の制圧能力で、多くのパレスチナ人を恐怖に陥れた。
ミサイルよりも心理的に圧迫出来た。
そんな理由は有ったが、和平合意が成って、やっとお役御免に)
多分今は、記念艦として動態保存されています。
(世界で「動く」旧日本海軍の唯一の軍艦となっています)
ここから作者のつぶやき。
「伊勢」「日向」程でかいのはともかく、「最上」「利根」「筑摩」「大淀」辺りは後甲板を活かしてヘリコプター搭載型にし、主砲や魚雷発射管を適当に整理してミサイル搭載型にすれば、面白いんじゃないかな、と思いました。
……1945年時点で、ヘリコプターがここまで有用な艦載機に進化するとは、思った人少ないんでしょうねど。




