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戦艦放浪記  作者: ほうこうおんち
最終章:戦後編(1945年~)
57/62

戦後の各国

 厚木飛行場にマッカーサー元帥が下り立つ。

 この日から占領下日本(オキュペイドジャパン)が、平和条約締結まで続く。

 様々な国の軍人が「占領軍」として日本に上陸する。

 「陸奥」乗員も、戦勝国である連合国日本の軍人、「占領軍」の一員として帰国を果たす。

 そして想像を遥かに超える憎悪を向けられていた事を知る。


 戦時中の日本は、負けが込む毎に敵を悪しく罵り出した。

 新聞や雑誌が先に立って「鬼畜米英」と言い、「敵兵は日本人の子供の首を切り落とし、その頭で遊んでいる」とか報道し始めた。

 その批判先は戦艦「陸奥」の乗員たちにも向いていた。

 「朝田艦長は所詮は乱臣賊子」「伊達の不肖の子」「利敵行為」「売国奴」等等。

 イギリスメディアが枢軸国陣営の結束を乱そうと、戦艦「陸奥」や伊達順之助の活躍を誇張気味に宣伝する為、日本では逆に彼等を人非人、人面獣心、腐れ外道、悪魔に魂を売り渡した者として報道した。

 その為、帰国した彼等は先祖の墓参りまでは許されたものの

「もう二度と帰って来ないでくれ」

 と親戚一同から叩き出される。

 親戚すらそうであり、無関係の者から投石されたり、面罵される。

 アメリカ人他には強く出られない鬱屈が、戦勝国軍人扱いの同じ日本人に向けられた面もある。


 朝田艦長も会津に帰省した時、

「折角弟宮妃を出して汚名を雪いでいたのに、あんたのせいで台無しだ」

 とあちこちで罵られた。

 とりあえず海軍省(11月30日に廃止される)に顔を出す。

 軍規違反、命令違反、軍艦私物化等で処罰対象なのだが、敗戦国が戦勝国を裁けない。

 とりあえず大日本帝国海軍軍人としては軍籍抹消、経歴削除がされ「そんな人は居なかった」として歴史から消されていた。

 そんな中、好意的に呼び掛けて来た者が居た。


「朝田サンだったね、よぉ頑張ってくれました」

 米内光政である。

 初対面であり、名乗られるまで朝田は誰か分からなかった。

「僕もね、『陸奥』艦長の内定が出ていたのだけどネ、かなわなかったよ。

 んでも、私はアンタみたいな結果は残せなかったと思う」

 岩手訛りでそう言う米内に、朝田は

「自分は日本の為、かつて聞いた世界の理想の為に二十余年を過ごしました。

 しかし、一体何を為したのでしょう。

 日本は結局このような目に遭いましたし」

 そうボヤく。

「アンタはチャーチルと日本を結びつけてくれた。

 よくぞ8月9日に間に合うようにチャーチルの親書を持って来てくれました。

 僕じゃチャーチルやトルーマン相手に縁を結ぶような運の強さは持ち合わせていません」

 主に政治的な話であり、米内は「陸奥」が残した戦果自体には全く興味が無かった。

 占守島を守った戦いですら興味無し。

 ただ世界大戦を終わらせるのに一役買った事をのみ褒めていた。


 その2人の傍を、怒りを込めた視線を投げつけて海軍軍人たちが通り過ぎて行く。


 朝田を更に苦しめたのが、広島の惨状であった。

 「陸奥」は乗組員の一時帰省の為、交通の便が(まだしも)良い東京、晴海埠頭に停泊していたが、彼等の帰還後に整備の為、呉に回された。

 横須賀はアメリカ海軍が使っていて、ドックに空きが無かったからだ。

 呉から広島に行った一同は、茫然自失となる。

 世界で唯一の原子爆弾によって破壊された都市。

 ここでも一同は、正体を知った広島市民から

「あんたらのせいで、儂等はこんな目に遭うたんじゃ」

 と投石され、追い返される。

 「陸奥」帰還後、誰しもが無口になり、彼等は日本を去ろうと決意した。




 日本を去った「陸奥」はイギリスに戻る。

 ジョージ6世から日本人全員に「(サー)」の称号が与えられる。

 朝田は、男爵(バロン)ダテの後任として、スコットランドに名目上の領地を持つ男爵(ただし一代限り)に封じられる。

 「陸奥」と入れ替わりに、北欧で戦った後にイギリスに滞留していた連合国日本の陸軍部隊が帰国の途に着いた。


 連合国日本の兵士は「陸奥」とは異なる扱いを受ける。

 彼等の存在は日系人部隊第442連隊戦闘団やホノルル幕府といったものの影に隠れ、まるで知られていなかった。

 代わりに開戦当時の報道で

「陛下に銃を向けられない」

 と自主的に捕虜となった事のみ知られている。

 連合軍として戦った事も

「フィンランドを支援してソ連軍と戦った」

 であり、ソ連は日本を最後に追い詰めた憎き相手だったので、ソ連と戦うのは枢軸陣営か連合軍側かという根本的な問題はどこかに飛ぶ。

 その為、彼等は好意的に迎えられた。


 そして彼等は「上級国民」となる。

 彼等もまたイギリスで「(サー)」の称号、自由フランスから「騎士(ナイト)」の称号を授けられていた。

 更に欧州で戦ったアメリカ軍からの信頼を得ている。

 具体的にはアイゼンハワー司令官である。

 財産を没収される事も無く、戦勝国民として地位を保証され、むしろ海外では貴族扱いの彼等は、華族制度が廃止された日本において隠然たる権力を持ち始める。

 エチオピア戦争から戦い続けた義勇兵たちも、もう200人を切った。

 その中の60人程は、特権を活かして海外と日本を行き来し、日本復興の為に働く。

 40人程は日本に居ついて政財界人となり、日本復興に協力もしつつ、米英仏との個人的な繋がりを活かし、莫大な富を得て「影の王」と呼ばれるようになる。

 30人程は日本を見限って欧州に戻り、各地で優雅な年金暮らしをして生涯を送る。

 50人程は「何をやっても日本は逮捕出来ない」特権に溺れ、腐敗していき、英雄転じて邪悪と化してしまった。

「上級国民様は何をやっても下級国民には裁けない」

 等と言われ、やがては漫画や時代劇等で悪役として、闇の仕置きに裁かれるモデルにされる。


 この上級国民の一部に悩まされながら、終戦に尽力した吉田茂はアメリカに任される形で政権を担い、上級国民の良質な方の一部の縁をも活用して講和条約締結に漕ぎ付ける。

 上級国民等と揶揄されながらも、政府が彼等を必要としたのは、アメリカとの縁だけが理由ではない。

 戦後、ソ連からの思想浸透が目に見えて激しくなった。

 大学ではマルクス経済学が主流となり、学生たちは暴力革命を唱え、組合は大規模なストライキを打ったりして産業を麻痺させる。

 それに対抗していたのが、邪悪な方の上級国民で、彼等はラップランドでの戦争の事もあり、激しい反共産主義者であり、反ソ連であった。

 連合国軍総司令部の民生局のやり過ぎもあり、警察は戦前と真逆で殺されても学生運動に手出し出来なくなっていた。

 そんな学生運動を「特権」を使った暴力でねじ伏せる為、邪悪もまた使い道のある存在であった。

 この「上級国民」と革命的マルクス主義に蝕まれた社会の改善は、次世代に託される。




 「陸奥」を影に日向に支援して来たユダヤ人たちは、ついに自国建国に動き出す。

 今更ではあるが、それでも戦艦「陸奥」は重要な「存在するだけで敵を掣肘する」存在として欲しい。

 それについて、今は影で動いているようだ。


 他には日本から帰還後、外出も自由行動も可能ながら、形式的な服役状態に戻ったオットー・スコルツェニーを誘う。

 彼がナチスに居ながら、ユダヤ人虐殺に手を染めていない事は調査されて分かった。

 後に「モサド」と呼ばれる組織への協力員となるよう求められる。

 それに応じ、スコルツェニーは戦争犯罪人から外される。

 スコルツェニーもかつての仲間、ユダヤ人虐殺を行った者や武器開発関係者の名簿を渡したりしたようだ。


 そして欧州に留まっていた霍慶南。

 国共内戦でまた戦場となった中国に、彼と共に渡欧した八極拳士たちは帰郷する。

 ヨーロッパでボクシング、イタリアのマフィアのナイフ術、ドイツ武装親衛隊の暗殺術、エチオピア兵の身体能力等に接した彼等の中から、八極拳をベースに新たな拳法を作る者も現れた。

 彼等は蒋介石と共に台湾に渡る。

 そこで戦艦乗艦経験を買われ、艦内警務員となる。

 戦艦「泰山艦」で磨かれた拳法、最初は泰山八極拳と呼んでいたが、時代が下ると一芸を磨いた泰山◯◯拳といった感じで多数の泰山流拳法が広まる事になる。

 そんな中、霍慶南は己の八極拳で倒せなかった者が居る事から、欧州各地の武術に対し道場破りのような事をして歩いていた。

 戦場となりボロボロの欧州で、迷惑な話である。

 モサドとなる組織はそんな彼に接近し、彼等の武術教官となる事を依頼した。

 最初は渋っていた霍慶南だったが、スコルツェニーも勧誘されている事を知って承諾する。

 三度出会った2人は、今度は戦う事なく、お互いの弱点を消し、より隙の無い暗殺戦闘技を開発する事になる。




 国を作ろうとする者たちがいる一方、国を壊された者たちもいる。

 ドイツは東西に分割された。

 イタリアは南北に分割された。


 ドイツの分断は東からソ連、西から米英仏が攻めた結果の分断である。

 東は共産主義、西は資本主義が導入され、やがて経済思想のショールームとしてお互いより優れていると主張し合うようになる。

 イタリアの分断はホノルル幕府の調略によるものだった。

 シシリアン、コルス、ンドランゲタ、バンディット等各地の非合法組織に協力を頼み、見返りに資金・武器・利権・権勢を与え、彼等のみの共存共栄を図る組織、まさに鎌倉幕府のような「暴力組織を束ねて国家の権威に対抗する機関」を作ってしまった為、イタリア南部はイタリアでありながら、イタリア政府の統治の届かない地域と化してしまった。

 逆にドイツ傀儡の影武者ムソリーニが作ったイタリア社会共和国の領域だった地域は、治安が安定し、法と秩序が行き届いている。

「ムソリーニの失敗はヒトラーと組んだ事だけだ。

 あのままちゃんと支配を続けていれば、イタリアはもっと治安の良い国だった」

 と多くのイタリア人に惜しまれるようになる。


 分断というか、モザイク模様にされたのはギリシャもであった。

 ここで戦ったホノルル幕府は、共産系反政府組織、非共産系反政府組織、中立地域それぞれを調略し、やはり彼等の利害を調整した上で、政府を圧迫する古い武家政権のようなものを作って、平和になったら放置した為、結束した反政府組織が政府を無視して各地で自治を行うようになる。

 冷戦も重なり、反政府組織にはソ連が、政府にはアメリカが後ろ盾となる。

 やがてアテネ民主政府とスパルタ反政府連合とテッサロニキ中立地帯の3分抗争が始まる。

 その後、宗教でどうにかまとまり「教皇」と呼ばれる存在が「聖域(サンクチュアリ)」で神聖政治という形で利権調整を行う政治に落ち着く。


 エチオピア帝国にはハイレ・セラシェ1世が復活した。

 1956年11月には訪日し、かつて戦争において自身を助けた日本人義勇兵について礼を述べた。

 上級国民たちは胸を張り、帝や政府関係者は困ったように笑っていたという。

 その一方で、かつて伊達順之助の進言を退けたように、政治的には頑迷で、国は発展せず、やがてクーデターが頻発した挙句に廃位させられる運命を辿る。


 そしてアフリカとアジアの狭間、シナイ半島の北部、死海の沿岸付近。

 ここにローマ皇帝に追われて以来二千年ぶりにユダヤ人の国が復活しようとしていた。

 「イスラエル」の建国である。

 この国は建国前から多くの問題を抱え、建国の日が周辺国との開戦の日になる予測がされていた。

 その為、無節操なくらいに戦後すぐから兵器をかき集めていた。


 いよいよユダヤ人たちが長年目を付け、沈められないように金をかけた「陸奥」が最後の地に行かんとしていた。

正直、ホノルル幕府の方がヨーロッパに爪痕残してます……。

というのも、彼等がやったのは軍事以外に政治ですので。

以前ラハイナにいたヤクザ連中と似た事をイタリアとかギリシャとか東欧でやったので、

この辺の裏社会を活性化させて、正規の政府と表では従い、裏では地下経済で反攻という状態にしました。

「陸奥」の軍事力行使より、政治的な調略の方が根が深くなるって事でした。


——————————


三連休で終わるSF短編書いたので、良ければこちらもお願いします。

https://ncode.syosetu.com/n1624fz/

18時に3話、22時に4話アップします。

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― 新着の感想 ―
[一言] ホノルル幕府の方が東欧での爪痕がひどいというのが考えさせられる。 あと、日本での陸奥乗組員への風当たりの悪さ。読者視点で見ると彼らは近視眼的で愚劣極まりなく見えてしまうけど、世界大戦という…
[良い点] なんか、もの悲しさが良いですね。 決して戦争では幸せになれない、という。 たとえ、一時的に勝とうが、民衆の大きな願いの前には流されて行く、という。 そして、特権におぼれて腐敗していく者達…
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