帰ってきた戦艦「陸奥」
大日本帝国の誇り「連合艦隊」、それはフィリピンの海で擂り潰され、今や組織的な反攻は出来なくなっていた。
しかし、そうなる程の激闘の結果、アメリカ陸海軍は多くの物資を喪失。
再度船を造り、物資を乗せ、フィリピンに輸送するまでに1ヶ月の時間を必要とした。
その1ヶ月の間に、アメリカ軍に比べれば細々としたものではあるが、日本軍も補給に成功。
結果、アメリカ1ヶ月の遅れは日本3ヶ月の防戦となって現れる。
その結果、圧倒的な物量を持つアメリカは「まだ足りない」とばかりに、イギリスにアジア方面への増援を求める事になる。
旧式とは言え、戦艦を5隻喪失した第7艦隊を補佐すべく、
戦艦「陸奥」「ジャンバール」「リシュリュー」「カイオ・ドゥイリオ」「アンドレア・ドーリア 」
潜水艦「スルクフ」
という特別独立戦隊がアジアに派遣される事になる。
「なんで『カイオ・ドゥイリオ』なのですか?
どうせイタリア海軍も動かすのなら『ヴィットリオ・ヴェネト』級じゃないのですか?」
戦隊司令官の朝田は、チャーチル首相と、カニンガム第一海軍卿に尋ねる。
ラムゼー連合国海軍総司令官が事故死した為、この2人に尋ねる事になった。
「『ヴィットリオ・ヴェネト』級は航続距離が大幅に不足していてねえ」
広大なインド洋、太平洋方面で戦うには、まだ旧式艦の方がマシだというのだ。
この辺は海洋国家イギリスの考えである。
「それにな、ソ連がイタリアからの戦利艦として『カイオ・ドゥイリオ』と『アンドレア・ドーリア』を主張していてな。
あの髭に渡すくらいなら、こっちで使ってやろうって寸法だ」
チャーチルが小馬鹿にしたような笑いをする。
ヒトラーとスターリンをおちょくるのが楽しいようだ。
咳払いをすると、チャーチルは朝田に真剣な話をする。
「日本をさっさと降伏させろ。
今ならまだマシだ。
テヘラン会談で、ソ連は対日参戦をする。
そうなったら、日本は北半分を奪われかねんぞ」
「そうですよねえ。
しかし、先日のフィリピン海戦の結果、勢いづいているから難しいでしょう」
「他人事のように言うな。
日本を危機に落としているのは貴官だぞ」
「自分が?」
「クロンシュタットをどうしたか、忘れたのか?」
「……恨まれてるのですか?」
「相当根に持っているぞ。
あの髭に、君たちは他にも何か悪戯してないか?」
(順之助さんが何かやったかもしれない……)
「心当たりが有るんだな??
一刻も早く、戦争を終わらせ給え」
「はっ」
「と言っても外交的働きかけが必要だ。
そこでアメリカ軍に合流する前に、特別独立戦隊はタイを訪れるが良い」
「タイ……、ああ、シャム王国ですね」
「ほぼ話はついている。
タイは降伏し、連合国陣営に鞍替えする。
今、日本軍はヴィシー政府のインドシナ植民地を回収しようと出撃中のようだ。
その隙をついて、タイを根こそぎ奪うのだ。
その上で、タイの国王から日本の皇帝に和睦の使者を送って貰おう」
「そこまで手筈が整っているなら、否やは有りません。
準備を整え、直ちに出動いたします」
これが朝田とチャーチル首相が言葉を交わす最後となる。
チャーチルはこの次の選挙で敗れ、下野する事になる。
「陸奥」の貴賓室には貴人が乗り込んでいる。
タイ国王ラーマ8世である。
スイスのローザンヌ大学に留学中であったが、タイを枢軸国から連合国に鞍替えさせる事と、日本に対し降伏を促す事と、両方の使命を帯びて一時帰国の途に着いたのだった。
ラーマ8世は、1935年ラーマ7世の退位後にタイの国会の決定で即位したが、すぐにローザンヌに戻ってしまい、国に居た事が無い。
第二次世界大戦中も、引き続きスイスに留まった。
だが、難しい依頼を受け、タイに戻らざるを得なくなったのだ。
「この艦にはラーマ7世陛下も座乗されたのですよ」
才原艦長代理が話しかけるも、王は緊張した面持ちのままだった。
タイ情勢は混沌としている。
国王不在を良い事に日本に接近したピブーン首相だったが、日本軍のタイ進駐、中立を認めず強引に戦線布告を米英にさせる、では「日独伊三国同盟を日独伊泰四国同盟とせよ」という主張は笑い飛ばす等と、日本がタイを対等に扱っていない事を悟る。
1944年8月、ピブーン首相辞任。
人民党のクアン・アパイウォンが首相就任。
アパイウォンは引き続き日本と同盟を維持しつつ、連合国寄りの自由タイと密かに手を組む。
日本もそれを察知し、辻政信参謀らがタイ王宮に居座り、軍を居座らせていた。
この頃にはヨーロッパで、シャルル・ド・ゴールの自由フランスがパリを奪還し、ヴィシー政府は崩壊。
フランスは親独派を追放した。
これが各植民地に波及。
インドシナ植民地も自由フランス側となった為、日本は1945年2月に「明作戦」を発動。
この軍事的空白を連合国は狙った。
自由フランスの勝利に伴い、イギリス、フランスはタイへの調略を開始。
最高責任者のアパイウォンと、国王のラーマ8世が連合国に降っている為、ある程度楽であった。
2月26日、かつて日本でクーデターが起きたのと同じ日、タイ海軍が反乱を起こした。
戦艦「扶桑」、海防戦艦「トンブリ」「スリ・アユタヤ」が主要施設沖に展開し、主砲を向ける。
さらに戦艦「陸奥」「カイオ・ドゥイリエ」「アンドレア・ドーレア」がバンコク湾に突入。
ビルマ国境のタイ軍はイギリス軍に降伏、逆にイギリス軍を招き入れる。
慌てる日本軍将校の前に、貴人が入って来る。
アパイウォンが跪いて告げる。
「お帰りをお待ちしておりました、ラーマ8世陛下」
廷臣たちが事情を知り、一斉に頭を下げる。
「陛下だと?
スイスで苦労知らずに生きていた国王が何だと言うのだ!
あの者たちを取り押さえろ!」
辻政信は即座に事情を察知し、命令を出す。
しかし、日本兵による王宮制圧は失敗する。
国王を護衛していた八極拳士たちが電光石火の踏み込みで、日本兵を打ちのめす。
……だけではなかった。
他の日本兵に向かって、役割だけの国王警護役だったムエタイ戦士、主の居ない宮廷に出仕だけしていた古式の戦士たちが、国王の前で仕事をした。
王宮は一気に制圧され、ラーマ8世は跪く廷臣たちの前で政権を掌握した。
ラーマ8世は世界に向けて、日本との同盟破棄、米英への戦線布告無効を発表する。
ルーズベルト大統領は、タイとアメリカの直接対戦も無かった事から、これを了承する。
チャーチル首相はタイ取り込みの首謀者であり、これを了承と共に、タイが占領したマラヤ植民地の一部の返還をさせ、待機していたインド兵を送り込んでビルマ国境を封鎖した。
動きはタイだけでは無い。
日本が占領していたサイゴンに、戦艦「リシュリュー」「ジャン・バール」が突入して輸送船を撃沈。
自由フランス軍がアメリカ製戦車と共に上陸する。
北のハイフォンには潜水艦「スルクフ」に搭乗していたコマンド部隊が上陸、この地に潜伏していた中華民国の連絡員と接触する。
そしてあっという間に中華民国〜自由フランス〜タイ王国〜イギリス・インド帝国という包囲網が形成された。
「こうなった後の日本軍は恐ろしい。
朝田提督、よろしく頼む」
イギリスもフランスも、追い詰められた日本人または日系人が、どれだけ厄介な存在になるか、敵としても味方もしてもよく知っていた。
朝田ら旧賊軍の地出身者に味方する隠密は、陸軍の通信周波数を調べていた。
その周波数帯で朝田が呼び掛ける。
『元大日本帝国海軍大佐朝田です。
裏切者の私に耳を貸したく無いだろうが、一個報告が有る。
ソ連が参戦する。
諸君は此処に居るべきではない。
帰国するなりして、北に備えるべきである。
連合国軍は日本軍との休戦を要求する。
応じるなら、武器物資を持ったままの帰国を認めると言っている。
私は伝言役に過ぎない。
司令官級が交渉に応じ、自ら判断して欲しい』
タイ駐留の部隊はこれに応じた。
元々敵地に居た部隊でなく、味方として駐留していただけに、事態の急変に混乱していた。
本気で「大東亜共栄圏」を信じていた者も多く、敵になってもタイとは戦えないというのだ。
彼等は約束通り、イギリス輸送船で武器携帯のままシンガポールに運ばれた。
その際、ラーマ8世から日本の帝への親書が託された。
インドシナへ出撃中の部隊は反発した。
怒りの余り、タイへの逆劇も考えた。
しかし、サイゴンを落とされ、プノンペンまで自由フランス軍が侵攻した為、挟み撃ちを恐れて、カンボジア方面で防衛線を張る。
しかし、第三勢力であるホーチミン率いるベトミンが、まずは日本をとゲリラ戦を仕掛ける。
やがて脱走したり、捕虜となった日本兵の中にベトミン参加者が出るようになる。
ビルマ方面軍は無視をした。
元々インパール作戦の失敗でボロボロになっていた部隊である。
現在もイギリス軍と戦闘中で、それどころでは無いというのが正直なところであろうか。
タイ・ビルマ国境近くの軍は、「扶桑」がタイ国王に味方し、「陸奥」まで来ている事を確認して降伏した。
一部ではあったが、「死ぬまで戦う日本兵」を防ぐ事が出来た。
一部といってもタイ駐留軍は師団単位。
ラーマ8世からの親書は上級将校から日本に送られる事になる。
「おのれ、あの男、許さんぞ」
怨念を漏らすのは辻政信であった。
彼は、いつの間にか王宮を脱出し、最寄りの駐屯地に駆け込み、反攻をしようとした。
しかし、ソ連参戦や休戦の話を聞いたこの基地の兵士は、辻の話を聞こうとしない。
辻はここからも姿を消し、さらにタイからも脱出し、何処かへ潜む事になる。
だが、恐ろしいまでの手際の良さで彼を追い詰めたラーマ8世に対し
「いつか吾輩が、正義の鉄槌を下さん」
と逆恨みをし、復讐を誓っていた。
辻政信の怨念が形になったのか、珍事が起こる。
連合国軍の船団が浮かぶチャオプラヤ川河口。
そこで紅蓮の炎が上がる。
戦艦「扶桑」が電信を送る。
「戦艦『陸奥』火災、後甲板デ出火」
留守居の才原艦長代理が指揮を執り、大事になる前に鎮火に成功。
水上機用の燃料が気化爆発したものだった。
そして「陸奥」を見た何人かのタイ人が揃っておかしな事を言い出した。
「あの火災の跡に、悪い精霊が座ってる」
思えば、エチオピア戦争からの帰途にイタリア軍の航空攻撃で舵機損傷したのも、南アフリカ沖で伊号潜水艦から魚雷を受けたのも、ノルウェー沖でフリッツXの直撃を受けたのも、全て後甲板、第三砲塔と第四砲塔にかけての左舷寄りであった。
「そりゃドイツ第三帝国にソビエト連邦と、魑魅魍魎とばかり戦って来たんだから、憑くもんも憑くだろ。
一々気にしてたらキリが無いぞ」
と、運の強さは「ノーチェンジでロイヤルストレートフラッシュなど、滅多にあるものじゃないぞ!」とチャーチルを唖然とさせる程強い朝田は気にしてないようだった。
(艦長の化け物じみた運の強さが抑え込んでるからこの程度で済んでるだけで、もし艦長が居なかったら……)
才原は非科学的な感情に囚われていたのであった。




