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戦艦放浪記  作者: ほうこうおんち
番外編2:大日本帝国編~フィリピン海の死闘~(1944年10月)
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捷一号作戦発動

太平洋の戦況です。

グライフ作戦が始まるよりちょっと前になります。


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1943年から1944年の初頭にかけて、太平洋戦線では日米の攻撃の「溜め」の時間なのか、戦闘は控えめとなっていた。

この間、陸軍は2つの作戦を計画する。

1つは、「一号作戦」こと大陸打通作戦である。

中国を北から南までに突破し、基地を破壊する作戦である。

もう一つは「インパール作戦」、中華民国蒋介石政権を助ける援蒋ルートを潰すべく、イギリス・インド帝国と英領ビルマの境の要衝インパールを攻撃するものだった。


明けて1944年、日本は補給に関する脆弱性を現す。

2月、トラック環礁がアメリカ機動部隊に空襲される。

艦隊は先に撤退していたが、残された多くの商船が破壊された。

太平洋の輸送路は崩壊しようとしている。


3月、インパール作戦発動。

「ジンギスカン作戦」という、水牛を調達し、それに補給物資を載せて移動し、最後には水牛も食すれば無駄が無いという補給計画だったが、水牛は水辺から離れて体が乾くと死ぬ事を知らなかったようだ。

初期で水牛を全て失い、物資は人力輸送となる。


4月、一号作戦発動。

こちらは攻めた各地から物資を調達しながら前進を続けていた。


6月、マリアナ沖海戦。

それに先立つ3月、飛行艇の事故で古賀峯一連合艦隊司令長官と、福留参謀長が遭難する。

そして入手された計画書が分析され、日本の大戦略が知られ、それに伴う行動が全て読まれるようになる。

マリアナ沖海戦でも、決戦に来る日本艦隊の行動が読まれ、また決戦用に基地航空隊も充実している事を知られていた。

アメリカ艦隊を指揮したレイモンド・スプルーアンス大将は、まず基地航空隊を壊滅させ、小沢機動部隊の攻撃も迎撃し、島の攻略に専念した。


7月、インパール作戦失敗。

白骨街道と呼ばれる事になる、死の撤退を行う。

同じく7月、マリアナの日本軍が玉砕。


散々に消耗された日本軍だが、まだ戦力は残されている。

 日本海軍は追い込まれていた。

 温存していた空母機動部隊を投入した今年6月のマリアナ沖海戦。

 本来ならあれが艦隊決戦として、戦争を終わらせる筈であった。

 日本海海戦、サンディエゴ沖海戦以来の「Z旗」も掲揚された。

 しかし、結果は惨敗だった。

 期待していた大型空母は、敵潜水艦に仕留められた。

 必勝と思っていた「アウトレンジ攻撃」は、手前でレーダーによる有利な位置への誘導と、「グラマン鉄鋼所」産の頑丈な戦闘機と、CICが管制する新型信管を使った有効な対空射撃の前に、成果を上げられずに終わった。


 「絶対国防圏」と位置づけしたマリアナ諸島の失陥で、東條内閣は総辞職した。

 今やサイパン島に作られた飛行場から、大型爆撃機が本土を空襲するようになった。

 そしてアメリカは、山下将軍が占領するフィリピンを狙っている。


 1941年12月25日、アメリカの言う「汚辱のクリスマス・イブ」(米時間ではまだ24日だった)に、日本軍はフィリピンのマニラ湾をも空襲した。

 ここは大艦隊を置ける港湾施設こそ無いが、太平洋において日本に刃を向けるに絶好の位置であり、アメリカ太平洋艦隊に属する巡洋艦や潜水艦部隊を置いていた。

 そしてマニラ湾を守るべく航空戦力を置いたクラーク基地、イバ基地がある。

 ここには「空の要塞」B-17重爆撃機も配備されていて、放置すると台湾が危険に晒される。

 そこで海軍の台南航空隊等が、開戦劈頭、空襲をかけて壊滅させた。

 この地を守っていたマッカーサー将軍は、日本軍の猛攻の前に

「I shall return(私は戻って来る)」

 と言い残し、オーストラリアまで長駆撤退した。

 このマッカーサーの、祖父以来のフィリピンにかけた執念が、今回の海戦を呼ぼうとしている。




■大日本帝国東京 慶應義塾大学横浜日吉校舎内 連合艦隊司令部:

 アメリカの大艦隊の迎撃作戦は決まった。

 囮作戦を行う。

 基本構想として、空母機動部隊を囮に使い、敵機動部隊を北方に釣り上げて、その隙に敵の上陸部隊に戦艦部隊を突撃させようというものであった。


 シーレーン防衛戦力を犠牲にして主力艦を造らせた為、空母は多数残っている。

 しかし、いくら艦艇的には戦力温存となったとは言え、南方での航空消耗戦で、空母で戦える搭乗員は大きく減り、また6月のマリアナ沖海戦で航空機自体も多数失っていた。

 この空母艦隊である第三艦隊の編制は

司令官: 小沢中将

・大型空母:瑞鶴

・中型空母:雲竜、天城

・軽空母:瑞鳳、千歳、千代田

・軽巡洋艦:多摩、五十鈴、大淀

・駆逐艦:12隻

 である。

 しかし、就役直後の「雲竜」「天城」にはまともな航空隊は乗っていない。

 最後の切り札たる空母「信濃」は完成したが、まだ内部の工事中で出撃出来ない。

 この「信濃」に搭載予定だった新型戦闘機「紫電改」が、唯一の大型空母「瑞鶴」に搭載される。

 零式戦闘機に比べ重量があり、機数も少ない「紫電改」を運用する為、「瑞鶴」の搭載機数は減る。

 零式戦闘機は軽空母3隻が搭載し、艦隊直掩を行う。

 攻撃機は「瑞鶴」「雲竜」「天城」に搭載するが、3隻合わせて100機前後であった。


 一方、戦艦部隊だが、米軍が攻撃をして来たレイテ島に向かう際に二分して南北から同時に攻撃をかける事となった。

 

【北のシブヤン海からサン・ベルナルディノ海峡を抜ける部隊】

第二艦隊本隊:司令官 栗田中将

・戦艦:武蔵、金剛、榛名、上総(旧プリンス・オブ・ウェールズ)、吉野(旧レパルス)

・巡洋艦:12隻

・駆逐艦:15隻


【南のスリガオ海峡を抜ける部隊】

第二艦隊別動隊:司令官 西村少将

・戦艦:大和、長門、伊勢、日向、山城

・重巡洋艦:最上

・駆逐艦:4隻


【スリガオ海峡の第二部隊】

第五艦隊:司令官 志摩中将

・重巡洋艦:那智、足柄

・軽巡洋艦:阿武隈、酒匂

・駆逐艦:11隻


 長距離を移動する北方の第二艦隊本隊は高速艦主体である。

 一方移動距離の短いスリガオ海峡方面の戦艦は、比較的足が遅い。

 護衛艦が少ない為、北方警備の第五艦隊を回航して合流させる。


 第二艦隊は夜戦用の巡洋艦部隊で、本来は第一艦隊(戦艦部隊)解体時に「世界最強の第三戦隊」こと「金剛」級4隻の部隊を置きたかったところだが、「霧島」と「比叡」は1942年の第三次ソロモン海戦において、アメリカ戦艦「ワシントン」「サウスダコタ」「アリゾナ」「オクラホマ」と2対4の不利な戦闘の末に撃沈されている。

 そこで、拿捕と修理以降シンガポール警備に使っていた「上総」こと旧「プリンス・オブ・ウェールズ」と、「吉野」こと旧「レパルス」が28ノット以上を出せる事から、「金剛」「榛名」と戦隊を組む事になった。

 「大和」級2隻は、戦隊を組ませるべきであったかもしれないが、「旗艦としてこれ程適任の艦は無い」という事で、無理やり分けて配備した。

 どちらか一方が潰されても、もう一方の「大和」級がレイテ湾で猛威を振るうだろうという判断もあった。


 だが、ここで混乱が生じる。

 日露戦争以来の伝統ある夜戦部隊、巡洋艦部隊の第二艦隊旗艦を「武蔵」にする事について、司令官栗田中将他が

「そんな臆病な事は出来ん!

 第二艦隊司令官は巡洋艦を旗艦とし、率先して敵に突入するものである」

 として、重巡洋艦「愛宕」を旗艦とし続けた。

「通信設備が圧倒的に戦艦の方が整っている」

 という説得にも応じず、そのまま作戦は始まってしまう。


 他方、小沢中将、西村少将は今回の作戦は連携が重要という事を承知し、それぞれ「大淀」と「大和」を旗艦としていた。

 志摩中将は戦艦や旗艦としての装備が充実した艦を割り当てられていない為、そのまま「那智」を旗艦としている。

 連合艦隊司令長官豊田大将は、栗田艦隊司令部の頑なさに

「彼等は情報が大事である事に気付いているのか?」

 と不満を覚えていた。


 この「捷一号」作戦は、相当にシビアな時程(スケジュール)で動いている。

 まず、先に小沢艦隊が敵艦隊に発見される必要がある。

 その時でも、可能な限り敵に打撃を与える為、先に小沢艦隊が敵を発見し、先手を打って艦載機を発進させて空襲する。

 その後は、あえて発見させ、新型戦闘機「紫電改」と防空艦「秋月」級をもって、耐えるだけ耐える。


 この小沢艦隊の囮が成功した事を以て、戦艦部隊は南北の海峡を突破する。

 速度の差、距離の差を考え、両部隊は大体同時刻、日付が変わる頃に海峡突破の必要がある。

 そして朝日を背にレイテ島に突入し、陸揚げ中の敵を襲撃する。


 日本本土から大回りしてフィリピン海域にやって来る志摩艦隊と西村艦隊は、海峡突破前に合流し、艦隊と一丸となる。


 このように、時間をピッタリ合わせての連携、余裕の無い作戦である為、お互いがどのようになっているか、明確に知る必要がある。

 それ故に旗艦選定は、面子や伝統に優先して機能で決めるべきなのだが……。




■フィリピン レイテ島沖合:

 アメリカ第3艦隊司令官ウィリアム・ハルゼー大将は、敵艦隊の撃滅を己の仕事と考えている。

 この艦隊はハルゼー大将が指揮を執る時は第3艦隊、レイモンド・スプルーアンス大将が指揮を執る時は第5艦隊と名称が変わる。

 この2つの頭と2つの呼び名が、日本海軍を大いに混乱させていた。


 半年前のマリアナ沖海戦時、この艦隊は第5艦隊であった。

 日本の第一機動艦隊(第二艦隊と第三艦隊の合同部隊)と戦ったのだが、スプルーアンス大将はグアムやサイパンに上陸する陸軍の支援を重視し、日本艦隊との戦いは片手間でやっただけである。

 戦略上それで正しく、片手間なあしらいだけで、日本艦隊は航空戦力を壊滅され、大型空母2隻を潜水艦に沈められ、中型空母を空襲で失った。

 撤退する日本艦隊を、スプルーアンス大将は追撃しなかった。

 上陸部隊の支援が終わっていない以上、追撃等余事でしかない。


 そしてスプルーアンスは、戦略が分かる者からは賞賛され、戦術しか見ない者からは「消極的に過ぎる」と批判される。

 人数は後者の方が遥かに多い。


 そういう艦隊を交代で引き継いだハルゼーは、何が何でも日本艦隊を迎え撃ち、再起不能なまでに叩きのめしてやろうと意気込んでいた。


 この艦隊の参謀長に、ロバート・カーニー少将がいる。

 彼は「卑劣作戦室」という看板を掲げ、

「さあ、どうやって日本軍(ジャップ)を嵌めてやろうか」

 と部下たちを煽動していた。


 彼が行った作戦は、囮作戦であった。

 台湾沖航空戦という、日本軍航空隊による一大空襲があった。

 この空襲は練度不足で、ほとんどアメリカ艦隊に被害を与えていないにも関わらず、「大戦果」という結果を日本本土に報告していた。

 カーニーはこれを利用する。

 この空襲で傷ついた艦は数隻はあるが、それを前に立て、護衛艦を周囲に配して「如何にも打撃を受けて撤退中」という芝居をさせた。

 果たして日本艦隊は食いついたのだが、途中で日本軍偵察機が後方に控える無傷の大艦隊を発見し、慌てて日本海軍志摩艦隊は後退していった。


「卑怯な連中は卑劣な作戦で潰してやれ」

 という考えであったようだが、彼はそれ故に罠に落ちる事になる。

 より大規模な囮作戦を日本軍が行うのだが、それを見破るまでは良いが、一体どれが真の囮なのかを「卑劣作戦」に当てはめて深読みしてしまう事になる。


 この他に、アメリカには「マッカーサーの艦隊」と呼ばれる第7艦隊が居た。

 この艦隊は、サンディエゴ空襲で沈められた戦艦を修理し、近代改装した部隊と、護衛空母・護衛駆逐艦から成っていて、陸軍の上陸支援を行う。

 司令官はトーマス・キンケイド中将。

 ちょっと気質的に「ヤバいかも」と言われるハルゼーに比べ、無難な海軍軍人である。

 もっとも、彼も内心では陸軍のマッカーサーの用心棒として使われる状況を愉快とは思っていない。

 もしも強敵が居るなら、彼自身で叩きのめしたいと思っていた。


 時間に余裕がなく、「成功したら」という前提の上に組み立てられた日本の作戦と違い、アメリカの作戦は逆にざっくりしていた。

「第3艦隊は敵を迎撃せよ、第7艦隊は上陸部隊を支援せよ」

 だけである。

 敵艦隊との海戦のイニシアティブはハルゼーが握る。

 キンケイドは必要が無い限りは陸軍の傍から離れない。


 そしてこの戦いで、ハルゼーの通信に対する雑さをアメリカは知る事になる。

今日と明日でフィリピン海戦について全部アップします。

5話一気出しします。

作戦時系列で出してみます。

次は戦艦武蔵への攻撃がひと段落した16時にアップします。

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