グライフ作戦 ~再戦! スコルツェニー対霍慶南~
1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦成功後、8月25日にはパリ解放と順調に進むように見えた連合国軍のヨーロッパ反攻だが、9月に入って失敗する。
9月17日から25日にかけて行われた「マーケット・ガーデン」作戦、遠過ぎた橋への空挺作戦で、孤立した部隊は敗退した。
一方の東部戦線では、6月22日から8月19日にかけて、ソ連による「バグラチオン」作戦が行われた。
この作戦でポーランド東部まで戦線を押し返したソ連だったが、ここで息切れがして、現在東部戦争は小休止状態になっている。
1944年10月は、大きな作戦は行われていなかった。
だがドイツ軍は、ここで西部の連合国軍への反攻を計画する。
その第一歩として「グライフ」作戦が実行された。
1944年10月15日、枢軸国陣営のハンガリー王国は、ドイツ不利と見て連合国と休戦協定に入る。
摂政ホルティ・ミクローシュと首相カーロイ・ミクローシュが秘密裡に連合国と接触していた。
これに対しオットー・スコルツェニーSS少佐は、摂政ホルティ提督の次男ミクローシュを誘拐した。
「ミッキーマウス」作戦である。
次男を誘拐し、ホルティ提督に講和への翻意を迫ったが、摂政は応じなかった。
そこでスコルツェニーは、ハンガリー国内の親ナチス派「矢十字党」を応援し、クーデターを起こす事に成功。
摂政を退位させ、矢十字党の政権を樹立した。
これが「パンツァーファウスト」作戦である。
これら一連のスコルツェニーの活躍は、ナチスがムソリーニ救出も成功したと宣伝した事とも相まって、スコルツェニーを「ヨーロッパで最も危険な男」という座に押し上げていた。
(伊達順之助が「自分が殺った」と言っても、実際に北部にナチス傀儡政権と、ムソリーニ(影武者)が居る以上、信用されなかった)
「パンツァーファウスト」作戦を終了し、本国に戻ったスコルツェニーはSS中佐に昇進する。
そのスコルツェニーに与えられた任務は、アメリカ軍やイギリス軍の軍服を着て敵軍内に潜入し、混乱を引き起こす作戦である。
こうして連合国軍が混乱を起こすのと同時に、ドイツ最後の機甲部隊が反撃をかけ、連合国軍を叩き潰すというものだ。
スコルツェニーが担当する混乱を起こす作戦を「グライフ」、機甲軍による攻撃を「ラインの守り」とそれぞれ命名された。
スコルツェニーらの真の狙いは、フランス北東部からベルギーを流れてオランダで北海へ注ぐミューズ川に掛かる橋(アメ橋、ウイ橋、アンダンヌ橋の内の2つ)を破壊する事であった。
と同時に、一個噂を流す。
コマンド部隊が司令官たちを暗殺すべく潜入した、というものだ。
この噂は過剰に連合国軍を駆け巡る。
アメリカ第1軍司令官オマール・ブラッドレー大将は、歩哨から誰何をされる。
そして
「イリノイ州の州都はどこか?」
と質問され
「スプリングフィールドだ」
と答える。
この答えで合っているにも関わらず、質問をした歩兵の方が馬鹿で
「イリノイの州都はシカゴだ! 怪しいぞ、こいつを捕らえろ!」
と一時拘留・軟禁されてしまった。
こんな作戦を、伊達順之助が中途半端に見抜いた。
「俺なら、こんな戦況だと各司令官たちの暗殺を謀る。
大規模に、一斉に。
そして混乱を狙って軍を進める」
彼は連合国日本の総理という立場を使って、麾下の八極拳士たちを戦場で自由行動させる事を承認させた。
つまり「暗殺者を先に暗殺する」カウンター部隊としての投入である。
一方でアイゼンハワーの周囲にも護衛として、見えない場所に貼り付ける。
アイゼンハワーとその幕僚たちを拉致する、という噂が飛んでいたからだ。
この任務は何もしないで終わった。
スコルツェニーが流した陽動用の噂であり、一定時間アイゼンハワーが身を隠して指揮系統が混乱すればそれで良かったのである。
だがアイゼンハワーは、自らを気遣って護衛を出した日本人に対し、感謝の気持ちを持つようになる。
スコルツェニーの本命の橋爆破。
武装親衛隊コマンド部隊を追っていた拳士たちが、本命に辿り着く。
不意を襲い、発破部隊の無力化に成功した。
だが……
「またしても君たちに邪魔をされた。
私がどんなに不快か、分かるかね?」
不意に姿を現したスコルツェニーに、拳士たちは驚き、散開する。
八極拳士たちは、スコルツェニーが個人としても恐るべき猛者である事を、グラン・サッソ襲撃の時に知っていた。
暗殺者は二の手を持たねばならない。
八極拳士たちは正当な八極拳で攻撃すると見せかけ、暗器を使いスコルツェニーの意表を衝こうとした。
だがその点はスコルツェニーの方が上である。
手甲に仕込んでいた刃を使い、優雅に敵の頸を撫でるような動きで、頸動脈を掻き切っていく。
「赤い雨が降ってきたようだな」
と嘯くスコルツェニーの後ろには2人の拳士が倒れていた。
危険と見て逃げようとする3人目に対し、スコルツェニーは隠し拳銃で発砲する。
彼は二の手どころか、数え切れない程の裏の手を持っているのだった。
翌日、同胞の死を確認した霍慶南は、宿敵が近くに潜んでいるのを悟る。
他の同胞は、悉くドイツのコマンド部隊を撃破していた。
残念な事に、八極拳を使うのではなく、普通に銃やナイフを使っての戦闘で、である。
元々溥儀の親衛隊となるべく訓練された為、武器は一通り扱えるのだ。
彼等に八極拳と軍事訓練を施した師父・霍殿閣は、満州を自国のように扱う日本軍と対立し、溥儀の親衛隊が起こした諍いを理由に解任され、二年前に死んだと聞く。
彼は師父の「八極拳が最強である事を示して来い」という言葉を守っていた。
そしてかつて聞いた本当の父の話。
『お前は、我が師李書文がある時連れて来た赤子で、儂と血の繋がりは無い。
だが、師の血筋に思えるし、そうであれば義侠の繋がりはより濃いものだ』
回想しているが、気を緩めてはいない。
既に何者かの気配を感じていた。
「気づいているんだろ?」
「だから襲って来なかったのか?」
「そういう事だ。
誰が待ち構えている危険地帯に飛び込むものか」
スコルツェニーと霍慶南は、顔も合わせずに会話をする。
「作戦は失敗したようだ。
だが、ここで退く訳にはいかんね」
「いや、君らの作戦は成功したようだ。
司令官たちは軟禁されたり、前線への出入りを禁止されたり、散々な目に遭っている。
だから退いても良い状況と思うが……」
「柄にもない事を言うな。
お前も戦いたいんだろ?」
「ああ、師父に課せられた課題をまだ終えてない気分だったからな」
「じゃあ、戦ろうか」
「ああ、闘ろう」
会話が終わると、どこからともなくナイフが飛んで来る。
霍慶南はそれを手刀で払いのけるが、直後、普通の人なら回避したであろう場所に銃弾が弾ける。
霍慶南はスコルツェニーの知らない技を使い、一足に見える速さでスコルツェニーに接近する。
だが、急いで横に飛んで身をかわす。
スコルツェニーの袖からパイプのようなものが出ていて、スコルツェニー自身はガスマスクを顔に当てていた。
横に跳んだ霍慶南は、ガスマスクの死角から再度距離を詰め、スコルツェニーも毒ガスを使うには危険な距離になった為、素手で応戦する。
例の隠し刃「赤い雨」を出すと、霍慶南の頸動脈を狙って貫き手を放つ。
霍慶南が拳打をしていたら、見事に決まっていたかもしれない。
だが霍慶南は肘技を出して来た為、体の角度が異なり、刃は空を切る。
(見られたか)
もう「赤い雨」は降らない。
これを牽制に使いながら、別な奥の手を出そうとする。
霍慶南はそれを許さず、一気呵成に攻め立てる。
(近距離での戦いに自信があるようだな。
だが、もっと近かったらどうだ?)
スコルツェニーはあえて隙を作り、再度威力の高い肘技を誘う。
「それは一回見たぜ」
踏み込みを体を捻って避けたスコルツェニーは、そのまま霍慶南に体当たりし、左手で霍慶南の足を取って転がす。
タックルに成功すると、レスリングに移行。
ただし、フォールをして終わりの競技レスリングではなく、古代ローマで剣闘士が使っていたような、首を折る、腕を折る、叩きつけるというタイプのレスリングであった。
中国拳法に寝技は無い。
あれから中国拳法について調べたスコルツェニーもそれを知っている。
これで勝ったと思い、刃の出た右手をジリジリと霍慶南に近づける。
その刹那、霍慶南の体が回転し、スコルツェニーの右手を取って腕ひしぎに移行した。
(これは、無傷では脱出出来ん!)
スコルツェニーは靭帯が切れるのを承知で、強引に脱出した。
(こりゃ、負けたな)
そう思いながらも、脱出の間際、霍慶南を軍靴で蹴飛ばし、距離を取った。
「何だよ、今の技は?
八極拳にそんなの有ったかい?」
霍慶南は苦々しく答える。
「張宗援(伊達順之助)に教えて貰った、日本の関口流柔術だ。
八極拳では無い……」
彼もまた、奥の手を隠し持っていたのだった。
スコルツェニーを強敵と知った霍慶南は、弱点を潰す。
隠し鞭や仕込み槍、仕込み刀という長打対策と共に、中国拳法では「そうなったら負け」として考えていない寝技について、武技において弟子の国に頭を下げて聞いたのだった。
そこで教えて貰ったのが、伊達順之助が覚えた関口流柔術と、朝田がかつて習った会津御留流の御式内であった。
故に、霍慶南はまだ奥の手の全てを見せていない。
座取り、逆関節という御式内の手をまだ出していない。
しかしスコルツェニーは、正体は分からぬまでも、霍慶南にはまだ寝技の先の奥の手がある事を察知した。
(決着はあいつの勝ちで良い。
だが、まだこんな場所で死ぬわけにはいかんな)
スコルツェニーは、再びガスマスクをすると、毒ガスを放出した。
それ程危険なガスではなく、さらに距離が有る為、霍慶南に被害も出ない。
だが、霍慶南は近づく事が出来ない。
その間にスコルツェニーは、潔い程見事に逃げ出した。
「あばよ! 勝負はお前の勝ちで良いが、死ぬのは御免だ。
今、お前に殺されて、麺料理にでもされたらたまったもんじゃないからな!」
捨て台詞を残し、スコルツェニーの気配は消えた。
(いや、八極拳だけで勝てなかった。
我の勝利とも言えない。
師父、実父、他流の技を使った事を許して下さい)
霍慶南はしばしその場で天を仰いでいた。
霍慶南がスコルツェニーを退けた件は、連合国軍司令部に直ちに広まった。
アイゼンハワーも、モントゴメリーも、ブラッドレーも、最早窮屈な思いをする必要は無くなった。
直後に起きた「ラインの守り」作戦、またの名を「アルデンヌ大攻勢」、さらに別の名で「バルジの戦い」の際、司令部が混乱していたなら大変な事になっていた。
意表を衝かれ、苦戦をしてはいるが、暗殺部隊が一掃された事で司令官たちは安心して指揮を執っている。
そしてこの戦いが済んだ後、戦艦「陸奥」の朝田代将はチャーチルやアイゼンハワーからそれぞれ連絡と命令を受ける。
「最早ヨーロッパに貴艦が活躍する戦場無し。
太平洋に移動し、祖国と対戦されよ」
後日談:
ある連合国日本の兵士が、バルジの戦いについて話を聞いていた。
「それで、そのバストーニュを守る将軍は何と答えたんだ?」
「バカメ、Nuts!と言った」
「おおー、カッコイイな!
近所のガキへの土産話にするわ!」
そして帰国したその兵士からその話を聞いた子が成長する。
現実世界ではない、とある世界の西暦2199年
「敵艦隊より降伏せよと言って来ています。
返答は如何いたしましょう?」
「バカメ」
「は?」
「バカメ、と言ってやれ」
「は、はい。
こちら地球艦隊、回答する『バカメ!』」
バストーニュの一局面でのやり取りは、こうして星間戦争で蘇った。




