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戦艦放浪記  作者: ほうこうおんち
第8章:イギリス海軍編その2(1943年~1944年)
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欧州の日本人、日系人

 チャーチルは笑いが止まらなかった。

(アレがやって来た時は扱いに困ったものだが、ここまでボヘミアの伍長を怒らせられるとは、良い拾い物だったわ)


 「陸奥」に空軍戦力を割り当てている間に、虎の子の戦艦「ティルピッツ」をフランス艦隊に沈められ、ヒトラーは荒れ狂い、デーニッツ海軍司令官も八つ当たりにより怪我をしたという。


 と同時にチャーチルは政治家であり、冷徹な思考もする。

 彼の頭には、戦後の日本の処遇があった。

 テヘラン会談で、チャーチルはルーズベルトとスターリンによる世界分割の気配を感じた。

 まあルーズベルトは良かろう。

 だが、イギリスの世界戦略からソ連/ロシアが強大になり過ぎるのは困る。

 かつてロシアの南下政策を防ぐ意味で、東洋の番犬として日本と同盟を結んだ。

 今回、東洋の番犬が東洋の狂犬と成ってしまった為、これと戦っている。

 ソ連とは対ドイツで手を組んでいるだけで、東洋の事は別件だ。

 だがルーズベルトは、早期にソ連をアジアに引き入れようとしている。

 そのソ連のスターリンは、戦艦「陸奥」の事をきっかけに、日本人に対し相当の憎しみを持っていた。

 ルーズベルトだが、彼は同じルーズベルトの家名を持つ、「やがて大統領になったであろう」叔父を日本人に殺されている。

 恨みは持っていないと言うが、その割にハワイには圧力をかけるし、日本人に対し冷め切った視線を向けている。

 ルーズベルトでは、イギリスの東洋戦略で手を結ぶ相手として怖い。

 彼は日本を農業国に解体し、その空白にソ連を呼び寄せるつもりではないだろうか?

 そして中国は共産化し、周辺国にも共産主義が広がっていく。

 共産主義好きなルーズベルトとその一派にとって、好ましいことであり、忌避すべきものではない。

 だが、こうなると折角奪い返す香港、シンガポール、マレー、ビルマという植民地に悪影響が出過ぎる。

 もっと酷くなるとインド帝国にも共産革命の火が点いてしまう。

 日本は程々にして残すのが得策だ、チャーチルはそう考えた。

 その為には、彼の手駒を持つ必要がある。

 「陸奥」艦長の朝田らは、軍人であって政治家ではなく、影響力も限られる。

 伊達順之助は劇物過ぎて、影響を及ぼすどころの騒ぎではない。


切札(ジョーカー)として彼等はよくやった。

 その礼という事で、朝田が接触している日本の和平主義者どもと会ってみようか)


 チャーチルは情報部からの報告で、エジプトやアイスランドに、日本からの非公式和平交渉団が来ている事を既に知っている。

 背後にユダヤ資本がある事も。


(会って、駒としての力量を持っているなら使ってやろう。

 駒としてすら使えん場合は、もう知らん)

 チャーチルは、戦闘で激しく損傷し、修理の為にポーツマスに戻った「陸奥」と「ジャン・バール」関係者に会うべくスケジュールを調整した。




 1944年10月、欧州には大日本帝国と一線を画す日本人、日系人たちが多数いた。

 これらの内、最も勇名を轟かせているのが、アメリカ軍に属する第442連隊戦闘団であろう。

 日本によるハワイ侵攻計画に激怒したハワイ王国日系人と、アメリカ本土で収容所に入れられ、兵士として戦うなら権利を回復すると言われたアメリカ本土の日系人からなる部隊。

 彼等はイタリア戦線を戦い抜いた。

 1944年1月から2月にかけて、ドイツ軍の防衛線「グスタフ・ライン」を突破。

 5月には、ローマ南方の防衛線「カエサル・ライン」を突破。

 モンテ・カッシーノの戦いで大きな犠牲を出す。

 その後兵力を補充すると、政治的な意図からローマに入らずにイタリアを北上。

 ベルベデーレ、ピサという地での戦いに投入される。


 1944年9月にはフランスへ移動。

 10月にはアルザス地方の山岳地帯へ進軍。

 10月15日以降、ブリュイエールの街を攻略作戦。


 第34師団141連隊第1大隊、通称「テキサス大隊」がドイツ軍に包囲され、何度かの救出作戦も失敗する。

 救出困難な「失われた大隊」を救出しろ、と10月25日にはルーズベルト大統領から直接第442連隊に命令が下った。

 現在はその作戦行動中である。


 有名といえば、ハワイ王国から来たホノルル幕府の軍勢も凄まじい。

 彼等は酒井玄蕃を司令官に、クレタ島で戦い続け、ついにドイツ軍を島から駆逐した。

 その後ギリシャ本国に進軍。

 東部戦線の戦況悪化から、徐々に後退をしているドイツ軍相手に、「南の島のロンメル元帥」と呼ばれる機動戦を展開し、大きな戦果を挙げた。


 更に酒井玄蕃は「不死鳥(フェニックス)ゲンバ」なる異名も得ている。

 ある戦闘で、酒井玄蕃の司令部付近が空襲され、一時的に指揮が取れなくなった。

 前線にいた酒井玄蕃了次の弟、了瞬(のりつな)の部隊が包囲される。

 防御に秀でた了瞬の中隊であったが、戦車まで投入されたドイツ軍の猛攻の前に全滅必至かと思われた。

 了瞬が思わず

「兄さん!」

 と叫んだ直後、燃え盛る火を目晦ましに酒井了次の直卒部隊が現れ、戦車2両を破壊、1両奪取して弟を救出した。

 死んだと思われたのに、炎の中から弟を救うべく現れた「不死鳥(フェニックス)」の二つ名は、「見た者は必ず死ぬ」破軍星旗と共に、ホノルル幕府の勇名の象徴となっていった。


 第3はアイスランドに駐留している連合国日本の部隊である。

 満州から脱走した「陸奥」と共にエチオピアで戦った義勇軍を母体とし、ブラジル日系人や、アメリカ軍の捕虜となり、アメリカ本国移送された後、降伏してアメリカ兵として戦う事を誓った旧日本兵も参入するようになった。

 「氷国温泉郷(ひのくにおんせんきょう)」と名付けたレイキャビク近くの温泉地を拠点としていたが、今はまた数奇な戦いに投入されている。




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 連合国日本の投入された戦線はフィンランド領ラップランドである。

 これには少々説明がいるだろう。

 1941年、フィンランドのリュティ大統領は冬戦争で失った領土を回復すべく、ドイツと共にソ連に宣戦布告をした。

 継続戦争である。

 この戦争期間中、フィンランドは非常に多くのドイツからの支援を得ていた。

 それが1944年6月9日から8月4日にかけて、ソ連軍の逆襲、ヴィボルグ・ペトロザヴォーツク攻勢を受ける。

 この攻勢によりフィンランドは、ヴィープリ、ソルタヴァラの線は守り切るものの、大半の回復地を再奪取された。

 冬戦争終了時点の線に戻ったのである。

 これを契機に、リュティ大統領はソ連と単独講和をする。

 ソ連軍がフィンランド軍の3倍以上の被害を出していたのもあり、ソ連はこれに応じた。

 リュティ大統領は東部戦線の戦況から、ドイツは勝てないとも判断した。

 こうして1944年9月19日、モスクワ休戦協定が調印される。


 だがドイツがこれに納得する訳がない。

 フィンランドの不義理を詰る。

 だがリュティ大統領は、

「ドイツと手を結んだのも、支援を引き出したのも、全てリスト・ヘイッキ・リュティという個人である。

 どこにフィンランド大統領という署名がありますかな?

 責任は全て、リュティ個人にある」

 と言って、大統領を辞任した。

 後任はこれまでフィンランド軍を指揮して戦って来たマンネルヘイム元帥である。


「その、伊達順之助とか言う男から教えて貰った策、通じると思ってるのか?」

「通じる通じないじゃないよ、現に彼等は責任の負わせどころを見失ったではないか」

「伊達順之助の先祖は商人に対し、圧倒的に強い軍事力を持っていたから、彼等は泣き寝入りしたのだ。

 ドイツ軍は違うぞ!」

 マンネルヘイム大統領の指摘通り、ドイツ軍はフィンランドの海運船を拿捕し始め、Uボートがフィンランドの民用艦を数隻撃沈する。

 フィンランド政府は全てのドイツ軍にフィンランドから撤退するよう要求を出す。

 だがドイツ軍はこれを拒む。

 マンネルヘイム大統領はヒトラーに

「例えこの戦争で勝てなくとも、ドイツという国は今後も存続するでしょう。

 しかし、たった400万人のフィンランドでは敗戦で国自体が亡くなってしまうことは十分有り得ます。

 私は貴方がフィンランドに与えてくれた武器をドイツ人への攻撃に転換する事は出来ません。

 貴方が私の態度を非としたとしても、全てのフィンランド人と同じように、ドイツ軍が何事もなく引き揚げてくれる事を期待しています」

 といった内容の手紙を送った。


 ヒトラーもフィンランド国土の荒廃を望まず、兵を退くよう命じる。

 しかし、フィンランドとドイツだけの問題ではなく、ここにはソ連が大きく関わる。

 フィンランドはドイツ軍に対し、攻撃前には必ず警告を発するから、上手く戦争ごっこしてから逃げるように、という密約をかわしていたが、進駐して来たソ連軍はそれを許さず、フィンランド軍はいきなり発砲した。

 約束破りに激怒したドイツ軍21万4千人は、フィンランドに対し戦争状態に入る。

 「ラップランド戦争」である。


 この戦争に対し、楔を打つべく派遣されたのが「チャーチルの切札(ジョーカー)」連合国日本軍であった。

 この軍は、ドイツと敵対し、フィンランドと親しく、ソ連とは敵対するという事態をややこしくする軍であったが、ソ連のこれ以上のフィンランド深入りを「イギリスの威光」を使って食い止め、かつドイツ軍と戦って日本の立場を少しでも良くしようとしていた。


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 そして欧州にいる日本人で、一番切実なのは和平交渉団である。

 この外交団は、全く国を代表していない。

 日本のほとんどは、まだ戦争を終わらせるつもりが無い。

 吉田茂という元外交官を中心に、いくらかの政治家や官僚の繋がった無力な組織である。


(無力な組織に力を与えられるかどうかは、私の舌先三寸だ)

 チャーチルは朝田代将(現在は戦時中将)の勇戦を讃える式典で、彼等に会ってみた。

 意外な事に、彼等のコネクションの一部は、日本の帝の弟宮の岳父に繋がっている。

(これはもしかしたら、上手く使えるかもしれぬ)

 チャーチルは奇縁を大事にする事に決め、停戦や和睦でなく、降伏を前提としながらも、その際には便宜を図ると約束した。

 さらにこの組織の存在を、アメリカ大統領のルーズベルトではなく、親しい副大統領のトルーマンに知らせ、交渉団は非公式にワシントン入りしてトルーマンとも交渉を行う。

 トルーマンも「降伏以外の戦争を終わらせ方を認めない」としつつも、その条件については緩和すると約束した。

 トルーマンも、ルーズベルトとは違って「将来共産主義者どもは、日独以上の凶悪な国に力を貸す」事を疑問視している。

 日本の存在は必要となるかもしれない。

 ……首に鎖をつける必要はあるだろうが。


 宴も盛り上がって来た中、宴会男が入って来る。

 伊達順之助である。

 彼はチャーチルに会うなり挨拶も省略で

「アイゼンハワーの居場所はどこだ?」

 とねじ込む。


 何か情報を掴んだのか?という朝田の言に

「俺ならそろそろ暗殺に出る。

 勘がそう告げている。

 返り討ちにすべく、八極拳士を送るから、アイゼンハワーの居場所を教えろ」

 と言って来た。

 1944年10月23日の夜の事であった。

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