北極海へ ~北岬海戦~
テヘラン会談を終えたチャーチルは、何故か一度アレキサンドリアに寄り、戦艦「陸奥」に座乗してイギリスに引き返す事にした。
護衛艦に「ジャン・バール」、更にイギリス地中海艦隊が全力で警戒という、「陸奥」が進水して以降一番の待遇を受けていた。
「『陸奥』の貴賓室の調度は素晴らしいな。
どこの仕事かね?」
「貴国の職人です」
「知っとるよ」
チャーチルは紅茶、朝田は緑茶を手に漫才のようなやり取りをしている。
「この茶葉は良いなあ。
軍艦に置いておくには勿体ない。
代将の見立ても素晴らしいではないか」
「貴国の士官が置いていったものです」
「知っとるよ」
(付き合ってられんわ)
才原艦長代理が部屋を出ていく。
それを横目に、チャーチルは朝田にサラっと重大事を告げる。
「スターリンの髭野郎が相当にこの艦を嫌っておる」
「知ってます」
「フフフ、いい返しだ。
それともう一つ、ボヘミアの伍長もこの艦を嫌っておる」
「え? 知りませんでした」
「なに? 知らなかったのか?」
「はい、ボヘミアの伍長って方とは知り合いじゃないので」
「……アドルフ・ヒトラーの事だが?」
「知ってます」
「…………やられたな」
チャーチルはしかめっ面をした後、一転して爆笑する。
「それでな、モスクワの髭とベルリンのちょび髭を、同時に馬鹿にしてやろうと思ってな。
協力してくれないか?」
「それは構いませんが、戦争は個人の意趣返しの為にするものでは無いでしょう」
「固い事を言うな。
戦争自体が国対国の意趣返しだろうが。
まして、こんな自由に使える遊撃兵力があるのに、使わん手は無い」
チャーチルは強引に朝田に説明する。
「12月20日にムルマンスクに向けて、『JW55B』という船団がスコットランドのロッホ・ユー泊地を出発する。
護衛戦力は戦艦『デューク・オブ・ヨーク』、軽巡洋艦『ジャマイカ』、そして駆逐艦4隻からなるフレーザー大将の本国艦隊フォース2と、バーネット中将率いる重巡洋艦『ノーフォーク』、軽巡洋艦『ベルファスト』『シェフィールド』のフォース1だ」
「12月22日にイギリスに戻る『RA55A』という船団がムルマンスクを出る。
こちらの護衛戦力は駆逐艦20隻、コルベット7隻の弱小な部隊だ」
「ソ連の海軍力は貧弱ですなあ。
戦艦4隻を持っていたとか聞いてますが」
「……その内2隻を沈めたのはどこの誰なんだか。
まあ君と『ジャン・バール』には、その貧弱貧弱貧弱ぅなソ連を護衛して貰いたい」
「なるほど、バルト海艦隊を全滅させた『陸奥』がソ連を守るとなると、スターリンの癪に触る事でしょうな。
で、もう一人の方の戦力はどうなります?」
「実はそちらは深刻だ」
1943年9月6日、ドイツ戦艦「ティルピッツ」「シャルンホルスト」と駆逐艦9隻、そして陸軍第345擲弾兵連隊を基幹とした戦闘団がノルウェー・スピッツベルゲン島にある連合軍の基地を攻撃し、砲台、物資集積所や各種施設の破壊に成功した。
それに対する反撃で、9月22日英海軍は特殊潜航艇X艇を投入、「ティルピッツ」の艦底を爆破して航行不能に追いやった。
現在北ノルウェーにいるドイツ艦隊で、怖いのは「シャルンホルスト」だけである。
が、ここに来て不穏な噂が入って来た。
「ティルピッツ」の修理が完了し、出撃可能になったというのだ。
「そこで『陸奥』及び『ジャン・バール』は『デューク・オブ・ヨーク』と協力して『ティルピッツ』『シャルンホルスト』を撃破して欲しい。
数も砲力もドイツを上回るべく手を打つ。
どうかね?」
「分かりました。
閣下を本国に下ろした後は、作戦準備に入ります」
ドイツ海軍は混乱している。
11月に入り、それまで艦隊を指揮していたオスカー・クメッツ大将が病気を理由に去った。
後任のエーリヒ・バイ少将の元に、今度は所属駆逐艦9隻のうち4隻を南に移動させるよう命令を受ける。
その他にも、冬の北極海の日の短さから、イギリス軍の夜襲を警戒し、航空隊もUボート部隊も引き抜かれている。
そんな状況下での12月19日、カール・デーニッツ海軍司令官はヒトラーに
「成功の見込みがあれば、『シャルンホルスト』を中心とした艦隊で船団攻撃を行いたく存じます」
と奏上していた。
つまり、海軍司令官自身が『シャルンホルスト』の周囲には艦隊と呼べる部隊が無いという、自軍の戦力配置を知らなかったのである。
そのまま「シャルンホルスト」と駆逐艦5隻は出動する。
「シャルンホルスト」は連合国軍艦隊による逆探知を警戒し、レーダーを使用していなかった。
だが「シャルンホルスト」自体は既にイギリス艦隊にレーダーで捕捉されていた。
「ジャン・バール」艦長エミール・ジョルジュ・マリー・バルテス大佐から
「攻撃を許可されたし」
という発光信号が絶えず来る。
朝田は
(我が艦隊の仕事は、戦艦「ティルピッツ」が健在の場合の対処なのに……)
とバルテス大佐の性急さを不快に感じる。
「才原艦長代理、もし『陸奥』1艦で『ティルピッツ』と戦うとなったら、勝てるかね?」
「勝てますな。
……と、自信満々で言う程は自信がありませんが、この荒天では実戦経験の多い我が艦の方が有利になりましょう。
元々『陸奥』は荒れる日本海でも行動出来るよう設計された艦です。
イギリスも北海の荒れる海を想定していますが、ドイツはあの穏やかなバルト海でしょう」
念のために角矢砲術長、森航海長にも質問する。
「問題無い。
1対1で俺たちが負ける筈が無い」
強気の角矢砲術長に対し、森航海長は
「確かに負けないと思いますが、相手の方が足が速く、取り逃がす可能性があります。
フォース1に連絡して万が一の時に備えましょう」
と安全策を述べる。
朝田は考えた上で、「ジャン・バール」の単独行動を認めた。
「アサダ代将に感謝する。
諸君、これまで我慢してドイツ野郎に仕えて来たが、やっと本国を亡ぼされた恨みを晴らせる。
野郎ども! あのクソッタレ野郎どもの尻の穴に手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わせたろや!」
日本語に訳せばそうなるであろう、凄まじいスラングを吐き捨てると、「シャルンホルスト」の居るであろう海域に向けて移動をし始めた。
12月26日9時26分、最初に火蓋を切ったのはフォース1の巡洋艦部隊であった。
数発の命中弾が「シャルンホルスト」のレーダーを破壊したが、「シャルンホルスト」は脱出に成功した。
12時10分、今度はフォース2が「シャルンホルスト」に奇襲をかける。
「シャルンホルスト」は主砲1とレーダーを破壊されるも、再度脱出に成功する。
14時23分、バイ少将は船団護衛に戦艦が居る為、勝ち得ないと判断、駆逐艦隊にも帰港を命じる。
16時50分、レーダーを破壊されて索敵能力の低下した「シャルンホルスト」に、戦艦「デューク・オブ・ヨーク」が砲撃を浴びせる。
フォース1も駆けつけ、「シャルンホルスト」の逃走路の1つを塞ぐ。
そこで「シャルンホルスト」は港のある北ではなく、東に向かって逃走。
1時間半の追撃戦は、「シャルンホルスト」が逃げ切った。
「シャルンホルスト」は副砲2基を破壊され、「デューク・オブ・ヨーク」もレーダーマストを破壊された。
18時20分、逃げ切れるかと思った「シャルンホルスト」を悪夢が襲う。
新たな戦艦「ジャン・バール」が全速力で突っ込んで来たのである。
「おどれ! 我! 死にさらせ! ボケ! クソタコがぁっ!」
アルジェリア訛りで吠えるバルテス大佐。
こういう時、前方にのみ配置されれいる38センチ四連装砲は威力を発揮する。
同一砲塔からの射撃は集弾率が良く、早くも挟夾する。
そして38センチ砲弾が、恨みでも籠っているかのように、吹雪・荒天の中で命中しまくる。
「シャルンホルスト」のバイ少将、フリッツ・ヒンツェ艦長は、苦し紛れに南に転舵する。
そこに追いついて来た「デューク・オブ・ヨーク」の14インチ砲弾が、第一機関室付近に命中。
「デューク・オブ・ヨーク」「ジャン・バール」は合流するかのように、後方から追いかけて来る。
それでも「シャルンホルスト」は諦めず、修理を行いながら、更に舵を東に戻して、出せる全速力22ノットで逃走を図る。
だが、その先は「ティルピッツ」出現を警戒していた「陸奥」がいる海域であった。
「随分と被害を受けている。
可哀そうだが、こちらもやるしかない。
角矢砲術長、砲撃用意!」
吹雪の先に、魔王が待ち構えている事を知らなかった「シャルンホルスト」は、41センチ砲弾の巨大な水柱を見て、ついに心が折れた。
「シャルンホルスト」は「陸奥」「ジャン・バール」「デューク・オブ・ヨーク」の3隻に囲まれる。
ヒンツェ艦長はそれでも操艦に専念し、生き残った砲で反撃して来る。
バイ少将は敵情を詳しく本国に向けて報告していた。
通信を受けたドイツ軍だが、天候不順の為、空からの援護も出来ない。
「シャルンホルスト」はついに沈み始めた。
バイ少将もヒンツェ艦長もまだ生きていた。
「艦長、駆逐艦は無事に帰りつけただろうか?」
「敵の目は我々に集中していたでしょう。
きっと全艦逃げ切ってますよ」
「そうか、ならば良し」
イギリス駆逐艦「スコーピオン」は、
「『シャルンホルスト』の艦長と司令官が重傷を負って浮いているのを発見した」
のだが、冬の荒天と北海の低水温の為、救助する間もなく沈んでいくのを見守っただけだった。
「シャルンホルスト」乗員は1968名のうち36名が救助されたのみである。
チャーチルから挑発して来いと言われていた角矢砲術長は、
「『シャルンホルスト』は沈んだ。
『ティルピッツ』はどこだ?
我々は『ティルピッツ』を沈める為に出向いたのだ!
出て来い!
我々は通りすがりの戦艦だ、覚えておけ!」
これを聞いたヒトラーは激怒し、周囲は投げつけられる文房具で荒れ果てていたという。
一方イギリス艦隊の指揮を執ったブルース・フレーザーは
「紳士諸君、『シャルンホルスト』との戦いは我々の勝利に終わった。
私は君たちの誰かが、戦力が3倍以上上の相手と戦うことを要求された時、艦を『シャルンホルスト』と同じぐらい立派に指揮することを望む」
と敵艦の最後まで諦めない姿勢を評価し、部下たちに訓示していた。
やがて『JW55B船団』はムルマンスクに入港する。
護衛の3艦隊もムルマンスクに入港し、補給を受ける。
その中に、憎き「陸奥」の姿を確認し、モスクワに連絡が飛ぶ。
果たしてスターリンも、聞くに堪えないスラングを捲し立てて怒り狂ったが、グルジア語だった為、周囲はロシア語で怒鳴られるよりは意味不明な分マシだったという。
かくして、船団護衛の成功と、2人の独裁者をおちょくるという、チャーチルの目的は全て果たされた。




