ムソリーニ逃亡を阻止せよ ~スコルツェニー対霍慶南~
バドリオ政権は連合国軍に降伏し、鞍替えしようとしている。
しかしドイツはそれを許さない。
バドリオもドイツの恐ろしさを知っている為、態度を曖昧にする。
ドイツ・イタリア・日本には「降伏以外交渉に応じない」というのが連合国軍の姿勢である。
停戦、イタリアを非戦闘地域として脱落なら許せる。
しかし連合国軍は降伏したイタリアに対独参戦と、領内の使用を求めるであろう。
そうなるとドイツは領土の南部にもう一つ戦線を作らねばならなくなる。
それを防ぐべく、彼等は作戦を立てていた。
イタリアは連合国軍の本土上陸を前に揺れている。
確かにムソリーニは失脚した。
しかし、今でも影響力はある。
そこで、ムソリーニを幽閉先から救い出し、ドイツ軍が後援して傀儡政権を作らせ、イタリア軍を持ってイタリア軍に、イタリアの地で戦わせれば良い。
こうしてムソリーニ救出作戦「柏計画」が、ムソリーニ逮捕の翌日から考えられはじめていた。
ムソリーニは標高2,000メートル以上の稜線上の狭い場所に建つグラン・サッソのホテルに、国家憲兵に監視されながら幽閉されていた。
イタリアに侵入した後、下から登っていくのは時間がかかり過ぎる。
速やかにここから救出するには、空軍の働きが重要になる。
ヒトラーは空挺作戦を得意とするクルト・シュトゥデント大将に作戦立案及び決行を指示する。
また、実行部隊の責任者には武装親衛隊のオットー・スコルツェニー少佐が選ばれた。
1943年9月12日13:00、ドイツ軍のコマンド部隊は、Hs126軽爆撃機に曳航された12機のDFS230グライダーに分乗して出撃、カンポ・インペラトーレの上空で曳航機から切り離され、8機が着陸に成功した。
ホテルは目の前である。
ホテルを守備していた国家憲兵は、ドイツ軍のコマンド部隊に短時間でホテルを完全に包囲された為、抵抗せずに沈黙してしまった。
後はムソリーニを救出するのみである。
しかし、ホテル内部に思わぬ敵がいた。
ズシンという足音にしては重い音と、ドイツ軍の短機関銃の発射音がほぼ同時に聞こえ、やがて止む。
鼻や口から血を流し、内臓に深刻な一撃を食らったドイツ降下猟兵が倒れていた。
スコルツェニーは、自分たちが把握していない敵が潜んでいると理解し、神経を研ぎ澄ませる。
やがて気配も無く接近し、強烈な踏み込むと共に肘打ちを食らわそうとする東洋人。
「日本人か? それとも中国人か? それともフランス植民地のベトナム人か?」
スコルツェニーは無駄口を叩きながら、肘打ちを紙一重でかわすと、ナイフを頸動脈のところで滑らせ、鮮血を降らせた。
後ろから近づいて来た者には、先手を打って、ワイヤーを巻いて固めた鉄拳を撃ち込み、倒れたところをそのワイヤで首を絞め、絞め殺すというより、首の骨を折って殺す。
オットー・スコルツェニーは個人としての戦闘力も高い。
学生時代はフェンシングの選手として知られ、また15回の個人的な決闘に勝っている。
「強いな。
初めて強敵に会えた」
気配なく現れた男だったが、言葉をかけると共に強烈な殺気を浴びせて来る。
「日本人か? それとも中国人か? ベトナム人か?」
「それで言うなら中国人だ。
我が名は霍慶南、滄州の孟村の生まれだ。
貴殿は?」
聞かれたスコルツェニーは、わざとらしくも恭しく、手を胸に当てて答える。
「自己紹介痛み入る。
我が名はオットー・スコルツェニー、武装親衛隊の少佐をしている。
ところで、今回の任務は君たちと戦う事ではない。
そこにいる太っちょを散歩に連れ出すだけだ。
どいてくれないかね?」
「我の任務は、その者に近づく存在を排除する事。
出来ない事を最初から聞かない方が良い」
「そうだな。
やはりここは実力で押し通ろうか」
「望むところである。
皆は手を出すな。
勝てる相手ではない。
他の侵入者を阻止せよ!」
ホテル内の暗闇にあった気配が消える。
「1対1の決闘かい?
懐かしいなぁ」
「比武とは違うが、まあ良い。
行っても良いか?」
「いつでも」
恐るべき男と、「凶拳李」と呼ばれた男の孫弟子は、肉弾をぶつけ合う。
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グラン・サッソ襲撃作戦の数日前、9月8日のイタリア王国停戦協定締結の報を聞いた伊達順之助は、即座に陰謀を察知した。
「ムソリーニを救出し、御家騒動を起こさせる。
勝つ必要は無い、そこから攻められなくなれば何でも良い。
俺の先祖政宗公は、大崎葛西の一揆や、和賀の一揆のように、騒乱を起こしたい地の元の領主や武士を利用したのだ」
そう思うと彼は、指揮をしているクレタ島の戦場などどうでも良くなった。
強引に「イタリアへ行く」と言うと、潜水艦「スルクフ」の艦長に「アイゼンハワー司令官の命令だ」と強引に言って、そのまま「陸奥」艦内でひたすら功夫を磨いているだけで、震脚で甲板をボコボコにしたりと日野主計長を泣かせている八極拳士たちを乗せて、ローマへと向かった。
だが、ドイツ軍の動きは早く、翌9月9日にはイタリア北部を占領し、イタリア軍の武装解除を行う。
国王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世はイタリア南部、ブーツの踵に当たる場所にある都市ブリンディジに逃走した。
それを聞いた「スルクフ」は進路を変える。
むしろ近くなった。
ブリンディジで国王に拝謁した伊達順之助は、自分の考えを披歴する。
しかし、既にイタリア政府は政府機能を停止し、どうにもならない状態であった。
「卿の好きにされよ」
国王のその命を、順之助は最大限に拡大解釈して使用する。
「国王ヴィットリオ・エマヌエーレ3世より、イタリアにおける自由行動の権利を得た!
また、国王名代としてイタリア軍に好きに命令出来る権利得た!
宣言する! イタリア軍はこの男爵ダテの指揮下に入るのだ!!」
非常に多数からツッコミが入り、連合国軍のアイゼンハワーやモントゴメリーからも
「お前、何言ってんの?」
と言われる事になるが、混乱していたこの瞬間はそれなりに効果があったようだ。
ムソリーニの居場所を聞き、直ちに飛行機を用意させて拳士たちを移動させた。
こうして僅かの差で、八極拳士たちはホテルの中で、迎撃態勢を整えられたのである。
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霍慶南とスコルツェニーの戦いは、スコルツェニー優位になって来た。
八極拳が弱いのでも、彼が未熟なのでも無い。
スコルツェニーは近接戦闘に強いこの拳法の欠点を見つけた。
山を移動する際に使用するワイヤーやロープ、更に拳銃を使って遠距離攻撃を始めたのだ。
この男の場合、近接戦闘においても強いから、遠近両方で霍慶南と戦える。
八極拳士は、長距離攻撃の弱さを克服する為、同時に同じく滄州発祥の拳法・劈掛掌を学ぶ者も多い。
しかし、八極拳が劈掛掌になろうが、ワイヤーによる鞭打、ロープによる体絡み、さらに離れると拳銃で牽制されたりされると、大して違いのあるものでもない。
スコルツェニーは「決闘」と言ったものの、彼自身そんな高尚な戦い等しているつもりは無い。
どんな手を使ってでも、この厄介な中国人を殺す、それだけを考えている。
それには彼にとっても、他の武装親衛隊員すら邪魔であり、屋内の起伏や遮蔽物を上手く利用する為に一人で戦っているに過ぎない。
と同時に、他の降下猟兵なり武装親衛隊員なりが、ムソリーニを救出しさえすれば、戦いも終えられる。
個人戦の勝ち負け等どうでも良い。
だから他の者は、自分に関わらずにムソリーニの元に向かえば良い。
(それにしても、救出成功の報告が遅過ぎる)
それが彼の疑問であった。
霍慶南は追い詰められていたが、ホテルの装飾用甲冑からある物を奪うと、再び互角の戦いに変わる。
「おいおい、あんた槍も使えるのか?」
「我の本当の父は『神槍』と呼ばれていたそうだ」
長柄が一個手に入っただけで、霍慶南は生き生きとし始める。
鞭というのは捌くのが難しい。
きちんと受け身を取っても衝撃は防げない。
スコルツェニーも鞭の使い方を心得ていて、小賢しく振り回すのではなく、大振りで叩きつけてくる。
遠心力のついた鞭は、腕で止めようとしても、鞭先は本体に届き、背中にまで達して衝撃を与えるから厄介である。
故に当たらないようにすると、ロープを投げて足や腕に絡め、転倒させようとする。
だが武器を使って鞭や縄を捌ければ肉体への打撃は無くなり、まだ十分に戦える。
拳銃等というのは、撃ち尽くしたら再装填の作業が発生する。
だからスコルツェニーも牽制にしか使っていない。
(俺もサーベルが欲しいとこだな)
と、槍での猛攻を凌ぎながら思う。
だが、
(ナイフという得物は、こうやって使うのだ)
と、霍慶南の槍を右手で掴んで引き寄せ、彼の背後に回り込み、左手に持ち替えていたナイフを音も無く敵の頸に当てる。
だが、ナイフが薙がれるより早く、強烈な衝撃がスコルツェニーを襲う。
八極拳の体当たり技「貼山靠」が発動された。
スコルツェニーは吹き飛ばされる。
槍を持った態勢からの瞬時の切り替えで貯めが短かった事と、元々が打撃よりは投げ飛ばすに近い技である事から、派手な衝撃の割にスコルツェニーの傷は軽い。
(厄介な男だよ、まったく……)
そう思った彼の元に、作戦失敗の符号が届いた。
(ダメだったのか)
スコルツェニーは戦闘から逃走に切り替え、貼山靠で吹き飛ばされて出来た距離から脱兎の如く逃げ去った。
途中で味方と合流する。
四分の一しか残っていない。
「30人以上も殺られたのか??」
恐るべき相手であった。
それ以上に
「我々は統領の部屋に突入出来ました。
しかし、ムソリーニ統領は既に何者かに殺されていました」
スコルツェニーは渋い表情になる。
(あのイタリア人の中に、国内世論の分裂すら無視して、邪魔なムソリーニを殺せる男がいたのか。
いや、俺と戦った中国人の中の者かもしれないな。
どちらにしても、これは大失敗と言える)
ドイツのコマンド部隊は、味方の確保したロープウェーを使って逃走した。
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霍慶南とスコルツェニーが死闘を繰り広げているその時、ムソリーニの部屋にノックの音が響く。
「我が友からの使者だな。
待っていたよ。
きっと総統は私を助けてくれると信じていた」
ドイツの軍服を着たその男にムソリーニは挨拶をする。
ムソリーニは気づくべきだった、その男の服は親衛隊のものでも空挺隊のものでもない、砂漠仕様のものだった事に。
「では行こうか」
そう言ったムソリーニの腹に、ナイフが突き刺さっていた。
「な……何をする?」
見ると、それはナイフというには長く、立派な拵えの刃物である。
「吾輩は伊達順之助。
またの名を張宗援。
最近は男爵ダテとも名乗っておる。
それが貴方を殺した男の名ですよ、統領閣下」
「お前、軍服を奪って変装するとか、戦時国際法違反だぞ!」
「……え? 中国じゃ皆やってたけど、あれ国際法違反だったのか?」
「そうだ、大体お前如きが、まだ多くの者に慕われておる私を殺すとは何事か!
国王陛下すら私を殺さなかった意味を考えた事ないのか?」
「まあ、そういう面倒臭い事考えてない。
どっちにしろ、あんた、既に死んでるから」
「認めないぞ!
日本に抗議してやる!」
「あ゛? 日本はこの件関係ねえだろ?
日本への文句は俺に言えよ!」
(なんだ? こいつは……)
全く理不尽な奴だ。
だがムソリーニの脳裏に一瞬、おかしな映像が浮かんだ。
彼が愛してやまないイタリア国民により、自分と愛人が裸に剝かれ、街灯に逆さ吊りにして死体を晒されている映像が。
(天寿を全うしたいが無理、では次は敵に殺され愛国者として祭られたい。
こんな馬鹿に殺されるのは屈辱だが、国民から侮蔑される死よりはマシか……)
馬鹿を怒鳴りつけていた気迫が緩むと、急に力が抜け、死を実感するようになった。
これまで1人が病死、ジブチで1人が闘死、フィンランドでも2人が死亡するだけだった八極拳士も今回は14人が斃された。
その死骸を超えて武装親衛隊員が駆けつけた時、既にベニト・ムソリーニはこの世の人ではなくなっていた。
作戦は失敗したのである。




