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戦艦放浪記  作者: ほうこうおんち
第6章:ホノルル幕府共闘編(1941年~1942年)
31/62

たった1隻と400人の連合国日本

 1941年12月25日、大日本帝国はアメリカ合衆国及び大英帝国に対し宣戦布告をした。

 ポーツマスで修理中の戦艦「陸奥」にもその知らせは届く。


 「陸奥」は主砲以外の砲の換装、レーダーの更新、水平防御及び水中防御の強化という改装を施されていた。

 副砲は、最早砲弾の補充が利かない為、全てをイギリス製の両用砲に交換し、射撃管制装置もイギリス製に換えた。

 艦橋は長射程砲戦対応用に、最上部の測距室をタワー状に上げた。

 結果、どことなくR級戦艦やQエリザベス級戦艦に似てしまった。

 艦形を似せて相手を騙す為に、イギリスが意図的にやった事ではあるが。

 水中防御は「ネルソン」級のものを採用した。

 「キングジョージ5世」級では水中防御をあまり考慮しなかった為、他国の艦ながらイギリスは手抜きせずに改装をしてくれたと言える。

 そして最も精力を傾けて改装された艦長室及び応接室には、国王ジョージ6世の肖像画が掲げられ、ウェッジウッドやロイヤルドルトンの茶器がマホガニー材の高級棚に並べられ、銀食器や銀のポットが置かれた。

 いつでもそれで紅茶を飲めという事らしく、朝田は遠慮せず、銀のポットの中の湯を水で埋めて、緑茶を毎日飲んでいた。

 

 そんな「陸奥」の身辺が慌ただしくなる。

 周囲に駆逐艦が浮かび、陸上には「陸奥」を狙うように大砲が据えられ、上空を多数の航空機が飛んでいた。

 そんな中、今まで「九曜紋」という世界的に訳が分からない軍艦旗を掲げていた「陸奥」が、「旭日旗」、つまり大日本帝国の軍艦旗を掲揚した。

 周囲のイギリス陸海空軍に緊張が走る。

 ダドリー・パウンド第一海軍卿から、「陸奥」の朝田艦長に電話がかかって来る。


「あれは何だね?」

 詰問するパウンドに対し、朝田ははっきりと回答する。

「ただ1隻ですが、『陸奥』は大日本帝国として、イギリスと同盟する意思の表れです。

 我々は話し合った結果、このままイギリスやアメリカと共に戦います。

 しかし、フランスが降伏後も自由フランスを名乗って戦い続けているのと同様、

 我々も亡命してイギリス海軍の下に入るのではなく、日本という国を代表したいのです」

 電話の向こうでしばらく沈黙が続く。

 やがてパウンド卿は、

「しばし待て、こちらでも対応を検討する。

 だが、それまでの間、治安部隊の乗艦を認めるように」

 と言って来た。

 朝田は承諾する。

 「陸奥」に陸軍、海軍の兵士が乗り込み、乗員を監視し始めた。

 乗員は特に怒らず

「あんたらも大変だねえ。

 まあ、俺たちはあんたらと戦う気は無いから、気楽にして良いぞ。

 どうにかなるだろうさ」

 とお茶を飲みながら労った。




 イギリス首相ウィンストン・チャーチルは頭をフル回転させる。

 危険では無いか?

 問題は無いか?

 やがて、

「政治的な宣伝効果もあるな。

 日本は有色人種の中では人気がある。

 それに、枢軸の中に不和を生む効果もあるかもしれん」

 そう決断した。


 戦艦「陸奥」は晴れて連合国日本(ユナイテッド・ネイションズ・オブ・ジャパン)という1艦をもって1国とする準亡命政権として連合国軍に加わった。

 この報が世界に流れると

 ヒトラーは「何を考えているのか分からんが、たかが戦艦1隻恐れるに足らず」と言い、

 スターリンは「小癪な艦め、復讐の機会を失ったではないか」と無念がり、

 ムソリーニは「どうあっても我が国と戦うつもりなのか、あの戦艦は!」と激怒し、

 ルーズベルトは「どうして本国に合流しないかなあ……戦後処理が面倒になるではないか」と嘆き、

 東条英機は「天皇陛下に逆らう非国民めが! だが、一本筋が通っておる事は認めよう」と怒りながら賞賛もした。


 「陸奥」は1艦でもって1国を代表する存在となったが、指揮権を連合国軍総司令部に委ねる事は認めている。

 組織として今後は動く事になるのだ。

 当初、チャーチルは「陸奥」も極東に派遣し、同胞同士戦わせようと意地悪く考えたが、シンガポール陥落と「プリンス・オブ・ウェールズ」拿捕の凶報がそれを改めた。

 極東に出せば、ただ戦力を失うだけである。

 ならば、同じ日本人と組ませて戦って貰おうか。


 イギリス、フランスとの同盟国ハワイ王国。

この国は人口百万人を超えた程度の小国で、イギリスが貸した6隻の軽巡洋艦を主体した小さな海軍を持っている。

 だが、この国の特殊なところは、外国人で軍閥という、どう考えても国を乗っ取るのが当たり前な組織と、原住民の王国が仲良く共存しているのだ。

 かつて国を奪おうとしたアメリカ系白人もまた国の構成員として組み込まれ、彼等が経済を支える。

 日系人は「幕府ショーグネイト」という軍事政権を作り、内乱にも外征にも対処する。

 このホノルル幕府という組織が派遣した軍隊を、現在イギリスで訓練しているのだ。




 ホノルル幕府軍は、かつて第一次世界大戦でも欧州に現れた。

 武器の質、戦術、ともに近代戦に対応した軍では無い。

 しかし彼等にはひとつ恐ろしい性質がある。

 死にたがりな癖に、死なないのだ。


 普通の軍隊は、包囲されて司令部から孤立すれば降伏する。

 幕府軍は、包囲されても一向に降伏しないどころか、文字通り一兵残らず死に絶えるまで戦い続けるのだ。

 包囲を緩めると、寡兵にも関わらず追撃して来る。

 幕府軍を包囲した場合、普通なら「降伏した部隊を後方に送り、前進を続ける」ところが「抑えの兵力を残し、彼等が死に絶えるまで戦い続けなければならない為、包囲陣ごとに兵を減らし続けなければならない」戦術の定理をぶち壊してしまうのだ。


 ダンケルクの撤退戦まではそれが英仏軍の助けとなった。

 ドイツ軍お得意の電撃作戦ブリッツクリークで後方に浸透し、司令部を破壊、補給を完全に絶っても、数十から数百の兵が戦うのを止めない。

 戦車砲で倒したと思っても、崩された建物の瓦礫の下から這い出て来て、手榴弾を投擲して来る。

 やがて彼等は個人用塹壕タコツボを掘り、そこに潜んでドイツ軍をやり過ごし、背後から爆弾を使って自爆攻撃を仕掛けて来るようになった。

 死にたがりの命知らずの癖に、学習能力が高く、戦車は後方を上から爆破すれば、構造上エンジンやガソリンタンクを破壊出来る為、手榴弾をあるだけ抱えて、地中から這い出たり、木の上から飛び降りたりして、戦車の弱点で自爆する。


 捕虜も得られない。

「動くな!

 動いたら撃つ!」

 と言えば、馬鹿笑いしながら突撃して来て死を選ぶ。

 弾薬を使い果たすのを待って、捕縛しようとしても、短刀一本で暴れ回るか、その短刀で腹を切って死ぬ。

 気を失っている所を捕らえても、舌を噛み切るのを防ぐ必要がある。

 一番酷いのは、捕虜とされた瞬間に隠し持っていた手榴弾で自爆し、ドイツ兵を巻き込んだ。

 故に、捕虜を得るより殲滅がドイツ軍の行動となった。

 これを幕府軍のみでなく、幕府軍に触発されたフランス軍やフランス人抵抗組織に対しても行うようになった為、ドイツ軍はやがて無抵抗の者も殺す残忍さで知られるようになる。


 そして「ダンケルクの捨てがまり」。

 「ダイナモ作戦」でイギリスに撤退するイギリス大陸派遣軍とフランス軍に代わり、生き残りのホノルル幕府軍三千がカレー市に篭城。

 英仏軍35万人撤退の影で、指揮官である老中を含む全員が死亡という壮絶な戦いをやり遂げた。

 司令官にして、将軍家親戚衆の松平定富は遠征前に無所任の老中に任じられていた。

 先祖より受け継いだ武士の誇りを失わず、見事な全滅を見届けた松平定富は、司令部にした建物の地下室で、香を焚き、花を活け、白装束となって腹を切った。

 命により降伏した小姓が、老中の死に場所にドイツ軍司令官を案内し、首と辞世の歌と三通の手紙を渡す。

 一通は司令官に宛て、自分の名と、司令官の戦いを讃えた文と、己の刀を託した。

 二通目はドイツのヒトラー総統宛で、大日本帝国と自分たちの違いを説明し、長年の友誼によりホノルル幕府は英仏に味方したという事を書き記し、辞世の歌を授けた。

 三通目は、ドイツの司令官からホノルル幕府の征夷大将軍に送って貰うよう頼んだもので、戦った武士たちが何処でどのように死んだのかを記したものであった。

 死に挑んで詠んだ、心の澄み切った詩を送られたヒトラーは、この高貴なる野蛮人に好意を抱き、ホノルル幕府征夷大将軍に手紙を転送する事を許可した。




 ダンケルクの捨てがまりで幕府軍は全滅した。

 今は第二陣がイギリスに到着し、訓練している。

 彼等は死を誇りとし、ドイツ軍をして「サムライの死体は、我々に向かってうつ伏せになっているか、我々に足を向けて仰向けになっていて、どれ一つとして逃げようとしたものは無い、恐るべきものだ」と言わしめている。

 だが、それでは困るのだ。

 そんな強い部隊を使い捨てにするより、精強な部隊にして、大事な局面に投入する方が良い。

 イギリスは植民地から世界最強の傭兵・グルカ人部隊の一部を呼び寄せ、ホノルル幕府軍を訓練している。


 「陸奥」と共に転戦し、冬戦争を戦った各義勇軍。

 日本人部隊の内、過半数の300人程が「母国相手に戦えない、天皇陛下に銃口を向けられない」として自主的に捕虜としてイギリスに投降した。

 残り200人弱が「外から日本を見たなら、我々が英米陣営に立って戦う事は、日本の存続の為に必要だろう」と言って、改めて連合国日本軍となった。

 500人程いた白系ロシア人部隊は、半数が「またフィンランドはソ連と戦うだろう」とマンネルヘイム元帥の下に残る。

 残る約200人がイギリスで連合国日本軍に参加した。

 この400人弱、一個中隊相当と1隻の戦艦が連合国日本という国を仮想で立ち上げている。

 「陸奥」朝田艦長は、国家元首という役を伊達順之助に押し付けた。

 今は有事であり、こういう時は半分おかしいくらいの人物の方が有用だろう。

 ところが伊達順之助は、ここに来て常識的な行動を取る。

「俺は国家元首ではない、政体は違えど日本の国家元首は天皇陛下以外に居ない」

 と言って、内閣総理大臣を名乗った。

 そして配下の馬賊は、あえて国家には属させなかった。

 馬賊たちは自由こそを求め、国というものに縛られるのを嫌っているのを、中に居た順之助はよく知っている。

 頭目の座をこれまでも副頭目として補佐してくれた程国瑞に譲り、彼ら馬賊と連合国日本との契約という形で、これまで通り共同戦線を張る事になる。


 チャーチルは、イギリス国内で訓練を積んだホノルル幕府軍と連合国日本軍を合同し、自由フランス軍の戦うアルジェリアに派遣しようと考えていた。

 その輸送船を進発させるが、護衛が必要である。

 ポーツマスで修理を終えた「陸奥」をドーバーまで呼び寄せ、ホノルル幕府海軍の巡洋艦と合わせて戦隊を編成し、アルジェリアまで陸軍を輸送すべく出港命令を出した。

 それが1942年2月8日の事で、「陸奥」は2月12日午前6時にポーツマス港を出発した。


 奇しくも同じ日、ドイツ海軍が行動を起こしていた。

 2月11日23時56分、フランスのブレスト港を巡洋戦艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」そして駆逐艦6隻が出港する。

 「陸奥」が出港した2月12日6時30分には、この艦隊はドーバー海峡の中程まで突入していた。

 「陸奥」もイギリス海軍も、まだこの事に気付かずにいた。

最初は話に絡める気は無かったのですが、どうしても絡めざるを得なくなった1941年以降の欧州情勢で、久々に前作「ホノルル幕府」の連中登場します。

20世紀半ばになっても、あそこだけ江戸時代初期っぽいノリ(三河武士の面倒臭さが南国風になった)ので、そういう国だと御承知おき下さい。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ホノルル幕府キターーー! ここで戦艦陸奥の連合国日本誕生。 さながら生き残りのために分かれた真田兄弟のように感じました。実に合理的です。 そして「ダンケルクの捨て奸」とか、とんでもなくワ…
[一言] たった1隻と400人……そうか、これは沈黙の艦隊か! しかも合同する相手が南国育ちの三河武士……もはやチャーチルでなくとも頭がクラクラします(笑)
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