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戦艦放浪記  作者: ほうこうおんち
番外編:タイ王国海軍編(1940年~1941年)
30/62

1941年後半……

番外編です。

「陸奥」はしばらく修理中ですので。

 1941年6月22日、ドイツ軍は突然ソビエト連邦に侵攻を始めた。

 ソ連の言う「大祖国戦争」、ドイツの言う「バルバロッサ作戦」の始まりである。

 ドイツ総統(フューラー)ヒトラーは、ソ連とフィンランドとの戦争を分析し

「ソ連軍、恐れるに足らず」

 という結論を出した。

 そして独ソ不可侵条約を一方的に破棄し、宣戦布告を叩きつける。


 実際、ソ連は初動において恐ろしく脆かった。

 優秀な上級将校が居なく、また奇襲効果もあってドイツ軍は快進撃を続ける。

 北方軍集団は開戦3ヶ月でレニングラードを包囲、中央軍集団は開戦1ヶ月でスモレンスクを占領する。

 南方軍集団のみ、兵力に対してウクライナ穀倉地帯という作戦地域が広大であったため、進撃が遅れている。

 そこでヒトラーは、進撃が順調な中央軍集団の主力部隊を南部に向け、南方軍集団を支援させる。

 これによって、ヒトラーが戦争経済的に考えるウクライナを手中に出来たものの、ソ連首都モスクワへの中央軍集団侵攻は約1ヵ月遅れる。


 またドイツは北アフリカにおいても優位に立っていた。

 ドイツ北アフリカ軍のロンメル将軍は各地でイギリス軍を打ち破る。

 イギリスに奪われていた元イタリア領リビアの要衝トブルクに迫りつつある。

 イギリス軍はエジプトを奪われてはならじと、トブルクを守るべく防御拠点を築く。


 6月25日、フィンランドが冬戦争で奪われたカレリア地峡奪還を図り、ソ連に宣戦布告する。

 フィンランドのリュティ大統領は

「ドイツと共に断固最後まで交戦する」

 と宣言し、マンネルヘイム元帥率いるフィンランド軍はカレリア、ラップランド、バルト海の3方面で攻撃に出る。

 冬戦争とは逆に、ドイツとの戦い用に戦力を抽出したソ連軍に対しフィンランド軍は兵力的に優位であった。

 だが、カレリア方面においてドイツとフィンランド軍の連携は上手くいかない。

 レニングラードを北から攻撃して欲しいドイツ軍に対し、マンネルヘイムはラドガ湖の対岸の攻略を行い始める。

 一方、ソ連バルト海艦隊は「陸奥」によって艦隊、軍港とも壊滅した為、ドイツ空軍はソ連が占領したエストニアのタリンの航空基地を攻撃し、フィンランド海軍は陸軍の代わりにレニングラード包囲に加わるべく、海防戦艦「イルマリネン」「ヴァイナモイネン」が掃海部隊を伴ってクロンシュタット沖に侵攻する。


 そして6月30日、ドイツは日本に対して対ソ連戦争への参戦を要求する。

 1941年4月25日に日ソ中立条約を締結したばかりの日本は、またしても欧州情勢に振り回される。

 日本国内では「ドイツの快進撃に乗り遅れるな!」と騒ぐ者が増えて来た。




 さて、海軍軍縮条約が明けたアメリカとイギリスでは、新世代戦艦の進水が進んでいる。


【アメリカ海軍】

・ノースカロライナ:1940年6月13日進水、1941年4月9日就役(大西洋)

・ワシントン:1940年6月1日進水、1941年5月15日就役(大西洋)

・サウスダコタ:1941年6月7日進水


【イギリス海軍】

・ネルソン:1938年年9月3日進水、1939年9月10日就役

・ロドネー:1938年12月17日進水、1939年11月10日就役

・キングジョージ5世:1939年2月21日進水、1940年12月11日就役

・プリンス・オブ・ウェールズ:1939年5月3日進水、1941年1月19日就役

・デューク・オブ・ヨーク:1940年2月28日進水


 「ノースカロライナ」「ワシントン」「サウスダコタ」「ネルソン」「ロドネー」は16インチ砲を三連装3基9門と、「陸奥」よりも1門多く搭載する。

 「ノースカロライナ」「ワシントン」「サウスダコタ」と「キングジョージ5世」級が速力27~28ノットと高速戦艦と呼ばれた「長門」「陸奥」よりも高速である。

 高速・強力・そして防御力を併せ持つのが新世代の戦艦。

 かつて世界の双璧であった戦艦「長門」と「メリーランド」は、既に旧式艦となっている。

 しかし、同型艦の保有禁止により余ったリソースで、両艦とも改装を受けて強力な戦艦に生まれ変わり、瀬戸内海柱島沖とサンディエゴ軍港で睨み合っている。

 「長門」級の「陸奥」も、最早座り込むだけで戦争当事国が戦略を見直さざるを得ない「最強の艦」の地位からは陥落している。

 それでもヴィシー・フランス、イタリア、ソ連相手なら相変わらず「魔王」のような存在感を醸し出せる。

 挑戦者はドイツの戦艦「ティルピッツ」であろう。


 1941年2月25日に就役した「ビスマルク」級2番艦で、排水量は満載50,405トンで速力29ノットと「陸奥」を上回る。

 主砲は38センチ(48.5口径)連装砲4基で、この砲の最大射程距離は36,520メートルと、「陸奥」の41センチ(45口径)砲の38,430メートルにやや劣る程度の優秀な砲だ。

 だがヒトラーは「ティルピッツ」を「陸奥」にぶつけるような事は考えなかった。

 「ビスマルク」を失った為、水上艦隊への信頼を失ったヒトラーは、完全に潜水艦主体の海軍に切り替えてしまった。




 そして太平洋方面で、戦艦の価値を決定的に覆す戦闘が発生した。

 アメリカは、どうも1940年7月に米内内閣が退陣した頃から、日本を見限ったようだ。

 ヨーロッパの戦況も気になる。

 アメリカの投資はイギリスに入っている為、イギリスが敗北したら困る。

 そこでイギリスへの援助に傾く。

 ルーズベルト政権は、対日で2つのルートを考えて手を打った。

 一つは、アメリカがヨーロッパでドイツと対する時に、大人しくなってくれれば良いというもの。

 1940年9月の屑鉄の全面禁輸からは、1941年6月の石油の輸出許可制、7月の日本の在米資産凍結令、8月の石油の対日全面禁輸と、産業を圧迫する方にシフトした。

 これで音を上げてドイツと関係を切り、中国や東南アジアからの撤退をすればそれで良し。


 もう一つのシナリオは、産業を圧迫された日本が戦争に打って出るというもの。

 これは日本の同盟国であるドイツ・イタリアに対する宣戦布告に使える一方、実は太平洋方面での戦争準備が整っていない為、数年は日本にアジア地域を蹂躙されると予測される。

 アメリカにしても、太平洋と大西洋の両面に敵はなるべく抱えたくない。

 そこでアメリカは、1941年8月以降日本を刺激するのを止めた。

 交渉も日本を刺激しないように、のらりくらりとしたものに変える。

 この状況に日本は、戦争の準備をしつつも「もしかしたら戦争回避出来るかも」と希望を持つ。

 日本は東條英機陸軍大臣を総理大臣にする。

 これは陸軍の代表を頂点に据える事で、陸軍の強硬派を抑え込めるものと期待してのものだった。

 東條内閣は戦争回避の為の、最後の切り札であったのだ。


 アメリカはこの事情を知りながらも、裏面で密かに戦争準備を進める。

 やっとサンディエゴに戦艦7隻、空母3隻という太平洋艦隊が揃った。

 一方でイギリスにも連絡し、戦艦1、巡洋戦艦1のZ部隊がシンガポールに配備される。

 これまで敵のいなかった太平洋の日本海軍(戦艦8隻、空母8)の前に、挟み撃ちの可能な米英艦隊が出揃った。

 そうして1941年11月末、戦争準備というか、威圧の準備が整ったアメリカ国務長官コーデル・ハルは

「試案であり、拘束力は無い」

 としつつも「覚書(ノート)」を日本に提示する。

 日本の中国・インドシナからの全面撤退、中華民国蒋介石政権以外の政権を認めない、アジアの状態を満州事変前に戻せという内容であった。


 かつてハワイ内戦において、アメリカ傀儡政権を潰したやり方を研究したハルは、その原型である「徳川家康が豊臣家を亡ぼした最後通牒」に辿り着く。

 曰く

・大坂城を出て国替えをする

・母親の淀殿を江戸に人質に出し、秀頼は参勤交代する

・浪人を今すぐ無条件で城から追い出す

 という要求をつきつけたものだ。


「厳しい要求だが、呑めない要求では無い。

 領主として存続したいのなら受け入れ可能だが、彼等は結果として戦争を選んだ。

 私が出した覚書もそれに倣ったもので、平和を望むなら受け入れ可能な条件だ。

 むしろ城を出ろ、軍事力を全て放棄せよという、イエヤスの条件より優しい。

 これを拒否するなら、最早戦争しか無いが、我々の準備は整っている。

 どちらを選ぶ?」

 ハルはそう呟いた。

 ルーズベルト大統領もこれを是とし、受け容れる前提でなら今後も交渉を受け付けるとした。


 戦争回避への道が見え、妥協案を考えていた日本は、一気に「裏切られた」という感情に陥る。

 そして、東條も最早陸軍を抑え込めなくなった。

 かつて中国戦線拡大は東條が焚きつけたもので、石原莞爾はこれに反対したが、かえって失脚した。

 その石原莞爾もかつては独断専行で満州事変を引き起こしている。

 因果は自分に返って来る。

 だが東條は、帝から戦争回避を期待されて内閣を任されたものであり、忠誠心は篤い為、最後の最後まで努力はした。

 だが、所謂「ハル・ノート」を受け容れる事前提でないと話し合いに応じない、という原則をアメリカが採った為、ついに日本人の悪い方の諦めの早さが出た。


「もはやこれまで」


 東條は戦争を覚悟したが、一方の海軍は覚悟以前に戦争に向かって機械的に動いていた。

 陸軍のように熱くならず、淡々と攻撃態勢に入っている。

 東條にとって、かえって不気味であった。


 それはかつてのプロイセン・ドイツ帝国陸軍が、ロシア帝国が動員を始めると自動的にシュリーフェン計画が発動してフランスを攻撃してしまうように、アメリカの「準備が整いきらない時期に攻撃」を逆算して、太平洋方面に兵力を集結させた時点で自動的に攻撃スイッチが入ってしまうもので、両者はよく似ていた。


 かくして出動した南雲忠一中将率いる第一航空艦隊に、アメリカ太平洋艦隊攻撃命令が出された。


 1941年12月25日、6隻の空母から発艦した航空隊は、サンディエゴ海軍基地を空襲する。

 サンディエゴ沖海戦の勃発であった。


 アメリカは、最大水深18メートルしか無いサンディエゴ湾では、航空魚雷は使用出来ないと安心していた。

 しかし日本海軍は、水深10メートルの鹿児島湾で猛訓練を積み、深く沈降しないよう改良した航空魚雷を開発していた。

 自国を直接攻撃されると思っていなかったアメリカは、完全な奇襲を受けて大混乱に陥る。

 直ちに発進させた戦闘機も、日本の新型戦闘機の前に完膚なきまでに大敗する。

 こうして時間差をおいた二回の襲撃で、太平洋艦隊は戦艦1隻撃沈、3隻大破、2隻中破、1隻小破、空母「サラトガ」がドック内で損傷という大打撃を受けた。

 「サラトガ」を行動不能にさせた事は山本五十六を安心させ、「メリーランド」を撃沈した事は軍令部を喜ばせた。


 南雲中将は、アメリカ本土に接近し過ぎているこの状況下で、大戦果を挙げた事に満足し、そのまま撤退をする。

 帰途、サンディエゴ基地からウェーク島に輸送していた為、港内に居なかったアメリカ空母「エンタープライズ」が南雲艦隊を発見、反撃に出る。

 この反撃は失敗に終わった。

 「エンタープライズ」攻撃隊は、奇襲をかける前に察知され、迎撃の為に上昇した日本の新型艦上戦闘機「零戦」の前に叩き落とされた。

 だが、「エンタープライズ」自身は居場所を察知されなかった事から、反撃を受けずに生き残る。

 南雲艦隊の第二航空戦隊司令官山口少将は

「今襲って来た敵空母を探し出し、絶対に撃沈すべきである。

 あの空母はやがて我が国の禍根になるだろう」

 と強く求めたが、燃料が既に乏しく、また損害を受ける事を恐れる南雲司令によって却下された。


 1941年12月30日、イギリス戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」と巡洋戦艦「レパルス」は、マレー半島に上陸した日本軍の輸送船団を叩くべくシンガポールを出撃した。

 これに九六式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機が襲い掛かる。

 イギリスは、自国が手に入れた戦艦「陸奥」に散々に対空戦闘を行わせ、そのデータを保有していた。

 護衛のF2A「バッファロー」戦闘機11機及び、故障しがちという弱点を克服したポンポン砲により、陸上攻撃機部隊はイギリス艦隊に痛手を与えられずに敗退する。

 この「第一次マレー沖海戦」の失敗で、日本の輸送船団は戦艦の攻撃を受けて壊滅する。

 ただし物資は急ぎ全て揚陸し、九五式軽戦車、九七式中戦車の部隊は既にマレー半島を南下し始めていた。

 輸送船団を失った今、

「背水の陣とはまさにこの事である」

 と辻政信という参謀が怒鳴り散らしていた。


 イギリス艦隊は帰路に、再び日本機の空襲を受ける。

 フィリピン、ダバオに居た空母「龍驤」の艦載機であった。

 「バッファロー」戦闘機は固定脚の旧式な九六式艦上戦闘機と戦い、18機全機撃墜するも、11機中4機を喪失し、何よりも戦艦に12機の九七式艦上攻撃機が迫るのを許してしまった。

 双発で鈍重な陸攻と違い、小型の艦攻は対空戦闘でも撃墜が難しく、練度の高い日本機によって「レパルス」は魚雷1発、「プリンス・オブ・ウェールズ」は魚雷2発を食らって浸水、戦闘不能となりシンガポール・セレター軍港に撤退した。

 英国の誇りである不沈戦艦の傷ついた姿に英国マレー植民地軍は震撼する。

 だが彼等もまた、湿地を渡って奇襲して来た日本陸軍によってシンガポール要塞を1日にして落とされ、降伏した。

 傷ついた「プリンス・オブ・ウェールズ」と「レパルス」は拿捕される。

 そして日本海軍第一艦隊特第百戦隊の戦艦「上総」(親王任国)、巡洋戦艦「吉野」(親王こと護良親王を護った吉野に因む)と改名され、編入されてしまう。


 シンガポール陥落と「プリンス・オブ・ウェールズ」拿捕の報告を受けたイギリス首相ウィンストン・チャーチルは

「イギリス海軍開闢以来の悲しむべき事件が起こった……」

 と愕然としたという。


 かくして、戦艦「陸奥」がポーツマスで修理・改造をしている内に、戦争は巨大な分岐点を迎えたのであった。

前作「ホノルル幕府」の話です。

ハワイ王国に対し独立を訴えたアメリカ系白人の「ハワイ共和国」は、戦争準備が出来るまでの間、「独立は認めますので、うまくやっていきましょうよ」的懐柔外交を受け、油断したとこを

「降伏し、国の解散をすれば命だけは助けてやろう」

という最後通牒を突き付けられ、反発したとこを一気に攻め込まれるという

「徳川家康の豊臣家滅亡への通達」をやられました。

コーデル・ハルという若手の官僚は、これを見て「そういうやり方もあるのか」と勉強した、という話がありました。


あとサンディエゴ空襲の詳細。

本来は「赤城」「加賀」「翔鶴」「瑞鶴」のみで行う予定で、攻撃時期は「瑞鶴」航空隊の完熟を待った。

しかし航続距離が短い為に外された第二航空戦隊が

「是が非でも我々も連れていけ」

と主張し、計画がさらに遅れたが、年明け前に奇襲をかけないと米英が先に動く可能性(1942年1月1日をもってオレンジ計画発動という未確認情報入手)から、クリスマス休暇を狙った。

機動部隊は一回北上し、東太平洋を南下、ハワイ島の沖で全速力で東に向かう。

この際補給拠点とハワイ島北方海域を使用。

ハワイ政府に、

「石油禁輸対策で鯨油を使用出来るかの調査捕鯨をする為、船舶が集結する」

と騙して油槽船を待機させていた。

難しい洋上給油を早期に終わらせ、サンディエゴを攻撃するも、もう機動部隊には帰りの分の燃料にも足りないくらい。

南鳥島沖で帰路の給油を行う。


ただし、無理やり「蒼龍」「飛龍」を連れて行った価値はあり、16インチ砲搭載艦「メリーランド」を撃沈したのは「飛龍」航空隊の友永丈一機、ドックの「サラトガ」に11発の命中弾を与えたのが「蒼龍」航空隊。


だが、本土攻撃を受けたアメリカは激怒。

「メリーランド」はすぐに着底から引き揚げ。

小破の「アリゾナ」は即座に太平洋艦隊旗艦として反攻作戦の指揮を執る事になるが、低速な為サンディエゴをほとんど動かない。

そのまま打撃を受けた戦艦と空母「サラトガ」は修理と大改装を受けて、戦線復帰する事になる。


余談:

サンディエゴという「きちんと哨戒してたら敵艦隊接近は察知出来るだろう?」という場所への攻撃を許した事で

「日本の攻撃は知っていたが、裏口からヨーロッパの戦争に参加する為、あえて撃たせた」

という噂が常に付き纏う事になりました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ハワイ奇襲攻撃じゃなくて良かった(汗 以前、帝国海軍はハワイ真珠湾に容赦なく攻撃を仕掛けるんしゃないかと思い込んでました。 そしてハワイの侍が怒りに燃えて連合国反撃の尖兵となり、数年後陛下…
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