サイゴンの憂鬱
欧州大戦で、フランスは多くの犠牲を出した。
30代以下の人口の25%が失われた。
これは大戦初期、フランスに蔓延した「生命飛躍」という概念と、攻撃重視主義が合わさり「我々ゴール人は攻撃時に体内エネルギーの爆発が起こり、ゲルマン人に優越する」という精神論から、機関銃の前に何度も突撃する愚行を犯したからである。
その反省から、今のフランスは防御一辺倒の戦術思想に変わった。
未だに気を許せない敵国ドイツとの国境線に、マジノ線と呼ばれる要塞の並びが作られ始める。
だがその前、1922年までのフランスは強硬的だった。
ポアンカレ内閣は、ドイツの賠償金滞納を理由に、ドイツ工業の中心地帯ルール地方に兵を進めた。
このルール進駐は国際的に批判され、フランスは兵を引く。
内閣も右派のポアンカレから左派に替わった。
そんな中で、植民地であるインドシナが、隣国シャム王国(現タイ王国)保有の巨大戦艦の為に動揺しているという報告が入る。
この時期、フランスと極東の大国日本とは上手く外交関係を結べていた。
かつて日本に倣ったベトナムの独立と国家としての近代化を狙った「ベトナム維新会」という団体があった。
この団体は訪日して協力を求めるも、日本政府はむしろ日仏関係を重視し、1909年(欧州大戦前)に日本から追放した。
現在日本は、ベトナムのどの独立勢力とも繋がりを持っていない。
対立する事案は何も無い。
しかし、フランスはもしインドシナ植民地を奪いに来る勢力在らば、それは旧対立相手のイギリスではなく、日本帝国であると見ていた。
日仏の唯一の外交課題は、インドシナ植民地が日仏条約の適用外で、日本を最恵国待遇にせず、日本の輸出品目に最大限の関税をかけている事だった。
戦争には及ばずとも、日本がこの件を正常化するよう圧力をかけて来る事は考えられた。
その日本はあくまでも南シナ海方面から迫って来ると見ていたのに、いきなり裏庭に現れた。
余りにも衝撃的だった。
別に戦争等起こされなくても良い。
超ド級戦艦というのは、そこに居るだけで周囲に影響を及ぼす。
まして世界にたった2隻しか存在を許されなかった40サンチ砲戦艦の、幻の3隻目がそこに居るとは……。
フランスは国際連盟に訴えるも、先の主力艦削減を謳った軍縮会議は、英米日仏伊五ヶ国だけの制約であり、シャム王国は国際連盟加盟国ではあるが、制約を受けるものでは無かった。
日本に文句を言おうとも、日本はやっと軍縮会議で決められた「戦艦『陸奥』を破棄しただけだが、何か?」と返すのみ。
仕方なく、フランスはアメリカに訴える。
アメリカは、主力艦を破壊せず、他国に預けるだけの日本の姑息な手を許すまい。
海軍軍縮会議やアジアの秩序を決める九ヶ国条約に関わったアメリカ第三十代大統領ハーディングは、「ゼロ・ミステリー」に絡め取られてしまった。
「ゼロ・ミステリー」、別な呼び方では「テカムセの呪い」とも言う。
(第9代アメリカ合衆国大統領ウィリアム・ハリソンに殺されたネイティブアメリカン・ショーニー族の酋長テカムセの名に由来する)
それは「末尾が0の年の選挙で就任した大統領は任期を全う出来ない」というジンクスである。
1840年就任のウィリアム・ハリソンは肺炎で急死した。
1860年就任のエイブラハム・リンカーンは暗殺された。
1880年就任の ジェームズ・ガーフィールドも暗殺された。
1900年就任のウィリアム・ジェニングス・ブライアンも暗殺された。
そして1920年就任の ウォレン・ハーディングは、心臓発作で1923年に急死していた。
現在は副大統領だったクーリッジが大統領を勤めている。
クーリッジは経済通である。
この時期のアメリカは経済的にも、工業的にも急成長をしていて、ついにヨーロッパ諸国全部足してもアメリカ一国に歯が立たない程の超大国に成長する。
クーリッジはこれを邪魔せず、税を軽減して成長を促していた。
このクーリッジから見れば、シャム王国が3万トンもの巨艦を扱い切れる訳がない。
例え日本が支援していようが、日本にだって足りないものがある。
シャムも日本も、稼働しているだけで大量に消費される石油を産しないのだ。
だから、上手くやればその戦艦を日本の手から奪えると思うのだが、フランスの悲鳴にも似た訴えに、海軍軍縮条約の追加条項を話し合う会議を提唱した。
当然日本は反対する。
しかし、アメリカから大量の資本投下を約束されたシャム王国が参加を承諾した為、日本も渋々参加となった。
そんな会議開催を前にした1924年11月、シャム国王ラーマ6世が急逝した。
クーリッジはシャム王国に弔意を示し、喪が明けるまで軍縮会議の延期を申し出る。
フランスは不満だったが、ルール進駐で一度国際社会から批判された事もあり、喪が明けるまでの延期を承知した。
「大統領閣下、フリードマン商会の代表モーリッツ氏が訪ねて来ています」
クーリッジと面会したその男は、日本との関係も深く、中国の山東半島や満州にも支店を置く財団の代表である。
「やあ、しばらくぶり。
ビジネスは順調かい?」
「名大統領が税を減らしてくれたおかげで順調だよ」
しばらく世間話をした後、2人は声を潜めて密談を始める。
「面白い日本人を見つけましてね。
密かに支援しています」
その日本人は、まだ若者であるが、日本の旧支配層を出自に持ち、実家は影響力がそこそこある。
その貴人自ら中国に渡って大陸浪人として満州・モンゴル独立運動に関わっていたのだ。
「どれだけの利用価値がありそうかね?」
「私が繋がりを持つ中国の馬賊と引き合わせたら、意気投合していました。
これから日本とアメリカが権益を持つ山東半島でひと暴れしようとか言っていました」
「では『約束乃土地』は山東半島にするのかね?」
「いえ、まだ分かりません。
繋がれる縁は、出来るだけ繋いで置こうと思っていますよ」
「いずれはあの戦艦もだな」
「そうですね。
建艦が停止し、いつまでもあの戦艦が世界最強なら我々の切り札になります。
出来る限り、軍縮は長続きして欲しいものです」
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関わりの無い所で勝手に運命を決められているが、当の戦艦「イサーン」はそんなの関係無い航海に出ようとしていた。
ラーマ6世の後を襲ったのは異母弟のラーマ7世であった。
ヨーロッパ留学から1924年に帰国したプラチャーティポック王子は、兄王の死によって即位するまでの数ヶ月、シャム王国軍人となっていた。
ラーマ7世は、軍人であった時期を大層誇りにしている。
兄王の喪が明けると、その処遇を巡って国際会議が開かれる戦艦「イサーン」に、国王は是非とも乗ってみたかった。
そこで、国際会議開催までの調整期間中に、即位記念の航海を発表する。
この辺は専制君主であるシャム国王の強みで、すぐに決まった。
「諸君!
この艦は国王陛下の御召艦として、シンガポール、サイゴン、マニラ、香港、そして東京を訪問する。
気を引き締めて任務に当たるように!」
朝田艦長の訓辞に、出向の日本海軍軍人、シャム王国海軍軍人ともに緊張する。
バンコク湾でしか活動していなかった「イサーン」初の長距離航海となる。
さらに、微妙な時期にイギリス、フランスの植民地を刺激しに行く事も、間抜けな水兵でなければ、下士官以上になれる能力のある者なら理解していた。
年が明けた1925年、即位のお披露目と親善の為、戦艦「イサーン」は回航時以来久々の長期航海に出発した。
バンコク湾を出てマレー半島沿いに南下する。
マレー人たちが遠くから「イサーン」の威容を眺めていた。
シンガポールに入港。
イギリス植民地政府も、日本の東南アジア進出を警戒してはいたが、それ以上の敵を今は問題視している。
この時期、イギリス・インド帝国においてガンジーによる独立運動は活動停止していた。
農民が官憲を殺害し、ガンジーが唱える非暴力主義が穢された事と、イギリス伝統的な植民地政策「分割して統治せよ」が功を奏し、インドにおけるヒンズー教対イスラム教の対立が発生してしまって、独立運動どころではなくなったからである。
独立運動だと、同じアジアの強国日本に協力を求める勢力も現れるだろう。
しかし、今インドでイギリスの支配に挑戦しているのは、馴染みの薄い共産主義勢力であった。
インドだけでなく、マレー植民地においても同じであり、独立運動ではなく共産主義者が抵抗している。
今回ラーマ7世の寄港予定地に入っていないが、オランダ領東インドも同様に共産主義者がこの時期は目立っていた。
彼等が頼るのは唯一の共産主義国家ソビエト連邦である。
ソビエト連邦と大日本帝国は対立している。
反共産主義で、日本はイギリスやオランダと決して敵対しない。
王制のシャムも同様である。
故に、小癪に触る存在だが、イギリス領シンガポールは戦艦「イサーン」を歓迎し、盛大に出迎えた。
シャム王国、背後の大日本帝国とイギリスは反共の為に手を組む。
そして味方になることで、「失われた領土」回復の気をイギリスに向けないようにもした。
シンガポールで給油作業を終えると、真っ直ぐ北上してフランス領インドシナの要地・サイゴンに入港した。
サイゴン港は、全長230メートルまでの艦船が入港できる。
水深は11メートルである。
そこに全長約216メートル、喫水約9.5メートルもの巨艦が入港したのだから、フランス植民地政府も呆れた。
自国の軍艦を外洋に出し、親善航海のこの巨艦を迎え入れる。
野次馬たちは、港を塞ぐかのような巨艦に唖然とし、そこから降りて来たのが有色人種であった事に驚愕した。
ベトナム人にとって、ライバルのシャム人(タイ族)、かつて協力を断られた白人贔屓の日本人が乗っている事は残念ではあるが、それでも普段は支配者面しているフランス人が、顔面蒼白になってその巨艦を眺めているのはある種痛快であった。
ベトナム人のネットワークで、「シャム王国が凄まじい船を造った」「フランス人たちがパニックになった」と、誇張された噂が北部のハノイまで伝播する。
フランス植民地政府は、力で抑えつけるよりも、軍事力以上の文化や善政でインドシナを支配しないと危険と判断した。
かくして、全土で医療を充実させ、農業単一生産国として米を税として取り立てるよりも、ベトン(セメント)や鉱業(鉛、亜鉛、金など)開発等で産業国としてインドシナ植民地を育て上げるよう方針を転換する。
サイゴンに現れた巨艦は、インドシナ植民地全体に影響を与えたのだった。
前作「ホノルル幕府」との関係です。
本来1900年就任の大統領はマッキンリーですが、前作「ホノルル幕府」の世界観を引き継ぐ今作では、
マッキンリーはハワイとの戦争でセオドア・ルーズベルトを死なせた事から落選、
対立候補のブライアンが当選するも、無政府主義者に暗殺され、後任は米西戦争の英雄・デューイが大統領となり、一期勤めた後は共和党のタフト、そして民主党のウィルソンと続いたので、大統領の累代も一代ずれています。