日独伊三国同盟とタイ・フランス
番外編です。
「陸奥」はしばらく修理中ですので。
強引な形で「扶桑」と「山城」という海防(?)戦艦をタイ海軍に押し付け、押し付けられたタイ海軍が旧領回復の外交交渉を行っていた頃、押し付けた日本もまた外交を行っていた。
前任の米内内閣が必死に阻止していた、日独伊三国同盟締結である。
噂話がある。
敗戦国ドイツのマルクは、日本円に対して弱かった。
ドイツに赴任した日本の陸海軍軍人は、派手に女遊びをする。
ナチス党が政権を握った頃も、それは変わらなかった。
だが、この女遊びは金で買ったものでなく、駐在武官の下に派遣されたメイドを相手にしたものだったというのだ。
そして、そのメイドはドイツ政府が日本の軍人を篭絡する為に派遣していた。
そうして帰国した武官は、陸海軍問わず親独派になったというのだ。
だが、それは噂話であり、ドイツに赴任した武官は女性ではなく、アドルフ・ヒトラーという「人間」とナチス党の演出する「仰々しさ」に魅了された。
そして、そういう武官が三国同盟を推進したのではない。
1939年のドイツの快進撃に、日本の新聞は「疾風枯葉を捲く」と書き立て、「この流れに乗り遅れるな」と主張した。
そして海軍の中で明確に「ドイツと組むな、アメリカと仲良くしろ」と主張していた者は米内光政、山本五十六、井上成美の「海軍省トリオ」くらいなもので、他はどうでも良かった。
米内辞任後の海軍大臣は親独派の吉田善吾となり、海軍次官の山本五十六は連合艦隊司令長官として政治の場から遠ざけられ、海軍は三国同盟に賛成する代わりに、予算を増やす、それに陸軍は賛成するという約束をした。
こうして内の問題を片づけ、海軍も賛成に回った事で日独伊三国同盟締結の運びとなる。
1940年9月27日、ベルリンで三国同盟は締結された。
そうなると、ヴィシー政府の扱いが変わって来る。
それまでは「宗主国のいない空き地、奪うなら今だ」という意識であったが、ドイツとの正式な同盟締結後は、ドイツの友好国であり、間接的に日本の友好国となった。
そうなると戦艦「扶桑」と「山城」を派遣してタイ王国をけしかけたというのは、都合が悪い事になる。
「一体誰の発案だ?」
「陸軍が米内閣下の同盟締結反対工作をした事に意趣返しで、主力艦を減らしたようだが」
「陸軍はそう思ったかもしれないが、海軍の協力者が居ない事には出来んだろ」
「そっちはそっちで、どうせ次の戦争では活躍出来ない低速艦に、活躍の場を与えようとか言ってたようだが」
「だから、それ言ったの誰だよ?」
「誰なんだ?」
「いや、その前に総理の命令があったようだが」
「近衛さんの? それは陸軍の意思になるだろうな」
「だから、責任者誰よ?」
結局、誰がこの戦艦派遣という謎の行為を主導したのか分からないまま、責任者不在で、方針も決められなかった。
「直ちに返して貰おうか」
「いや、どうせならひと暴れさせようじゃないか」
「それだとフランスへの義理が立たない。
フランスは今や友好国だ」
「それを言ったらタイも、古くから我が国の友好国だ。
今更戦争を止めろとも言えない」
議論は続くが、不毛な議論に終始し、結局
「動きが出てから決めないか?」
と先送りとなった……。
タイ王国はマンコーン・プロムヨーティー中将率いる東部軍5個師団、ルアン・クリアンサックピチット率いるイサーン軍3個師団を編制した。
そして1940年11月23日、6機のマーティンB-10爆撃機でインドシナ植民地軍の基地施設を昼間爆撃する。
ここにインドシナ国境紛争が勃発した。
タイ軍は装備こそ旧式だが、インドシナ植民地軍が本国からの援軍を頼めないのを良い事に、数に物を言わせて前進を続ける。
外人部隊が来援し、一時は逆襲に成功するインドシナ植民地軍だったが、やはり数の優位からタイ軍に押されていた。
タイ軍は、カンボジア、ラオスの地域に侵攻して行く。
そんな中、タイ海軍第一戦隊の海防(?)戦艦「山城」がインドシナ植民地沿岸に姿を現す。
そして、36センチ主砲で砲撃を行った。
■大日本帝国海軍省:
「え? 『山城』で主砲全門斉射をやったの?
やるな!やるな!やるんじゃないぞ!って散々釘を刺したではないか?」
「やるな!やるな!は、『やれ』の前振りではないんですか?」
「なんだそれは?
誰がそんなふざけた事言った?」
「いや、何となく。
人間、やるなと言われたらやりたくなりますよね」
「それで? 『山城』はどうなった?」
「やはり上部構造、探照灯とか測距儀とかが破損しました。
また、甲板にいた多数の兵士が負傷しました」
「言わん事ではない!」
「タイは戦艦の運用実績に乏しい国です。
こういう痛い目に遭った事も無かったので、やるなと言われても危機感は無かったのでしょう」
「それで『山城』はまだ前線にいるのか?」
「報告によると、第三戦隊の『扶桑』と交代。
チョンブリーの海軍基地に引き上げたそうです」
「『扶桑』の他の戦力は?」
「水雷艇3隻と敷設艇、漁業保護艇各1隻です」
「ふうむ……。
何事も無ければ良いが……」
「何か不安な事でも?」
「いや、何となく悪い予感がしてなあ……」
■フランス領インドシナ サイゴン:
インドシナ総督兼海軍司令官のジャン・デコウ中将は、援軍も本国の情報分析も無い状況で、戦争を行っている。
本来彼は、枢軸国と戦いたかった。
しかし、彼の持っている戦力で日本と戦える筈が無い。
彼は、援蒋ルートを潰す為にトンキン湾に上陸した日本軍と妥協し、ハイフォン港も解放、日本軍の駐留を認めた。
こうして日本との友好関係を確保した上で、タイ軍の半数の戦力で頑張っている。
「ベランジェ大佐、かけ給え」
レジス・ベランジェは、臨時に編制された第7戦隊の司令官である。
(序列として、デコウ中将とベランジュ大佐の間に極東艦隊司令長官テロー少将がいる)
麾下の戦力は、軽巡洋艦1、通報艦4である。
軽巡洋艦「ラモット・ピケ」は排水量7249トン、速力33ノット、15.5cm連装砲4基、3連装魚雷発射管4基という武装である。
通報艦とはフランス風の呼び方。
同様の艦種をイギリス海軍ではスループ、ポルトガル海軍では植民地通報艦と呼ぶ。
海外領土警備用の小型巡洋艦で、極東艦隊に配備された「ブーゲンヴィル」級通報艦は満載排水量2600トン、速力17ノット、13cm単装速射砲3基、機雷50発という武装である。
この戦力は、確かに日本に勝てるものではない。
日本がおかしな事をする前のタイ海軍相手なら、何とかなる戦力だった。
「ベランジェ大佐、第7戦隊の出動は取り止める」
「何故でしょうか?」
「『ロワール130』偵察機からの報告によると、タイ海軍の巨大戦艦はハッタリではなく、確かに存在するとの事だ。
日本に問合せたところ、確かに『ヤマシロ』『フソー』という戦艦を貸し出したそうだ。
戦争にしない為だったとか何とか言ってたが、まあそれはどうでも良い。
向かう先に3万トンの戦艦がいる事自体が重要な問題なのだ。
戦艦に軽巡主体の艦隊をぶつけたところで、レンガに生卵をぶつけるようなものだ。
君の戦隊は温存する」
「お言葉ですが、総督、戦い様なら有ります」
「聞いても無駄だろう。
戦力に差があり過ぎる」
「いいえ、大丈夫です。
その戦艦を得てタイ海軍は何ヶ月経ったのでしょうか?」
「そうだな、開戦前には有ったようだから、4ヶ月程だな。
…………。
そうか、練度不足か!
常に弩級戦艦に乗り慣れている海軍と違い、今まで2千トン級の海防戦艦が適度だった海軍が、いきなり3万トンの戦艦を2隻手に入れても、使いこなせないか」
「はい、その通りです。
そして、練度の差が最も顕著に出る、夜戦を仕掛けたいと思います」
「なるほどなぁ。
もっともな事である。
その案の欠点は何かね?」
「日本が貸したものが戦艦だけでなく、巡洋艦に駆逐艦というバランス良い艦隊編制が出来ていたならば危険です。
いきなり戦艦の懐には飛び込めますまい」
「それは大丈夫だ。
偵察機も日本の外交官も、その2隻だけだと言っておる」
「まあ、色々言いたい事はありますが、信じるとしましょう。
では改めて出動を待ちます」
「ラモット・ピケ」はサイゴン港に居た。
同行する通報艦「デュモン・デュルヴィル」「アミラル・シャルネ」「タウール」「マルヌ」はサイゴン北方のカムラン湾で訓練中である。
ベランジェ大佐はカムラン湾に出向き、艦長たちに事情を説明する。
そして
「如何に超弩級戦艦があろうが、使いこなせなければ何の意味も無いという事を、世界に示してやろうか!」
と発破はかけた。
そして1940年1月15日、陸軍の要請を受け4隻の通報艦がカムラン湾を手動、途中でサイゴンから出動した「ラモット・ピケ」と合流し、翌日にはバンコク湾に入る。
「ロワール130」飛行艇を飛ばし、フランス艦隊はコーチャン島とサッタヒープの2箇所に停泊している事を確認した。
警戒すべき戦艦はコーチャン島に居た。
「夜を待ってコーチャン島に突入する!」
ベランジェ大佐は麾下全艦に告げた。
かくして戦艦対軽巡洋艦のミスマッチな海戦が始まろうとしていた。
【ジョークネタ】
三国同盟のパーティにて:
とある外交官の子供が、
「ドイツとイタリアは仲がいいから実現しないと思うけど、蹴球したらどっちが強いの?」
と質問した。
ドイツ「そうよのう、イタリアも上手いが、防御なだけではなあ。
やはり攻撃こそ最大の防御というように、矢継ぎ早の攻撃のドイツこそ最強だ」
イタリア「お言葉ですが、その考えは浅はか過ぎます。
いいですか? 堅守抜きの攻撃は絶対に有り得ません」
ドイツ「なにィ、貴様我が国の蹴球に逆らうのか?
よーし、それなら攻撃が強いか、防御が強いか、決着をつけようじゃないか!」
日本「では私が裁きをさせていただきましょうか?」
独伊「フースバル/カルチョの下手な国は黙ってて貰おうか!!」
間抜けな仲介者のおかげで、枢軸蹴球喧嘩は大ごとにならずに収まった。
だが約40年後、そのサッカーの下手くそな国で生まれた
「ボールは友達だよ!」
な漫画キャラクターに魅了された選手を、独伊共に出すどころか、漫画キャラクターの所属チームとして獲得競争をする事を、当時の誰も知る由が無かった。




