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戦艦放浪記  作者: ほうこうおんち
第5章:フィンランド海軍編(1939〜1940年)
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ソ連海軍の悪夢

 『敵艦見ユ』の報告を最後にソビエト連邦バルト海艦隊所属の巡洋艦「キーロフ」が消息を断った。

 詳しい報告が入らず、クロンシュタットのバルト海艦隊司令部では焦燥に駆られた。

 偵察機を飛ばし、トゥルク港を観測する。

 海防戦艦2隻が居ない。

 そこでバルト海艦隊では、「キーロフ」が不利を悟らずに海防戦艦2隻と戦い、敗北したものと結論を出した。

 艦長は処罰ものだが、戦死した為、それ以上の罪には問わない事とする。


 それはそれとして、フィンランドに対する海上封鎖に穴が開いた事と、小癪な敵軍を懲罰する為、ソ連は戦艦を出す事にした。

 「ガングート」級超ド級戦艦は、ロシア帝国が建造したものだが、ソ連となった今でも海軍の最強艦である。

 満載排水量2万6千トン、速力22.5ノット、主砲30.5センチ三連装砲4基、水線付近の装甲225mm。

 攻撃力、防御力、速力の全てがフィンランドの海防戦艦に勝る。

 フィンランド軍が2隻で連携して「キーロフ」を翻弄したと考えられる為、海上封鎖の為に分散配置している「ガングート」と「マラート」を合流させ、こちらも艦隊とする。

 さらに4隻の駆逐艦を付けた為、フィンランド海軍が魚雷艇や潜水艦を使おうとも対応可能である。

 集結したソ連艦艇は、バルト海を西に向かった。



--------------------------------


 1930年代後半、ソ連ではスターリンによる赤軍大粛清が行われた。

 5人の元帥の内3人、国防担当の人民委員代理11人全員、最高軍事会議のメンバー80人の内75人、軍管区司令官全員、陸軍司令官15人の内13人、軍団司令官85人の内57人、師団司令官195人の内110人、准将クラスの将校の半数、全将校の四分の一ないし二分の一が「粛清」された。

 大佐以上の将校に対する「粛清」は、イコール銃殺であった。

 元々はスターリンの台頭に対し、古参の「オールド・ボリシェヴィキ」が不安視した為、スターリンは彼らの粛正を考えていた。

 そんな折、スターリンの政敵セルゲイ・キーロフが共産党大会中に暗殺される。

 スターリンはこれを奇貨として使った。

 犯行は「レニングラード・テロリストセンター」と呼ばれるトロツキー一派の仕業であるというでっちあげの公式声明を行い、その逮捕を口実に、自らの反対派抹殺に乗り出した。

 ウラル軍管区司令官ムラチェコフスキーやシベリア方面赤軍司令官スミルノフという将校も、オールド・ボリシェヴィキとしてスターリンの政敵、粛清対象となる。

 やがて拷問による自白から次々と赤軍将校、さらに政治将校も粛清されていく。


 1938年になり、ソ連の国家運営は人材不足から支障を来たすようになった。

 赤軍も同様である。

 高級将校を次々と粛清した為、中佐以下を経験不足の中抜擢し、空いた職を埋めた。

 そんな赤軍がフィンランドに対し戦争を仕掛けた。

 陸では、経験不足な司令官たちが、フィンランド軍に翻弄されている。


 一方海軍である。

 フィンランドとの戦争時、海軍人民委員(海軍大臣)だったのはニコライ・クズネツォフ准将であった。

 年齢は34歳。

 彼は前年まで太平洋艦隊司令官であり、大粛清に対し抵抗して、多くの将校を救った。

 しかし、バルト海艦隊の方は当時管轄外で、救えていない。

 クズネツォフはソ連海軍を強化すべく尽力しているが、結果が出るのは数年後であろう。

 それまでソ連海軍は、大粛清で弱体化した艦長以上の将校と、進んでいなかった新型艦及び主力艦配備の中でやり繰りするしか無い。

 だが、周囲には海防戦艦しか持たない北欧4ヶ国、駆逐艦が主力のポーランド、掃海艇程度しか持たないバルト3国しか無い。

 一番怖いドイツは、ベルサイユ条約による軍備制限を破棄し、再軍備をしている「最中」であり、数年は安心である。

 そのドイツとも不可侵条約を結んだ。

 弱体化したソ連海軍とは言え、バルト海に脅威は存在しない、筈だった。


--------------------------------




 クロンシュタットの海軍司令部にモスクワより電話が入る。

「司令官、クズネツォフ同志海軍人民委員よりです」

「はい、同志人民委員、何の用でしょう?」

「ロンドンの諜報機関から、フィンランドに戦艦『バウンティ』が貸し出されたという報告が入った」

「そうですか、情報提供ありがとうございます」

「それだけか?」

「は?」

「君はこれがどういう事か、分かっているのかね?」

「敵に戦艦が一隻増えたという事でしょう」

「言い直す、戦艦『バウンティ』とは、元日本海軍の戦艦『ムツ』の事だ」

「はあ……」

「君はその名前を知らないのか?」

「太平洋方面の事は分かりません」

「耳垢を掃除して、よく聞くんだ。

 排水量約3万トン、速力23ノット、16インチ主砲が8門の世界最強の戦艦がフィンランドの味方としてバルト海に入ったのだ!」

 ここまで聞いて、艦隊司令官は事態に気づいた。

「な、な、何故そんな戦艦が?

 イギリスが敵になったという事ですか?」

「その評価はこちらでする。

 バルト海艦隊は『ムツ』が居る事を前提に行動するように」

「分かりました」


 電話を切ると、真っ青な顔の司令官に参謀たちが質問する。

中央モスクワから何か面倒事でも命じられましたか?」

「面倒事はバルト海に既に居る。

 戦艦『ムツ』がフィンランドに味方したらしい」

「それがどうかしましたか?」

「貴官らはそれでも参謀か?

 事態が悪化したのが分からんのか?」

「恐れながら司令官、確かに状況は悪化しましたが、戦う前から恐れを抱くとはいけません。

 我々にも『ガングート』級が2隻居ます。

 1隻だけで艦隊行動が出来ない以上、『キーロフ』の失敗をその戦艦に味わせるまでです」

 参謀たちも、経験の無い頭でっかちを昇進させただけで、血の気だけは多かった。

「ジェーン年鑑を持って来い!

 日本海軍の『ムツ』が載ってるものだ。

 情報主任参謀、すぐにやり給え」


 しばらくして1923年のものを持って来た情報参謀もまた、真っ青な顔をしていた。

「読み給え」


 参謀や小艦隊司令官たちが額を寄せて本を読む。

 大日本帝国海軍戦艦「ムツ」、

 「ナガト」級戦艦2番艦、

 排水量3万3千トン、装甲305mm、

 推定速度23.5ノット、

 主砲40センチ砲連装砲4基8門、

 推定射程距離3万メートル……。


「1隻で戦況がひっくり返ります!」

 参謀たちも、やっと状況が分かったようだ。

 「ガングート」級は4隻造られたが、その全部を投入しても勝ち目が無い。

 「ガングート」の主砲では「ムツ」の装甲を撃ち抜けない。

 「ムツ」の主砲は「ガングート」を軽々と突き破る。

 速度も「ムツ」がやや(改装後は相当に)優速である。

 射程距離も「ムツ」が千メートル程(改装後は1万メートル)長い。

 どう戦っても勝ち目が無い。


「司令官、如何すれば……」

「同志参謀、狼狽るな。

 手が無い訳では無い。

 停泊中に潜水艦で雷撃すれば良い。

 魚雷ならばポスト・ジュットランド型戦艦と言えど防げない。

 それと、建造中の新型戦艦(『ソビエッツキー・ソユーズ』級)なら対抗可能だ。

 落ち着いて、対策を練ろうではないか、諸君」

 当分完成しない戦艦まで挙げて「決してソ連は劣っていない」と言う司令官。

 そうでも言わないと、後で臆病だった、敗北主義に陥ったと誹りを受け兼ねない。


 だが、落ち着きを取り戻した司令官は、次の報で再度パニックに陥る。


「同志司令官、『ガングート』より入電。

 ロサラ島西方に単独行動中の敵艦発見。

 ただちに撃沈する。

 以上です」


「いかーーーん!

 直ちにやめさせろ!!!」




 「ガングート」が「陸奥」を発見した頃、「陸奥」の方も敵艦隊を発見していた。

「今度は6ハイになりますか。

 豪気ですな」

 双眼鏡を見ながら副長が呟く。

「第一戦速、敵艦隊に近づくぞ」

 森航海長が機関室に伝える。

 イギリスの冶金技術を用いた罐に換装して以降、速度が更に上がった。

 快速で敵艦隊に近づく。


 しかし、1万8千メートル付近から、敵艦隊の行動に異変が生じる。

「奴等、回頭を始めた。

 逃げる気か?」

「敵通信を傍受。

 ロシア語でしたので訳したところ、撤退を命じていました」

 朝田が初めて口を開く。

「平文?

 暗号化はされてなかった?」

「暗号も有りましたが、複数の周波数帯で同じ内容を言ってます。

 かなり慌てた感じです」

「ふうん……。

 どうやら我々の正体に気づいたようだね」

「ですな。

 で、どうします?

 制海権さえ取れたら艦艇には構う必要有りませんが」

「叩いておこう。

 着弾観測機発進」


 カタパルトから「ロック」水上戦闘機型が発進する。

 敵艦隊から対空砲が撃たれるが、そうそう当たるものではない。

 照準器射撃か、着弾観測機による管制射撃か、微妙な距離だが、「陸奥」はあえて観測機を選んだ。

 観測機が配置に付き、「陸奥」は主砲を発射する。

 敵艦隊より遠くで水注を上げる。

 敵戦艦が思ったより小さく、遠くに照準を合わせてしまった。

 修正し、再砲撃。

 今度は近過ぎる。

 三回目で夾叉した。

 四回目で微調整。

 五回目で命中弾!

 「マラート」はその一発が機関室に入って爆発。

 轟沈した。


 「ガングート」艦内はパニックになっている。

「なんだ、あの威力は?」

「司令部が言ってた16インチ砲か?」

「司令部が言った事は本当だ。

 全速力で逃げろ」

 だが、敵艦は追って来る。

「速いぞ!

 27ノットは出ているんじゃないか?」

「上空に敵機確認」

「追い付かれるぞ」

 「ガングート」艦長は腕組みをして考えていたが、

「取り舵!

 全砲を奴に向けろ。

 ソビエト海軍の意地を見せてやる。

 駆逐艦は離脱!

 『ガングート』はこれより敵艦を迎え撃つ。

 何発か当てて、傷痕を刻み付けてやるぞ!」


 「ガングート」の抵抗は、無意味に終わった。

 確かに命中弾が数発有った。

 しかし、装甲に弾かれて損傷が無い。

 そうしている間に、「陸奥」が観測射撃を始める。

(「ガングート」がどう攻撃しようが、傷一つ付かないよ)

 というような態度で、嫌になるくらい冷静で手順通りに撃って来る。

 やがて「ガングート」の前後で水柱が立った。

 夾叉された。

 距離を完全につかまれた。

 そして、前方の4門だけだが、主砲斉射の轟音がバルト海に響く。

 狭い海だけに、フィンランド側には聞こえていたと、海戦後に聞いた。

 「ガングート」は3発命中弾を受け、弾薬庫誘爆で大爆発、30分保たずに轟沈した。

 「ガングート」艦長は負傷し、もう助からない。

 沈みゆく艦内で、戦闘詳報を送信し続けた。

(あの戦艦、白いな……)

 英国風の白灰色の塗装の「陸奥」を、近距離で見て艦長はそう思った)

 「マラート」と「ガングート」は、轟沈とはいえ巡洋艦の「キーロフ」よりは持ち堪えた為、短艇カッター救命艇ボートで脱出した者が大勢居る。

 「陸奥」は既に戦闘旗を下ろし、『我救命活動中』の信号旗を出している。

(我々を救助するつもりか……。

 何もかも余裕綽々で腹が立つな)

 そう思いながら、艦長は最期の通信を送った。

 艦長が事切れるとほぼ同じくして、「ガングート」の残骸は完全に海中に没した。




 バルト帝国艦隊は、大型洋上艦を3隻失い、バルト海の制海権を失った。

 これより海上封鎖をされるのはソ連の側になる。


 「ガングート」最期の通信は、ソ連海軍を怒らせ、悲しませ、震え上がらせた。


『バルト海の"白鯨"に手を出してはならない。

 "ガングート"のようになってはならない。

 私は失敗した』

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