ジョージ6世戴冠式騒動
1937年当時のドイツの指導者は総統アドルフ・ヒトラーであった。
彼は最初、先駆者であるイタリアの統領ベニト・ムソリーニを崇拝していた。
1934年6月、ヴェネツィアで両者は最初の会談をする。
ムソリーニは「常軌を逸している」と、ヒトラーの反ユダヤ主義を批判した。
また、外務次官フルヴィオ・スーヴィッチとの会話でヒトラーを「道化師」と評した。
ムソリーニにとって、最初ヒトラーは嫌悪感の募る人物であったのだ。
それもあってか、ドイツのオーストリア併合を支持していない。
事態は1935年から36年にかけて変わる。
第二次エチオピア戦争で孤立したイタリアは、ドイツとの交流を深める。
この時に、それまで対立状態にあった日本とも手を組んだ。
翌1936年7月に勃発したスペイン内戦で、イタリアとドイツはほぼ同盟国となった。
ドイツもまた、日本とは対立していた。
欧州大戦で青島を奪われた事もあるが、その後中国大陸において、ドイツ陸軍は国民党政権を支持し、軍事顧問団を派遣して日本軍を苦しめている。
ヒトラーも人種主義思想から、日本の「アジア人によるアジア統治」を唱える大アジア主義や大東亜共栄圏というものを嫌悪していた。
日本人を「文化的には創造性を欠いた民族である」と『我が闘争』に書き、日本語の発音を鵞鳥のようだと酷評したりもした。
ドイツ国防軍は親中華民国・反日であり、国防軍総局長ヴァルター・フォン・ライヒェナウは中華民国に1億ライヒスマルク借款を行う援助協定を成立させた。
しかしこれがドイツの日本接近に繋がる。
援助協定のあまりの巨大さにドイツ外務省は、国防軍牽制も兼ねて対日接近に傾く。
そしてヨアヒム・フォン・リッベントロップが援助協定を中止させ、国際共産主義運動を指導するコミンテルンに対抗する「日独防共協定」が締結された。
故に、日独伊の接近というのは、ある意味では奇跡のようなものと言えよう。
逆に1935年までは、イギリス・フランス・イタリアは関係良好であった。
1935年のドイツ再軍備に対し、この3国は「ストレーザ戦線」を結び対抗する。
フランスは更に、オーストリア・ハンガリー二重帝国崩壊後に生まれたチェコスロバキア、ユーゴスラビア王国、ルーマニア王国という国々と連携を図る。
しかし、イギリスがドイツと海軍協定を結んで「ストレーザ戦線」は2ヶ月で崩壊。
フランスがソ連と相互援助条約を批准すると、それを理由にドイツは非武装地帯とされたラインラントに進駐する。
フランスが様子見な態度を採った事から、チェコ、ユーゴ、ルーマニアとベルギーはフランスへの信頼を無くする。
1936年5月3日に行われたフランスの選挙において、人民戦線が勝利する。
フランスは「反ファシスト」の左派政権となるも、軍事の使用において政権内がまとまらず、スペイン内戦が起きても派兵を巡って社会党と共産党の対立が起きた。
イギリスは1936年にボールドウィンの3度目の内閣が誕生したが、この年に起きたエドワード8世退位騒動で政治指導をしなくなった。
エドワード8世は親ドイツで、ヒトラーのする事を「妨害するな」とボールドウィンに告げ、ボールドウィンは国王の介入を快く思っていなかった。
エドワード8世とウォリス・シンプソン夫人の不倫・貴賤婚に対し「やるなら退位も考えろ」と書簡を送ったボールドウィンだったが、実際に退位されてしまうとショックだったのか、翌1937年には首相を辞任する。
1937年をまとめると
・イギリス:ボールドウィン首相がやる気を失い政治は混迷、ドイツとは友好的
・フランス:左派人民戦線が内輪もめを起こし政治は混迷、ドイツとは対立的
・ドイツ:ナチス政権がイタリア、日本と関係改善し、イギリスとは友好的
・イタリア:ムソリーニ政権がドイツに接近し、日本とも関係改善、フランスと対立的
・日本:ドイツ、イタリアと親交を持ち、イギリスとは友好と対立両面あり
という状況であった。
これに、今まで出て来なかった国の事情は
・アメリカ:フランクリン・ルーズベルト政権下で景気回復するも、1937年より再下降
・ソビエト:赤軍大粛清の真っ最中
・中華民国:「日本軍は軽い皮膚病、共産党は重い内臓疾患」と例え、国共内戦
である。
こんな中、イギリスの新国王ジョージ6世の戴冠式と、記念観艦式が執り行われた。
ロンドン訪問中の日本の帝の弟宮は、不思議な日本人から声をかけられる。
「殿下!
殿下は覚えておられないかもしれませんが、男爵家の子である自分は覚えております。
なので、一声おかけしました」
「男爵家?
はて?
私は英国に留学中の華族の事は聞いておるが、卿はどなたか?
失礼ながらお名乗り下さい」
「自分は男爵伊達宗敦の子で順之助と言います。
祖父は伯爵となった元の宇和島藩主、伊達宗城です」
聞いていた周囲の警備が、華族名簿を頭の中で検索する。
近づけてはならない危険人物!
そう結果が出て宮を遠ざけようとする前に、宮が尋ねた。
「伊達の家門か。
ロンドンには留学中か?」
「いえいえ、山縣有朋を暗殺しようとして日本に居られなくなり、満州辺りをうろついていたところ、戦艦『陸奥』を見つけて、乗ってここまで来たのです」
警備の者が慌てて宮と伊達順之助の間に割って入り、
「殿下、あのような者と言葉を交わしてはなりません!
どうかこちらへ!」
と引き剥がす。
一方で、相手は仮にも華族の一員であり、また外国で騒動を起こす訳にもいかず、警備は順之助に触れないまま困っていた。
「殿下!
エチオピアで戦った日本人に対し、特赦は出ませんかね?」
「お静かに! 直に声をかける等、してはなりません!」
「邪魔だ、てめえ、撃つぞ、おら!」
(こいつ、本当に華族なのか?)
揉めている中、宮は警備の者を制して語った。
「私は特赦が有って良いと思う。
国の名誉を高める見事な戦っぷりであったそうだな。
だが、国に在って私の意見等聞く耳持たれぬよ。
覚えておくが良い。
国を牛耳っておるのは、帝でも側近でも無い、統制派の者どもよ。
伊達の小倅、義勇軍には私が褒めていたと伝えてくれ」
この弟宮は、先年二・二六事件を起こした皇道派青年将校と近い考えを持っているという噂である。
順之助は満足して、そのまま雑踏の中に姿を消した。
しかし、騒動はこれで納まらなかった。
日本は知っていて外交上あえて黙っていたのだが、伊達順之助が堂々と口にした事で、脱走戦艦「陸奥」がイギリスに居る可能性について、触れざるを得なくなったのだ。
折角の観艦式なのに、揉め事を起こしたくは無い。
しかし、帝の弟が耳にした以上、言わざるを得ない。
「『陸奥』は英国に居るのですか?」
「『ムツ』なんて船は知らない」
「名前を変えたのでしょうが、居るのでしょう?」
「さて? 仰る意味が分かりません」
「では質問を変えます。
今年の情報が載っているこのジェーン年鑑ですが、この戦艦『バウンティ』ってのは何ですか?」
「昔、タヒチにパンノキを採りに行って、反乱を起こされた帆船ですよ」
「とぼけないでいただきたい。
大体、『バウンティ』号は焼かれた筈です」
「よくご存じですねえ。
それが、実はタイムスリップして出て来たのです」
「ふざけないで下さい!」
「我が国の誇るSF作家のH.G.ウェルズをご存知ない?
一読なさってはどうですか?」
「結構です」
「その内、日本もタイススリップして歴史改変とか、歴史上の人物が転生とか、異世界や宇宙から軍艦が来たって小説だらけになりますよ」
「今はそんな話、関係ありません。
よろしい、この『バウンティ』が我が国の『陸奥』で無いというなら、見せていただきたい!」
「それが、この世界に来る前に、一度未来で大改装を受けてましてな。
帆船とはまるで違う艦に生まれ変わっておりました」
「御託はもう聞き飽きたので、観艦式で『バウンティ』を見せて下さい!!」
イギリス海軍の担当は、ジョークが通じないなと肩をすくめつつも、上司に報告を入れる。
チャットフィールド第一海軍卿は電話を入れた。
「誰かさんが余計な事をしたせいで、折角スカパ・フローに隠しておく筈だった『バウンティ』を観艦式に出さねばならなくなった。
それで、出せる状態かね?」
二、三、電話でやり取りをする。
観艦式当日:
日本海軍は重巡洋艦「足柄」が参加していた。
「飢えた狼」と評されたこの艦は、まさに狼が獲物を狙うような目で、イギリス戦艦の一つ一つを確認している。
「あれは?
あれは『陸奥』では無いですか?」
観測員の1人が見覚えのある艦形を見つけた。
日本の誇りである戦艦「長門」の同型艦であり、「長門」の姿を海軍の者ならよく知っている。
今は改装されて、昔の面影を失った「長門」だが、「陸奥」は昔の姿そのままだろう。
だが……、
「なんて事をしやがった……。
主砲が違う。
四連装砲だと?
これでは違う艦だと言われてしまう」
そう、現れた戦艦「バウンティ」は、新型14インチ四連装砲塔を4基搭載している。
そのせいか、随分と喫水も低くなっている。
主砲を大きい方にする事はあっても、小さい、威力の低い方にするとは考えづらい。
乗り込んで細部を調査すれば分かるのだろうが、現状だと
「最初から14インチ砲ですよ。
16インチ砲に違いないから中を見せろって?
他国の軍人にそんな事は出来ませんよ」
と断られるだろう。
一応再度海軍関係者に尋ねた。
「41センチ砲をどこにやった?」
「そんな砲は我が国にはありませんが」
「連装砲4基で8門分、一体どこにやったぁぁぁぁぁ?」
「さあ? 私の予想では、16世紀くらいにタイムスリップして、無敵艦隊相手に有り得ない威力で大活躍していると……」
「もういい!!」
こうして「バウンティ」イコール「陸奥」疑惑は、日本海軍が激怒する強引さで押し切られてしまった。
日本は今後しばらく「『陸奥』を返して欲しい」という交渉を繰り返す事になる。
スコットランド北方スカ・パフロー沖:
朝田たちは、「バウンティ」から外した41センチ砲の行方を知っている。
「あれが新型戦艦『ネルソン』級の実験艦ですか?」
「ああ。
16インチ砲三連装砲塔を3基搭載する事は決まったそうだが、
前甲板に3基全てを置く方式か、
前甲板に2基、後甲板に1基置く方式かで揉めているそうだ。
それで、既に完成している『陸奥』の主砲を一時拝借して、バランス実験をするという事だ」
「常識で考えれば、前に集中とか有り得ないと思いますがね」
「前に集中した方が、装甲も集中出来て軽量化出来るそうだよ」
「ほほお、流石は戦艦設計の先進国イギリス、考える事が違いますな」
才原副長は感心していたが、彼はイギリスは時に「どうしてこうなった?」という兵器を造る悪癖を知らない。
そして日本もまた、20.3センチ連装砲4基を全部前甲板に集中配置した「利根」級重巡洋艦(起工時は軽巡洋艦)を建造中な事を知らない。
日英両国は、何だかんだで同じような思考をする国なのかもしれない。
前作「ホノルル幕府」からの話。
ワイキキ海軍軍縮会議の結果、「陸奥」廃棄と共に、アメリカは「ウェストバージニア」「コロラド」を廃棄、イギリスは新しく16インチ砲戦艦を持てなくなりました。
だから、もう作ってしまった「陸奥」をどうにか隠したいってとこからこの物語はスタートしてます。
そして、経済的事情から「軍縮条約に従った方が良い」イギリスは、今まで「ネルソン」級を造らずにいたので、軍縮条約の期限切れを見越して建艦計画が立てられました。
一方で、万が一日本が思い直して第二次ロンドン軍縮条約に参加する場合用に、条約型戦艦「キングジョージ5世」級も考えて、二本立てでいってました。
ワイキキ軍縮条約は、ワシントン軍縮条約っていう異世界のものより厳しいものだったので、ちゃんと守ってれば経済再建はしやすいものです。
なのでイギリスは、「ネルソン」級と「キングジョージ5世」級に「ライオン」級をまとめて造ろうか!というくらいまで余力回復しました。
まあ、三級別々な仕様なのについては、次話でツッコミ入ります。