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戦艦放浪記  作者: ほうこうおんち
第4章:イギリス海軍編(1936年~1939年)
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新しい艦名

 主力艦及び補助艦の保有量を制限する海軍軍縮条約。

 イギリスはこの会議と条約の常連である。

 欧州大戦で疲弊した国力に見合う軍備、故に他国にも軍拡競争をさせず、同じように制限をかけておきたかった。

 だが、次の第二次ロンドン軍縮会議は、世界三大海軍国の一角、日本の離脱が予想される。

 再び軍拡の時代が始まろうとしている。


 世界各国同じような見通しで動いていた。

 その為、軍縮条約が切れた以降に新型戦艦を就役させるスケジュールで建艦計画を立てている。

 一方で、既に保有している戦艦・巡洋戦艦の近代化も急務であった。

 この1935年から1936年にかけては、日本もイタリアも戦艦の改装で使える艦が少なかった。

 そしてそれはイギリス海軍も同様である。


 1936年時点のイギリス戦艦、巡洋戦艦の状況は以下の通りである。

【クイーン・エリザベス級戦艦】

・ウォースパイト:1934年より改装工事中

・ヴァリアント:1937年より改装予定


【R級戦艦】

・リヴェンジ:1936年より改装工事に入る

・ロイヤル・ソヴリン:1936年カタパルト撤去工事中


【レナウン級巡洋戦艦】

・レナウン:1936年より改装工事に入る

・レパルス:1934年より工事中


 改装予定の無い「クイーン・エリザベス」「バーラム」「マラーヤ」「レゾリューション」「ロイヤル・オーク」そして巡洋戦艦「フッド」が稼働中であった。

 また、改装工事の終わった「ラミリーズ」も再就役している。

 数は多いが、26ノット以上の艦は「フッド」1隻しか無い。

 また日米が保有している16インチ(41センチ)砲搭載艦は保有していない。

 新型戦艦として16インチ砲の「ネルソン」級と、14インチ砲の「キング・ジョージ5世」級を建造予定に入れているが、現時点ではまだ存在していない。


 イギリスが41センチ砲搭載戦艦である「陸奥」を入手する事は、この期間の穴埋めとして重要な事であった。

 「陸奥」は機関が疲労しているようだが、オーバーホールすれば26.5ノットという高速を出す。

 その上、「既に」41センチ砲を搭載している為、この仕様やデータ収集をする事で、「ネルソン」級をより強力に建造出来る。

「東方エルサレム計画が、思わぬ副産物を生んだわ」

 とイギリス第一海軍卿チャットフィールド卿は呟いていた。


 とは言え、「陸奥」がイギリスに居るとなると、すぐに日本に伝わる。

 返還要求が来る事は予想された。

 さっさとイギリス海軍の所有物とするべく、艦名変更の通達がケープタウンで修理作業中の「陸奥」に届けられた。




「諸君、この艦の名前は今日から『HMSバウンティ』となるという通達が届いた」

 諸勢力入り交ざった食堂で、夕食時に朝田艦長が告げた。

 ここには艦の幹部だけでなく、馬賊、日本人義勇軍、白系ロシア人、八極拳士、エチオピア軍残党、そしてイギリスが雇った船員のトップや補佐役が集っている。

「『バウンティ』とは、どういう意味ですか?」

 朝田はシニカルな笑みを浮かべながら

「我々の今の状況にピッタリな名前だな」

 と言い、説明を始めた。




--------------------------------


 1787年にポーツマスを出港したイギリス海軍の武装船「バウンティ」号は、タヒチ島に向かった。

 西インド諸島の植民地における奴隷の食糧問題を解決する為、パンノキをタヒチから西インド諸島に輸送する任務であった。

 風向きの関係から、「南海の楽園」タヒチ島に半年間滞在する。

 その間に船員たちはタヒチの女性と結婚したりして、現地生活を楽しんだ。

 すっかり綱紀の緩んだ「バウンティ」号に、艦長のウィリアム・ブライ海尉は、船員たちを口汚く罵り、処罰を行う。

 一方の船員たち、これは副艦長も含むが、彼等はタヒチでの生活を懐かしみ、狭い船内で波風を相手に戦う日々にウンザリしていた。

 パンノキを運ぶ為の温室を作った事が、船員の居住環境を悪くしている。

 ついに副艦長フレッチャー・クリスチャンが不満を持つ船員たちを糾合し、反乱を起こした。

 ブライ艦長は「バウンティ」号を追放され、小さい艦載艇で漂流させられるも、優れた航海術を活かしてオランダ領バタヴィアまで辿り着く。

 一方のフレッチャー・クリスチャンは、パンノキを海に捨て、タヒチに戻って女性を誘拐し、新天地ピトケアン島に辿り着き、そこで暮らし始めた。

 「バウンティ」号はそこで焼かれた。


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「……という、反乱を起こされた帆船の名前だったのさ。

 日本を飛び出し、反乱やら逆賊の名を着せられた我々に似合いの名だろうね」

 この辺はイギリスらしく、皮肉屋なセンスであろう。


 伊達順之助は大笑いして

「全くそうだ! 実に俺たちらしい名前じゃないか!」

 と手を打って賛同している。

 他の者は不満があろうが、まさかイギリス海軍で「ムツ」も名乗れまいという事で、渋々受け容れた。


 修理が終わり、補給も済ませ、「バウンティ」はケープタウンを出港する。

 イギリスに亡命するエチオピア皇帝ハイレ・セラシェ1世は、修理完了を待たず、民間船で一足先にロンドンに向かった。

 多くの随員は皇帝に従ったが、200人近く乗り込んで来たエチオピア軍兵士は

「ここで貴方たちと一緒に戦いたい」

 と居残る。


「なんか、陸戦要員ばかり増えたなあ」

 彼等は艦の事は分からず、洋上では食って寝るだけのお客さんでしかない。

 彼等が再び陸に足を着けて戦う日は来るだろうか?


 そんな不満と、船酔いした馬たちを乗せて、「バウンティ」はポーツマス港に入港した。




「なんか恰好いいな」

「日本人にしては良いではないか」

「センスを感じるよ」

 イギリス人たちが賞賛している。


「艦長、イギリス人にもこの艦の良さが分かるようですね」

 才原副長は単純に感動していたが、朝田はこの事情を知っている。

 日本の戦艦は、最後にイギリスから購入した巡洋戦艦「金剛」を模倣した三脚式艦橋だった。

 「長門」は、長距離砲戦となったユトランド沖海戦を考慮し、長距離砲戦用の測距儀を乗せられる六脚式艦橋となった。

 「長門」級の改装前はイギリス式設計がギリギリで残る艦なのだ。

 「長門」級から仏塔式パゴダ艦橋と呼ばれるようになったが、改装前はまだスッキリしている方で、近代改装をした日本の戦艦は違法増築したような雑然とした仏塔式パゴダとなっていた。

 だからイギリス人は「自分たちの設計の素晴らしさ」を褒め、「日本人もやるもんだネ!」と上から目線で賞賛してるに過ぎない。

 まあ、気分良いとこに水を差す必要はないだろう。




 イギリス入国後、「バウンティ」の一行は意外な好待遇を受ける。

「ようこそ、男爵(バロン)ダテとそのご一行」

 そう言えば、この馬賊の頭目で張宗援と中国名を名乗っている男は、男爵伊達宗敦の六男で、宇和島藩主・伯爵伊達宗城の孫であった。

 粗暴さから貴公子とはとても思えないのだが、血筋は大したものである。

 そして、貴族社会のイギリスにおいて、男爵家の子が率いる部隊は、ただの海賊とは違う扱いを受けたのであった。


 やがて「バウンティ」はポーツマスから、イギリス北部スカパ・フローに移される。

 伊達順之助はスコットランドにある廃城に住む事を許され、馬賊たちも近くの牧場に移される。

 要は隔離された。


「おい、城だぜ!

 ついに俺は一国の主とは言わんが、一城を預けられる身になったんだぜ」

 と伊達順之助は感慨ひとしお……というより単純にはしゃいでいた。

 馬賊たちが暴れないよう、捨扶持程度に財貨と食糧は与えられる。

 これで野性を失えば、それはそれで良しだろう。


 一方、帰る国を失った日本人義勇軍、白系ロシア人、エチオピア軍残党はそれぞれ陸軍に組み込まれ、戦闘訓練を受ける事になった。

 伊達順之助は文句を言ったが、「竹に雀」の旗ではなく、立派な隊旗が支給される。


 イギリス海軍は「王立海軍(ロイヤル・ネイビー)」と言う。

 1918年に独立した空軍も「王立空軍(ロイヤル・エアフォース)」と言う。

 しかしイギリス陸軍は「British Army」であり「王立(ロイヤル)」の冠がつかない。

 これはイギリスの歴史が生んだもので、海軍と空軍は国家の運営だが、陸軍の連隊は王族や貴族の指揮するものだったからである。

 この連隊をいくつか束ねた指揮官をカーネル・イン・チーフと呼ぶ。

 伊達順之助は、義勇軍他のカーネル・イン・チーフに任じられ、部隊は「男爵(バロン)ダテ連隊」と呼ばれる事となる。

 一方、スカパ・フローに移された「バウンティ」は、塗装を日本風からイギリス風の白みを帯びた灰色にされ、軍艦旗もホワイト・エンサインに換えた。

 このまま彼等は事があるまでスコットランド北部に隔離され続ける、その筈だったが歴史がまた動く。




 彼等がイギリスに来た時、国王は1月に即位したばかりのエドワード8世であった。

 この独身の国王は、離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンと恋仲にあった。

 ウォリスは当時夫がいて(二度目の夫)、不倫の関係である。

 従って、保守的なイギリスではウォリスを認めようとしない。

 エドワード8世はウィンストン・チャーチルに

「私は愛する女性と結婚する固い決意でいる」

 と打ち明け、国民向けの演説をするつもりでいたが、この事を知ったボールドウィン首相は

「政府の助言なしにこのような演説をすれば、立憲君主制への重大違反となる」

 と王に詰め寄る。

 11月になり、ボールドウィン首相は

”王とシンプソン夫人との関係について、新聞はこれ以上沈黙を守り通すことは出来ません。

 一度これが公の問題になれば総選挙は避けられません。

 しかも選挙の争点は、国王個人の問題に集中します。

 個人としての王の問題はさらに王位、王制そのものに対する問題に発展する恐れがあります”

 という書簡を王に送る。


 12月7日までは「王はシンプソン夫人との結婚を取り消すだろう」という見方が大半だったが、12月8日になり王は側近に退位する事を伝え、12月9日には国民の間にも退位は確実との情報が流れて、宣戦布告をも上回る衝撃が走った。

 12月10日に正式に詔勅を下す。

 同日午後3時半に、ボールドウィン首相が庶民院の議場において、エドワード8世退位と、弟のヨーク公が即位することを正式に発表した。

 在位日数は325日、戴冠式を行っていないままエドワード8世は王位を去った。


 チャットフィールド第一海軍卿から電話を受けた朝田は、ため息をつきながら総員に出港準備をせよと命じる。

「一体何事でしょうか?」

 一同を代表して才原副長が尋ねる。

「海軍卿からの電話で、先日退位されたエドワード陛下は、12月12日深夜密かに国を去られるという事だ。

 その際の乗艦として本艦が指名された。

 本艦は直ちにポーツマス港に向けて出港する」


 ……戦艦「陸奥」こと現「HMSバウンティ」は、シャム王国のラーマ7世、満州国の愛新覚羅溥儀、エチオピア帝国のハイレ・セラシェ1世に続き、4人目の君主を座乗させる事になったのだった。

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