大日本帝国の背信
その報は、「陸奥」に物資と情報を提供してくれているスタインズ商会からもたらされた。
大日本帝国はイタリア王国のエチオピア領有を承認する、そう宣言が有ったという。
逆にイタリア王国は満州国を正式な国家として承認する。
さらにイタリアは1940年の夏季オリンピックへのエントリーを辞退する。
日本はこれを受けて、エチオピア戦争に参戦している日本人義勇軍に対し、10日以内のイタリアへの投降を命じた。
それを過ぎてなお戦場に在る場合は「逆賊」と見做す。
義勇軍司令部も「陸奥」の「エチオピア戦争だけは参加したい」というグループも騒然となった。
彼等にはどこか甘えが有ったのかもしれない。
正義の為に戦う自分たちを国が認めない訳が無い、と。
この年、1936年には全く同じように「国に見捨てられた」と思う集団が日本にいた。
1936年2月26日、陸軍若手将校は「昭和維新、尊皇斬奸」を掲げて決起した。
「二・二六事件」である。
彼等は日本の困窮、特に東北地方の農村の衰退は、政治の乱れによるものと見ていた。
そこで天皇親政を実現し、腐敗を一掃すれば日本は変わると信じた。
その為に奸臣たち、岡田啓介内閣総理大臣、鈴木貫太郎侍従長、斎藤實内大臣、高橋是清大蔵大臣、渡辺錠太郎陸軍教育総監、牧野伸顕前内大臣を襲撃する。
しかし、信頼する側近たちを殺された、あるいは殺されかけた帝は激怒していた。
「私が最も頼みとする大臣達を悉く倒すとは、真綿で我が首を締めるに等しい行為だ」
「陸軍が躊躇するなら、私自身が直接近衛師団を率いて叛乱部隊の鎮圧に当たる」
一部決起将校に同情的であった陸軍も、この強い言葉を聞き、鎮圧に当たる。
海軍は横須賀の陸戦隊を東京に派遣し、また近代改装なったばかりの戦艦「長門」を東京湾に浮かべ、その主砲で反乱軍を狙った。
「陛下は我々の味方では無かった」
と反乱軍は投降し、裁判を受ける身となった。
日本は統制を強めている。
最早エチオピアの為に戦っても、それを以て免罪されず、命令違反で処罰される。
既にそういう立場に艦長の朝田は、迷う面々の前でそれを説いた。
「もし日本人でいたいのなら、命令に従う事だ。
命令に従ってさえいれば、陛下のお情けもあろう。
だが、今が正念場だと言って少しでもこの地に残ろうものなら、諸君らは故国を失う」
淡々と語られ、彼等は肩を落とした。
義勇兵二千のうち、半数以上が日本帰国を決め、白旗を持ってイタリア軍に投降する。
「陸奥」乗員の跳ね返りの中からも100人程が命令に従って退艦し、投降部隊に加わった。
だが、ここに来て開き直った者たちもいる。
「もう知らぬ!
故郷が自分を裏切るのなら、自分が故郷を裏切っても文句無かろう!」
(伊達順之助さんの影響力、凄いものだなぁ)
どうも馬賊と接していた連中の中から、日本を捨てると言う者が多発した。
「てめえらはよく気付いた!
この俺様が褒めてやろう!
共に世界で戦い抜こうぞ!」
「おお!!」
(一体どこの梁山泊だ)
艦の士官・下士官たちも含め、次第にノリが梁山泊百八星化して来ている事に頭を痛める朝田であったが……
「うちの艦長も負けず劣らず影響力強いけどな」
「ええ、200人以上がこのまま行動を共にすると言ってました」
「何でしょうね、先が見えているっぽい雰囲気が、そうさせるんですかね?」
「実際のとこ、先は見えてるんですか? 副長」
「いや、分からん。
そう見えるだけの錯覚じゃないのかな」
「うーーむ、だとしたら残る兵も可哀そうですな」
幹部たちが自分の事を棚の上に上げて、そう論評していた。
朝田は既に次の方針を立てている。
スタインズ商会を通じてイギリスから依頼が来ていたのだ。
皇帝ハイレ・セラシェ1世は首都から逃げ出した。
イギリスと密かに連絡を取り、鉄道でジブチに向かっている。
「陸奥」はハイレ・セラシェ1世を拾って、イギリスまで来て欲しいという事である。
「代償は何でしょうか?
面倒を見ろと脅しましたが、まさか何も請求しないとか言いませんよね、気持ち悪い」
「やって貰いたい事はあるようですが、それは知らされていません。
兎に角我が国に来て貰いたいとの事です」
日本帰順派に別れを告げて、「陸奥」はジブチに向かった。
高原に居る馬賊たちとも何とか連絡がつき、彼等も陸路ジブチを目指すと言う。
1936年4月14日から25日にかけて行われたオガデン会戦で、ナシブ・ゼアマヌエル率いる3万のエチオピア南方軍は、3万8千のグラツィアーニ将軍率いるイタリア・ソマリランド軍に決定的な敗北を喫する。
ナシブ・ゼアマヌエルは捕虜となった。
既に北方軍中央部隊司令官のムルゲタ・イェガズは、退却中に息子のタデッサ・ムルゲタ共々殺されていた。
その他の司令官も捕虜となったり、逃げて残存兵力を統合して割拠したりしている。
エチオピア帝国は崩壊した。
「陸奥」の元にシンガポール経由で届けられた、高知県香南市の菓子店が作った「エチオピア饅頭」を頬張りながら、義勇兵たちは悔しさを噛みしめていた。
『侵略者に立ち向かうエチオピアを助ける兵隊の皆さん、頑張って下さい』という手紙に応える事が出来ず、涙を流している者も居た。
■フランス領ジブチ:
「陸奥」はここに投錨している。
伊達順之助の馬賊部隊と合流する為である。
また、日本帰国を選んだ100人程の乗員に代わる船員を補充する為でもあった。
この補充や補給をイギリスに頼っている以上、一度はイギリスの為に戦わねばならないだろう。
ハイレ・セラシェより先に伊達順之助らが戻って来た。
……出撃時より多数の武器や財貨や新参の手下を携えて……。
その伊達順之助が不穏な情報をもたらす。
「イタリアは皇帝を暗殺する部隊を派遣したそうだ。
ナポリのギャングにいる暗殺チームらしい。
皇帝が中々現れないのはそのせいだ。
全く臆病な事だが、ここは奴らの出番では無いかな?」
朝田も頷く。
満州国を脱して以来、一応義勇軍に加わってはいたが、本領発揮とはいかない者たちの出番である。
「霍慶南先生を呼んで来て欲しい」
ジブチは植民地名でもあり、都市の名前でもある。
ジブチ市は早くからヨーロッパ人の入植が進み、建物も通りも洋風であった。
その路地裏、武器を振り回すには不適な場所で、ナイフや拳銃を持ったイタリア・マフィアと滄州八極拳士たちの暗闘が行われている。
尤も、八極拳士たちはただの拳法家ではない。
かつて満州国皇帝溥儀を護る為に選抜された八極拳士は、特殊工作員としての訓練も受けていた。
その一部を満州国皇帝親衛隊長・霍慶殿は「世界で暴れて来い」と送り出したのだ。
本領発揮の暗闇の中、イタリア人を恐怖させている。
イタリアのマフィアは決して弱くは無い。
少数のイタリア人というのは、実に強い。
だがそんな猛者が、傷無き死体で辻に転がっているのだ。
傷と思しきものも、胸にある拳大の陥没とか、極めて小さなものである。
代わりに石畳の一部が、余程強力な踏み込みに遭ったのか、砕け、割れている。
イタリアは刺客たちに損害しか出ていない事から、暗殺の依頼を取り消した。
そしてイタリアには「中国拳法は恐ろしい、僅かな傷で内側から破壊される」という噂が拡がる。
この噂は、やがて「北斗七星の旗を見た敵は生きて帰る事は無い」という都市伝説と合流する。
暗殺団が一掃され、「夜は出歩かないように」というジブチ市民の警戒が行き渡った頃、ついに皇帝が姿を現した。
「あれが私の乗る艦か?」
巨大な戦艦に、ハイレ・セラシェは目を丸くしていた。
かくして「陸奥」は三度目の国家元首座乗艦となった。
「陸奥」の巨体もスエズ運河を通過出来ない。
「陸奥」は南アフリカ連邦、喜望峰回りにイギリスに赴く事になる。
燃料を満載して出港した「陸奥」は、アフリカ大陸沿いの航路を取った。
ここでイタリア最後の反撃が始まる。
バドリオは「日本人には構うな」と命令していたが、ここイタリア領ソマリランドには命令が届いていなかった。
沿岸警備のイタリア軍は、「陸奥」に攻撃を仕掛ける。
しかし、陸上に向かって撃つ41センチ砲は、イタリアの砲兵を確実に潰していく。
小型艇で魚雷攻撃をかけようとするが、そこは14センチ副砲の乱射で防ぐ。
ソマリアの漁師たちは、恐ろしい船を見て囁き合った。
「あれはどこの船だ?」
「たしかジャッポーネとか言っていた」
「ジャッポーネって何だ? 白人の仲間か?」
「違うそうだ、黒でもなく白でもない、黄色い肌の連中だ」
「そう言えば太陽が昇る方にある黄色い肌の人間が住む国は、白人の国と張り合っているとか聞いたぞ」
「いや、奴らはもっと恐ろしい。
白人たちを刀で斬り殺し、その首を並べるそうだ」
「首を取るのか?
じゃあ、胴体は?」
「食うそうだ」
「ジャッポーネ、怖ええ!!」
「実際あの船見ても、おっかねーよ」
「ジブチの連中に聞いたんだが、刀じゃなくて素手で殺すらしい」
「昔、フランス人に連れられてヨーロッパに行った奴の噂だと、殺しても死なないらしい」
「ジャッポーネの七つの星の旗を見た者は、生きて帰れないそうだ」
「よし、俺たちは今後何があってもジャッポーネってのには手を出してはならねーぞ。
首を切られ、胴体は食われ、白人たちですらあっという間に蹴散らされてしまう。
子々孫々伝えていこう。
食うに困って海賊やったりしても、決してジャッポーネにだけは手を出すな。
恐ろしい目に遭うぞ」
しかし「陸奥」はここに来て意外な損害を負う事になる。
友軍を助けに来たイタリア空軍が、果敢にも洋上を行く戦艦へ爆撃を行って来たのだ。
「陸奥」の7.6センチ高角砲が火を噴く。
しかし、当たらない。
たった4門の高角砲なのだが、イタリア機には全く当たる気配が無い。
一方のイタリア空軍も、高速走行をする戦艦相手に苦戦していた。
ロミオRo.1は250kg爆弾を搭載出来る偵察機だが、水平爆撃しか出来ない。
爆弾は投下後、「陸奥」がかわすまでもなく、外れた場所で水しぶきを上げる。
主力のロミオRo.1ではなく、少数の機がこの時は活躍した。
新型のカプローニCa.111は6発の100kg爆弾もしくは50kg爆弾を搭載可能である。
この数が物を言う。
進路上に「どれかが当たる」という感じでばら撒けば、一発くらいは命中する。
が、防御に優れた「陸奥」は100kg爆弾程度では損傷しない、
……そう思われた。
確かに上甲板に当たった爆弾は、ユトランド沖海戦後に設計・建造された「陸奥」の装甲に弾き返された。
爆弾も徹甲弾ではなく、陸上用の爆弾な為、当たるとすぐに爆発し、甲板上の構造物は破壊するが、肝心な艦体には傷をつけられない。
しかし、海に落ちた爆弾の一部が思わぬ損害を与えた。
信管が鋭敏な為、海面に当たったと同時に爆発するものがほとんどだったが、中にはいたずら者が居た。
それが海中で爆発する。
運が悪い事に、その爆発は舵機の近くで起きた。
「舵に損傷! 操舵に支障」
建艦以来初めての深刻な損傷と言えた。
「支障? 操艦はまだ出来るか?」
「分かりません。
かなり利きが悪くなっています」
「陸奥」の舵は左側に曲がったまま、動きが悪くなり、艦はどんどんアフリカ沿岸から離れていく。
イタリア空軍はそれを見て、損害を与えたとは思わず
「敵艦、陸地から離れていきます」
と報告する。
そして
「追撃中止、これ以上沖に出ると方向を見失って、帰還出来なくなるぞ」
という判断の元、空襲は止んだ。
イタリアにおいて
「やはり行動中の戦艦を航空攻撃で沈める事は不可能」
という結論が出される。
しかし、次の「陸奥」の雇い主となるイギリスは違う。
応急修理で舵を直し、旋回半径が大きくはなったが何とかケープタウンに入港した「陸奥」の損傷を調べた上で
「戦艦に対する航空攻撃は極めて有効。
研究に値する。
と同時に、自軍艦艇へのエアカバーも必要である」
という判断を下すだろう。
イギリスは、本国に迎え入れる前から「陸奥」への投資の配当を受け取っていた。
離れ行くアフリカの角を撮影しながら、角矢少佐が呟いた。
「この世界も俺たちの居場所じゃなかったか……」