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戦艦放浪記  作者: ほうこうおんち
第3章:エチオピア戦争編(1935年~1936年)
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バドリオ将軍の恐怖

 第二次エチオピア戦争は、エチオピア帝国軍の反攻の時期(ターン)となった。

 まず皇帝ハイレ・セラシェ1世は、イタリアが「本当の皇帝」と名指しした二代前の皇帝、廃位され現在は獄中にいるリジ・イヤスを暗殺する。

 1935年12月15日、北方3軍は全線で攻勢に出る。

 「クリスマス攻勢」の始まりであった。

 司令官が交代中で不在のイタリア軍は、エリトリア領内に押し込まれていく。

 攻勢は1936年の年明けを迎えても終わらない。

 このまま第一次同様、エチオピア対イタリアはエチオピア帝国の勝利かと思われた。


 異変は空からやって来た。


 イタリアの戦闘機兼偵察機ロミオRo.1がエチオピア軍上空から襲い掛かる。

 そしてエチオピア兵は喉を抑え、呼吸出来ない苦しさに悶えながら死んでいく。

 「何か」を浴びた皮膚は爛れていく。

 毒ガス「マスタードガス」が使われたのであった。


 異変は南方戦線でも起きた。

 1936年1月12日、「ヒンデンブルグの壁」を突破した2万のグラツィアーニ将軍率いるイタリア軍は、2万4千のデスタ・ダムテウ率いるエチオピア軍と相対する。

 地元のエチオピア軍の方が赤痢やマラリアで苦しんでいた為、ただでさえイタリア軍有利なのに、ここでもマスタードガスが使われた。


 バドリオ将軍着任後、イタリア軍は再度エチオピアに進軍する。

 1936年1月20日、第一次テンビエン会戦、毒ガスによりイタリア勝利。

 2月10日、アンバ・アラダム会戦、毒ガスと空爆によりイタリア勝利。

 2月27日、第二次テンビエン会戦、機関銃と空爆によりイタリア勝利。

 2月29日、シャイア会戦、毒ガスと空爆によりイタリア勝利。

 バドリオ軍は情け容赦の無い戦いで、首都アディスアベバに迫っていた。


 こんな中、エリトリア沿岸の日本人義勇軍は無風状態となっていた。




「バドリオ将軍、よろしいのでしょうか?

 今、エリトリアはがら空きです。

 沿岸にいる日本人部隊が進撃すれば、一溜まりもありません」

 部下からの忠告をバドリアは笑った。

「一個師団で何ほどの事が出来る?

 奴らは守りを固め、時々散発的に攻撃に出るが、すぐに撤退する。

 我が軍の敗北は、沖合の巨大戦艦が狙って来るポイントにおびき寄せられての事だ。

 放っておいたら、内陸までは攻め込めまい。

 思うに、奴らは一個師団も無い、その半数程ではないだろうか?」


 半数でも実数の2千人程度に対し、8千~1万人を想定し、過大評価であった。

 バドリオにしても根拠地として奪ったアッサブをがら空きにしているとは思っていない。

 相当数が守備していると考えている。

 そうでなければ撤退時に困るだろう。


「航空攻撃で毒ガス投下をすれば……」

 という部下に、今度は怯えながらバドリオは返事をする。


「貴官は先の欧州大戦に参加していないな?

 儂は日本人というか、日系人をヴィットリオ・ヴェネトの戦場で見た。

 奴らは殺しても死なない。

 腕が砲撃で千切れても戦い続ける。

 少数だが毒ガスも使われたが、奴らは苦しみながらも必ず敵を1人殺してから死んだ。

 『ゴヨーアラタメー!』『シドーフカクゴー』等と叫びながら、軍刀を振りかざして機関銃の雨の中を突撃する。

 敵に背中を見せず、卑怯な振る舞いはハラキリだ。

 非常識過(ディモールト・パツィッシモ)ぎる連中だ。

 数が少なく、攻めて来ないのなら放置しておいた方が良い」


 かつて欧州に都市伝説をばら撒いて歩いたハワイ王国の日系人部隊、それがエチオピアで日本人を救っていたのだった。




 イタリアの毒ガス攻撃は、国際社会の反感を買った。

 戦艦「陸奥」の幹部にしてもそうである。

 朝田艦長は、義勇軍輸送に使用しているチャーター船に頼み、インド・ボンベイまでイギリス行ってイギリス・インド軍からガスマスクを貰ってくるように命じた。

 朝田は毒ガス攻撃を知った時点で、支援しているスタインズ商会にガスマスクや除染服等、毒ガス対策の装備を発注していた。

 「陸奥」には対ガス装備はある。

 艦内で毒ガスが発生するケースはある為、標準で装備されている。

 しかし、義勇軍の分までは無い。

 朝田から見て不思議な事に、何故かイタリア軍は攻撃を仕掛けて来ないどころか、ティヨにすら最低限の守備隊を残すのみで、義勇軍は放置されている。

 義勇軍はティヨ攻撃を希望したが、プロの軍人である「陸奥」の幹部は、専門外の陸戦ではあるが

「せめてガスマスクが揃うまでは進まない方が良い」

 と真っ当事を言って引き留めている。


 張宗援(伊達順之助)と程国瑞の馬賊部隊は、戦況が悪いのを見て真っ先に後退していた。

 馬賊は踏みとどまって戦ったりはしない。

 不利ならさっさと逃げるし、それをアフリカの高原でも実践していた。

 アディスアベバの連絡員が、「陸奥」からの伝言を持って来る。

 ガスマスクを輸送して欲しいという事だった。


「おいおい、志那の大地でもそうだったが、また荷物輸送か。

 日本人は俺たちを運び屋かその護衛としか思ってないようだな」

「ですが頭目、ガスマスクは確かに必要です。

 貰いに行きやしょうぜ」

「そうだな、間に合えば良いがな……」

 馬賊たちは「ラクダの回廊」を通ってエリトリアに一時撤収した。




 3月31日、北方も南方も危機のエチオピア皇帝ハイレ・セラシェ1世は、自ら親衛隊と公務員からなるアディスアベバ守備隊を率いて戦闘に参加した。

 この日は雲が低く垂れ込め、イタリア得意の航空攻撃と毒ガス投下が出来ない。

「今が好機だ! 空から攻められないイタリア軍等怖くは無い!

 アドワの戦いの二の舞を演じさせてやるのだ!!」

 皇帝の檄にエチオピア軍は奮い立つ。

 このエチオピア軍の装備は、各軍の中で最も良いのだ。

 皇帝率いる3万1千の軍は、バドリオ将軍率いる4万のイタリア軍に襲い掛かる。

 そして、確かに航空支援の無いイタリア軍を圧倒し出した。

 バドリオは激怒する。

統領(ドゥーチェ)はお怒りだ!

 旧式のライフルや少数の大砲に何を退いておるのだ!

 栄光あるローマ帝国の末裔ならば、押し返せ!」


 しかしイタリア軍は後退を続ける。

 それだけ皇帝直卒のエチオピア軍は強かった。


「やむを得ん!

 後方に待機させている予備隊に連絡だ。

 直ちに合流せよ!」


 バドリオの予備兵力だけで4万人である。

 合計8万のイタリア軍は、エチオピア軍を押し留め始める。

 このメイチュー会戦は、天候が勝敗を左右した。

 午後になり、雲が晴れてしまったのだ。


「航空隊に連絡。

 爆撃せよ!

 毒ガスを巻け!

 機銃を撃て!

 蛮族の軍を撃破せよ!

 出撃(ボラーレ・ヴィーア)!」


 またしてもマスタードガスがエチオピア軍に降り注ぐ。

 エチオピア軍は空からの攻撃に、ほぼ為す術が無い。

 エチオピアの切り札、ポテーズ25複葉戦闘機13機も、150機と10倍以上のイタリア空軍の前に今や全滅していた。

 戦いは一方的になり、逃げ惑うエチオピア兵を倍のイタリア軍が押し潰す展開となる。

 ハイレ・セラシェはアディスアベバに逃げ込んだが、もう首都を守る兵力は無い。

 皇帝は首都をも脱出した。


皇帝(インペーロ)よ、アリ・ヴェデルチ(さよなら)だ」

 バドリアは勝利を確信する。


「間に合わなかったか……」

 戦闘終了の報を、アディスアベバまであと1日の地点で聞いた張宗援(伊達順之助)は残念そうに呟いた。

 皇帝がどこに逃げたかも分からず、残敵掃討のイタリア軍がうろついている以上、馬賊たちは来た道を引き返していった。




 その頃、エリトリア沿岸の対義勇軍戦線でも動きがある。

 メイチュー会戦の勝利を聞いたエリトリア守備隊が、バドリオの命令を無視して攻勢に出たのだ。


 戦法は同じく航空攻撃と毒ガス投下。

 だが、イタリア軍の居るティヨから義勇軍の居るイディまでの間に、義勇軍は偵察部隊を置いている。

 その部隊から攻撃機が向かった事を聞いた義勇軍は、ガスマスクを装着し、塹壕の退避壕に批難した。

「極東の猿が、マスタードのサービスだ、遠慮なく食えよ!」

 毒ガスが投下される。

 しかし、この軍は反撃して来た。

「え? 毒ガスで死なないの? どうして?」

 パイロットたちは混乱した。


 実際は、結構な数が被害に遭っている。

 この時代のガスマスクや防ガス服等は、気休め程度の効力しか無い。

 無いよりは遥かにマシで、死者こそ少ないが、肌に浴びて苦しみ悶えている者も多い。

 それをすぐに建物の中に隠して見えなくしていただけである。

 そして、無事な者が機関銃に取り付いて、反撃の銃火を浴びせているに過ぎない。


 しかし、イタリア軍の目には全く効果が無かったように映った。

「逃げろ! 化け物だ!」

「人間じゃない! あんなのに構っていられるか!」

 まだ機関銃で地上を掃射すれば良かったのだが、異常事態に遭遇した時のイタリア兵の判断は、いっそ清々しいくらいに明瞭である。

 「撤退」一択。


 敵機が去ったのを確認すると、義勇軍は負傷者を「陸奥」に運ぶ。

 何でも備わっている戦艦は、病院船として今は使われいる。

 薬も大量に購入して来て正解であった。




「馬鹿が!

 何故手を出した!

 あいつらは化け物だと教えた筈だぞ」

 アディスアベバに入ったバドリオは、エリトリア守備隊の空襲が失敗に終わった事を聞いて激怒していた。

統領(ドゥーチェ)日本人(ジャッポーネ)なんか敵に回す必要は無かったのだ。

 あのドイツ軍すら手こずった相手なのだぞ。

 …………待てよ。

 本国に連絡だ。

 恥を晒すようだが、エリトリアで起きた事を報告する以外あるまい。

 そして統領(ドゥーチェ)には、日本との関係回復をして貰おう。

 こればかりは前線ではどうにもならん」


 そんなバドリオの元に、ティヨが報復攻撃を受けたという知らせが入る。

 ティヨで再出撃の為に準備をしていた航空隊が、夜間艦砲射撃を受けて壊滅した。

 航空隊はイタリアにとっても虎の子である。

 偵察隊から大体の位置情報を送られていた「陸奥」は、真っ先に臨時飛行場を狙ったのだった。

 まだ飛行機壊滅用の主砲弾は開発されていないが、破壊するのは通常の榴弾で十分だ。

 破壊されたのは20機程度であったが、滑走路は穴だらけで使用不能、さらに兵舎にも着弾して犠牲者多数。

 戦艦は夜明け前に引き返した。


「早く統領(ドゥーチェ)に連絡せよ。

 日本、侮り難し。

 統領(ドゥーチェ)の外交に期待する、と」


 ローマでムソリーニは、エチオピアは制圧寸前である事に喜び、エリトリアに現れた日本人義勇軍と戦艦「陸奥」が想像以上に厄介な存在と知る。

 ムソリーニはある決断をした。

 東京のイタリア大使館に電話をかける。

 ムソリーニの外交・政治によって事態は動いた。

前作「ホノルル幕府」の話です。

第一次世界大戦の「第一次イーペル会戦」の前哨戦、アントワープ要塞攻防戦にホノルル幕府軍の日系人部隊が参加しました。

その時、撤退するイギリス海兵隊を支援する為、捨て奸をやった為、欧州では「絶対に降伏しない、武器が尽きても、腕や頭が半分吹き飛ばされても戦い続けるゾンビみたいな軍」と日本人は恐れられるようになりました。

実際は損害甚大で、幕府軍は壊滅した為、その後は1918年までハワイで補充をする羽目になります。

しかし、その1918年に再出撃したハワイ王国軍(幕府だけでなく、純粋ポリネシア人も)は、ある亡霊というか神というかの督戦を受け

「退いたら神に殺されて二度と生まれ変わる事が出来ない!

 だったら敵に殺された方がマシだ!」

と戦死を恐れない死兵になってしまい、最終盤で猛威を振るいました。

このハワイ軍とバドリオはヴィットリオ・ヴェネトで共に戦ったので、バドリアは

「なに、あのキ〇ガイの軍は……」とひいてた、という設定です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ここで前作のあの戦いの影響がでたのですね。
[良い点] 督戦を司る神やべーっすね…
[一言] ビスマルク追撃戦は有りですか 当分先ですが
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