第二次エチオピア戦争
19世紀、アフリカ唯一の独立国エチオピア帝国はラスと呼ばれる地方軍閥による反乱と王位簒奪が繰り返され、その上周辺国とも戦争を続けていて国力が衰えていた。
皇帝テオドロス2世の時代にイギリス軍とのマグダラの戦いに敗れ、皇帝ヨハンネス4世の時代にはイタリアとのエリトリア戦争に敗れ、領土をじわりじわりと削られていた。
そんな中、エチオピア帝国の属国ショア王国のサーレ・マリアムが、イタリアの支援を受けた勢力を破り、エチオピア皇帝メネリク2世として即位する。
皇帝メネリク2世はイタリアとの間にウッチャリ条約を締結する。
エチオピアはイタリアにエリトリア割譲する、イタリアはメネリク2世の政権を認める、という内容だったが、エチオピアの外交権を巡る文言がイタリア語とアムハラ語で異なっていた。
アムハラ語では「外交の前にイタリアに報告する」だったが、イタリア語では「勝手に外交出来ない」という保護国化を明記したものだった。
交渉の末、メネリク2世は条約破棄を通告、これで両国は戦争となった。
第一次エチオピア戦争である。
イタリアは、エリトリアを奪った時の経験がエチオピアを甘く見ていた。
近代化の為されていない、原始的な軍隊であると。
だが、実際にはエチオピア軍はライフル部隊を持ち、西洋式な軍事訓練を受けて強化されていた。
事情を知らぬイタリア首相フランチェスコ・クリスピは、エリトリア駐留軍のバラティエリ将軍にエチオピア侵攻を命じる。
イタリア・エリトリア軍14,527人は、待ち構えていたエチオピア軍12万以上、うち8万はライフル部隊と激突し、イタリア軍は約11,000人を失って敗北した。
これが「アドワの戦い」であり、エチオピアの栄光、イタリアの屈辱とされる。
アディスアベバ条約が締結され、イタリアはエチオピアを保護国でなく独立国として認めた。
これが契機となり、ヨーロッパ諸国はエチオピア帝国を承認する。
時は流れ、1930年代。
イタリアファシスト党のムソリーニ統領は、再度エチオピアに目をつけた。
「アフリカの角」と呼ばれる一帯を支配しようと考えた。
イギリスやフランスの権益とぶつかった為、外交交渉に時間を費やしたが、どうにか「エチオピア以外に戦火を拡大しない」という約束で戦争に漕ぎ付ける事が出来た。
そして1935年10月3日、エリトリア駐留軍エミリオ・デ・ボノ大将の軍が、宣戦布告無しにエチオピアに侵入、南下を始める。
エチオピア南方のソマリランドからも、総督ロドルフォ・グラツィアーニ大将の軍が北上を始める。
エチオピア軍は、皇帝ハイレ・セラシェ1世が親衛隊を率いて首都を守る一方、
・北方軍左翼部隊:司令官アマル・ハイレ・セラシェ(皇帝の従兄弟)
・北方軍中央部隊:司令官ムルゲタ・イェガズ(政府高官)
・北方軍右翼部隊:司令官カッサ・ハイレ・ダージ
・南方軍:司令官ナシブ・ゼアマヌエル、参謀長ウェヒブ・パシャ
という陣容で対抗しようとした。
ウェヒブ・パシャはエチオピア人ではなく、オスマン帝国出身者である。
彼は欧州大戦時の「ヒンデンブルグ線」と呼ばれたドイツ軍の強固な防御陣地線を模倣した「ヒンデンブルグの壁」という防御線をエチオピア南部に構築していた。
南部から侵攻するグラツィアーニ軍は、これで進撃を遅らせる事が出来る。
あとはエリトリアから来る主力のデ・ボーノ軍との対峙となる。
デ・ボーノ軍は順調に都市を攻略していた。
10月6日、アドワを占領し、「アドワ会戦の恥」を雪ぐ。
10月11日、ティグレを占領。
皇帝の義理の息子・ハイレ・セラシエ・ググサが降伏した。
デ・ボノはこの事をローマに知らせ、恰好の宣伝材料とする。
イタリアは、ハイレ・セラシェ1世の二代前の皇帝、イスラム教に改宗しようとしてエチオピア正教会(キリスト教)によって廃位させられたイヤス5世(メネリク2世の孫)こそを正当な皇帝としてハイレ・セラシェ1世の正当性を否定し、また奴隷解放宣言を行ってエチオピアを揺さぶった。
戦艦「陸奥」が到着したのは、こんな状況下であった。
■エリトリア・アッサブ港:
イタリア輸送船の船員は、見慣れぬ軍艦が接近して来るのを確認する。
「何ですかい、ありゃ?
巡洋艦? いや、戦艦だな、あの大きさは」
「どこの艦だ?」
「どこだ? 国旗は? 見た事無いぞ。
軍艦旗は? あれもどこだ? 黒丸が9つの旗だ」
「そんな旗知らないぞ!」
「敵か味方か?」
「信号旗は……B旗! 攻撃するって意味だ!」
「敵だ! 敵襲!!」
湾に停泊している5隻の輸送船は、慌てて船をどこかに隠すなり避難させようとした。
だが、距離1万5千メートルに近づいたその戦艦の舷側から、発砲の砲火が見えた。
14cm副砲が次々と発射される。
片舷10門の副砲から次々と投射され、やがて命中弾が出始める。
輸送船は炎上。
港湾の沿岸砲が反撃に出るが、すぐに沈黙した。
戦艦は港内に侵入。
さらに後続していた輸送船が強制接岸し、武装した兵士、馬を曳いた男たちが次々と下りて行く。
アッサブ港、そしてアッサブ市は奇襲によって占拠された。
降伏したイタリアのアッサブ市長は、謎の敵、敵なのか?蛮族じゃないのか?
その頭目の前に連れて行かれる。
「市民の安全を要求する」
「分かっている。
戦うのが目的なんで、てめえらに手を出す気は無い。
だが、物資は貰うぞ」
話しているのは中国語か?
翻訳を通じて
「君らは中国人なのか?」
と聞くと、その男は笑った。
「何人と言えるか、俺たちにもよく分からん。
俺の名は張宗援、元満州国軍人、元日本人だ」
「日本人?」
張宗援、それは伊達順之助のもう一つの名であった。
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(シンガポールにて)
「あの、伊達さん! メインマストに伊達家の旗掲げるの、やめてくれませんか」
「どうしてだ?
旗は必要だろ?」
「必要ですけど……」
「日本国旗は掲げられない、かと言って満州国旗とも違う。
じゃあ、俺のとこの旗でも掲げておいた方が良いだろ!
確か、旗の無い船は海賊と同じ扱いなんだよな」
「登録の無い旗だから、どっちにしても海賊と同じです!」
「どっちにしても海賊なら、うちんとこの『竹に雀』にしとこうや」
海軍の人間は一様に渋ったが、だからといってこんな下らない事に対案も無かった。
シンガポール総督にこそっと届け出て、
国旗:竹に雀、軍艦旗:九曜紋を「独立部隊陸奥」の旗にした。
あくまでも暫定的に、だが。
それに伴い、義勇軍の軍旗も日章旗や旭日旗が使用出来ない為、「竹に雀」ともう一つ「義」の字に決まった。
馬賊たちは、それまで通りの旗を使用している。
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■エチオピア北部:
「アマル司令官! エリトリアのアッサブが落ちたという知らせです」
「何を言っている?
夢でも見たのか?」
「いえ、アッサブから延びる『ラクダの回廊』を通って、知らせに来た者がいます」
「何者だ?」
「どうも中国人のようで、言葉が通じません」
「じゃあ、何故アッサブが落ちたと分かった?」
「司令官宛の手紙です。
英語、フランス語、アムハラ語、あと読めない文字で書いてあります」
「よし持って来い」
「司令官! 首都より急報です」
「一体何だ? 次から次へと」
「援軍が来ました。
イギリスが皇帝陛下に密かに知らせて来ました。
援軍は、日本人です!」
「日本!? 本当か!?」
このやり取りは、瞬く間に全軍に広がって行った。
あちこちで歓喜の雄叫びを上げるエチオピア軍。
一方、イタリアのデ・ボノにもその報は届いていた。
「困った事になった。
エリトリアが危ない。
後方を抑えられては、我々は物資不足に苦しむ事になる。
まずは後退し、エリトリアを維持した上でアッサブを奪い返そう」
「ですが、アフリカの未開な軍に背を向ける等、屈辱です」
「屈辱とかどうでも良い。
エリトリアを確保していない限り、我々の勝利の目は無くなるのだ。
敵の規模が分からない以上、兵力を小出しにする訳にもいかない。
早期に解決する為にも、少数の抑えの兵を残し、直ちに後退する」
この後退において、デ・ボノは残酷な決断をした。
エリトリア民兵部隊やソマリ人傭兵部隊「アスカリ」には、一切の連絡をしなかった。
つまり、彼等を捨て石にし、イタリア軍は無傷で帰ろうというのだ。
それどころか彼等には、逆に前進を命じてある。
効果は早速、翌日には現れた。
防御から一転、逆襲に出たエチオピア右翼軍、左翼軍、中央軍は全戦線でアスカリやエリトリア人部隊を撃破した。
追撃に出るも、「援軍を出す」というデ・ボノの言葉を信じた残存部隊が抵抗し、彼等を倒した時には既にイタリア軍は追いつけない距離にまで退いていた。
だが、イタリア軍を国内から追い払った事で、エチオピア軍の士気は天を衝く。
一方で南方では、グラツィアーニが我慢強く「ヒンデンブルグの壁」を一枚、また一枚と打ち破っている。
しかし、北方で起きた異常はこの地にも伝播し、所々で生じるエチオピア軍との小競り合いで、士気上がるエチオピア軍が圧倒していた。
グラツィアーニの部隊は、本国兵を中心とした戦力なのに、である。
「グラツィアーニ大将閣下、北方軍は引き揚げたそうですが、我々は如何しましょう?」
「我々はこのままだ」
「ですが、調子に乗った敵の逆襲があるかもしれません」
「その時は迎え撃つ。
安心しろ、デ・ボノ将軍の後退は一時的なものだ。
すぐにエリトリアを回復して、再侵攻するだろう」
ローマでは、ムソリーニが激昂している。
彼は日本大使を呼んで猛烈に抗議したが、
「彼等は脱走兵です!
我々としても迷惑をしておるのです」
と、言っても効果が無い。
「脱走兵ならば、我々で処断しても構わないか?
日本政府として文句を言わないか?」
「言いません!
むしろ彼等を討伐する軍をこちらからも出したいくらいです」
「それは困る」
(そんな事を受け容れたら、イギリスやフランスに何を言われるか……)
「分かった。
本当に脱走した日本人を殺しても文句は言わんな」
「むしろ拍手をし、歓迎します」
「ふむ……」
ムソリーニは日本について掴みかねていた。
ここ数年の日本との対立は、改めた方が今後は楽かもしれない。
「大使殿、一つ聞きたいが、日本は我が国のエチオピア併合をどう見ている?」
「到底受け入れ難い侵略行為です」
「はっきり言うなあ。
では、貴国の満州侵攻はどうなのかね?」
「…………」
「どうやらこの件、我々は話し合う余地がありそうだな。
呼び出した用件は以上だ。
貴国が我が国の軍事作戦に反対なのは分かったが、妨害をしていない事を確認出来た。
十分な成果だ。
今後は貴国との友好を深めていきたい」
日本大使が去って、ムソリーニは次に海軍司令官を呼んだ。
「今出せる戦艦は何か?」
「タラント港にいる『カイオ・ドゥイリオ』と『アンドレア・ドーリア』だけです」
「『コンテ・ディ・カブール』と『ジュリオ・チェザーレ』は近代改装中だったな」
「左様です」
「では、戦艦を出撃させろ」
「統領、戦艦はスエズ運河を通過出来ません。
喜望峰回りとなりますが、よろしいでしょうか」
「やむを得んな。
代わりにスエズ運河を通過できる巡洋艦『トレント』『トリエステ』『ザラ』『フィウメ』『ゴリツィア』『ポーラ』『ボルツァーノ』を出せるだけ出せ!
たかが戦艦1隻、数で圧倒するのだ!
スエズ経由と喜望峰経由、編制は一任する」
かくしてイタリア地中海艦隊の戦艦2隻、重巡洋艦7隻が出撃した。