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われても末に  作者: 乃梨
5/21

5 近づきたいけど

 新入社員二名の約二週間に及ぶ基礎研修が終わり、それぞれの部署でのOJTが始まった。――それはよいのだが。


「よろしくお願いします、伊原さん」


 ……なぜ隣の席に来るのか。

 しかも指導役を突然言い渡され、一希としては不満をぶつけずにはいられない。


「なんで俺なんですか、チーフ」

「そりゃあ、お前が一番面倒見がいいからだ」

「こういうときだけ褒められても」

「頼んだぞ。須賀に営業マンの真髄を見せてやれ」


 あるか、そんなもん。


 不動産営業マンは個人商店みたいなもので、誰もが己の契約を取ることで精一杯。いずれはライバルになるかもしれない新人に、手取り足取り教えてやる親切心など持ち合わせていない。一希だってこの業界に入ったばかりの頃は、簡単な指示だけ出されて「あとは自分でやれ」だった。

 なのに、どうしてこうなる。


「伊原さん、〇〇ホームさんからの問い合わせなんですけど」

「伊原さん、ローン計算これで合ってますか」

「伊原さん、送付資料のチェックお願いします」


 ニコニコと無邪気に訊かれたら無下にはできないではないか。


「その物件は商談中。まず自分でイントラ見て」

「これ変動金利だろ。将来金利が上がった場合のシミュレーションもやってみて」

「地図が入ってない。あと、ただ折って封筒に入れるだけなら売る気がないって思われるよ。クリアホルダーで冊子にして、ちゃんと一筆書いて」


 めんどくせえな、と思いながらも連日面倒を見ている。須賀の営業マンとしての適性について、心配を口にした時は他人事だったがもはや当事者の一部になってしまった。

 しかもこの男、当たりは柔らかいが意外と図々しい。


「伊原さん、お昼どこ行きます?」

「……一緒に行くの?」

「だって今日はせっかく外回りじゃないんだし」

「お前にいろいろ教えてたら出るきっかけ逃しちまったんだよ!」

「じゃあなおさら一緒に行きましょうよ。ついでに美味しい店も教えてください」


 仕事のペースまで乱されて、勘弁してくれと本気で思う。でも自分には関係ないとなると人は気楽なもので、背後から囁いた苑子の声は笑いさえ含んでいた。


「懐かれちゃったわね」

「男に懐かれても嬉しくないんですけど」


 振り向きざまに言い返したら中里千尋と目が合った。彼女は苑子と同じ島、斜め向かいに席がある。

 須賀と一緒に食べたいのだろうか。二人だけの同期だからか仲がいいみたいだし。よし、ここは思い切って――


「中里さんも昼飯一緒に行く?」


 面倒見のよい先輩の体で誘ってみたら、千尋は申し訳なさそうに首を横に振った。

 

「私、今日はお弁当なんです。また今度連れて行ってください」

「そっか。じゃあまた今度ね」


 顔で笑って心で泣いた。外出から帰ってみるとあちらは現場に行った後だった、なんていうすれ違いばかりで、ようやく挨拶以外で初めて会話ができたのに。こんな調子でいつ「仲良く」なれるんだろう。

 須賀と部署が逆だったらなあ。

 そうなったら心配どころではないくせに、つい夢想してしまうのだった。



         ***



 午後一番の仕事はマンションの売却査定だった。ついてこられては困るので、須賀には課題を与えることにした。マイソクの作成である。

 マイソクとは販売促進のための物件資料を指す業界用語だ。不動産屋の店頭でよく見かける、概要や間取り図、地図などが載ったチラシのことだが、今回作るのはポスティング用で、週末に行われるオープンルームを告知する目的があった。

 作成ソフトに用意されているテンプレートを使用すること。こちらが指定する要件さえ満たせば後は自由に作ってよい。出来上がったら共有フォルダに入れて連絡。

 以上を指示してオフィスを出る。ようやくいつもの日常に戻ったようでホッとした気分になった。


 査定を依頼されたマンションはA市の中心部、旧市街地にあった。江戸時代に造営された日本庭園や大正時代のレトロな町並みなど観光スポットに近く、不動産価格の高いエリアだ。

 事前にできる調査は済ませてあったので、ここでは外観や共用部分を目視でチェックして管理が行き届いていることを確認する。物件の所有者は六十代の未亡人で、娘一家と暮らすことになったため売却したいとのこと。その娘も同席のもと一通り見て回って買取金額を提示すると、二人の顔には不満気な色が表れた。


「やっぱり買取だとずいぶん値段が下がっちゃうんですね」


 こちらも商売なので。

 とは言えず、スピーディな決裁、瑕疵かし担保責任なし、手数料無料、とリヴィータへの売却メリットを丁寧に説明した。しかし母娘は納得した様子を見せない。

 こりゃだめかな。


「あの、お急ぎでないんでしたら、仲介業者に売却を頼んだほうが高く売れると思いますよ」


 営業マンの良心に従って助言すると、未亡人は疑わしそうに目を細めた。


「本当にそう思います? 築十八年ですよ? 古いでしょ?」

「でもいい物件ですよ。市電の駅に近いし、管理状態もいいですし。築年数は問題にはならないと思います」

「ほらお母さん! やっぱりあの会社いい加減な仕事してたのよ!」

「おわっ!」


 思わず仰け反った一希を追いかけるように娘は身を乗り出した。


「ねえ、聞いてくれます? 本当にひどいんだから!」


 ……話をまとめるとこういうことだ。

 母娘は複数の仲介業者に査定を依頼し、最も高額の価格を提示した会社と専任媒介契約を結んだ。ところが売れないからと徐々に値下げを要求してくるうえ、これまでの内覧はゼロ。改善策も考えてくれない。どうしても買い手がつかない場合買い取ってもいいとの申し出がその業者からあったが、足元を見ているのか提示価格はさらに安い。そこで比較のためリヴィータに査定を頼んだ――


 おそらく不動産業界の悪しき慣習、囲い込みであろう。両手仲介とも言い、売主と買主の両方から手数料を取るために自社だけで売買を成立させようとする行為だ。物件情報を隠したり、他の仲介業者からの照会には「商談中」と嘘をつくのである。

 しかも高い査定額で釣って媒介契約を結び、価格を下げていって最後に買い叩こうとしているのなら相当たちが悪い。


「『古いマンションだから仕方ありません』なんて言って。裏ではそんなことしてたんですね」

「どこの業者ですか」

久浦ひさうら不動産」


 あそこか。親会社の久浦建設がエグい商売をしているのはこの業界にいる者なら誰でも知っている。子会社も当然それに倣うというわけか。

 母娘には契約を更新せず他の業者に変更するよう勧めてマンションを後にした。すっきりしない何かが胸に残って、彼女たちの感謝の言葉を素直に受け止めることができなかった。



 後味が悪いのはなぜかと考えてみるに、リヴィータも決して無関係ではないからだろう。久浦不動産との付き合いはないが、では取引している業者がすべてクリーンかと言えば疑問符がつく。

 仕入れ物件は相場より安いものがほとんどだ。それらが囲い込みによる結果なのかどうかこちらにはわからない。


「俺も結果的に囲い込みに手を貸してるかもしれないんだよなあ……」

「カズ一人でどうにもならないことで悩むなって」


 胸のもやもやについて拓馬はあっさり受け流すと、悪戯っぽく片頬を上げて付け加えた。


「きれいごとってわかってて気にしちゃうカズも好きだけど」

「……恥ずかしいからヤメテ」


 ここは拓馬が働く自動車整備工場、野上モータースの敷地の一角。建物の裏手の目立たない場所だが、簡素なベンチと水を張ったバケツが置かれ、従業員たちの喫煙所になっている。一希は話を聞いてもらいたいとき、こうして寄り道して作業中の友人を休憩に連れ出すのだ。たいていのことは煙草の煙と一緒に外に吐き出されてしまう。


「今日何本目?」

「二本目」


 拓馬は節煙の道を着実に歩んでいるようだ。元来寡黙で感情表現は豊かでないが、こうと決めたらブレないところは男の目から見ても格好いい。こちらがブレブレの人生を送ってきただけになおさらそう思う。

 千尋のことを話したら、この何事にも動じない友人を驚かせることができるだろうか。


「そういえばさ、苑ちゃんが少し前に言ってたの覚えてる? 千尋って名前の新入社員が入ってくるって話」

「ああ、苑子から聞いたよ。美人なんだって?」

「うん。でさ、本当にちぃちゃんかもしれないんだ」


 表情の固まった拓馬の指の間から煙草がポロッとこぼれ落ちた。これは相当驚いている。やった。

 などと喜んでいる場合ではなく、すぐさま「かもしれない」の説明を求められた。


「どういうこと? 千尋ちゃん本人かどうかはっきりわからないの?」

「……それなんだけど」


 よく似ているというだけで確たる証拠はないと打ち明けるのは体裁が悪かった。彼女の態度にしたって、一希を見て何か思い出すような素振りはない。伊原という苗字にも反応しない。


「――で、お近づきになって本物かどうか知りたい、と」

「うん。回りくどいことはわかってるよ。でも下手に口に出して警戒させたくないし、思い出したくないことを思い出させて傷つけたくない」

「優しいお兄ちゃんだね、相変わらず。まあ同じ職場なんだから仲良くなろうと思えばなれるんじゃない?」

「言うほど簡単じゃないんだよ、これが」


 まずは話をする機会を作るところから始めないといけないのだ。仲良くなるまでの道のりは残念ながら遠い。

 とにかく当分の間は苑子には黙っているように念を押し、仕事に戻るべく立ち上がった。


「タクも会えればいいんだけどな。あの子、ちぃちゃんに本当に似てるんだ」

「うーん、十五年もたってるからなあ。会っても俺にはわからないような気がするな。……おじさんにはもう話したの?」


 首を振って否と答えた。うかつに昔のことに触れられないのは謙三に対しても同じだった。



         ***


 

 外回りの仕事を終えて会社に戻ったのは午後五時半。駐車場に車を停めて再度携帯を確認したが、須賀からの連絡はまだない。

 何やってんだあいつ。

 その疑問はオフィスに足を踏み入れてさらに深まった。千尋が一希の椅子に座って一緒にモニターを覗き込んでいたのだ。


「……何やってんの」

「あっ……! すみません!」


 慌てて立ち上がった彼女は椅子を押して元の位置に戻した。


「いや、そうじゃなくて。何をやっていたか知りたいんだけど」

「すみません伊原さん、僕、パソコンあまり使わないのでこういうの作るの苦手で。中里さんに教えてもらってたんです」


 スマホ世代かよ……

 隔世の感を抱きつつ、作成したマイソクを一部印刷させて検分に入る。価格やアピールポイント、オープンルームの告知など効果的なフォントでメリハリをつけていて、悪くない出来だ。


「どれどれ。俺にも見せてみろ」


 鬼瓦が取ってつけたような笑顔で近づいてきてチラシを覗き込んだ。


「ふーん。なかなかよくできてるじゃないか」

「ありがとうございます!」

「須賀、お前、明日ジャージと運動靴持って来い。伊原とポスティングな」

「え!?」

「自分で作ったチラシの行く末が気になるだろ」


 何かあると思ったらやっぱり。新人が必ず受ける洗礼なので同情はしないけど。それより二人でやるなら枚数増やして配布区域を広げるか。

 頭の中に地図を開いて算段を始めた、まさにその時だった。


「あの……私にもポスティングやらせていただけませんか」


 口調は控えめだが明確な意志は間違えようがなく、一希ばかりか、その場にいた全員が唖然として声の主――千尋を見つめた。

 

「私も一緒にチラシ作ったし、やらせてください」

「ちょ、ちょっと待って!」


 ちぃちゃん(かもしれない女の子)にそんなことはさせられない!


「ポスティングって何するかわかってる? 一軒一軒回ってチラシぶっこんでいくんだよ? ネット時代になっても残ってる昭和の遺物だよ? アナログな上司ほどやりたがる前近代的手法なんだよ?」

「伊原てめえ」


 黙ってろ、クソ上司!


「はっきり言うけどすっごくキツいよ? やめといたほうがいいんじゃないかな」

「伊原さん、僕にはそんなこと言ってくれないじゃないですか」


 当たり前だ、ボケ!


 どうにかして翻意させたいという熱い思いはしかし、千尋には伝わらなかった。


「キツくてもいいです。それに社長が仰ってましたよね。最初は部署に関係なく仕事全般を覚えてもらいたいって」

「いや、でもね、」

「面白えじゃねえか」


 畠山が遮ってニヤリと笑う。


「やってみな。ガッツのあるやつは男でも女でも大歓迎だ」

「はい!」


 ……マジか。



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