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われても末に  作者: 乃梨
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4 追跡

 運命の女神というのはきっと意地の悪いBBAに違いない。


 あまりの巡り合わせの悪さにそう毒づいた。十五年たってようやく出会った妹らしき女の子が、もう俺のことを覚えていないかもしれないなんて。

 ただ忘れているだけならまだいい。でももし傷ついた過去を思い出したくないのだとしたら。うかつに口に出してもう一度傷つけるような真似は絶対にできない。


 一希は中里千尋に直接確かめるという選択肢をいったん除外することにした。となると差し当たってできるのはネットで手がかりを探すことである。

 母親は現在どこに住んでいるのか。再々婚して中里姓になっているのか。むしろこっちを調べるほうが手っ取り早いかもしれない。


「伊原」


 さっそく母親の名前を検索してみる。すると出てきた出てきた、本人のホームページ、ネット上の百科事典、オンラインストア、ニュース記事……


「伊原」

「うるせえな」


 SNSも一部やっているようだ。たぶん時事ネタがほとんどだろうが、私生活について呟いていれば何かわかるかも。


「……ほう。俺に向かって『うるせえ』とはいい度胸じゃねえか」


 ドスの利いた声は不動産部門のチーフ、畠山はたけやまのもの。危険を感じて視線をモニターから動かすと、ただでさえ鬼瓦みたいな顔が不動明王に変わりつつある。これはヤバい。


「チーフにじゃありません、村井に言ったんです」


 とっさに隣席の後輩のせいにしたはいいが、村井は泥をかぶってくれるような先輩思いの男ではなかった。


「ちょ、俺関係ないでしょうが!」

「お前さ、いつもブツブツ独り言言ってんじゃん? あれさー、結構迷惑なんだよね」

「独り言なんか言ってねえよ!」

「え、自分でわかってなかったんだ」


 不動産営業マンを十年もやっているとこれぐらいの嘘は自然と出てくるようになる。成績が悪いときにどんな言い訳をすれば上司から怒られずにすむか、常に知恵を巡らせているからだ。

 案の定、畠山はむぅとして口を閉じた。ごまかしたのは明らかだが、彼への暴言ではないとアピールされてはそれ以上追及できないのだろう。


「もういいからちょっと来い!」


 一希を呼びつけると一転して真面目な表情で本題に入る。


「富永電機の件はどうなってる?」

「年度末であちらが忙しかったんで小休止ですね」

「今日から四月だ、また攻めてけよ」


 年度初日から気合い入ってんなあ。まあ、こっちもしつこく食らいつくつもりだったけど。


 一希がこの数ヶ月アプローチしている物件が、光学機器メーカーの富永電機が所有する社宅マンションだ。六階建て三十六戸の建物で、老朽化のため入居率が低下し現在十九戸が空室となっている。

 遊休不動産となりつつあるこのマンションを今後どうするか、会社の方針はまだ決まっていない。そこで売却とリノベコンサルの両方のプランを用意して営業をかけているというわけだ。

 すでに実務担当者は売却のほうに傾いているので、もっと発言権のある上役にそろそろ直接掛け合いたいと思っていたところだった。


「今度あちらの部長を接待しようと思うんで、そのときにはチーフもお願いします」

「わかった。部長の好み、リサーチしておけ」


 承知して席に戻ろうとするとさっきの仕返しが飛んできた。


「ネット見てサボってんじゃねえぞ」


 ……バレてたか。



         ***



 時計の針は午後八時を回っていた。電話営業を続ける同僚たちを尻目に、一希は机を片付け帰り支度を始める。

 今日は社名を告げただけで「結構です」と断られてばかりで、こういうときは経験則から早めに切り上げることにしていた。むだに疲れるより明日への英気を養っておくほうがいい。


 不動産営業マンの一日はひたすら地味で地道な作業の繰り返しだ。

 例えば今日は反響のあった客へのメール返信や、レインズ(不動産業者が加盟する不動産情報ネットワーク)の新規物件チェックなど、オフィスにいてできることが終わってしまうと、鬼の上司の目を逃れて外出。現地調査や法務局の登記簿を閲覧した後に、手土産をいくつか購入して業者への挨拶回りといった具合。


 物件の仕入れは顧客からの直接買取だけでなく、買取業者や仲介業者を介して行うことも多いため、こうして顔を繋いでおいていち早く情報をもらうわけだ。……が、今日は訪問先の数が少なく、畠山に一日の報告をする際ごまかすのに苦労した。

 雑談がえらい長引きまして。面白そうな物件があったんで見せてもらってました。道路工事やってて渋滞してそのうえ迂回させられたんですよ。

 全部嘘である。移動の合間に何をやっていたか、正直に話せばたちどころに雷が落ちていただろう。


 上司に怒られるリスクを犯し、最大限の時間を母親の追跡に費やしたというのに、求めていた情報は手に入れることができなかった。「〇〇在住」の文字はどこにも見つからず、現在結婚しているのかどうかも不明だ。

 試しに妹の名前も検索してみたらSNSに同姓同名の登録者が何人かいた。しかしまったくの別人か決め手に欠ける者ばかりで、結局はっきりしたことは何もわかっていない。


 母親が東京に住んでいるというのは、そもそもどうやって知ったんだっけ。

 ぼんやり考えながら廊下を歩いていると、管理課のオフィスの明かりが消えて中から人影が出てきた。


「あれ、後藤さん。いま上がりですか」

「ああ、明日の準備してた。新卒の世話なんて初めてだからわからないことばっかりだよ。マニュアルもないしな」


 後藤は総務や人事といった管理業務を一手に引き受けている。小さな会社だからこそできることだが、逆に大手なら体系化している新人教育を一から手探りでやらないといけないわけだ。


「大変ですね。で、どうでしたあの二人。初日としては」

「ビジネスマナーだけで精一杯って感じ? 面白いのが、中里は緊張してんのか怖いぐらい真剣な顔なのにさ、須賀はニコニコして癒し系みたいな。男女逆だろって」

「須賀はすぐ辞めるようなことにならなきゃいいですけどね」


 一希の示唆するものを理解したのだろう、後藤は苦笑で応じた。

 不動産会社の営業の仕事ははっきり言ってキツい。この業界の出入りの激しさがそれを証明している。合わなければどんどん辞めていくし、待遇の改善を求めて他社に移る者も多い。一希もブラック企業を一ヶ月で辞めた経験があり、リヴィータは四番目の会社だ。


「畠山チーフには『どうかお手柔らかに』って釘刺してるけどね。今は時代が違うし、問題が起きるとすぐに世間から叩かれるから」

「それ、俺らにも適用するようにチーフに言ってくださいよ」


 半ば本気で訴えると後藤は声を立てて笑った。いずれにせよ、仕事の厳しさはおいおいわかってくることで、初日にあれこれ心配しても仕方がない。


「それにしても国大卒の女の子が入ってくるなんてね。建築系の学部ですか」

「工学部建築学科。二級建築士とインテリアコーディネーターの資格も持ってる。あのスペックなら大手とか、普通に建築事務所とかにも行けただろうにな。よくうちを選んでくれたよ」


 千尋の入社については一希も同じことを思ったが、高学歴というだけではなかったのだ。なるほど、学生時代にちゃんと資格を――

 突然閃きが降りてきてハッとした。そうだ、履歴書だ! 学歴を見れば東京に住んでいたのかどうかわかるし、生年月日が一致すれば何よりの証拠になるじゃないか。

 建物を出て駐車場まで来たところでさっと周囲を見回す。よし、誰もいない。


「後藤さん、あの、新入社員の……中里の履歴書を見せてもらうことは、」

「できないに決まってんだろ」


 言い終わらないうちにあっけなく拒絶され、ガクッとよろめいた。そんな無情な。


「個人情報だぞ。いくら小さい会社だからって、そういうところをなあなあにするつもりはないよ」

「そこをなんとかお願いできませんか。別に悪用しようってんじゃないんです。ちょっと確かめたいことがあって」

「伊原だけに特例を認めるわけにはいかないんだよ。ルールを作ってみんなに従ってもらうのも俺の仕事だよ? 俺自ら破ってどうすんの」


 そうだった。この人はそういう真面目な人だった。だから水島から信頼されて管理業務を任されているんじゃないか。


「……すみません」


 後藤は表情を和らげるとからかい気味に一希を諭した。


「何だよ、一目惚れ? 綺麗な子だもんな。でも初日からそんなに焦るなよ。ちょっとずつ仲良くなって、訊きたいことは本人に訊くんだな」

「いや、そういうんじゃ……」

「でもくれぐれもこういうキモい真似はすんなよ。美少女アイドル追っかけるのとは違うんだからさ」


 だから俺ロリコンじゃないし!

 と訴えてはみたが、履歴書を見たいなどという(キモい)頼みの後では到底信じてもらえそうになく、「まあ頑張れよ」とどこまで本気かわからない激励を最後に後藤は車に乗り込んだ。


 遠ざかっていくテールランプを力なく見つめながら大きく溜息をつく。  

 妹かもしれない相手に何を頑張ればいいんだか。謙三もよくそう言って応援してくれるが、もし彼女のことを知ったら、さすがに同じ台詞は口にできないだろう。


 ハッとしてとあることを思い出したのはその時だった。母親が東京在住であるとどこで知ったのか。

 そうだ、謙三だ。記憶違いでなければたぶんアレだ。

 父親が寝てしまわないうちにと愛車を飛ばして家に帰った。姿を探して風呂に入っているのを見つけ、ガラス戸の向こうに「ただいま」と声をかける。


「おかえり。今日は早いんだな」

「うん。あのさ、書斎の本ちょっと見たいんだけど、入っていい?」

「ああ、いいよ。好きなの持っていきな」


 この家には父専用の小さな書斎があって、机やパソコン、リクライニングソファが置いてあるほか、壁一面に作り付けられた書棚にはぎっしりと本が並んでいる。小説や実用書、ビジネス本など内容は様々だ。

 一希は部屋の明かりをつけると、ノンフィクションでまとめられた一角に目当ての著者名を探した。


 ……あった。堤八重子つつみやえこ


 この名前を七年ほど前にここで見つけた時は衝撃だった。いつからあったのかは不明だが、父親に理由を尋ねたら静かに笑って答えたっけ。


『お前も読んでごらん。いい本ばかりだよ』


 母親への感情を整理しきれていなかった一希は、手に取ってはみたものの結局その言葉に従わなかった。二、三年に一度この部屋に入るたび八重子の本が増えていることに気づいても、触れることさえしなかった。


 見覚えのあるタイトルを引き抜いて表紙をめくる。折り返しの部分に著者近影とプロフィールが載っていて、そこに「東京在住」とあるのを見つけた。やはりこれだったか。巻末の奥付けによれば今から八年前の初版発行だ。

 十冊ほどの著書をすべて確認すると、「東京在住」となっているのはこの一冊だけで、残りの本には居住地がどこなのかは記されていなかった。その前後には他の場所に住んでいたのか、それともその本だけが何かの手違いで記載されたのか。


 しかしこれで、少なくとも八年前、すなわち千尋が中学生の時には東京に住んでいたことがわかった。それがなぜこっちの大学に入学することになったのか。

 ……やっぱり履歴書見たかったなあ。

 未練たらしく呟いてから、さっき後藤に言われた台詞を胸の中で反芻した。


『仲良くなって、訊きたいことは本人に訊くんだな』


 それしかない、か。 



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