17 ほうっておけない
3DK、平屋建て木造住宅。専有面積五十三平方メートル。
コンペの対象となっているその物件は築四十年の貫禄漂う古家だった。貫禄と言えば聞こえはいいが要するにボロ家である。空き家となって二年たっているらしいから、さらに傷みが進んだのだろう。
元の持ち主は親からの相続によってこの家と土地を得たが、遠方に住んでいるため売りに出したのだとか。よくある話だ。
雨戸を開けて光と新鮮な空気を中に入れると、かつての住人が暮らした跡が埃を被ってそこかしこに残っているのが目についた。こうなると廃墟の趣すらあると言ってもいいかもしれない。
「ここ夜に来たら怖そうですよね」
「何か出そうだよな」
「あっ、だからお化け屋敷なんて言ったんですね」
「ホンモノよりニセモノのほうがいいじゃん」
男たちがたわいないお喋りをする一方で、女二人は距離を取ってそれぞれいろんな角度から室内を注視していた。
ついさっき確執(?)が表面化した彼女たちはオフィスを出てから互いに口を利いていない。いつ苑子が火を噴くかと思うとヒヤヒヤするが、今はとりあえず建物の状態のほうに関心が向いているようだ。
「だいぶ傷んでるわね。あちこちカビ生えてるし、腐食もしてるかも」
「企画に関係なくフルリノベしかないよな」
フルリノベーションはいったんスケルトン(構造体)の状態にして、劣化した箇所を修繕・取替などするところから始まる。耐震性が低ければ補強も必要だ。それだけコストがかかるし、ぶっ壊して建て直すほうがよほど手っ取り早い。
この物件も何しろ築四十年、そのうえ新幹線も発着するターミナル駅からJR在来線で一駅、徒歩八分という好立地にある。更地にして売っても建て替えて新築物件として売り出してもよかったはずだが、生憎と再建築が不可であった。
道路に面した土地の間口が一・八メートルしかないいわゆる旗竿地で、建築基準法で定められた接道義務に引っかかるため、取り壊して建て直すことができない。つまりリノベするしかなく、それゆえリヴィータに回ってきた物件とも言える。
再建築不可物件のメリットを挙げるとしたら価格が激安なことだ。当然固定資産税も安い。しかし担保価値がないとみなされ購入にもリフォームにも銀行から融資が受けられないので(つまり現金払い)、一般の人はあまり手を出さない。
買うのは主に投資家である。安く買っておいて、いずれ隣接の土地と合わせることで(再建築が可となるため)価値を上げたり、あるいはリフォームして収益物件とするのだ。
この物件も本来ならそうなっていたはずで、一希がコンペに出す企画も2LDKに間取りを変えた北欧風の家という、自宅と賃貸活用どちらも想定したプランだった。予算に制限をかけなければリノベはやり放題だが、売却価格を先に設定するため過度になることもない。まったくもって現実路線の企画と言える。
一通り内容を説明すると、苑子は間取り図と実際の部屋を照らし合わせながら正直な意見を口にした。
「これだけ具体的だとやりやすくてありがたいんだけどさ、現実的すぎてあまり感動がないよね。せっかくのコンペなのに」
「だーかーらー、営業マンが売れる商品を作ろうと思ったらそうなっちゃうの。俺みたいなのに感動を求めないでくれる?」
「うーん、さすが伊原くん。あたし、自分が住むとしたらと夢想して、ついあれもこれもってぶっこんじゃったのよね。伊原くんはそういうことってないの? つい自分の夢を投影するような」
自分の夢。一希が考える夢の家。
一瞬頭に浮かんだイメージは我が家とかつての四人家族の姿だった。
「……いちいちそんなことしてたらキリがないからね」
曖昧に微笑んで頭からそれを追い払い、熱心に室内の写真を撮る後輩へ話を振った。
「須賀は? どんなプランなの?」
「あ、僕、民泊です。ここアクセス抜群なんで」
なるほど。一軒家の民泊というのも面白いかもしれない。最近はこっちでも訪日観光客が増えているし、グループ旅行など需要はあるだろう。ただ宿泊日数が年間百八十日という制限の下ではビジネスとして成立しないのが難点だ。
「半年は賃貸活用だな、ウィークリーとかマンスリーで」
「はい。それと民泊を始めたい不動産オーナー向けの、新しいサービスを一緒に立ち上げるっていうのも考えたんですけど……民泊リノベプランみたいな」
「いいじゃない。いかにもコンペっぽくて」
「新事業なんて実現性薄いでしょうか」
「決めるのはお前じゃない、社長だよ。お前は社長が食いつきそうなプランを考えればそれでいい」
そもそも担当外の社員まで参加する緩いコンペなのだ。ましてや新入社員に緻密な企画など誰が求めるだろう。
須賀は安心したように頷くと、ずっと黙って話を聞いていた同期にニコニコ顔を向けた。
「千尋ちゃんは?」
「あ……えっと……シェアハウス……」
「うちで賃貸経営するってこと?」
「そう……そうなんだけど……」
なぜかもごもごと口ごもって今ひとつ明確でない。アイデアがまだきちんと固まっていないのだろうか。
「迷ってることがあるなら話してみなよ。アドバイスできるかどうかわからないけど」
一希に促されると千尋は逡巡しながらもこくんと頷き、ためらいがちだった舌はようやく滑らかに動き始めた。
「……産学連携プロジェクトにしたいんです」
「産学連携?」
「はい。学生の手による学生のためのシェアハウス。もともとは私がお世話になった大学の先生の発案なんですけど――」
都市計画や街づくりが専門だというその教授は、今や日本全国で対策が急がれる空き家問題を扱う授業の一環として、中古住宅の再生を学ぶ現場実習を以前から採り入れたかった。
が、協力してくれる企業がなかなか見つからない。
そこで千尋はリヴィータが引き受けてくれないだろうかと考えたのだと言う。会社は実習をフォローする代わりに、シェアハウスの入居者を大学内で募集してもらう。
「でもこの物件、フルリノベになりますよね。学生向け賃料しか取れないとなったら収益としてはどうなんだろうって、皆さんの話を聞いていたら疑問になっちゃって……」
自信なさげなのは一希の現実的すぎるプランが原因らしい。せっかくの興味深い企画なのに、そんな形で疑問を抱いてしまったとは。
先生の役に立ちたい。でも社員として会社の利益も考えなくてはならない。千尋の表情は明らかにその狭間で揺れていて、一希をたまらない気持ちにさせた。
……ああもう、そんな顔されたらほっとけないじゃないか。
「どうせなら自治体も引き込んで産官学連携にしちゃったら?」
A市にサポートしてもらってメディアにも公開する。そうすれば会社の宣伝になる。自治体と繋がりができれば後々仕事もやりやすくなるし、リヴィータにとっては一物件の収益以上のメリットがあるのではないか。
「それに学生向けシェアハウスなら市のほうで買ってくれるかもしれない。再建築不可だから相場よりずっと安いし、若者の定住に繋がるとなれば地域にとっても悪い話じゃないと思うよ」
その場の思いつきでも話しているうちにそれらしくなってくるのが営業マンの営業マンたる所以である。千尋もすっかり引き込まれているようで、その目には輝きが戻っていた。
若干大風呂敷を広げた感がないでもないが、要は彼女が自信を取り戻せればいいのだ。
「どう? これなら納得できる企画になりそう?」
「はい! せっかくだからこの物件で終わりじゃなくて、行政と民間で協力できるプラットフォーム作りを提案してみます」
「おー、いいね。どうせやるならでっかい打ち上げ花火のほうがいいよ。それぐらいの気持ちでやりな」
「はい! ありがとうございます」
あー、笑顔が眩しいなあ。
ボロ家にいるのにまるでここだけが花畑に変わったような幸せな気分だった。
……が、それも長くは続かなかった。
「よかったわね、中里さん」
急に割り込んできた苑子の声によって一気に現実に引き戻される。
ここで来るか――!
含みのある視線がまっすぐ千尋を捉えている。自分には思いつかないような企画を聞いてケチをつけたくなったのか。それとも一希の助けを得たことを貶したいのか。
千尋もまた言葉どおりには受け取っていないのだろう、真顔に戻って、やってくる口撃に応戦する構えだ。
ちょっとやめて、マジで!
心が悲鳴を上げたがもちろん二人の耳には届かな――
「じゃあ帰ろっか」
――え!?
拍子抜けする台詞を吐いて苑子は踵を返した。
「え、これで終わり?」
期待外れと言わんばかりの須賀をぎろりと睨んだものの、予想が裏切られたという点では一希の驚きも大差ない。ここに来る直前のあの攻撃的な態度は何だったのか。
腑に落ちないものを感じながら家を後にして再び車に乗り込む。
と、苑子が不意に思いがけないことを言い出した。
「ねえ、うちの工場に寄ってくれない?」
野上モータースである。