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空の子  作者: そうじ
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やみの出現(川端の里)

 「デタン、デタン、ちょうどよかった。手伝っとくれ」

 「いやだよ。忙しいんだから」

 「なにが忙しいんだよ。いっつも部屋でごろ寝してるだけじゃないか」

 「そんなことねえよ。俺だっていろいろあんだよ」

 「今日は兄さんも姉さんも帰ってくるんだよ。おまえたちの好きな里芋の煮付け、作るからさ。ほら、皮むき手伝っとくれ」

 「やだって。手がかゆくなるし」

 「おいおい、デタン。おまえ、まだそんなこと言って甘えてんのか?」

 「あ、兄さん、お帰りなさい」

 「こんばんは、デタン」

 「義姉さん、いらっしゃい」

 「兄さん、今日は村学で祓いの型、習って帰ってきたの?」

 「ああ。でもまだ細かいとこがわかんなくってさ」

 「ね、ね。型はなに?」

 「ジンさまの型さ」

 「あ、俺もそうなんだ。へへえ、俺、村学でほめられちゃった!」

 「おお。そうか、デタン、やるじゃんか」

 「なんの話?」

 「あ、姉さん、久しぶり。祓いの型の話」

 「へえ。あんたできんの?」

 「うん。まかせてよ」

 「おー。じゃ、教えてね」

 「うん」

 「ほらほら、デタン。手伝って」

 「あ、こらっ、デタン」

 「逃げるが勝ちー。ご飯できたら呼んでねー」

 「しょうがないなあ、あいつ」

 「もう十七なのに。あんなに甘えんぼじゃあ嫁のきてがないよ」

 「まあまあ。そのかわり、デタン君、優しいしさ」

 「優しいだけじゃだめじゃん。義姉さんだってそう思うでしょ? うちは父さんがいないんだから、もう少ししっかりしてもらわないと。ねえ、母さん」

 「そうだねえ。ちょっと甘やかしすぎたかねえ」

 ちぇっ。また俺の悪口だよ。

 そんなことばっかりいうから一緒にいたくないんだ。

 おまえらのせいだよ。

 あーあ。なーんかおもしれーことないかなあ。

 なんか眠くなってきちまった。

 ・・・・・・・・・・・・

 「ひいいっ」

 「きゃああっ」

 なんだ? 母さん! 兄さん! 姉さん!

 はっ!

 や、やみだ。肌がピりピり痛い。この感覚、やみだ・・・。

 怖い、怖い、怖い、怖い。

 膝ががくがくする。

 助けたいけど、動けないんだ。動けないんだ。

 「デタン! こっちに来ちゃだめ! 逃げなさい!」

 母さん!

 ・・・・・・・・・・・

 からだ全体が痛い。

 うずくまった体勢でじっとしてたから。

 あ、あれっきり台所で声がしない。

 どうなっているのだろう。

 嘘だよな。

 きっとみんなで俺をからかっているんだ。

 そうだよ。

 俺に手伝わせようとして。

 あっ・・・。

 誰も、いない。

 里芋が転がっている。

 兄さん、義姉さん、どこにいるの・・・。

 み、みんなで隠れているんだろ?

 姉さん・・・。

 母さん・・・。

 誰も、いない・・・。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・


 デタンははっと目を覚ました。からだにびっしりと汗をかいている。

 ちくしょう、毎日同じ夢だ。俺はヘタレ野郎だ。なんにもできなかった。いや、なんにもしなかったんだ。そんな俺に母さんは「逃げなさい」って・・・。

 デタンは涙があふれそうになった。だけど、ここ川端の避難所には何人も相部屋の者たちがいて簡単には泣けない。

 (俺の事情はみんな知っているけど、同情されるのはいやだ)

 デタンは部屋の外に出た。


 川端の避難所では広い敷地の真ん中に焚き火が敷かれ、十数人の男どもが座っていた。いずれの男も厳ついからだつきの者ばかりで、広い敷地が小さくみえるほどである。

 川端の近くに川口という地区があり、三日前から川堤の修復作業が行われていた。

 北山から下る川は泉谷川いずたにがわと呼ばれる。水源地が泉谷の里であることが名前の由来である。川端の里では泉谷川が過去に何度も氾濫したことがあり、そのため川堤を常に強固に保つことが必要とされていた。今回の堤修復作業には多数の動員がなされ、北麓村各地より腕力や体力のある者たちが川口の現場に集められていた。

 今日の夕方になって緊急避難の通達があり、家の遠い者たちは自宅近くの避難所に帰れず、川端の避難所に宿泊するはめになった。その者たちが集まっていたのであった。

 「あーあ、気が滅入るよな」

 ひとりの男がため息をついた。

 「まったくだ。これから当分、夜は家族と離れて川端だ。父ちゃんと母ちゃん、いまごろ土橋の避難所かあ」

 「そっか。おまえは土橋か。うちは小河原だ。はあ・・・」

 「おまえらなんかまだいいさ。俺んとこはこーんなちっちゃな赤ん坊がいるんだ。女房のやつ、気を張りすぎて倒れなきゃいいけど」

 生温かい風が吹き、焚き火の炎が揺れた。

 「蒸すな。やけにじめじめしやがる。こりゃ、どしゃぶりになるぞ」

 「かなり大きなやみが出るってよ」

 「本当か?」

 「俺もそう聞いたぜ」

 「ああ、大丈夫かな、うちのやつ。心配だ・・・」

 「心配する家族がいるだけありがたいよ。家族全員呑まれて、ひとりだけ残ったやつはたくさんいるんだ。こないだもやられたろ」

 「ああ、デタンか。あいつ、全然元気ないからなあ」

 「どうせ自分だけかわいそうなんて思ってるんだろ。俺だって息子が・・・ちくしょう!」

 「おい、そんなこというなよ。みんな、家族や友人が呑まれてるんだ」

 「ふん」

 「・・・それにしてもいつまでこんな生活がつづくんだろう」

 「とにかく、これ以上悪くはならないさ。なんせ、ゲンさまが来られたんだからな」

 「わからんぞ。ゲンさまっていっても力を見たのってコウさまだけなんだろ」

 「ぜんぜん頼りにならなかったりしてな」

 「そうだよ。いまごろ来てなんになるってんだ。来るんだったらもっと早く来いってんだ。俺はあてにしてないね。だいたい、ほんとにお空さまってのがいるんだったら連れてきてほしいね」

 「はは。ほんとにいたとしても結局助けてくれないんだったら意味ないけどな」

 「それにしても、なあ、おい。ゲンさまが来られたってことは」

 神妙な顔つきで一人の男がぽつりといった。皆はいっせいに黙った。その男がいいたいことを理解したのであった。

 「あれだろ。・・・予言の・・・」

 「予言の書、だろ? ゲンさまのことが書いてあるんだってな」

 「ああ、そうらしい。で、空の国が滅んでしまうって」

 「違うよ。ゲンさまが空の国をお助けになるって書いてあるんだぜ」

 「ばか。噂だよ。迷信だ」

 「おまえだって本当は信じてるくせに」

 「だいたい、予言の書なんて誰も見たことないのになんで中身がわかるんだよ」

 「そうそう。見たやつは死んでしまうんだってさ。そのあと、末代まで祟られるって」

 「なにいってんだ。子どもじゃあるまいし」

 そこにひとりの男が現れた。年の頃は六十過ぎ、日に灼けた頬に皺が刻まれ、にこにこと笑っている。

 「こーりゃ、おまえら! 愚痴いうとりゃせんか。愚痴がいちばんいかんぞ。そういう弱いところにやみひとがつけこむ」

 「あ、セグルさま。聞いてたんですか。えへへ」

 「えー、だって伝説のゲンさまってのが来られたんだろ? 助けてもらえるだろ」

 「なーにを甘えとる。そういう甘えたやつからやみに呑まれるぞ。ほれ、ちゃんと習った祓いの型、復習しとけ。それから、お札と数珠をしっかり持て。おまえたちの部屋の入り口は巫女さまの護符を貼るからの。結界は十分じゃ」

 「へいへーい。わかりましたよ」

 「ほれ、もう寝ろ。雨も強くなりそうじゃ。ほれ、行け」

 「セグルさまも早くお休みにならないと。老体にはきついでしょ」

 「まだまだおまえらよりは元気があるぞ? 今夜はな、やみひとを何体も祓ってやるんじゃ。わっはっは。おまえらも安心して寝ろ」

 そういいながらセグルは両腕を高く挙げて立ち去っていった。

 大粒の雨がぽつり、と落ちてきた。

 「セグルさま、元気だな」

 「長老で祓い師だし、休めてないだろうにな」

 「けっ。祓い師はそれが仕事なんだよ。俺らだってろくに休めもせずに土嚢運んでんだ」

 雨がばたばたっと降ってきた。

 「ひえっ。降ってきたぞ。退散退散」

 男たちは慌てて屋敷の軒先に逃げ込んだ。雨はいきなり激しく音を立てて降りしきり、村人たちはぞっとするような感覚を覚えた。焚き火は雨に叩かれてほとんど消えていた。屋敷のまわりに備え付けられた松明の灯も瞬く間に消えてしまった。

 「やみがくるぞ!」

 セグルが血相を変えて駆け戻ってきた。女たちは悲鳴をあげ、男たちからはどよめきが起こった。

 「急げ! 早く屋敷の中へ! 自分たちの部屋に入れ! 外には絶対出るな! 護符をしっかり貼れ! 破れると小者が入ってくる。札と数珠は手放すな! 警鐘番、鐘じゃ、鐘を鳴らすんじゃ!」

 各里には警鐘台が設置され、やみの出現を察知すればいち早く鐘を鳴らす手はずになっている。警鐘番、と呼ばれた男が大急ぎで警鐘台に上る。警鐘番の男は緊張で手足が震え、何度かはしごを踏み外した。

 セグルの後ろに七人の祓い師がついて口々に大声で指示を出す。そこいらにいた男も女もあわてて屋敷の中に入った。

 警鐘が鳴りはじめた。

 カーン、カーン、カーン、カーン、カーン・・・。

 甲高く危険を呼びかけているつもりだろうが、雨の激しさで音のはしばしが消され、鈍く響く。その音がさらに人びとに不安にさせる。

 すると建物の裏手で、ひゃあっ! という声と、叫ぶような祈り声が同時にあがった。

 「くそ! やはり裏にもきやがったか」

 祓い師のひとりが駆けていこうとした。セグルが怒鳴った。

 「ばかが! 持ち場を離れるな! 裏にはエフムたちがおるじゃろうが!」

 セグルは数珠をじゃらっと鳴らし、左手を顔の前にあげた。見据える先には暗闇しかない。さっきまであかあかと燃えていた焚き火の煙がわずかにあがっているだけであった。

 「来るぞ」

 セグルは遠くをしっかと見据えていた。

 「ゆっくり来やがって。背中がぞくぞくする。こりゃ、ちいとばかり強者じゃ」

 ず、ず、ず、ず、ず、

 降りしきる雨音に紛れるようにして、わずかに聞こえる恐怖の音。なにかを引きずるような音。

 セグルが率いる祓い師たちはきれいに間隔を開け、それぞれに構えをとっている。ちゃら、ちゃらと数珠がふれる音がする。

 背後で人の気配がした。セグルがとっさにふりむくと、そこにはひとりの男が立っていた。

 「おまえ、デタンか! ばかめ! なにやっとるんじゃあ! 部屋に入れというたろうが!」

 「あ、・・・あの、す、すみません。か、厠に」

 「わしにしっかり捕まってろ!」

 「は、はい!」

 デタンの膝ががくがくと音がする。肌がピリピリと痛い。

 (あのときと同じだ。母さんたちが呑まれたときと)

 ぐううおおおん!

 激しい風を伴って、屋敷全体が揺れるかと思うような地響きがして、それは現れた。

 建物のまわりに建てられているモチの木がごうと音をたてていっせいに揺れた。

 「ひいいいいっ」

 デタンは腰が抜けた。セグルの着物を必死でつかみ、目を閉じてぶるぶると震えた。

 「デタン。気をしっかり持て。弱気がいちばんいかん。しっかりとやみひとを見据えろ。一分の隙も見せるな。全身の力で射殺すつもりで見ろ!」

 お、お。

 お、おお、おおお。

 お、お、おおおおおお。

 霧の黒い粒子があちこちで唸る。奥にいる、形のないひと。じっとセグルを見据えていまにも飛びかかりそうでありながら、まだ動かない。

 「いまやつらは弱いヤツを選定している。力量を測っているんじゃ。いちばん弱いヤツが狙われる。デタン、感情を解放しろ。おまえには強い恨みがあるじゃろうが。その感情を解放するんじゃ!」

 「え、う、恨みですか」

 「そうじゃ、いいか、やみが襲って来る前に、自分のなかにある強い感情を相手にぶつけるんじゃ。それが結界となる。そうすればやみひとはひるむ。そこで祓いの型を使う!」

 「えっと、えっと」

 おお、お、お、おおお。

 「もうおまえと話をする暇がない! 来るぞ!」

 セグルは高くあげていた左手をぐっと顔の前におろし、力を込めて前後に短く振った。数珠がじゃ、じゃ、と音を立て続ける。

 「大いなる御方さま! 我はセグルなり。我にあなたさまの御力を与え給え。あなたさまの御力を持って・・・」

 ぐうう、うおおんん

 やみひとが一気にセグルに襲ってきた。いや、セグルではない。セグルの後ろで腰を抜かしている、デタンを狙っている。

 「・・・やみを祓わんんんっ。つあああっ!」

 セグルは叫びながら、左手を斜め上から振りおろした。他の祓い師たちも口々に祈りのことばを唱え、やみを祓っている。やみひとたちは声にならない悲鳴をあげて去っていった。しかし、セグルの祓いをくぐり抜けてひとりのやみひとがデタンのまえに現れ出た。

 「うわああっ」

 デタンははっきりと見た。

 これがやみひと。

 形のない「ひと」。

 ああ、おまえも「ひと」なんだな。

 でも、なんて悲しい顔をしているんだろう。そんな顔するなよ。

 俺の悲しみをどこにぶつければいいか、わかんなくなるじゃないか。

 デタンは座り込んだままで、無意識に左手を額のまえに置いた。数珠がじゃっと鳴る。デタンは祈りを唱える。

 「大いなる御方さま、我はデタンなり。我にあなたさまの御力を与え給え」

 俺、家族が呑まれたとき、なにもできなかった。

 俺はこの苦しみから解放されたい。

 だから決めたんだ。ひとりでも多くの人を助けるって。

 だから、・・・ごめんな。俺、おまえを祓うから。

 「あなたさまの御力を持ってやみを祓わん」

 セグルと同じ動作、同じ祈りであった。が、静かな祈りであった。

 左手をすっと振りおろすと、やみひとは小さな悲鳴をあげて消えた。

 デタンは泣いた。どうして泣いているのかわからなかった。ただ、心から湧き出る感情を止められなかった。

 「デタン、ようやったな。わしと同じジンの型じゃな」

 セグルはデタンを引きあげてにっこり笑った。デタンは失禁していた。

うわ。恥ずかしい。でも雨のおかげでほとんどわからないな。良かった。泣いていることも雨のおかげで隠せたかな。でも腰が立たない。はは。俺、やっぱヘタレ野郎だ。

 デタンは恥ずかしそうな顔をして、

 「は、はい。ジ、ジンさまの型は覚えているのですが、怖くて、と、とても使うなんて、い、いままでできなかったんです・・・。セグルさまが見本を、みせ、見せてくださったので、助かりました」

 と、唾を飲み込みながらいった。これだけ全身濡れそぼっているのに口だけがからからに乾いていた。

 祓い師たちが次々と叫んだ。

 「セグルさま! まだですぞ!」

 「すぐにまた来ます!」

 「わかっとるわい! ・・・デタン、おまえは自分の前にきたやみひとだけを祓え。できるな?」

 「はい。できます。どうぞ俺にかまわずに行ってください」

 デタンは自信はなかったが、やみひとをしっかりと見ることができた自分に満足していた。祓いも使えた。だから、もしここで呑まれたとしても前を向いたまま死ねると思った。

 雨はますます激しくなり、祓い師たちを叩き続けている。肌の感覚がないほどずぶ濡れである。

 「裏はどうなってるんでしょうか」

 雨の音で声が途切れる。セグルが叫ぶようにして答える。

 「エフムを信じろ! ・・・来るぞ」

 「はい!」

 七人は構えを取り、踏ん張った。足下はぬかるみ、力を入れるほどずぶっと滑る。

 ず、ずず、ず、ずず、ずずず、ずず、ず、ずずず。

 おかしいとセグルは感じた。いつもは一定の悪寒が背中に走る。今度の悪寒は不定の間隔。しかも腰にぐんと負担がかかっている。

 雨はますます強く激しく降る。おもりをたたきつけられているようだ。

 大きい。さっきのやみとは比べものにならない。いちど祓った清浄の地でやみが再度現れることは最近の特徴であったが、それにしてもここまで大きいやみを感じるのははじめてだ。

 (いったいどうなっている)

 セグルはほかの祓い師を見た。案の定、あまりにも大きいやみに驚き、恐れをなしている。

 「おまえら! へその下に力を入れんかっ! つけ込まれるぞ!」

 「は、はい!」

 お、おお、お、おお、お、おおお。

 おおお、おお、おおおお。

 七人とも声が出ない。ただその大きさを見つめるしかなかった。

 (これはなんだ。やみなのか? いままでのやみとは違う!)

 周りの霧の黒い粒子はもう低い声では唸っていない。恐怖を高々と唱和しているようであった。

 ぐ、ぐう、ぐうう、ぐ、ぐぐぐ、ぐう・・・

 ぐうおおおんんんん!

 四方八方からなだれこむように襲ってきた。

 祓い師たちも必死で次々にやみひとを祓う。数珠が鳴り、声高に祈りが唱えられ、札を掲げ、手を振り落とす。ひとり祓い、次の祈りを唱える隙に別のやみひとが襲ってくる。「もうだめだ」と思うとセグルが助ける。デタンは這いつくばりながらなんとかやみひとを祓っている。

 その繰り返しを数回続けたとき、セグルが叫んだ。

 「皆! わしの近くに来い! ひとりになるな!」

 デタンを真ん中に置き、祓い師で囲んだ。

 するとやみひともひとつに固まった。やみの粒子たちも集まり、巨大な山の影が目の前に出現した。

 「こいつら、いままでと違うぞ。知恵がついてやがる」

 「もうだめです! セグルさま!」

 「あきらめるな! あきらめたところから崩れるぞ!」

 しかし、なす術はない。セグルは覚悟を決めた。

 (せめて最期にやみひとをひとりでも多く祓ってやる)

 ぐぐううおおんんんん

 セグルは思い切り祓ったが、すでにやみひとに両手両足を捕まれていた。

 ここまでか。

 セグルが目を瞑る。

 その間、一瞬であったろうか。

 カッ

 と閃光が走ったかと思うと、直後にものすごい怒号がした。

 ごうおおおおおおおおおお

 セグルは雷が落ちたかと錯覚したが、獣の咆吼であることがわかった。

 聞いたことのない吠え声。

 目を開けると、光に照らし出されて皆が唖然として上を見ている。

 セグルも上を見る。

 まぶしすぎてよく見えない。

 そこに浮き出てきたのは白い大きな獣であった。

 全身の毛を逆立てて、大量の光をまとい、恐ろしい形相。

 ・・・鬼だ。

 鬼は光を放ち、怒号とともに光をやみにぶつけていた。

 あれは白狼犬? もしかしてゲンさまなのか。

 こんなに恐ろしい獣が。

 はっと気づくとやみは跡形もない。上には獣が浮遊したまま我々を見ている。が、さきほどの恐ろしい形相はいつのまにか消え、静かなまなざしであった。

 雨が小降りになっている。その雨のなかをぬぐうようにして金色の粉がはらはらと舞い降りてくる。皆、口を開けたままであった。

 獣は静かに地上に降りてきた。地に四足をつけると光の粉がふわっと舞い、全身泥まみれの人々のからだにまとわりついた。

 「・・・お護りいただき、ありがとうございます。私はセグルと申します。北麓村、川端の長老でございます。ゲンさまであられますか」

 「そうだ。皆、無事か」

 背後から聞こえてくるかと勘違いするほど深く響く声だった。

 「はい、ここにいるものは無事でございます」

 ゲンの白い毛は雨にぬれそぼってすたすたとしずくを垂らしている。

 「良かった」

 建物から村人が大勢出てきた。皆、異常なほど神妙だった。ゲンに飛びつくというよりはすがりつくようにして近づいてくる。数人はその場でへなへなと座り込んだ。子どもたちはわんわん泣いている。老人たちはゲンを必死で拝む。

 いままでに出会ったことのないやみだったのだ。

 巨大な「やみ」の力を目の前にして地獄を垣間見たのだ。



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