新生
新生
昨夜の嵐は終わりを告げた。
我らは十分に生きた。
我らの生は
おまえたちに哀しみをもたらしただろう。
しかし、その哀しみを抱きながら、
おまえたちはいま、暁光に飛び立とうとしている。
だから、我らは十分に生きた、と知る。
嵐の中にあって、我らは幸福であった。
昨夜、おまえたちは不幸であったかも知れない。
泣き疲れて眠ったかも知れない。
しかし、おまえたちは目覚めた。
いま、清新の暁光を全身に浴びている。
見よ!
この美しい光を。
神の祝福の光を。
行け、空の子よ。
光をふんだんに浴びながら。
いま、このときを生きよ。
望みがあれば、迷わず望め。
恐れがあれば、迷わず恐れよ。
たったいま、
おまえたちの希望も、恐れも、間違いではない。
すべて神の祝福なのだから。
ありのままを受け入れ、
涙を流しながら、前に進むのだ。
生きよ、空の子よ。
おまえたちの時代が始まったのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
空が、深い青を湛えていた。大きく白い雲がひとつ、ぽかぽかと浮いている。
倒れた木々は、その根元に乾いた泥をつけていた。
一人の男が井戸から水を汲んでいた。右袖が無造作に結わえられている。左腕はたくましく動き、桶が上下するたび、右の袖が左右に揺れた。
空から強い陽が男の背を叩きつけた。
しゅん
と、獣の鳴き声のような音がした、と男は思った。額の汗をぬぐいながら、まぶしそうに空を見上げた。
一頭の羽犬が大きく旋回していた。羽犬は、その背に一人の少女を乗せていた。
少女は羽犬の背中から男を見とめると降下し、羽犬が着地する前に、すとんと地に降り立った。
「生きてたの」
「まあな」
「お空さまも物好きね」
「そういうことになる」
男は桶を地面に置き、その腕で額の汗をぬぐった。左腕の袖がぶらんと揺れた。
「ま、代償はあったみたいだけど」
「腕、たったの一本だ」
男は左腕で右袖をぐいとひっぱって笑った。
(笑った)
少女は男の笑顔を初めて見たはずだったが、とても懐かしいと思った。あれから三月と経っていないにも関わらず、男はずいぶんと老けていた。昔と同様、長い髪を一つにまとめていたが、その色は白かった。太陽に照らされて白髪がまぶしく、少女は目を逸らした。
男はうすい眼を左右に動かしたが、桶を持ち上げてぎこちなく歩き出した。
「ユウキなら裏の畑にいるぞ」
「あいつに用はないわ」
「私か」
「そう」
「なんの用だ」
少女は決まりの悪い顔をした。まさか『あんたと話をするためにに来た』とはいえず、ついでの用事のほうだけ伝えた。
「ガンザンに用事を頼まれたのよ」
「えっ。ガンザンが?」
男は妙な顔をした。
「別にあんたを取り押さえようってんじゃないわ。リュリュのことなんだけど」
「ああ、リュリュ・・・。元気にしているか」
男は泣きそうな顔をした。
少女は首を振った。
「元気がないのよ」
男の表情が一変した。
「えっ! 怪我か? それとも病気か。どうした。どんな症状だ」
「ばっかねえ。あんたがいなくなったからに決まっているでしょ」
「あ」
「あんた、頭悪くなったんじゃないの?」
「あ、いや、その」
男は苦笑した。
「だから、ここで引き取ってほしいって」
「おお・・・。もちろんだ、もちろんだとも。ああ、リュリュか、懐かしい。良かった、元気で良かった」
「あーもう、だから、元気がないんだってば」
「うんうん、良かった」
男は涙を浮かべていた。
「ほんと、ばかになったのね、あんた」
「そうだな」
男は笑いながら涙をぬぐった。
「白泉の水。ひさしぶりね」
少女は男が持ち上げた桶をぐいっと取り上げた。
「ほう。手伝ってくれるのか」
「勘違いしないで。シャシャに水を飲ませるだけよ」
少女はそういって羽犬に水を飲ませた。
「ひどいな。それは俺たちの昼飯に使う水なんだが」
「また汲めばいいでしょ」
「おいおい。片腕しかないやつに簡単にいうなよ」
「腕、たったの一本なんでしょ?」
「まいったな」
「うるさいわね。私がやるわよ」
少女はぷいっと踵を返し、桶を抱えてがしがしと歩き、桶に水を汲んできた。
「飯、食っていくか?」
「どうせ、ろくなもんないんでしょ」
男はにやにや笑いだした。
「なによ」
「この地は護られたんだな」
「なんなの? 急に」
「白泉を中心としてひと山そっくり残ってる」
「ああ、そうみたいね。私も驚いたわ。こんなにきれいに残ってるなんて」
「おかげでこの辺りの獣たちも生き残っているんだ。以前の南山ほど種類が多くはないが、うさぎが多くてな」
少女は目を輝かせた。
「で? この水、どこに運ぶの?」
男は高く笑った。
「こっちだ。シャシャも連れてこい」
「うん!」
少女はぴゅっと口笛を吹いた。シャシャが後ろからさっと駆けてきた。シャシャは少女にからだを擦り付けて甘えた後、尻尾を振って男にからだを寄せてきた。
「ガンザンは元気か」
男がシャシャの頬を撫でると、シャシャは甘えた声を出した。
「あれは殺したって死なないわよ」
「確かに」
少女はふくれっ面をした。
「どうした」
「いちいち気に入らないのよね、ガンザンって」
男は笑った。
「私もだ」
「気が合うじゃない」
「そうだな。ユウキよりは、おまえの方が気が合うな」
「あんな単細胞と比べないでほしいわね」
「失礼した。・・・ところで」
ぶわっと風が吹いた。
ガクウはそのまま次のことばを飲み込んだ。
空を見ると大きな白い雲が流れていた。
「気持ちいいー」
少女は桶を地面に置き、両手を広げて風に当たりながら空を見上げた。
「で? ウルクのこと?」
「えっ。なんでわかる」
「ガンザンの次にあんたが気になるのは、当然ウルクでしょ。子供たちのことはユウキからいろいろ聞いているでしょうし。どうせウルクのことは、ユウキがなにもいってないんでしょ」
「あ、まあ、そうだ」
「ふん、単細胞のくせに。・・・で、あんたも聞けないままなのね?」
「いや、察しはついているのだが・・・」
「お察しの通りよ」
「・・・やっぱりそうか」
「ばっかみたい。あんたもユウキも空人離れしてるようで、やっぱり空人ね。びくびくしちゃってさ。だいたい今回のことでどれほどの被害があったと思ってんのよ。あんたとユウキはあの場にいなかったからわかんないんだろうけど。ウルクの一人や二人でがたがた抜かすんじゃないわよ」
「いや、面目ない」
「まったくよ! 二度とうじうじしないでよね」
男は、少女の強い目の光に懐かしさを覚えた。
(アキと合わせたかったな)
そう思うとせつない気もしたし、おかしい気もした。
「わかった、わかったよ」
男は苦笑して引き戸に手をかけた。引き戸はがたがたともどかしい音を立てた。
そのとき裏の畑から、ばたばたと足音が聞こえた。
「きたわね、単細胞」
全身泥まみれになった少年がいきなり飛び出してきた。
「あ、サイナじゃん!」
「ユウキ、元気そうね」
「おうよ。なんか用? こないだ中央行ったときに大体の用事は済んだはずだよな」
「あんたに用はないの」
「へ? じゃあ、ガクウに? なになに」
「あんたには関係ないことよ」
「えー、いいじゃん、教えてくれたって。なあなあ、ガクウー」
ガクウは応えず、にやにやしながら、引き戸のがたつきを調節していた。
「なんだよー。腹立つなあ。おまえら、いつのまにそんなに仲よくなったんだよ。なーんかずるいぞ。 ・・・あっ、それよりサイナ! おまえ、南山行ったんだって?」
「それがなに?」
サイナが目を逸らしていると、ユウキはサイナの肩に手を置いてまっすぐに視線を合わせた。
「なんか見つけたか?」
サイナは一瞬でからだじゅうの筋肉が引き締まった感じがした。
(こいつ、相変わらず勘がいい)
いつもユウキはこうだった。ばかのようで、ただのばかじゃない。身体的にも頭脳的にも私のほうが優れているはずなのに、驚くほど勘がいいから、いつも勝てない気がする。もしかしたら、すべて知っていてわざと知らんぷりしているのではないかと疑うほど。
サイナの意識は懐に隠し持っている御護りに集中した。
まさか、ユウキはこの御護りの存在に気づいているのではないか。いや、そんなはずはない。これはだれにもいってない。いけない。こいつの勘のよさに惑わされて、下手にうろたえるとかえってばれてしまう。いままでそんなことが何回もあった。
三日前、サイナは山付きを何人か連れて南山に入った。表向きは警邏ということになってはいたが、あきらかにコウとゲンの行方を調べるための探索だということは皆の知るところであった。
結果、サイナは二人の屍を見つけることはできなかった。闘ったのであればどちらかの屍があってもおかしくはない。が、肉片さえ見当たらなかった。ただ、あれだけの大地震が起きたのだから、地中深くに屍や肉片が眠っているとしても不思議ではない。
しかし、サイナの嗅覚がコウの臭いをかすかに嗅ぎつけた。その臭いを頼りにシャシャを走らせ、臭いのおおもとにたどりついた。
南山の奥深い地の、ひときわ大きくえぐられたような跡。そこらじゅうの岩や石、倒れた木々にコウの臭いがかすかに残っていた。そして見つけたのが血まみれの御護りであった。血は乾ききっていた。この御護りを、サイナは自分のためにコウが残してくれたとしか思えなかった。
それ以上のことはわからなかった。白狼犬がつけていた御護りは見当たらない。それどころか、白狼犬の血の臭いさえしない。仙獣だというのだから死ぬことはなかろうが、まったくの無傷だったとすれば皮肉なことだ。
確かに、白狼犬はことごとくやみひとを絶やし、たくさんの空人の命を助け、空の国の未来を作った。しかし、その絶大な力によって多くの命が奪われ、空の国が壊滅状態になったことは事実である。そのことを知っているのは一部の人間だけだ。災厄の源であった白狼犬。この世には多大な傷を刻みつけ、自身は無傷のままで消え去ったというのか。いや、古来から元凶というのはそういうものだ。
とりあえず、白狼犬の肉体の臭いも意識体の臭いもしない。しかも、天変地異が終わっている以上、彼はすでにこの地から去ったということだけはわかる。サイナはそのことだけでもありがたいと思った。
「おい、サイナ。どうなんだ」
ユウキが語気を強めた。サイナはさっと顔を上げて答えた。
「なにも見つからなかったわよ」
「そうか」
ユウキは目を輝かせた。つまり、コウは生きているかもしれない、と判断したのだろう。
(未練がましいやつ!)
サイナは思い切り叫んで、蹴り倒してやりたかった。
「獣の足とか頭半分とかならあったわよ。ほしいなら持ってくるけど?」
「げっ。そんなのはガクウにいえよ」
「ガクウ、要る?」
「いらない」
「あら」
「どうせ、使えるところはモトン族がよってたかって搾取してるんだろう。その残りを持ってこられても困る」
「ま、報酬次第では考えてあげなくもないけど? そうねえ、うさぎの肉でいいわよ」
「ふむ。しかし、モノによる。まあ、今度来るときにいくつか持ってきてくれ。話はそれからだ」
「おえっ。おまえら、俺にそんなもん見せんなよ。それよりも飯だ。腹が減った」
「承知! うふふ。うさぎなんてひさしぶり。丸焼き?」
「味噌汁だ」
「えっ、もったいない使い方しないでよ」
「無理に喰えとはいってない」
「食べるわよっ」
「じゃあ、文句をいうな」
三人は口げんかをしながら家の中に入っていった。
ひときわ強い風が吹いて、木々の葉を揺らした。大きな白い雲は、切れ切れに散って風に流されてしまった。
残った空はどこまでも深く広く、青い空だった。




