コウとサイナ
コウとゲンは南山の奥深い地に入っていく。
どこまでいくのか、とゲンは思ったが、そういうことが聞ける状態ではなかった。コウは一言もしゃべらず、意識を一点に集中させている感じがした。
霧が深く、からだがずいぶん濡れた。
と、ふと懐かしい匂いがした。
「コウ、サイナが来る」
「え?」
深い霧の中にぼんやりと影が映り、その姿をサイナと確認したかと思うと、びゅんっと傍らを跳びすさんだ。
「あ」
コウもゲンも呆気にとられていると、サイナが再び戻ってきた。
「コウちゃん、みーっけた!」
「見つかったか」
「とーぜん。みくびらないでよね」
コウはふっと笑った。たぶん、姿を現すとは思っていた。
(みーっけた、・・・か)
かくれんぼをして遊んでいる子どもの、たわいもないことば。もちろん、コウとサイナ、そしてユウキの三人も幼少の頃、かくれんぼをして遊んでいた。結果はサイナの圧勝であり、悔しくてコウはよく泣いたものであった。
しかし、それは、郷愁を誘うことばではない。サイナがコウの密偵となって依頼、サイナは常にコウの位置を察知し、まわりに人がいない時をみはからって突然現れる。そのときに決まって「コウちゃん、みーっけた!」と明るく叫ぶ。
サイナにとって、はじめはみずからの強さを自慢することばであった。私はいつでもあなたの位置を把握している、あなたより上なのよ、とでもいう意味であったろう。コウにとっては、サイナの強さに屈服せざるを得ないことばであり、幼い時にはそれが悔しくてならなかった。
が、いまでは、必要なときには必ずサイナが自分をみつけてくれる、という信頼のことばであった。
コウは常に孤独であった。持ってうまれた力と命。コウのみが抱える命。それは誰かと共有できるものではない。
サイナもまたそうであった。コウとはまた違った力と命を背負い、サイナだけが解決できる命。
ふたりは互いにそのことを話し合ったことなどもちろんない。神に課せられた命というのはたとえ身近な存在であろうと口外してしまえば俗物になる。
しかし、ことばに出さずとも、互いが背負っている命の大きさは、明らかに理解できた。コウとサイナは、双方に無意識ながら「同士」であった。
とはいえ、ふたりの間には大きな隔たりがあった。空人とモトン族の溝。それはそっくりそのままふたりの溝でもあった。その溝を埋めるのが、サイナの底抜けに明るい「コウちゃん、みーっけた!」であった。ふたりの絆ともいえることば。ふたりは一瞬ではあるが、それぞれの孤独から解放されるのであった。
「で、サイナ。なんでここにいる」
「なにいってんのよ。定例の報告があるでしょう」
「・・・まあ、そうだが」
定例の報告もなにも、サイナとコウは七日ぶりに会うはずだった。コウとゲンは戸惑っていたが、サイナはいつも調子であった。
「とにかく、ちょっと降りて」
サイナはシャシャを促して、コウを誘導した。
森の木々たちはゲンたちを見まもるようにして佇んでいた。霧は晴れない。サイナはいつものおしゃべりでもするように、中央のようすを報告していた。
「でね、七日前から巨大なモノノケは出現していない」
「そうか」
「・・・サク、死んだのね?」
「うん」
「そっか」
サイナは黙った。コウはしばらくしてサイナにいった。
「母上は、空の神に引き上げられた」
サイナは「あっ」といって両手で口を押さえた。
「そっか。よかった・・・。よかったね」
サイナは泣いていた。
「うん。ありがとう」
コウは微笑んだ。
サイナにとって、サクは母親のような存在であった。
サイナを身ごもったまま母が死に、南山の奥地に埋葬されたあと、ガクウが墓を暴いて母のからだを解剖した。そう仕向けたのはサクである。サクに操られていたとはいえ、実際に禁忌を侵すことを決め、実行したのはガクウであった。サクがどこまで把握していたのかは明らかではないが、おかげで胎児であったサイナは生を拾った。モトン族の長の跡継ぎを絶やさずに済んだので、モトン族の者たちはサクにもガクウにも感謝していた。
が、サイナはどうしても、ガクウに感謝する気持ちにはならなかった。埋葬した死体を暴くこと自体、モトン族にとっては侮辱であり、その死体はモトン族の長であり、母であったのだ。長の娘として、そしてモトン族の長としての矜持が許さないのであろう。
おかしな話ではあるが、その首謀者であるサクを、サイナは慕っていた。それにはその後のサクの行動が関わっている。
サクは、奇跡的に生きていた胎児、サイナを猿沢のカナクの元に預けた。サイナを「山つき」に返すのではなく、空人の里で育てることで、モトン族を空の国に息づかせる下地を作った結果になった。しかも猿沢の里は、ライの時代からモトン族と空人のつなぎとしての役割を果たしている地であったため、サイナをモトン族の長として育て上げることができた。
それにしても、モトン族はよくも納得したものである。サクがモトン族にどう説明し、どう納得させたのか。あるいは脅したか、だましたか。いずれにしてもモトン族の未来を見越したサクの行動であったが、モトン族にとっては賭けに似た決断であったろう。
猿沢の女達はこぞってサイナをかわいがった。サイナもなついていた。が、互いに母娘としての存在ではなかった。モトン族の長の娘であり、次代の長としての扱いである。モトン族と親せき同然の猿沢の者達にとって、わが娘と同列に扱うなどできなかった。しかし、そういうことを頭で考えたわけではなかったろう。サイナという存在の大きさが、自然と周りに畏怖の念を植え付けたのかもしれない。
サイナにとって、真に甘えられる存在はサクだけであった。
サクは、コウの遊び相手としてサイナを選び、よく我が家に連れて帰った。サクはサイナを我が子のように扱い、コウとサイナは姉妹のように育った。ふたりはよくケンカして、たいていはサイナになぐられたりけられたりして、コウが泣いた。そのときもサクは、ふたりを平等に叱ったし、平等に抱きしめた。
サイナはぐすぐすと鼻をすすった後、
「で、コウちゃん、からだは平気?」
と聞いた。
「うん」
コウの顔色は青かったし、痩せこけていて、からだじゅう傷だらけである。平気なわけがない。しかし、サイナは、
「そう、ならいいけど」
としかいわず、何事もなかったかのように話し始めた。
「喰うモノノケもいなくなったわ。何が原因かわかんないんだけど。コウちゃん、なんかした?」
「いや」
「そう。五日ぐらい前だったかしら。突然、すうっと消えて」
「うん」
「なんだ、知ってた?」
「うん」
サイナはくるっとゲンに向き直った。
「ゲン、あなたが報告したの?」
「そうだ」
ゲンはここでやっとしゃべらせてもらえた気がした。別に報告をしたわけではなかったが、コウがサイナに事情をいっていないのであれば、合わせておいたほうがよかろうと思っただけだった。
サイナはゲンとコウを見比べて
「ふーん」
と探るような目でねめつけた。
「オレが報告してはいけなかったのか」
ゲンは、サイナの視線に耐えきれず、目を逸らした。これ以上、サイナの目を見ていると嘘がばれそうだった。
「そんなこと、いってないわよ。・・・それよりも、空人は次第に元気を取り戻しているわ。被害もいまでは少なくなったし、まだ、中規模のモノノケが出ていて、油断はできないけどね」
サイナは、モノノケがいなくなることを望んでいるわけではない。ただ、モトン族の未来のために、空人の手助けをすることが必要だった。
ヨクから、サクとコウの意識体にはモノノケが半分存在することを聞き、ふたりの今世での役割を聞いたのは最近だった。しかし、サイナは驚くことはなかった。サイナはモトン族である。サクとコウの中にどのような意識体が存在するかなど、とうにわかっていた。それに、空人とモノノケの闘いである。モトン族にとっては傍観してもいいことであった。
かつてモトン族の地であったこの空の国。ジャクル率いる「海つき」は、五十数人にまで人数を減らした。 「山つき」は総勢百人ほどいるが、各村の山奥でばらばらに生活している。今後、モトン族が安住できる地をどうしても確保せねばならなかった。そんなとき、コウがサイナに取引を持ちかけたのであった。コウに協力すればモトン族の安住の地を約束する、と。
サイナがそんなことを回想していると、コウがサイナをじっと見つめてきた。サイナはコウの視線に気づくと、コウのことばを待っていた。
コウは少し困ったような顔をした。
「サイナ。モトン族のおかげで空人はずいぶん助かった。感謝している」
「違うでしょ。別に、空人のために動いていたんじゃないわ」
「うん」
「これは取引だったはずよ」
「うん」
「だったら、個人の感情で終わらせないでほしいわね」
サイナはふんっと鼻息を荒くした。
「そうだったな」
コウは、すうっと息を吸い込んで、きっぱりといった。
「サイナ、おまえの仕事は終わった。モトン族を連れて、好きな場所に住めばよい。そこは誰にも侵されることのない、モトン族の国だ。そう、空の神が約束した」
サイナは目を閉じて、コウのことばを聞いていた。聞き終わるとゆっくりと目を開け、大きな瞳からぼろぼろと涙を流した。
(えっ)
ゲンの心臓が突然熱くなった気がした。
ああ、この小さな娘はひとりで背負っていたのだ。モトン族の長として、モトン族の未来を。背にはモトン族の人々を背負い、手足には空の国の枷をつけ、泣きながら、うめきながら、進んでいたのだ。
(そしてコウも同じ)
ゲンはコウの顔をのぞきみて驚いた。
コウは泣いていなかった。まるで別世界の存在のようであった。すべての感情を出すことなく隠すことなく、ただ友人の喜びを慈しむ顔。命あるものを包み込むような視線。コウを象っている細胞のひとつひとつが、命を讃え、命ある存在すべてを愛しているのだ。コウの顔から光が放たれているようであった。これが慈愛の輝き。まさにいま、神の慈愛が具現されている。
(そうか、おまえは空の子か。おまえは空の神の具現なのだ)
しばらく嗚咽していたサイナを、コウはじっと見つめていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「これからどうするか、もう決めたのか」
「・・・それが、まだ動けないみたいで」
「ん?」
サイナは涙を拭きながら、くすっと笑った。
「なんだか、頼られちゃって、空人からもう少し中央にいてほしいっていわれてるのよねえ」
ゲンは意外な気がした。が、納得した。やみひととの闘いにかかりっきりで、中央の人々の事情まで気にする余裕がなかったが、そういうことになっていたとは。
コウは驚くことはなく、少し微笑んだ。
「そうか。サイナが決めればいい」
「うん。モトン族も空人も、棲家なんてなくなっちゃってるしね。これから一緒に開拓していくことになると思う」
「そうだな。ガンザンとよく話し合ってくれ」
「うーん、ガンザンかあ。私、ガンザンって苦手なのよね」
「うん。ガンザンもそういってた」
「まあ、失礼ね!」
「ははは」
声を上げて笑ったのはゲンだった。サイナはゲンをにらんだあと、腰に両手をあてて、コウに顔を向けていった。
「仕方ないわ。だったら、ケンカしながら話していくしかないわね」
「うん」
コウがいった。
「そういえば、サイナ。一度、ユウキの家に行け」
「ユウキ? あいつ、生きてるの?」
「自宅に戻っていた」
「へえ。家、残ってるんだ?」
「うん。・・・そこにガクウがいる」
「えっ」
「ガクウとユウキが一緒に住んでる」
サイナはけらけらと笑い出した。
「ガクウが生きてるってだけでびっくりなのに、ユウキと一緒だなんて! お空さまも粋なことをなさるのねえ」
「うん」
コウはなぜか恥ずかしそうだった。
「私じゃなくて、ガンザンとかイツキとかに行かせた方がいいんじゃない」
「あいつらのことは心配していないんだ」
「なによ」
「ま、いい。この件での私の仕事はここまでらしい」
コウは少し目を細めただけだった。サイナは頬を少しゆがませている。
風が吹いた。
コウは風の吹いてきた方向を見た。コウの袴が風になびいていた。霧がすこしずつ晴れてきている。すでに太陽は西の山に隠れていた。
「サイナ、頼みがある」
「なに」
「ヨクに伝言を頼む。今夜、子の上刻だ、と」
サイナは大きな瞳の光ををぶつけるようにしてコウを見た。
「やるのね」
「ああ」
「南山?」
「そうだ」
サイナはコウから視線を外して、ふいっとゲンを見た。ゲンは目を逸らしたかったのに、ゲンの眼はしっかりとサイナの瞳を受け入れた。サイナの瞳はわずかに動いた。
「わかった」
サイナがそう答えたときは、コウはすでにサイナに背を向け、踏み出そうとしていた。
「骨は拾ってやるわ」
サイナの声がコウの首の後ろに響いた。コウのまぶたがぱっと開き、コウはにっこりと笑った。嬉しかった。しかし、その顔をサイナに見せることも、その声に応えることもしなかった。
「では、ゲン、行こう」
コウはゲンの背に乗り、ゲンはただ黙って従った。
コウはサイナを振り返らなかった。
中央ではやみひととのたたかいによる呑み込みはなくなっていた。死人は多かった。瀕死の者も多い。怪我人も多くいるなかで、すこしずつ落ち着きを取り戻している。
東の役たちが、死体を担ぎ出し、モトン族たちが土に穴を掘って埋める作業が始まっている。中央の広場に、墓地が作られ始めた。
ヨクは体が極端に弱っていた。ヨクのそばには、盾もテルイもいなかった。フユウがそばについて、ヨクの世話をしていた。
そこに、サイナが現れた。サイナはヨクの手を握りしめた。
(・・・おお、強き灯)
固く閉じられた化石のようなヨクのまぶたが、静かに開いた。灰色を帯びた焦点の合わない瞳が見えた。
「私よ、わかる?」
「・・・サイナ、か」
「うん。コウちゃんから伝言」
「いつだ」
「うん。今夜、子の上刻」
「・・・わかった」
ヨクの眼が輝きを取り戻した。一瞬にして、新たな生命を吹き込まれたかのように。




