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空の子  作者: そうじ
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傷跡

 診療堂の裏には、モトン族たちが運んできた死体が積まれていた。そのまわりに長老たちのからだが倒れている。あるいはうつぶせて、あるいは仰向けで。

 ソウイの亡骸は、板切れのように死体の山に重なっていた。

 そこに、血みどろの男がよろよろと近寄ってきた。ウルクであった。右腕がぶらりと力なく下がっていた。ぼうっとしてソウイのからだを眺め、

 「ソウイさま、やっと逝けたのですね」

 とつぶやいた。

 すると背後から犬がうなるような声がした。ウルクはその声を聞いてギルだと分かった。

 ギンカのからだは傍らにぽとりと落ちていた。

 ギルは、おおう、おおう、と唸りながら泣いている。

 (ギル、おまえは自由だな)

 もう、首をひねってみることさえできなかった。瞳だけが沈むようにして少し斜めに動いた。頭がずきずきと痛んだ。

 そこにイデアがかけてきた。イデアはソウイのからだに覆いかぶさり、狂ったように泣き叫んだ。

 (こいつも自由だな)

 ウルクはぼんやりと立っていた。

 まわりには「自由」な者たちが増えてきた。それぞれの長老の家族や弟子たちが駆け寄り、泣きながら長老のからだを揺さぶり、その名前を呼ばわっていたが、誰一人、答える者はいなかった。

 そのようすを、ウルクはただ、ぼうっとして眺めていた。

 「ウルク!」

 上から声がして、ウルクは胸がどきんとした。

 ガンザンがガガに乗って降りてきたのであった。

 ウルクはガンザンを見上げた。ガンザンはガガからすとんと降りた。ガンザンもガガも血まみれであった。ウルクは肺がきゅっと縮んだような気がした。血まみれだったからではなかった。懐かしかったのだ。会いたかったのだ。久しぶりにガンザンを見た気がして、いいようもなく嬉しかった。幼い子どもが、久しぶりに家に帰ってきた父に抱きつくように、ウルクはガンザンに抱きつきたいと思った。ウルクはいつものようにガンザンの肩に自分の肘をかけようとした。が、ぐらりと揺れてからだが萎えた。

 「あっ」

 ウルクは完全に力が抜ける自分を感じた。ガンザンの存在を目の前にして、安心してしまう自分がおかしかった。

 安心するな。まだだ。こいつが先に倒れるかもしれないだろ。こいつを支えるのは俺じゃないか。まだ、だめだ。・・・でも、ああ、安心とはなんと危険なものか。危険に身を投じるのはなんと快いものか。

 思いに反してゆっくりと崩れていく自分を心の中でせせら笑いながら、ウルクは異様なまでの快感を味わっていた。

 ガンザンは厚い右腕でウルクのからだをぐっと抱え、血で少しすべったので、もう一度抱え直した。ウルクはそのからだをぐったりとガンザンに委ねているだけであった。ガンザンの体温が伝わってきた。ガンザンの匂いがした。ウルクはぽろぽろと涙を流した。

 (うわ、泣いてるよ、俺)

 ウルクは自分の感情を抑えることができなかった。自分が久しぶりにひとに戻ったような気がした。

 ガンザンはぐっと腕に力を込めてウルクを抱きかかえた。

 「ウルク、死にそうだな」

 「死にそうなふりしてるんだよ」

 「歩けないくせに」

 「歩けないふりしてるんだ」

 「口は達者だな」

 「そうでも、ないさ」

 「そのようだ。ここに座ってろ。医師班が来る」

 ガンザンはウルクを診療堂の入り口に座らせて、死体の山に向かった。

 ウルクは、力強い足取りでゆっくりと前に歩いて行くガンザンを見続けた。ずっとこのまま見続けたかった。見ているだけでよかった。が、見ることができなくなった。

 (悪いな、ガンザン)

 ウルクの意識がすうっと遠のいた。


 ガンザンは、死体の山の前で一度足を止めた。その後、ゆっくりと歩み寄り、すっと膝をついて頭を垂れた。その場で泣き崩れていた者たちも声を殺して膝をついた。

 場は一時、しんと静まった。

 すると、上から光の粒子たちがひらひらと降りてきた。

 (青い光?)

 月の涙のような光であった。

 人々が上を見ると、ゲンがゆるゆると降りてきた。ゲンが地上に降り立つと、コウの姿があらわになった。人々は膝をつき、天を仰ぎ、手を合わせた。

 聖なる光が降る。

 コウは月光をおぼろげに受け、ゲンの背から降りた。月光はコウだけに降りていた。コウは月光を取り入れて自らが月となっているようでもあった。コウは死体の前に歩み寄った。コウは一言も発することはなかった。ただ、青い光に照らされながら、積まれた亡骸の前に膝をついた。

 息絶え絶えの者達を助けるために、手当をしていたサキイ、ヨキイは怪我人を背に回し、膝をついたまま息絶えていた。

 傍らで看病していたと思われる、長老の老婆たちもこと切れていた。

 「ガンザン」

 コウに呼ばれて、膝をついていたガンザンはそのままいざり寄った。

 ガンザンの顔中が涙で濡れそぼっていた。

 「ヨクは無事か」

 「はい。御堂で・・・、お待ちでございます・・・」

 ガンザンの声が力なくしわがれた。コウにはガンザンがいいたいこと、いえないことを察した。

 「そうか。後は頼む」

 「かしこまりました」

 コウはさっとゲンの背に乗り、御堂に向かった。

 ゲンのからだは亡骸の山からするすると離れて行ったが、青い光だけが残された。

 診療堂から医療団がばたばたと出てきては息のある者を運んでいる。

 エイリが静かに出てきた。

 サキイとヨキイの前に歩みより、すっと膝をついてふたりの前で正式な礼を取った。医療団の者達も手を休めて膝をついた。

 しばらくするとエイリは礼を解き、医療団に早く仕事に戻るよう指示をした。

 まわりが再び動き出した。

 エイリはサキイとヨキイのからだを一度横たえた。

 「おおおばさま、待っていてね。おばあさまを先に連れて行くから」

 エイリはヨキイの亡骸に声をかけ、サキイの亡骸を腕に抱いた。

 (枯れ木のように軽い)

 大半の体液を吸われているのだ。

 あれほど頑丈な祖母のからだが、こんなにも軽く。

 そのとき、横についっと並ぶ大柄の青年がいた。

 はっとしてその顔を見上げると、弟のイツキであった。イツキは頬から血を流していたが、その血は既に固まっていた。やみひとに喰われながら、たくましく空をかけたのだろう。その腕にはヨキイのからだを抱いていた。

 イツキはぽつっとつぶやいた。

 「おふたりともお疲れさまでした・・・」

 その後を続けることができず、うう、ううと嗚咽を漏らした。

 エイリは目の奥がかあっと熱くなり、顔がくずれそうで、息をぐっと止めたまま歩いた。かさ、かさ、と着物が擦れる音がした。サキイの手首が固まったまま揺れていた。その手首を目にした途端、エイリの目からぶわっと涙があふれた。

 イツキもエイリもお互いの子どものような泣きっぷりに挑発されるようにして泣いた。え、ええっ、と嗚咽をあげながら泣いていた。

 姉弟は、母が他界してからというもの、この二人の老婆にかわいがられて生きてきた。母のことを忘れられず、老婆たちの懐に抱かれながら、一晩中泣いたこともしばしばだった。

 そのからだをいま、自らの懐に抱いている。できることなら、大声でわああん、と泣きたいと思う。それを必死でこらえ、嗚咽を漏らして泣く姿がかえって幼く見えることに途中で気づいた。

 老婆たちのからだを死体置き場に寝かせた頃には、姉弟は大人の顔に戻っていた。それぞれの役割が待っている。

 エイリは涙の痕を拭きながら

 「イツキ、生きていたの」

 とつぶやいた。イツキはぶすくれながら応じた。

 「ひどいなあ、姉さん」

 エイリは笑った。イツキの血と汗の匂いがつんと鼻をついた。ひどい臭い。でもそのなかに紛れている、懐かしい匂い。エイリは、まだ幼い匂いを持っている弟が無性にかわいかった。

 (ああ、この子は生きている)

 生きているということ、その命がいじらしくてたまらなかった。

 弟と妹が五人いた。みんなみんな小さかった。この子たちが私と同じ「人」だろうかと思うほど、奇異な形をして、奇異な行動をする、と思っていた。同じ父と母から生まれたのに、ひとりひとり体格も性格も違う、だけでなく、どんどん成長し、次々に変化していく。見ているだけで飽きなかった。

 われ先に母にまとわりつき、人がきたら母の背中に隠れるようにしてしがみつく。あの父にさえすんなりと身を任せ、父が座ると競って父の膝を取り合い、小さなふくらはぎをからませていた。

 彼らはよくケンカをして父や母に叱られた。すると、私に助けを求めてきた。その度に抱きしめる小さな胴体たちはもろく危うく熱く、そしてよく泣いた。頭を撫でてやるとみな一様ににっこりと笑って私を見た。

 彼らは私を信じて疑わなかった。あまりにも無防備だから、ときどきいじわるをした。つきたての餅のような頬をつねったり、グミの実のような耳たぶを引っぱったりした。するとあっさりと泣いた。愚かであどけない生き物たち。

 だけど、皆、やみに呑まれてしまった。それからというもの、あまり思い出すことはなかったが、我が子を産み、この腕に抱くたびに鮮やかに思い出された。あのやわらくてあったかい、ふつふつと生命力がたぎった華奢なからだ。そのからだのままやみに呑まれ、それ以上に成長することができなかった不憫な命たち。

 その中でイツキだけは生き残った。イツキは、いまではエイリが見上げるほど大きくなっていた。我が子もイツキのように大きくたくましく育ってほしいと常に願っていた。

 エイリは、イツキを抱きしめて頭を撫でてやりたくて手を伸ばした。が、頭に手が届かなくて右の頬についた血を拭うにとどまった。

 イツキは姉に頬を撫でられて、はにかむようにして笑った。頬の肉がぱんと張って、つやと光った。それを見てエイリも微笑み、もう一度その頬を撫でたいという衝動にかられた。が、その気持ちをおさえるために冷たくいい放った。

 「子どもみたいに笑ってないで、早く仕事にお戻りなさい」

 エイリはくるっと振りかえって、さっさと医師達のところへ行ってしまった。

 イツキは不満そうに頬をふくらませた。

 「姉さんだって、子どもみたいに笑ってたくせに」

 とつぶやいて診療所を後にした。


 コウはゲンの背に乗って御堂に向かう。

 生き残った者たちがコウとゲンを見て安堵の声を上げた。

 御堂の前にコウシが控えている。

 コウシは左足を押えながら、かろうじて膝をついた。ぼとぼとと血が落ちて、血だまりを作っていた。

 コウはすとん、とそばに降りて早足でコウシに近づいた。

 「コウシ、早く診療堂へ行け」

 「コウさま・・・。申しわけありません。私の力がかなわず・・・」

 コウはゆっくりと膝を折り、コウシの顔の前に自分の顔を突き付けた。コウシは驚いて後ずさりをしようとしたが、からだがいうことを聞かず、上半身だけを少しのけぞらせたにとどまった。

 (青い瞳)

 コウシがコウの瞳をまともに見たのは、はじめてだった。頭をさげたかったが、コウシの瞳はコウの瞳に呪詛でもかけられたかのように動けなかった。

 「うぬぼれるな。力がかなわなかったのは、この私だ」

 コウのことばは光を放って、コウシの胸にぐさりと突き刺さったような気がした。そのことばはすとんとコウシの胃のあたりまで沈み込み、たゆたんだ。

 ぼうっとしていると、コウはさっさと御堂に入っていった。その姿さえ見ることができず、コウシはぐるんと丸くなって横になった。

 コウさま、泣いておられた? せつなくて仕方ない。胸が熱くなる。顔も熱くなる。涙が出て止まらない。なんの涙かもわからない。自分の力がむなしいのか。哀しいのか。コウさまのことばが痛いのか。目の前で死んでいった祓い師たちの悲惨さを思い出して悲しいのか。

 いや、違う。

 俺は感動しているのだ。コウさまに感動しているのだ。こんなにも内臓が熱い。コウさまのことばが、五臓六腑で発光しているんだ。

 ああ、コウさまのあまりにも哀しい御心。

 そのコウさまの前で、俺の力がかなわなかったなどと、俺はよくもいえたもんだ。

 そのときコウシは、白い大きな塊が頭のあたりに存在することに気付いた。その白い塊から光が溢れ、コウシのからだをつつんだ。

 この光はなんだ。甘くて気持ちいい。

 首を上げてその光の元を見ようとした。

 「動くな、コウシ。よくがんばったな。そのまま寝てろ。おまえはまだ軽傷だ。しばらくしたら診療堂までは歩けるようになる」

 ああ、ゲンさま。

 いつもこの御方はそうだ。やさしい。あまりにもやさしすぎて、もどかしい甘さを感じる。しかし、弱っているときはその甘さがなんともいえない蜜の味なんだ。いま、ようやく俺は体験した。

 自分の強さを思い出して恥ずかしくなった。弱っている人への心を配っているようで、心の奥底に優越感がなかったか。元気なことが当たり前。弱っている者は気持ちが弱いんだ。甘えているからだ。そんな気持ちがなかったか?

 俺は、コウさまのおっしゃる通り、うぬぼれていた。だからいま、ゲンさまの優しさをうけて、自己嫌悪しか出てこないんだ。空の国がここまで壊れて、ここまで死人やけが人が出て、俺自身もここまで傷ついてはじめて、自らの傲慢さに気づく。

 お空さまはお見通しだったのかな。だから、俺は生き残ったのかな。人の死にざまを幾度も幾度も見せつけられないとわからなかったのかな。だとしたら、俺はなんておおばかなんだ。きっとみんな思ってたんだろうなあ。俺のこと、生真面目で融通がきかなくて正しさを圧しつける、いけすかないやつだって。

 (よくがんばったな)

 ゲンさまのおことばが光になって俺に降りてくる。この光は俺を癒してくれる。ああ、ゲンさま。そうですとも。俺はがんばったんです。だって、俺はがんばることしかできないんです。たとえまわりから疎まれていようと、そのときの精一杯を生きるしかないのだから。ゲンさまの光だけが俺を認めてくれる。この光だけが。

 この光は、そうだ、これはお空さまそのもの。お空さまは俺のことを見てくれている。頑張っていることも真面目に生きていることも、そして、傲慢になっている俺のことも。

 お空さまは、この光のようにすべての俺を包んでくれているんだ。俺のよきも悪しきも、この光のようにただただ包んでくれているんだ。

 そして、コウさまの光もお空さまの光だ。だから俺は感動している。だから俺は泣いているんだ。そして俺は泣いてもいいんだ。

 コウシはぐるんと背中を丸め、両手で頭を覆い、嗚咽を続けた。

 「おまえ、泣く元気があるんだな・・・」

 上から弱弱しい声が降ってきた。

 その顔を見ずとも、兄タイシということはわかった。そして彼が自分以上に傷ついていることも。

 (あの兄さんがこんなに弱い声?)

 ふたりは黙っていた。コウシはうずくまったまま、タイシは腰をおろしたまま。

 「行くぞ」

 タイシがコウシを抱き起こそうとしたが、そのままばたりと倒れ込んだ。結果、コウシのほうがタイシを抱き起こすことになった。タイシはコウシに引きずられるようにしてよろよろと歩いた。

 「おまえ、でかいな」

 「なにをいまさら」

 タイシは弱く笑った。確かにコウシの方が背が高く肉付きもいい。タイシは顔もからだつきも細身であった。

 「でかいっていいよな」

 「そうでもないですよ」

 「そういうときはな、謙遜すんな。嫌みに聞こえる」

 「捉え方の問題でしょう」

 「おまえらしいな。うらやましいよ」

 「え」

 「おまえみたいなでかいからだに生まれたかった。おまえは祓いも強い。でかい体と強い意志。父さんみたいだ」

 「そんな、祓いは兄さんの方が強いじゃないですか」

 「だからな、そういうときは謙遜すんなっていってんだよ」

 「えっと。なんていえば・・・」

 「そうやってまじめに返すとこ。父さんにそっくりだ。だから、父さんもおまえもからかうと面白い」

 「なっ・・・」

 「ほら。それそれ」

 「兄さん、黙ってて下さい。しゃべると傷口が開きますよ」

 「いいんだ。俺なんか、傷口が開ききって死ねばいいんだ」

 「なんてことを・・・」

 「俺だけが生き残った」

 「え」

 「部下を死なせて、俺だけが生き残ったんだよ」

 タイシの声が震えた。タイシの涙が顔中にぼろぼろとこぼれていた。

 「みんなは俺をうらんでいるだろうか。父さんになんていえばいいんだろうか。お空さまは、お空さまは俺を許して下さるだろうか」

 タイシはコウシにひっしとしがみついて号泣した。コウシはタイシのからだを支えた。コウシはタイシがこれほどまでに泣く姿を見たのははじめてだった。

 兄さん。俺だって同じ。生き残った。そう、周りを犠牲にして生き残った。俺の目の前でみんな死んでいった。

 コウシはタイシの両腕をぐいとつかみ、タイシのからだを背中に乗せた。血でぐっしょりと濡れた着物がぐちゃっと音をたてた。左足がずきんと痛み、一瞬歩みが止まったが、顔を真っ赤にして前に進んだ。

タイシに力はなかった。たくましい弟の背中にわが身を委ねた。

 「兄さんも泣く元気があるじゃないですか」

 「うん・・・」

 しばらくふたりは沈黙のままであった。タイシの鼻をすする音を聞きながら、コウシは黙々と歩いた。

 辺りは騒然としている。駆けずりまわっている医師班。夫や息子の死を前に狂ったように泣いている女たち。声を張り上げて指示をしている里役たち。

 少し遠くから聞き慣れた声が聞こえた。大声でそこかしこの者達に指示をしている。

 「父さん」

 思わずコウシが声を出した。タイシは力なく笑った。

 「なんてひとだ」

 「まったくです」

 「母さんたちは無事だろうか」

 「きっと無事です。だから兄さんは自分のからだを心配して下さい」

 「そうか」

 タイシの目にコウシの左足が映った。

 「なあ、コウシ。俺な、みんなは俺をうらんでなんかいないと思う」

 「ええ」

 「父さんも俺を責めたりしない」

 「ええ」

 「お空さまははじめから許して下さっていると思う」

 「ええ」

 「だからな」

 「ええ」

 「おまえだけは俺を許すな」

 「え?」

 「・・・」

 「兄さん?」

 タイシから返事はなかった。まさか死んだのか、と思ったが、すうすうと寝息が聞こえてきた。どうやら眠ったようだ。ぐったりと重くなったタイシのからだを抱えて、コウシは左足からぼたぼたと血を流しながら歩くしかなかった。

 「兄さんはやっぱりずるい」

 コウシは顔をますます真っ赤にして、診療所を目指した。


 コウが御堂に入ると、すぐにジャクルが出迎えた。

 「こっちじゃ」

 ジャクルがコウを誘導して、御堂の奥にある古書室に案内した。

 コウの足元には祓い師たちの死体が転がっている。血だまりに足をすくわれた。

 「くっ」

 コウは苦い顔をした。

 そう、私の力がかなわなかった。わかっていた。ナツイのあの姿。わかっていたはず。あれは、アデの力。私への宣戦布告。母上という壁を私につきつけて、自身の存在を完全に後ろに隠した。わかっていたのに。

 コウは本堂へ急いだ。

 ばたばたと本堂へ駆け込むと、テルイのからだを横たえて傍らに座っているヨクが見えた。ヨクのからだは大量の血で染まっている。

 (テルイ・・・)

 コウの足が止まった。

 「コウさま。ご無事で」

 「おまえも」

 「おかげさまでまた、死に損ないました」

 ヨクは弱弱しくそういった。

 コウは再び歩きはじめて、テルイのもとで膝をついた。テルイは血だまりに浮かぶようにして死んでいた。どうやら頸動脈を切られたらしかった。コウの袴に血が染み込んでいく。顔は原型をとどめていなかった。

 まわりにはヨクの盾たちが散り散りになって倒れていた。ジャクルは日出浦の若者を連れてきて、死体を運んでいる。

 ジャクルは極めて事務的に仕事をしていた。

 「テルイさんはもう、連れて行ってもよいかの」

 コウはすっくと立ってヨクを見た。ヨクは静かにうなずいた。日出浦の若者がテルイを抱きかかえた。ぼとぼとと血が落ちた。

 ヨクには、感傷に浸る暇などなかった。泣いてすがるなどできる立場ではなかった。そんなことはとっくにあきらめている。せめてその姿を見送りたい、などと思ったわけでもなかった。

 なのに、目がテルイを追い、からだがテルイに引き寄せられた。

 日出浦の若者は本堂の扉の向こうに消えた途端、ヨクはすっと視線を戻してジャクルに尋ねた。

 「で? 次のやみはいつじゃ」

 本堂にはコウとヨクとジャクルだけが残っていた。空虚になった本堂に血の臭いが漂った。三人は血の臭いをそのままに、すぐ話し始めた。

 「いまは、コウさんとゲンさんの光で、まったくきれいじゃけんのう。ようわからんわ」

 「いつになればわかる?」

 「ふうむ。夜が明けきってみらんとのう」

 「妖のやみひとは?」

 ジャクルは首を振った。

 「いまは出らん。でも明日はわからん」

 コウはここで口をはさんだ。

 「母上もチャルラもアデも力を使い果たしている。丸一日は動きはなかろう」

 ヨクは改めてコウを見た。コウの顔色が悪い。ヨクは納得した。

 「コウさま。それではいまのうちに早くお休みにならないと」

 「大事ない・・・」

 コウの声は続かず、下に落ちていった。そのままコウのからだがくずれていく。

 「コウさまっ」

 コウのからだを後ろから支えたのはジャクルであった。

 「コウさんをゲンさんのとこに連れていくでの。ヨクさん、歩けるかの?」

 ヨクはうなずいた。

 「んじゃあ、ついてくるんじゃ。あんたも怪我しとるじゃろ。はように診療所へ行くこった。それに、いつまでもここにおらんほうがええ。こころが壊れるぞい」

 ヨクは血だらけの杖を握り直した。ジャクルはコウをひょいっとかついで、すたすたと歩き出した。ヨクは杖をつきながら後ろについた。

 御堂を出ると、ゲンとエイリが待っていた。ふたりともジャクルにかつがれたコウを見ても、特に驚くようすはなかった。ジャクルはコウのからだを「よいしょ」とゲンの背に乗せ、エイリに向かっていった。

 「コウさんの場合、診療所に行っても意味がないじゃろ?」

 ジャクルは何気なくいったが、そのことばはヨクのこころにずしんと響いた。エイリは一瞬、表情を曇らせたが、思い直したようにうなずいた。

 「ヨクさま。診療所はただいま空きがございません。ヨクさまのお部屋にて手当をいたします」

 エイリがヨクのからだを支えようとすると、ヨクはその手を押しのけた。

 「ほかにたくさんの重傷者がおるじゃろうが。わしゃ軽傷じゃ。まだ自分で歩ける。こうして杖もあるでの」

 ヨクはしみじみと血染めの杖を眺め、節くれだった指先でぐっと握りしめた。

 エイリはふふっと笑った。

 「強がりはそこまででございます。いまばかりは私に従っていただきますよ、最長老さま」

 ヨクは、自分の手にふんわりと温かい綿がかけられたと感じた。ふと手を見ると、エイリの手がヨクの節くれだった指先を覆っていたのであった。それはまるで摘みたての綿のように白く柔らかく、温かであった。

 (ああ、タイさま。これは白い、白い灯です)

 ヨクはエイリに支えられながら、自室に向かった。

 ゲンはコウを背中に乗せたまま、忙しそうなジャクルの姿を追った。変わらないようすを見てほっとした。が、ケイケイがいない。まさか、と思ったとき、ジャクルがぴゅうっと指笛を鳴らした。

 ケイケイの姿がすうっと目に入った。血だらけの姿であったため、一瞬びくっとしたが、すぐにその血がケイケイ自身のものではないことがわかった。ケイケイはゲンに気づいて尻尾をゆるゆると振った。

 ジャクルはケイケイに飛び乗ると、思いついたようにゲンに声をかけた。

 「ゲンさん、白泉に行きなされ。まだ水は流れよるらしいでの。コウさんも元気になるじゃろ」

 「わかった。おまえも休めよ」

 「わしゃ、まだやらにゃいかんことがある。生きとるうちに精一杯働いておかんとのう。助けて下さった神さま方にも、死んだもんにも申しわけないが」

 ゲンは黙ってしまった。

 夜の空が青くなっていた。

 長い夜が終わったのだ。

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