西麓村
コウは夕方の遅い時間から動いた。まずは西麓村の避難所にいき、そのあとに南麓村に向かう。
空の国の村は四つ。西麓村、北麓村、南麓村、東浜村で、その村にはそれぞれ四つの里がある。
西麓村の里は「御前谷」「田野池」「雷山」「稲塚」である。
「御前谷」の里は西麓村の中枢である。西麓村の中枢とはすなわち空の国の中枢である。「御前谷」という名の通り、巫女の家「御所」の前にある谷という意味で、地理的には西麓村の西極に位置する。
ガンザンの屋敷は御所に一番近い西極にあり、巫女からの指示を直に受ける場である。政の重要な会議が行われるため、常に各村の役たちが出入りする。
各村の役に就くものはたいていの者が祓い師である。この国では祓いの力が権威である。したがって当然ながら祓いの鍛錬も行われるようになった。
ガンザンの家系は代々「能力者」が生まれ、巫女を支え、国を守る第一人者として働いてきた。ここには「修練場」と呼ばれる部屋がいくつも設けられ、祓いを学ばせていた。
巫女の住まいの近くということもあり、普段は巫女に接する機会のない人々が、儀式などに出席するために集まることも多く、宿泊施設が自然と増えていった。そこには「村学」という学びの場が設けられ、村役はもちろん、祓いを学ぶ村人などで常にごったがえしていた。
「田野池」の里は雄大な水田がいくつも広がる地である。
稲作の繁忙期には多くの小作人が朝陽が昇る前には田んぼに入り、夕陽が沈んだ後に我が家へ帰っていく。となれば、やみが出現する時刻に徒歩で行き来することも多く、住まいが遠い者たちにとっては命がけである。小作人ふぜいで羽犬を持っている者などまずいない。したがって呑み込みの被害も多かった。
そこで繁忙期に寝泊まりできるよう宿泊施設をつくった。ライの曾祖母にあたる巫女ジュウの仕事であった。この施設は「集会場」と呼ばれた。のちに集会場には村学も設けられ、子どもを連れてきて祓いや読み書きなど習わせる者が増えた。大人たちは村学に子どもをあずけて田んぼ仕事をし、仕事終わりには子どもとともに祓いを学ぶという日々を送った。
集会場の存在によって田野池の人々の祓いの力は格段に上がり、祓い師の人数も増えた。
その祓い師たちを総括しているのが里の長老ケイリである。ケイリは七十歳の老婆だが祓い師として里一番の実力者である。里長はケイリの甥イクリという大男でケイリに次ぐ祓いの力を持つ。
「雷山」の里はその名の通り雷がよく落ちる。それはライが生まれた後にさらに激しくなり、一時期は七日にいちどは落雷があったほどであった。雷は空人にとっては脅威ではなく、むしろやみひとを一気に祓う護り神である。
雷山の里長はセンキという中年男性である。センキの母はリキといって雷山の長老であった。その一族はほとんどが能力者であり、雷山の入り口に住んでいたためその屋敷が祓いを学ぶ場となった。そこは「雷山の道場」と呼ばれた。村学も置かれ、大人も子供も集まってくるにぎやかな場である。
雷山の里は位置的に北麓村に近いため、北麓の村人が学びにくることも多い。西麓村は昔から能力者が多く生まれる村である。そのため祓い師も多く、役に就く人々も層が厚い。祓いの学びについても教師の層が厚く、教育については他の村より優れていた。各村の期待の子どもが西麓村の村学に通うということがよく行われていた。
そして「稲塚」の里。昔からこの里で収穫された穀物を一括管理している。稲塚から村役が多く出ていたため管理しやすかったのであろう。
この里には最長老ヨクが住んでいる。御前谷のガンザンの家系と稲塚のヨクの家系は出自が同じである。ヨクの家系はいわゆる分家であり、御前谷にならって祓いを学ぶための修練場や宿舎などが設けられていた。このふたつの里は競合し、切磋琢磨しながら祓い師を増やしていたため、教育効果は空の国では評判が高い。稲塚は西麓村でいちばん南に位置し、南麓村の里が隣接するので南麓村からの通学者が多かった。
以前はガンザンの一族とヨクの一族から交互に西麓村の村長を出していた。が、ヨクは子どもがいなく結婚もしなかった。また、ヨクの兄弟姉妹、その子孫がことごとくやみに呑み込まれ絶えてしまったため、ヨク一族の血を引いた者から村長を出すことが不可能となった。よってほかの一族から村長を出すために稲塚全体の祓い能力をあげることが、稲塚の当面の課題であった。
ここではヨクについて少し詳しく述べておく。
ヨクは齢七十一。最長老は長老の中の長、最高権威であり、祓いの力、統率力ともに空の国の一の実力者である。
ヨクの家系では代々強い力を持った能力者が生まれた。ヨクが生まれた頃は平和な毎日ではなかった。巫女の力が弱かったために、毎夜恐怖に怯えて暮らしていた。
ヨクには九人の兄姉がいたが能力者はヨクだけであった。祓いの力を持つ家系でありながら、生まれてくる子どもが全員祓いの力を持たず、両親をはじめ稲塚の人々は不安であった。そこに強い力を持って生まれたのがヨクである。ヨクは西山麓村の期待を一心に集めた。
通常、祓いの力を授けられた子どもは幼いうちからその力を発揮することができる。が、ヨクは生まれつき右足が悪くからだも小さかった。また病弱であり、その力をうまく操ることができなかった。
しかしヨクは十歳の頃から力を発揮しはじめ、わずか十二歳で抜きんでた力を持つ祓い師となった。そしてついに稲塚の人々の大きな期待を背負って、十六歳で西麓村の長となったのである。
ヨクが村長となったころ、大巫女トウ、巫女タイ、生まれたばかりの巫女ライがいた。その後、ヨウ、サク、と巫女の系譜が続くわけであるが、この五人の巫女の功績は大きかった。その巫女たちのもとで村長として三十年、長老として二十六年、裏で支えてきたのがヨクである。
空の国にある四つの村に「里」を置き、それぞれの里に「里長」を置いたのは当時の大巫女トウであるが、その陰で動いたのはヨクであった。
ヨクは各村をいくつの里に分けるか、誰を長とするかなどの細かい線引きと人選を行った。またこの計画はともすれば巫女トウへの反発が起こる可能性がある、いわば改革であった。それをヨクは穏便にかつ迅速に遂行させるために丁寧な根回しを行った。
「稲塚のサダイ」と呼ばれた男がいた。
サダイはヨクの父親であり、かつては西麓村の村長であった。当時この男の祓いの力は最強とうたわれ、西麓村だけでなく国全体の祓い師の憧れであり、弟子入り志願者が絶えないほどであった。サダイは謙虚な人間でどんなに忙しくてもその申し出をもれなく受け入れた。寡黙で穏やかで、頼ってきた者には分け隔てなく指導し、衣食住にいたるまで面倒を見た。
その父をヨクは動かしたのであった。
当時の各村長は全員サダイの弟子であった。恩を受けた師匠がわざわざ自分の家に出向き、巫女トウさまの思いを語る。しかもサダイは必要なときだけことばを発する男であった。そのため、ひとたびサダイの声がすると皆ぎょっとして耳を傾ける。そのサダイが「語る」のである。うんといわざるを得なかった。
巫女トウの時代から、巫女の陰には必ずヨクの働きがあった。
その他の巫女とヨクの働きについて語れば長くなるのでここでは割愛する。
さてコウの警邏であるが、西の避難所は四つといっても御前谷はすでに寝泊まりしている場所であり、西麓の中心地でガンザンをはじめ村役、里役、祓い師ともに充実しているので問題はない。西は実質三カ所をまわればよい。
コウは愛犬テテとともに稲塚の里に向かった。テテという羽犬は白い毛並みに少し茶色の混じった美しい雌の羽犬である。首に紅い数珠を巻いている。
稲塚では西麓村の最長老ヨクが待っていた。
コウは稲塚の屋敷のまえに降りた。ヨクの姿を確認し、少しだけ眉をひそめた。いつものことだがヨクのまわりにはお付きの女たちが数人いる。
「コウさま」
ヨクが恭しくお辞儀をする。まわりの女たちは膝をつき、礼をとった。
「ヨク、稲塚は問題ないか」
「はい。おかげさまで。おまえたち、わしはちょいとコウさまと話があるでの、中で夕食の準備を手伝っておいで」
女たちはかしこまり、静かに離れて屋敷の中に入ろうとした。コウは思いついたように、
「ああ、誰かテテに水を飲ませてやってくれ。できれば鶏肉もお願いする。テテ、そうだな?」
テテはうれしそうにコウにからだをすりつけた。コウもテテの頬をなでつけた。ひとりの女がコウにお辞儀をしてテテを連れていった。
コウはほっとした。
「話があるとわかったか」
「はい。巫女さまとのつきあいはもう六人めでございますからな。このばばがいちばんわかっております。コウさまがいちばんわかりやすうございますな。ライさま以上で」
「そのことばはもう聞き飽きた」
「聞き飽きついでに申しあげますと、人遣いが荒いのもやはりライさま以上でございますな」
「ふふん」
コウは鼻で笑った後、真顔でかえした。
「で? 準備は進んでいるか」
「はい。万事順調でございます」
「八人衆の反応は?」
「ま、それぞれで」
ヨクは思い出したようにふふっと笑い、ささやくようにしていった。
「コウさま、あちらのほうは」
「気になることがある」
「なにか?」
コウはまわりを見渡した。数人の祓い師が見まわっている。
「明日、辰の上刻に『御堂』で」
ヨクは少し目を泳がせた。
「かしこまりました」
「ヨク、今日は激しい雨になる」
「心得ております」
「雨が降りだしたらじゅうぶんに気をつけよ」
「かしこまりました。・・・コウさま」
「どうした」
「いえ、コウさまこそご無事で」
「なんの。いま死ぬるものか。死のうとしても空の神が死なせてくれまい。ヨク、おまえもだ。すべてを終えたら自由に死のうぞ」
「そのようなご冗談を」
「おまえもそう思っておろうが。・・・テテももう準備はすんだであろう」
コウがぴゅうっと口笛を吹くとしばらくして、テテが上からさあっと降りてきた。コウはテテの頬をなでるとひょいっと乗って飛び上がった。
まわりにいた祓い師はみな膝をつき頭を垂れた。
「コウさま!」
「コウさま、お気をつけて!」
中にいた村人がどどっとでてきて手を振った。どうやら口笛の音でコウが来ているらしいと気づいたようだった。コウは青い瞳を向けながら、さっと手を挙げて応じた。短い黒髪が風になびく。藤色の袴をひらりとひるがえしてコウは風のように飛んだ。
ヨクはゆっくりと空を見上げ、コウが消えていった方向をながめていた。




