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空の子  作者: そうじ
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開戦

 ぶん、と風が吹いた。

 その瞬間、御堂本堂の空気ががらっと変わった。

 全員がはっとして振り向くと、ジャクルが青い顔をして立っていた。

 (まさか)

 全員がごくりとつばを呑み、ジャクルのことばを待った。

 「風が変わった。・・・出る」

 ガンザンの顔が紅潮した。ガンザンはウルクとギルに目を合わせ、さっと立ち上がると、ウルクとギルはもう本堂から飛び出そうとしていた。

 そこにコウシが飛び込んできて叫んだ。

 「ゲンさまが、ゲンさまが、チャルラを追って中央をお出になられました!」

 (ゲンさまが中央からお出になった・・・?)

 ヨクとテルイが顔を見合わせていた。

 「大丈夫です。打ち合わせ通りに」

 ガンザンはそういい残してウルクとギルの後を追った。

 ガンザンにはヨクの話を反芻する余裕はなかった。しかし、その必要はなかった。十分に納得し、からだの中に浸透していた。それだけではない。新たな情報が自分の中にあることを知った。

 泉のように湧く記憶。溢れる記憶の泉に突き動かされるようにして、ガンザンは駆けた。

 御堂の外に出るやいなや、走りながらぴゅっと指笛を鳴らした。

 待っていたかのようにガガが飛んできた。前方にはララに乗ったウルクが飛んでいる。ギルはキキの背に乗ってもう遠くに見える。

 ああ、羽犬! あのときとは違う景観が見える。我々の傍らには、常にこいつらがいるではないか。

 ガンザンはガガの頬を撫でた。

 俺はいま取り戻さねばならぬ。あのときの後悔を二度としてはならない。あのとき俺は無力だった。でもいまは違う。羽犬がいる。やみひとを祓える。空人を救える。国を護れる。

 ずいずいと飛び、ガガが加速する。誰かが背中を押しているようにからだが軽い。

 既に人々には絶対に外へ出ないよう厳重に呼びかけ、祓い師を各棟に配置していた。

 診療堂には動けない病人と怪我人を置いている。小河原、泉谷、雷山の里人が多い。それぞれの里長、里役もついているが、とても戦える状態ではない。ルキクにおいては骨折したあばらをただ固定したままで何日も駆け回っていたようで、中央に避難してきたとたん、気を失ってしまった。ここには西の長補佐タイシを配置した。

 動ける病人と怪我人は講堂に移動させている。講堂は中央の棟で一番広い。南の村人はすべて講堂に入れ、南の長補佐イツキを頭に、牛飼山の長カイザ、猪野口の長トオリを配置。

 薬師堂は小さい。薬師が数人と、比較的人数の少ない南麓の猿沢の里人を置いた。統率は猿沢の里長カナク。

 図書堂は少し外れたところにあるため、モトン族の血が濃い東浜の者たちの避難所として、東の長ギルを頭に、瀬戸のカイムを置いている。

 修練堂の棟は三つある。そこに西と北の者達を分けて避難させている。北の長、ウルクは一の棟。北の川端里長エフムが二の棟。田野池の里長イクリが三の棟。それぞれの指揮を任せた。

 御堂に入れるものは少ない。ヨクさまとその盾五人、他の長老さまたちはここに避難し、ヨクさまの伝令役としてフユウ、祓い師としてコウシをはじめ、稲塚の祓い師を数人配置してある。

 各棟には日出浦の者たちが六、七人待機していた。

 ガンザンがほっとした顔をすると、ひょっこりとジャクルが現れてガンザンに耳打ちをした。

 「いまから出るんは、喰うモノノケじゃ」

 ガンザンはどきりとした。

 ナツイの悲惨な死。

 その事実だけで皆にどれほどの不安を与えたか。

 妖のやみひと。アデさまの御力・・・。

 いったい、どんな力なのか。

 三体のやみの子のひとり、アデさま。

 左腕の数珠がカチャカチャと音を立てた。ガンザンは自分のからだが震えていることを知った。右手で数珠をぐっと押さえつけると手のひらが冷たく、ガガの首の毛に両手をもぐらせた。ガガのぬくもりをひどく感じた。からだが冷えている。怖いとは思っていないのだ。からだが脅威を察知しているのか。

 しかし、立ち止まっているわけにはいかない。相手がどんな力をもっていようと、やみひとであることには間違いない。

 だとすれば、祓うのみ。

 左手に数珠をぐいと掴み、ガンザンは前のめりになった。

 少し外れた空にサイナが滞空していた。サイナとガンザンは互いを確認しただけだったが、ガンザンが把握していない「やまんと」たちが、おそらく陰に潜んでいることが理解できた。

 モトン族の者たちは、既に空人が信頼を寄せる存在となっていた。小河原、泉谷、雷山の者たちはもちろん、各里でモトン族に助けられたものが多く、その者たちの体験話は信頼には十分であった。

 「護符を貼れっ!」

 ガンザンの指示が出た。

 ふた時ほどまえ、ガンザンはコウから護符を預かっていた。

 コウはいった。

 「最後の護符だ。おまえの判断で使え」

 そのとき、ガンザンは察した。

 (コウさまはお戻りにならない)

 そのあと、ガンザンはヨクのところへ向かったのだった。

 各棟の伝令役がぴゅうっと指笛を鳴らす。

 祓い師たちが怒ったような顔をして護符を貼った。護符は祓い師たちの決別の証。

 闘いに勝つまでは、この護符の向こうには戻れない。

 護符の向こうの平穏をなんとしても守るのだ。

 (もう、生きては戻れまい)

 ガタガタと震えがくる。

 それでもここに残ったのだ。俺は空の国の祓い師だ。だれが家族を、この国の人々を護るのだ? この俺だ。そして生きて帰るのだ。

 祓い師が講堂の前に集まっている。各村長、里長たち。選りすぐりの祓い師たちが揃っている。モトン族から聞いたのであろう、それぞれの表情が緊張している。泣きそうな顔の者もいれば、明らかにからだが縮こまっているもいる。膝ががくがくとなっている者もいた。

 喰うやみひとが来る。

 コウさまもゲンさまも行ってしまわれた。

 俺たちは捨てられたんだ。 

 俺たちだけで何ができるというのだ。

 空の国はもうおしまいだ。俺たちは全員、やみひとに喰われて死ぬんだ。

 そのとき、太くも済みわたった声がした。

 叩きつけるような音。

 ガンザンであった。


 よいか、皆の者!

 我々はいま、ここにいる。

 我々は、家族や友人が目の前で呑み込まれる姿を、何度も・・・、

 何度も何度も何度も、見てきた!

 何度もっ!

 その度に我々は悔しい思いをしてきた!

 その度に生き延びたわが命を呪い、神を恨みさえした!

 我々は生き残った。

 なんのために。

 ここに存在するためである!

 家族を、仲間を、国を護るため。

 いまここに生きている同士を護るためである!

 だから、我々はいま、ここにいる!

 だとすれば、我々がやるべきことはひとつである!

 それがやみひとである以上、

 祓うのだ、

 祓うのだ!

 それが我々の命である!

 手足にたかってきたら、引きずって祓え!

 喉元に喰いついてきたら、背負って祓え!

 よいかっ! 皆の者!

 祓うのだ、

 そのためにここにいるのだ!

 祓うのだ、

 祓うのだ、

 祓うのだ!


 ガンザンのからだから陽炎が上がった。

 人々はガンザンの呼びかけに応じて鬨の声を上げ続けた。

 ガンザンはすうっと息を吸い、ぐわっと目を開いた。

 「位置につけ!」

 ガンザンは真っ赤な顔をして、怒鳴りながら涙を流していた。

 人々も涙を流しながら、それぞれの位置にかけたていた。

 もはや恐怖はなかった。怖くて泣いているのではないことは、皆知っていた。

 ガンザンはガガに乗って診療堂の上で滞空した。

 それぞれの棟の上に、それぞれの統率者が滞空する。

 診療堂の上にはタイシ。薬師堂はカナク。図書堂はギル。一の修練堂はウルク。 二の修練堂はエフム。三の修練堂はイクリ。

 予定では、ガンザンの上にゲンとコウが滞空しているはずだった。

 しかし、ゲンもコウもいない。

 (それでいい。国を護るのは俺たち自身だ。これが我々の命)

 ガンザンはぶるっと身震いをした。

 「うお、お・・、お・・」

 腹の底から湧き出るようなうめき声が出る。狩りをする直前の肉食獣のようだと思った。いや、まるで沸き立つやみひとのうなり声。

 おぞましいやみが近寄ってくる気配。

 一瞬の静寂。雨も雷もない、深夜。松明の火だけが動いているように思えた。

 ず、ず、ず、ず、ず、ず・・・。

 祓い師たちは感じ慣れた怖気を十分に味わう。

 うおお、うお、うおお、うお、うおお・・・。

 (なんだ、このうなり声は)

 「やみ」の粒子たちのうなり声が近づく。いつも感じる気味の悪い不協和音とは違う。飢えた獣の声に似ている。

 うおお、うお、うおお・・・。

 ううおおおおおおおおおおおおお。

 うなり声が頂点に達したかと思うと、あちこちに分散した。

 無数の「やみひと」

 恐怖のうなりをあげる。

 人を物色などしない。

 物色するほどの余裕がないのだ。

 明らかに飢えている。

 辺り構わず、ここにいるものが餌であった。

 さきほどまでの興奮が一気に冷めていく。

 ぎゃああっ

 という叫び。悲鳴のような祈り。

 どごん、と建物にぶつかる音。

 祓い師が後ずさりをして、ぶつかったのだ。

 「下がるな!」

 ガンザンが怒鳴った。

 中央全体が揺れた。

 霧の黒い粒子を纏った獣たちがあちこちで唸り、踊り、喜び、食い荒らした。

 しかし、恐怖が人々を下がらせる。

 腰が抜けて泣き叫んでいる者。

 膝ががくがくと鳴ってぶるぶると震えている者。

 顔を手で多い、背中を丸めてうずくまっている者。

 誰しも初めて感じる恐怖。

 呑まれる恐怖と、喰われる恐怖は別物だ。

 死んでいないが死よりも怖い。

 いっそ、ひと思いに殺してくれればこんな恐怖を味わうことはない。意識を失ってしまいたいが、気絶するほどの痛みではない。精神力が強い祓い師だからこそ、どこまでも正常な意識を保ったまま、恐怖を全身に浴びた。


 惨劇は始まった。

 それは、わずか半時ほどの間であった。

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