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空の子  作者: そうじ
55/74

チャルラの企み

 戌の中刻、中央。

 雨は止んでいた。まだ風が強い。風は夜空の雲を一掃し、美しい満月が見えていた。

 (得体の知れない静寂)

 ゲンは、講堂の上で待機していた。

 (はっ)

 授かり岩の方向で大きなやみの気配。どうやらはじまったようだ。気持ちが落ち着かない。コウが授かり岩にいる。サクは多数のやみひとをひきつれてコウを呑み込もうとしている。オレも行くことができれば。授かり岩まで、オレの足で四半時もあれば行ける。が、それはできない。

 チャルラが来る。いまここにチャルラが来たとして、オレにかなうわけがない。しかし、オレ以外にチャルラにかなうものがいない。あれは真剣に闘うつもりはないだろう。授かり岩でコウとサクの決着がつくまでの足止めだ。

 決着。サクがどんな手でコウを呑み込もうとしているのか、それは知らない。しかし、コウが呑み込まれるはずがない。

 ゲンは高く飛びあがり、授かり岩の方向を見ようとした。

 見えるわけがない。そのかわり、目についたのは中央の建物のようすであった。

それぞれの建物の脇にたくさんの松明が炊かれ、庭には焚火が据えられた。久しぶりの景観であった。降り続く豪雨の中では火を焚いてもすぐに消えるため、松明の数もすくなく焚火もなかった。ときどき火を絶やさないよう祓い師が確認に来ていた。今夜の見回りの祓い師がいつもより多い。ゲンが上に存在しているというだけで、皆、安堵していたのであろう。

 (チャルラ、遅い)

 ゲンは建物のはるか上に滞空し、祓い師たちを眺めていた。チャルラがまだ登場しないことにやきもきしていたが、この平和な眺めを少しでも長く見たいとも思った。 

 そのとき、明らかに違和感を感じた。

 (きた)

 やみの気配ではない。ゆっくりとゆっくりと近づいてくる。

 しゅるっと音がしてそのからだは現れた。

 「テテ」

 白い毛並みが揺れている。艶がない。激しい老化。目だけが生きていた。まさしくチャルラの目。

 「また会えましたわね」

 「やみひとをまとっていないとはな。からだの力だけで勝てるとでも思ったか」

 「あなたはつくづく戦闘バカなのですね。このからだの力には期待はしておりませんのよ。闘うつもりは毛頭ありません」

 ゲンは悟った。

 (コウを呑み込むために多くのやみひとが必要、ということか)

 「足止めか」

 「あなたの頭ではそこまでですわね。いかがです? ここで昔話でもいたしませんこと?」

 「昔のことなど覚えていない」

 「まったく、あなたがそんなことだから私が苦労するのです」

 「どういう意味だ」

 チャルラは答えず、ため息をついた。

 ゲンは再び授かり岩の方向を見た。

 (コウは大丈夫か)

 「コウの心配をしている場合かしらね」

 「ほう。闘う気になったか」

 「そうではありませんわ。あなたがいまやらねばならぬことは、あなた自身の命の自覚だと申しておりますのよ」

 (えっ)

 オレの命の自覚。

 ここ数日すっかり忘れていた。そう、オレが中央に足止めされている理由。オレがどうしても思い出せないこと。おまえは知っているのか?

 ゲンは喉元をぐっと呑み込んだ。

 ここでチャルラから教えてもらうなどできない。とはいえ「私が苦労する」とはどういうことだ。

 おまえはなんのためにこの国に来た?

 チャルラは建物のまわりを警邏している人間たちを見た。ゲンはびくっと顔を動かした。が、チャルラの瞳は黒いまま。艶のない体毛を風にゆるくなびかせながら、ゲンに視線を戻し、ゲンの動きを嘲笑うように鼻を鳴らした。

 空人たちはチャルラに気づいてはいない。やみをまとっていないチャルラは祓い師には感知されない。モトン族は気付いているのかもしれないがおそらく出てはこないだろう。やつらはチャルラを異様に怖がるふしがある。気付かれないうちになんとかしなければ。

 チャルラの視線は穏やかであった。人間を呑み込むつもりはないらしい。羽犬だったら? いや、いまのチャルラは目の前に羽犬がいたとしても同様の視線で眺めるにとどまるだろう。なぜなら、大きな仕事を終えた後の疲れ切った表情をしているのだ。

 (こいつ、なにかしたな)

 ここまでの疲れた表情。テテのからだが年老いているからそう感じるのではない。目の光自体が穏やかなのだ。おそらく何回も瞬間移動を繰り返しているのだ。だとしたら自殺行為だ。チャルラの精神力はともかく、あれだけ老け込んだテテのからだが持たない。

 まさか、次の憑代をすでに確保しているのか。

 「さて、そろそろ頃合いですね。行きましょうか」

 「え?」

 チャルラは含みのある笑いを見せたかと思うと、しゅるっと音を立てて消えた。

 (あっ)

 そのときであった。

 ゲンの脳裏に小さな振動が起きた。それは、しん、と音になる前の音を立てた。頭の奥がかゆいような響いているような。感じたことのある振動。

 ゲンはとっさに理解した。霧が晴れたように、脳が覚醒した。意識が躍動する。

 ゲンは焦った。

 音になる前の音は、次第に音という形になった。

 ―――げ・・・。

 ―――ゲン・・・。

 はかない音。

 中央から出てはいけないとか、チャルラに応戦しないといけないとか、空人を護らねば、とか、全部が吹っ飛んだ。ただ、声の方向へ飛びすさんだ。

 無心。

 無心とはこういうことだろう。

 無意識のうちにからだが動く。

 意識はここにない。

 既にあるべきところに意識はある。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 授かり岩で、サクは大きな黒い玉を操っている。しかし、表情がすぐれない。

 コウは動けない。この状況をコウの力では打開できないのは確かだった。が、サク自身もコウを呑み込むためのいま以上の力が出せない。限界であった。

 (ここまでか)

 サクは舌打ちをした。

 「コウ、もう動けまい。ゲンにでも助けを求めるか?」

 その声をコウは夢の中で聞いていた。


 ゲン?

 ゲン・・・、なんだっけ。

 ゲン、ゲン。

 ああ、なんだ、あいつか。

 人の感情にすぐ流されて、

 怒ったり、喜んだり、泣いたり。

 まったく、ばかなやつ。

 そばにいるとこっちまでばかになる。

 でも、あいつみたいにばかになれたら、と思うんだ。

 あいつ、中央か。

 あれであいつも忙しいしな。

 ゲン、ゲン、ゲン。

 呼んでも聞こえないか。

 いや、聞こえなくてもいいんだ。

 ただ、声に出していたい。

 ゲン、ゲン、ゲン。

 なぜだろう。呼び続けたい。

 ゲン、ゲン、ゲン。

 気持ちのいい響き。

 そういえば。

 呪をこしらえたんだったなあ。

 はじめは、やみを突き抜けるほど強い音、「ゲン」。

 ゲンの力を呼び起こし、

 次に、光が流れるような発音、「ライ」。

 ひいおばあさまの力をいただき、

 そして、風のようにのびやかな発音、「クウ」。

 空の神の力を感じ、

 最後は、清らかな光が風とともに吹き続く音、「ジョウコウ」。

 終わりのない音となって、辺りに広がり続ける。

 ゲンライクウジョウコウ。

 ゲンライクウジョウコウ。

 ゲンライクウジョウコウ。


 そのとき、コウの胸にかけられたお守りが光にあふれた。それはまるで、錐のように強く鋭く、やみひとを突いた。黒い大きな繭から、ひとすじの光が飛び出した。光は強く太い矢となって、サクのからだに向かっていく。

 「そういうしくみか」

 サクはすっと身をかわした。

 コウの目のまえの繭が途切れ、風が吹き込んできた。

 コウの目がかっと見開いた。

 (いまだ!)

 すっと印を結び、その両手を胸に当てた。

 「わが光の子! おまえたちを解放する! 出でよ!」

 すると、コウの胸元から、きらきらと光がにじんだ。そして、

 ごうっ

 と音を立て、強い風とともに飛び出した。コウを包んでいたやみの繭は

 どごん

 と激しく音を立てて壊れ、壊れた先から光に喰われていく。

 すかさずコウは祈った。

 「空の神よ! 我をたすけたまえ! 大いなる光を我のもとへ!」

 ごおおん!

 と光が落ちてきた。その光をコウは両手で受け止め、辺り一面に激しくばらまいた。

 一瞬にして清浄の気が満ち、光の子たちは、きらきらと輝きながらやみひとにからまっていく。まるでくすくすと笑っているような光であった。

 「ロウロウ!」

 コウはとっさにロウロウを呼んだ。空中からくるくると回りながら地上に落ちていたのであった。

 ロウロウは高い空から急降下し、ひゅうっと一陣の風のように現れてコウをさらい、すううっと空高く飛び上がった。

 「助かった。ロウロウ、無事だったか」

 ロウロウはワッと一言鳴いた。

 サクは苦笑した。

 「確かにロウロウが敵ではきついな」

 コウとロウロウは高く滞空している。サクはそれをながめて笑っていた。

 (母上、笑っておられるのか)

 コウはゆっくりと地上に降り始めた。

 「母上、もう巨大なやみを出す力はありますまい」

 サクは明らかに疲れている。

 「ことごとくおまえに消されてしまったのでな。で、おまえ、どれだけのやみひとを貯め込んだ?」

 コウは苦い顔をした。

 「そのことがまた、おまえを苦しめる」

 ロウロウがすとんと地上に降りた。サクはちらと後ろを見た。コウははっとした。なにか来る。

 しゅるっと音がしてそれは現れた。

 「はっ」

 コウは打撃を受けたようにびくんっと動いた。

 「チャルラ、遅い」

 サクが低い声でチャルラをたしなめた。チャルラはくすくすと笑った。

 「サク、やはり失敗なさったみたいですねえ。あらあら、やみひともすっかり消されて。あなた、ずいぶんお疲れのごようすね。かわいそうなお姿ですこと」

 サクはあきれたようにため息をついた。

 「おまえ、しばらく時空の外で見ていただろう」

 「あら、お気づきになりました?」

 「ふん。おおかた、力を使いすぎて動けなかったんだろうがな」

 確かにチャルラは息が上がっていた。チャルラはひとつ大きく息を吐いて、それからロウロウを凝視した。ロウロウもチャルラをじっと見ていた。また、ふたりだけの念話が始まっている。

 チャルラはふふっと笑い、横目でサクを見た。

 「うふふ。最初から私にまかせて下されば、余計な犠牲も体力の消耗もありませんでしたのに。コウとロウロウ相手に力づくはありえませんわ。もっと頭を使いませんと」

 サクは、ふんと鼻を鳴らした。

 「小賢しいことをすると足元をすくわれるぞ」

 「そうなる前に足元を固めればよろしいんですわ。ところで、私のいう通りになさったのかしら?」

 「まあな。本当に来るのだろうな」

 「ええ。間違いありませんわ」

 コウにふたりの会話が聞こえた。聞こえたというよりは念話が入ってきた、のであった。つまり、このふたりは念話を自分に聞かせているんだと感じたとき、コウは「あっ」と声を上げた。

 (しまった・・・。私にゲンを呼ばせたのか)

 しかし、もうなにもかも遅かった。コウの目にチャルラの微笑みが忌々しく映った。

 背後から信じられないほどの輝きを放ちながら、ものすごい速さで近づいてくるモノがいた。

 「きたか! チャルラ、急げ!」

 サクはチャルラを急かしたが、チャルラはロウロウを見ている。

 ぐううおおおおおっ!

 大量の光を放ちながらゲンが飛び込んでくる。

 「チャルラ! もういいっ。 こっちがやられる!」

 サクが叫ぶ。と、チャルラは満足したようにうなずいた。チャルラの目が緑色に変化し、チャルラとサクのまわりのやみがひずむ。

 そのとき、コウは激しく突き飛ばされ、横倒しになった。

 突き飛ばしたのは。

 「ロウロウ!」

 コウは地面に這いつくばりながら叫んだ。ロウロウはチャルラの懐に飛び込むようにして渦の中に入っていった。渦はロウロウを巻き込み、消えた。コウの目には、チャルラの嘲笑だけが残った。

 どーーーーん!

 ゲンの咆哮と共に大量の光が辺りにぶつかりあった。辺りは清浄の気を取戻し、さきほどまでのやみは一切なくなった。

 海風がびゅうびゅうと鳴きながら吹きしきった。

 「コウ! 無事か!」

 コウは泥まみれになりながら、消えたやみの行方を見続けていた。ゲンが駆け寄ると、コウは力なくからだを起こした。

 (ロウロウは確かに自分からチャルラの渦の中に入った)

 「コウ! ロウロウはなぜ・・・」

 「違うんだ」

 コウは強く首を振り、ゲンのことばをさえぎった。

 「ゲン、違うんだ。チャルラの策にはまったんだ。ロウロウをとられてしまった」

 突風が吹き、コウの髪が激しく乱れた。

 「チャルラは、ロウロウになにをした」

 ゲンはコウに問うたが、コウは首を振るだけだった。

 「ふたりが念話でなにか話していることだけはわかった。内容はわからない」

 「いま、チャルラは体力を使いすぎて、動けないはずだ。すくなくとも今夜は、中央に出現することはなかろう。仮にロウロウの肉体に入ったとして、明日までは動けないだろう」

 「母上も力は残っておられないはず・・・。はっ」

 コウは弾かれたようにゲンの背に飛び乗った。

 「くっ。ゲン、中央だ!」

 「どうした」

 「中央に急げ」

 「いったい、どうしたんだ」

 コウは苦しそうな声を上げた。

 「喰うやみひとだ。中央に出現する!」

 「なんだと? さっきまでそんな気配はなかった。ジャクルもそんなことは・・・」

 コウはくちびるを噛んだ。

 チャルラの目的は呑み込みではなく、殲滅。

 チャルラは中央に出現してゲンを足止めしているふりをしていた。そして母上には、私をやみに閉じ込め、ゲンを呼ばせるよう指示をしていた。同時にチャルラが中央から姿を消すことでゲンは迷いなく授かり岩に向かった。ゲンさえいなくなれば、中央を殲滅することなど簡単だ。もう一体のやみの力を中央に出現させればいい。

 つまり、アデの力。アデが操るのは妖のやみひと。

 母上にとって、やみに私を呑み込ませることが目的だったのは間違いない。チャルラは、母上の計画が失敗した時のことを見越して次の手を打っていた。ここでの戦いをうまく陽動に使われた。しかも、ロウロウまで奪われた・・・。

 「やられた」

 「どういうことだ」

 「喰うやみひとを操っているモノがいる」

 「サクではないのか」

 「違う。もう一体のやみの力だ」

 ゲンは確かに、三体の大きな力が存在するということは感じていた。しかし、喰うやみひとを操るとまでは考えが至らなかった。

 「なんでもっと早くいわんのだ。おまえはいつもそうだ。そいつはいったい誰だ」

 (それは・・・)

 コウはことばが出なかった。

 「わからない、というつもりか? もうそれは許されない」

 ゲンは強い口調でいった。コウは息を深く吸って、ゆっくりと吐いた。

 「それは、アデ、と名乗っている」

 「アデ? 何者だ」

 「二千年前、始祖の子の肉体に宿っていた意識体だ」

 「始祖の子? その頃の古文書はほとんど残っていないのだろう。なぜわかる」

 コウの答えは、ゲンにとって驚きと納得をもたらした。

 「巫女の始祖は、私なのだ」

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