再会
コウは、目を閉じて感覚を研ぎ澄ます。
「コウか」
低く深みのある声がした。懐かしい声。コウはゆっくり振り返った。
「・・・母上、でしたか」
コウはやっとの思いで、うめくような声を上げた。そして、しげしげと懐かしい顔を見た。
「私で悪かったな。そうがっかりするな」
サクの濡れ羽色の髪が強い風になびく。細い手で長い髪をかきあげると、白い顔があらわになった。月光に濡れたような肌。つややかな頬。深く青い瞳。赤い唇。しなやかな体躯。すべてにおいて玲瓏であった。
コウは、サクに見つめられるだけでからだが溶けそうだと思った。溶けながら、サクに引き寄せられていくような感覚に陥った。いますぐサクのもとに駆け寄り、サクの放つ気に触れ、溶けてしまいたいという衝動にかられた。
あらゆる命を惹きつける存在。
コウは両足に力を込めて衝動を止めた。重心を低くせざるを得ない。
(母上。美しいひとだ)
サクの目は生きていた。懐かしい顔でありながら別人であった。コウははじめてわが母を美しいと、こころから感じていた。
サクは、コウの胸元に提げられているお札に目を留めた。
「それか。厄介な札とは。それにしても、数珠さえ嫌がったおまえが札を身に着けているとはな。なにやら含みがありそうだな」
(数珠・・・)
コウは長着の上から胸元に手を当て、ぐっと握りしめた。
「いいえ。ただの気休めでございます」
「ほう。おまえも追い込まれているということか」
「確かに、そのようでございますね」
コウは穏やかに微笑み、
「母上、お会いしとうございました」
と、まっすぐに母の目を見た。
その瞬間、サクはからだの感覚を失った。
なんという視線。強くもなく弱くもない。これが「自然」というものか。あるがままの姿。それは超越的存在。森羅万象の凝縮。これが「空」。これが「神」。
(意識を、・・・持っていかれる)
サクは「ふっ」と息を吐きながら、左手で虚空を切った。そうでもしないとただの人形になりそうだった。それでもサクは、コウの視線から逃れることができず、苦しまぎれに声を出した。
「無理をするな。会いたかったのはアデであろう」
アデ、という名が母の口から発せられたことで、コウはアデの存在を確信し、そして絶望した。
(やはり、そうであったか)
コウから笑顔が消え、視線がゆっくりと落ちた。
「・・・あれをいつからご存じで」
「さあな」
サクはようやくコウの視線から解放され、伸びでもしているかのような返答になった。
「信用なさいますな。あれは偽物でございます」
対照的に、コウの声は低く固い。
「さて、どうかな。アデから聞いた話と、おまえの記憶と照合してみるか?」
「・・・母上、まだ間に合います。こちらへ・・・空の国へお帰り下さい」
「なるほど。長老たちも巻き込んで空人をだましたか。おまえのやりそうなことだ。村長たちのまぬけ顔が見てみたいものだな」
「私は・・・」
「では私も要求しよう。おとなしくやみに戻れ」
「戻れ、とは」
「とぼけるな。おまえの本能が求めていることであろう」
「私は空の子です」
「そうだな。おまえは空の神、一の子。巫女の祖の祖、コウ」
コウは瞠目した。
「どうだ、おまえの記憶と一致したか」
サクは目を細めた。
「あれは、いったい、どんな話を」
「ふん、アデのことだ。都合の悪いところはごまかしているだろう。しかし、あれは情報源だ。そのなかから私は、私のこころが納得した情報だけを取り入れているだけだ。そしていま、おまえがその情報を真実だと教えてくれた」
「・・・」
「では、これはどうだ。・・・おまえは、やみの神、一の子でもある」
コウは目を伏せた。
「そうか。アデも嘘ばかりはいっていないらしい」
コウはアデの存在を振り切るかのように声を張った。
「ガクウを」
サクは眉を上げた。
「ガクウがどうした」
「そちらに連れていかれたのですね」
サクは首をかしげて見せた。
「はて、心外な。私が拉致でもしたようないいかたをする」
「拉致とは申しておりません。操作なさったのでございましょう?」
「操作だと?」
サクは笑い出した。
「考えても見よ。この世はすべてなんらかの意思に操作されているのだ。この国もそうだ。空の神の意思に操作されている。その只中において、我々は自分の意思を持つ。前提として操作があろうとなかろうと、自らの意思の前では意味がない。どれほど大きな操作がなされているとしても、それは無に等しい。ガクウは自分の意思でやみに下ると決めた。それだけの話だ」
「前提としての操作が、神の意思であれば意味はないに等しいでしょう。なぜならば自らの意思が神の意思だからです。果たして、あなたのこの度の操作はいかがでしょうか」
「私も空の子であり、やみの子なのだよ、コウ。やみの力を持ちながら空の国の巫女として生まれた。そうである以上、私の意思は大いなる御方々の意思である」
「そこにあなたの欲がないといえますか」
「欲? ははは。おまえはアデと同じことをいう」
コウは再び視線が落ちた。
「うむ、おまえとアデ。さすがによく似ている。そのしたたかさ、うらやましい。私が持ち合わせないものだ。それも当然のことではある。なんせ私の命はまだ新しい。老獪なおまえたちから見れば私など赤ん坊に見えることだろう。しかし、コウよ。欲とはなんだ。欲とは生命力だ。私はここに・・・」
サクはそういって両の掌を広げ、ぐっと握りしめた。
「ここにいま、あふれる生命力を感じている。欲にまみれたこの力を授けたのは誰だ? 他でもない、空の神ぞ。そしてもうひとかた、大いなる御方、やみの神の力を授かっている。この力を肯定せずして、どうして生きられようか」
「おふたかたの意思と、母上の意思は違うこともわかっております」
「どうわかっている?」
「抗うことをおやめください。あなたが抗う理由はあまりにも悲しい」
「抗う、か。まさにその通りだ。おまえは頭が良い」
「話をそらさないで下さい」
「まじめだな、おまえは。私の母を思い出す。あのひとはまじめすぎた。愚かなほどに。まじめなやつはどうもやりにくい」
「無用なのです、母上。無駄なのです。あなたの力がむなしく使われるのが、どうしてもいやなのです」
「では、それがおまえの欲というわけか。ははは! これは良い」
コウは視線を上げ、サクをまっすぐに見てきっぱりといい放った。
「母上。おわかりになられないのですか。私に欲はありません。母上が欲と感じられるのならば、それは、空の神の強い意思です」
ぶわ、と音がした。風がコウの髪を吹き上げた。コウの額があらわになり、サクは目を奪われた。それは自ら光を発しているようであった。
サクは、全身を流れている血がどくんと噴き出したように感じた。
満月とはいえ、たかが月の光でどうしてそこまで輝いているのか。また、しびれが戻ってくる。しかし、なんと快い。このままコウの光を見続ければ捕食されてしまう。見事だ。見事としかいいようがないその力! 私は絶対なるその力に抗いたいのだ。この恍惚感のなかで、存分に。
そう、あの受胎の夜のように。
「なにやらこころが躍る」
サクはこみ上げる喜びをおさえきれない子どものような顔をした。
(ああ、母上)
コウはサクの表情に見とれてしまい、一瞬動きが止まった。
「では、さっさとやるか」
(はっ)
コウはさっと後ろに飛びながら、印を結び、叫んだ。
「空の神よ! 我に・・・」
遅かった。サクに操られたやみの粒子たちが一瞬でロウロウを襲った。
「ロウロウ!」
ロウロウは全速力で上に飛び上がるが、やみひとも次々にロウロウを捕まえようと飛び上がる。同時に、コウにもやみが襲ってきた。
「母上、ムダなことをなさる」
コウはやみを自らの光で振り払いながら、たたたっと駈け流し、ひょいっと木々の枝に向かって跳ねたかと思うと、枝をぐいっとつかんでその反動で空に向かって飛んだ。コウを掬うようにしてロウロウが飛んできたが、やみも襲ってきた。
「空の神よ! われに浄化の力を!」
コウは空中で手を振り上げる。
同時にロウロウがコウを救い上げ、コウはすとんとロウロウの背中に落ちた。 が、ロウロウの片足がやみひとにつかまれている。コウは、掌に光が落ちてきたのを見計らってすいっと光を振り落とした。
とーん!
と音をたててコウとロウロウの上に光が振り落とされる。
そのタイミングでロウロウの片足は自由になり、すううっと空に昇り、浮遊した。
「ははは! そうだ。昇れ、昇れ、上に昇っていけば間違いない。そのように空人には教えているからな!」
サクは両手を低く広げて祈りを唱えている。
「やみの神よ! あなたの一の子をあなたのもとに!」
ずずず・・・
と、地の底から破壊的な音がした。
(地表が崩れる・・・?)
「コウよ! おまえのいるべき場所はここではない!」
授かり岩は崩れ落ちた。
一瞬、盛り上がったかと勘違いするほど、激しい壊滅であった。
砂煙がもうもうと膨れ上がり、ロウロウはコウを乗せたまま煙の上へ飛び上がった。
「見よ、コウよ! このすがすがしい景観を。授かり岩がいとも簡単に崩れ落ちていく!」
(崩れ落ちた?)
噴煙で下の状況がわからない。じっと下を見据えていたコウは、いきなりずぐんっと地に急降下する感覚を受けた。
「ロウロウ!」
やみひとはロウロウの足をつかみ、ひきずりおろしたのである。
(この高さまで来るとは)
コウはさっと印を結び、ロウロウをつかんでいるやみを祓うべく、叫んだ。
「放せ!」
しかし、ロウロウがひきずりおとされる速さに、コウのからだがついていけず、コウは空中に放り出される格好になった。その格好のまま、
「はあああ!」
と気合いをこめて光を集め、一気にロウロウに向けて下ろす。ひとすじの光がやみたちにぶつかったかと思うと、ロウロウはすうっとからだをひるがえして、空中からするすると落ちていくコウのもとに飛んだ。コウはやっとの思いでロウロウの羽につかまり、ロウロウの背にたどりついた。
「ロウロウ、大丈夫か」
ロウロウはひとこと「ワッ」と吠えたと思うと、コウを乗せたまま、授かり岩(があった場所)から少し離れたところにある小高い丘に飛んだ。ユリの花の匂いが強く押し寄せてくる。
コウは上からサクのようすをうかがった。
海から吹きつける風がサクの髪をなびかせていたが、からだに纏ったやみは消えない。サクは細い手の甲を唇に押し付けていた。
それは、母が考え事をしているときのしぐさだとコウは知っていた。
(ならば)
コウは印を結び、祈りを唱えることなく、両手をしずかに上げた。暗い空からは小雨が降り続き、コウの髪はしっとりと濡れていた。
サクは自らの手の甲をかみながら、ぶつぶつとつぶやいていた。
そのとき、大いなる光が滝のようにどどっと落ちてきた。
「しまった!」
サクはやみの中に紛れて姿を隠そうとしたが、すべてのやみが祓われてしまった。
サクひとりがあらわになった。
「やられたな。かなりの犠牲だが、仕方ない」
風がびゅうびゅうと音を立てて、サクのからだを洗うように拭きしきっている。
サクはうっすらと笑いを浮かべている。
「姿を隠して攻撃か? 情けない」
返答はなかった。コウはすでに位置を変え、丘の頂上にある楠の上に昇っていた。ロウロウはその幹の根元に姿を隠している。
サクは手を広げ、いま一度祈りをささげた。すると、再び風がやんだ。
(どこから来る?)
コウは五感を研ぎ澄まし、ピリピリとしたやみの粒子たちの感覚をとらえようとしていた。
と、コウのいる丘の地面全体から、やみがじわじわと湧き出てきた。
(いけない。このままではロウロウの位置がばれてしまう)
「ロウロウ!」
コウはロウロウに乗ってもういちど空に飛び上がるしかなかった。ロウロウがすっと飛び上がった、そのとき、
ずず、どどど、ずおおおおおん!
コウの背後から激しく音をたてて、巨大なやみが襲ってきた。
(はっ、まさか)
「ロウロウ! 来るな!」
コウは、巨大なやみに包まれ、それは、さながらうごめく黒い繭であった。
「それほどの巨大なやみを、私が出せるとは予想していなかったか?」
母の声ははっきり聞こえた。が、コウはからだがしびれ、手が動かせない。印を結ぶことができず、意識は遠のいていく。黒い繭の中でうごめくやみひとたちは、コウには近づかない。遠巻きにただ見据えているだけである。
「ロウロウめ、どこに隠れている。・・・まあ、よい。まずは」
サクは、コウを包み込んだ黒い大きな繭を見て満足そうに微笑んだ。
遠のく意識のなかでコウは考えていた。
母上は、私の目覚めが目的だったのか。そこまでご存じだったとは。・・・アデも知っているということか。
いや、そのことはあとだ。このままではまずいことになる。私の中の光たちが委縮しはじめている。なんとかこのやみを壊して、空の神から光を得なければ。
取り巻いているやみひとに呼応して、コウの中にいるやみの子たちが騒いでいる。コウの視界には空の国がなかった。すべて、やみ。みずからの中に取り込んだやみの子たちと、外から働きかけるやみひとが、次々につながっていく。
――コウさま・・・。
――来た。
――ほら、始まるよ。
おまえたちの期待することは起こらない。
――コウさま・・・。
――ふふふ。もうすぐだよ。
――われわれは解き放たれる。
悪いが、おまえたちは私の一部だ。
――知っているよ。ぼくたちがいるとつらいんだろ。
違う!
――嘘だ。いつも悩んでる。
――私たちを自由にして。
自由・・・。
――そう。あなたも自由になる。
――どちらにしても、あなたは我々の支配者。我々を内から支配するか、外から支配するかの違いではないか。
――コウさま・・・。こちらへ。
――コウさま・・・。
――コウさま・・・。
やみひとたちの唱和が始まる。
ああ、私の中の光たちが固まっていく。
ここで目覚めるわけにはいかない。
いったい、どうすれば。
意識が朦朧としている。
からだがふんわりと浮いている。
ああ、もう考えることができない・・・。




