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空の子  作者: そうじ
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授かり岩の出会い

 戌の刻。

 コウは松浦にいた。授かり岩の下。強い風に吹かれ、コウの髪が逆立ち、袴は音を立ててなびいている。砂地を踏みしめた両のふくらはぎが見え隠れする。

 コウは確信していた。

 この数日間、目立ったやみの出現はなかった。チャルラは影さえ見せない。

 しかし、今夜、・・・来る。

 空をあおぐと、天上から満月がコウを凝視していた。

 コウはうつむいた。

 やみには大きな勢力が三体。一体は母上。一体はチャルラ。そしてもう一体は。

 考えたくない存在であった。しかし、考えずにはいられない存在であった。喰うやみひとが出現した時からわかっていた。

 ここ授かり岩に来るのは・・・。いや、いまここにあれが来ることはなかろう。あれは決して表に出ない力。あきらかにはされない存在。そう、やみの国のように。それは、知らなくともよい存在。私のこころのなかのやみなのだから。

 胸をおさえる。ここにたくさんのやみひとがいる。おまえたちはなぜ興奮している? 誰を待っている?

 ―――いいえ、誰も。

 ひとりのやみひとが応えた。

 ではいったいなにを期待しているのだ。

 ―――ふふ。

 なにを笑っている?

 おまえたちの期待していることは起こらない、決して。

 また、ふふふっと笑う声があがった。

 コウはすっと授かり岩の上に目を向けた。上から来るはずなどなかった。しかし、空をあおがずにはいられない。

 コウは、ロウロウの背に手を置いて、しばらくじっとしていた。

 ロウロウがぴくっと動き、ほどなく風がやんだ。

 「きたか」

 ロウロウは、ワッと鳴いた。

 ずずず、ず

 音が近寄ってくる。いや、というよりは、悪寒が近寄ってくる感じであった。

 (なにか、違うモノがきている)

 コウはからだのなかのやみひとたちの違和感を感じた。

 (これは)

 ロウロウが低く唸っている。

 ずおん

 大きく地なりがして、やみの粒子がどどんと現れた。コウは静かに手を掲げ、ひゅっと斜めに手を下した。すると、やみの粒子たちはあっさりと消え、真ん中に位置した物体が見えてきた。

 それは白い毛を纏った羽犬であった。懐かしい姿。

 「テテ・・・」

 しかし、彼女の美しい毛並みは影もない。

 (からだが老いている・・・?)

 コウはしばらく呆然と見ていた。疲れきったからだと対照的な強い眼。それは、陽炎のように怪しく光っている。その眼力がからだをむしばんでいるに違いなかった。

 (おまえが、おまえがテテをこんな・・・)

 コウはこみあげる怒りをおさえることができなかった。ぶるぶるとからだが震えた。

 「おまえが、チャルラかっ」

 ざわと木々が揺れた。 

 チャルラはコウの怒りをうけ、全身が恐怖に襲われ、それは張り詰めるような喜びに変わった。

 (なんという力!)

 心の奥底から興奮が湧き上がるのを感じ、チャルラは高らかに声をあげて笑い出したかった。その喜びをぐっとおさえてわずかな笑いにとどめた。

 「念話を? ゲンから教わったのかしら」

 感動が全身をかけめぐり、チャルラはことばを続けることができない。チャルラの目は、コウの目に縛られる。

 深い深い、青。サクの瞳も青く、その美しさに見とれたが、コウの瞳はまた違った。青、という色では表現できない。さながら海の底、高い空。吸い込まれる。

 チャルラはその瞳力に抵抗を示すため、ことばを続けた。

 「彼、念話は得意ですものねえ。頭は悪いんだけど。おかげでかわいい巫女さまとお話ができますわ」

 コウの瞳はチャルラに対するまっすぐな怒りで輝く。それはなにものも邪魔することのない、混じりけのないコウの力であった。チャルラにだけに向けられた、一分のゆるみもない輝き。

 チャルラは、コウに憎まれることを感謝さえした。

 ああ、たったいま、この子の輝きは私だけのもの。サクでさえ体験できないこの力! この子のすべての焦点が私に向けられる。こんな力、確かにまともに受けてなどいられない。しかし・・・。そう、負けるとわかっていて正面から受けることを望みたくなる。この力をまともに受けて命を落とすか、惹きこまれてこの子の一部になるか。いずれにしてもなんの問題があろうか。

 チャルラは心地よいめまいを感じていた。

 そのとき、チャルラの心に声が届いた。

 ―――あなたがチャルラさん、なのですか。

 (はっ)

 チャルラの恍惚はあっさりと打ち消された。

 ―――ええ、そうですわ。

 チャルラはとっさに答えた。答えざるを得ない、ひとすじの意識を感じたのであった。チャルラはロウロウの瞳をじっと見た。灰色に光る瞳。見えないはずのこの瞳は、いったい私のなにを見ているのか。コウの怒りに触れて喜んでいる場合ではないことを知った。

 ―――あなたがロウロウ、ですね。

 ―――はい。チャルラさんは私に用がおありなのでしょう?

 ―――ええ、とても大切な用事がありますの。

 ―――それは光栄です。それにしてもチャルラさん、あなたは噂とは違って、とても愛らしい方でいらっしゃいますね。

 (愛らしい、と?)

 ロウロウの意識は、チャルラの意識をわずかに切り取ったに過ぎなかった。しかし、チャルラの意識の破片は、カラン、と音を立てて地上に転がった。かすかな悲鳴が聞こえた。

 (これは・・・。とても私の敵う相手ではない。やり方を変える必要があるようね)

 サクはロウロウの肉体の能力を恐れているが、真の恐ろしさは得体の知れない意識体だとチャルラは予測していた。チャルラに向けられたロウロウの感情は敵意か好意か。いや、彼女の感情はチャルラに向いていなかった。つまり、相手にされていないのだ。とてつもなく大きい感情が何者かに向けられている。チャルラの意識は、その大きな感情の流れの一片に触れたにすぎなかった。ロウロウの感情の全容は見えない。チャルラの心はまるで、茫洋とした大河に臨んでたたずむ子どものように小さかった。

 チャルラは一定の笑顔を絶やさなかったが、背が冷えている。その頭の中はめまぐるしく動いていた。

 ―――まあ、愛らしいなんて。私はあなたの娘ふたりのからだを乗っ取った、憎い敵、ですのよ?

 ロウロウは微笑みを見せた。

 ―――「憎い」とは、慈しむべき若い感情でございますね。残念ながら私は若くございません。・・・そんなことよりチャルラさん。あなた、感動なさっているのでしょうか。まるでコウに一目ぼれでもなさったような。

 ―――一目ぼれ? この子に、私が?

 意外なことばだった。一目ぼれ! チャルラの脳の働きが止まった。しかし、チャルラのからだじゅうの血管はどくんどくんと鳴りはじめた。チャルラは全身で納得したのであった。

 ―――ええ、ええ、確かにそうですわ。こんなに怒って・・・なんてかわいい子! 神に愛され、その愛はその小さなからだから、ほらこんなに満ち溢れて。溢れる愛ゆえの怒り! もっとこの子を怒りを受け入れたい。もっとこの子と気を共有したい。もっとこの子のそばに、いいえ、ずっと! この子をいますぐ抱きすくめて、さらってしまいたいほど・・・!

 ―――それでは、そのようになさってはいかがでしょう?

 ここでチャルラは我に返った。

 どうしてここまで自分の感情を露出できるのか。はじめて会った老婆の羽犬ごときに。これが、サクでさえその全部を知らなかったロウロウの力。

 ―――ロウロウ。あなたって意地悪な力をお持ちなのね。コウ相手にそんなことはできないとおわかりのくせに。

 ―――それで、この私を身代りに連れていくという計画でございましょうか。

 ―――またそんな意地悪なことを。あなたを私の力で瞬間移動させることも不可能ですのよ。

 ―――さようでございましたか。

 ―――ご存じのくせに。

 ロウロウは自嘲するように薄く笑った。

 ―――それでは、大切な用事とはいったいどのようなことでございましょう?

 ロウロウはまだチャルラを見てなどいない。チャルラは目の前の大河が、どの方向に向かって流れているかさえ見当がつかなかった。

 チャルラはロウロウをしっかりと見据えた。

 ―――私は、あなたのお力をお借りしたいと思っていますの。もちろん、無償で、などと都合のよいことは考えておりませんのよ。

 ―――私の力を?

 ―――あなたの力が空の国の前途を助けることになりますわ。そうすれば、その胸の奥に大事にしまっているあなたの願いをかなえてさしあげますわ。

 ロウロウの笑顔がとぎれた。

 この達観したような老犬に願いがあるなど、サクは気づいていない。しかしチャルラはロウロウの願いを察知していた。

 (長く生きているからこそわかる。サクごとき青二才にはとてもわかるまい)

 とはいえ、これはチャルラの賭けでもあった。ロウロウの返答までの時間がひどく長いものに思えた。

 ロウロウの全思念が、ゆっくりと静かにチャルラに向かった。ロウロウの、はじめての真っ向からの視線。恐怖さえ感じる大いなる力を持つ存在と向き合う自負。 チャルラは鋭い緊張を味わった。

 ―――お話をうかがいましょう。

 ―――感謝いたしますわ。詳しくは後程。ちょっと失礼。

 チャルラは満面の笑みを浮かべた。やっとロウロウの呪縛から解放され、ロウロウの灰色の瞳から目をそらすことができた。からだのほてりが全身の冷たい汗となってどっと流れた。その感覚にチャルラは満足し、心置きなくコウに話しかけることができた。

 「なんてまぶしい子! そんなにお怒りになるなんて。素晴らしいわ。若さと力が溢れている。サクが自慢するだけのことはありますわ」

 コウはロウロウの前にたちはだかった。

 「まあ、かわいらしい! まっすぐ私の目を見たりして。うふふ。よろしいのかしら? 遠くに連れていきたくなりますわ」

 「おまえにはできない」

 「そうかしら? そう冷たくしないでくださいな。面白い意識体がいると聞きましたのでね。ただの好奇心ですのよ」

 チャルラはロウロウを見ていた。ロウロウも見えない目でチャルラを凝視している。

 コウはふたりを見比べた。どうやらふたりは念話をしているらしいが、聞き取ることができない。お互いだけにわかる道をつくり、話をしているらしい。

 しばらくするとチャルラがコウに話しかけてきた。

 「おかげさまで、用事は済みました」

 「なにを話した」

 「その方に念話でお聞きになれば? でも、できるかしらねえ」

 「どういう意味だ」

 「あらあら、本当に短気ですこと。アデがいっていた通りですわ」

 コウは全身が凍り付いたような気がした。

 (・・・アデ!)

 とうにわかっていたことであった。が、どうしても認めたくなかった。聞き違いであってほしかった。

 「なにもあなた程度の念話で無理だ、なんていってませんのよ。あなたが念話ができるようになること自体、驚きに値することですもの。褒めて差し上げますわ。ただ、どんなに念話ができても相手が道を開けないと会話はできませんのよ。つまり、その方が道を開けるかしら、ということ」

 「なにがいいたい」

 チャルラは顔を背けた。

 「残念ですわ。もっとあなたとお話がしたいけど、次の用事がありましてね」

 遠くから、いや、地の底から、ずずっと音がした。

 「おや。本命のおでましのようですね。前座は消えるといたしましょう」

 チャルラはにやりとしてしゅるっと消えた。

 「消えたか」

 が、こころの中のやみたちが落ち着かない。

 (本命、・・・まさか)

 背後から気配がしのびよる。ずんっと音が響いて、しかし、ゆるやかにやみが出でたつのがわかる。

 コウは振り返ることができなかった。

 (どっちだ)

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