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空の子  作者: そうじ
51/74

中央避難三日目

 ゲンは人々の治療にあたりながら、心がざわめいていた。

 いつもの嫌な予感だ。嫌な予感ほどもどかしいものはない。それはこころの奥底から「おまえ、これがなにかわかるか?」とでもいいたげに、にやにやしながらゆっくりと姿を現す。「なんだろう、この感覚?」などと思案していると、そいつはますます増長してオレを揺さぶりにかかり、オレはいろんな嫌な記憶を思い出そうとする。「あっ」と気がつくともう遅くて、そいつは一気にどどーんと現れて高笑いするんだ。悔しがっている暇はなく、からだも環境もがらりと変わっているんだ。

 そんな、いつもの嫌な予感だ。

 ふと、懐かしい匂いを感じて振り向くと、扉が少し空いている。その隙間からジャクルが手招きをしている。ゲンはエイリに目配せをして診療堂を出た。


 ジャクルは酒を飲んではいたが、固い表情をしていた。それだけでなにかが起こることが予想された。

 ジャクルはいった。

 「ゲンさん、今夜、亥の中刻じゃ。授かり岩に巨大なやみが出現する」

 「えっ」

 「コウさんが向かう」

 「オレも行く」

 「いや、ゲンさん。同時に中央には『あれ』が来る」

 「あっ」

 ゲンの心臓から、どくんっと血が噴き出したかと思った。

 「おまえさんの仕事じゃ」

 ゲンのからだから怒りを帯びた光が出ていることを、ゲン自身が感じた。癒しの光ではない。これでは人々を癒すことはできない。このままでは診療堂には戻れない。憤りを押えようと努力した。

 「なるほど。オレを中央に足止めしたいのは、ヨクだけではないようだな」

 「そういうことじゃな。じゃ、わしゃ行くでの」

 「え、どこに?」

 ジャクルはすぐに見えなくなってしまった。

 ゲンはしばらく思案した。

 おそらく、授かり岩でコウを呑み込むという計画なのだろう。ついにサクが現れる、ということか。オレを足止めするためのチャルラ中央出現、ということか。だったら、裏をかいて行くか? ・・・だめだ。チャルラに対抗できる者はいない。

 ―――後手。

 ゲンはチャルラのことばを思い出した。

 (オレはいつも後手に回る)

 ゲンは怒りを抑えることができなかった。冷静に考えれば考えるほど、チャルラの計画通りに動いている自分が見えてくる。

 (いかん。このままでは人々の治療にあたれない)

 ふうっと息を吐きながら、診療堂に向かおうと踵を返した。と、目の前に女性が立っていた。白い肌が光っていた。

 「エイリ」

 「ゲンさま。診療堂にはお戻りになりませんよう」

 「なぜだ」

 ゲンはどきっとした。

 「おわかりでしょう」

 「・・・」

 ゲンはことばにつまってしまった。そのようすを見て、エイリはふっと笑った。

 「ゲンさまはまことに純粋な御方でございますね」

 ゲンはとまどった。コウやサイナにいわれたのであれば、間髪入れず怒りを感じただろう。しかし、エイリである。この二日間、エイリとともに人々の治癒にあたってきた。だからわかったこと。

 (さすがはガクウの娘。オレは苦手だ)

 ガクウと同じ雰囲気を持つ。つまり、冷静沈着、的確な指示。何を考えているのかわからない。それでいて妙に熱い信念を持ち合わせる。しかし、中年男のガクウではない。若い娘でしかも美人だ。そんな娘にケンカ売る気はない。だからこそ、エイリとはまったく厄介な存在だ。

 そして、ガクウとは方向性がまったく違った。空の国に向かう姿勢とでもいうのか。まっすぐな視線。弟のイツキと同じ純粋な瞳。これが若さということか。

 エイリはにっこりと笑って、ゲンにまっすぐな姿勢を向けていた。

 「その純な御心。母のようなお優しい光に包まれて、たくさんの者が救われました。感謝申し上げます。それこそお空さまの慈愛の御心。しかし、純なるがゆえの怒り。ゲンさまは力に翻弄されておいでになる」

 (こいつ、褒めているようで実はけなしてやがる)

 ゲンはいまいましく思ったが、受け入れてしまっている。

 「あなたさまは力を否定しようとなさっておられます。しかし、否定すればするほど翻弄される。そうでございましょう?」

 「む・・・」

 「その御力を全肯定なさってはいかがでしょう。そうすれば、本来のお力を自由に発揮できる時が来るはずです」

 「本来の力?」

 「そうです。あなたさまの御体の力ではなく、御心の力」

 「心の・・・?」

 エイリはうなずいた。

 (だって私がそうだったから)

 

 子どもの頃から課せられた命。長い暗黒の年月。嫌で嫌でたまらなかった仕事。しかし、逃げても逃げても私の命は追ってきた。唯一の救いであった母は死んだ。私は死のうと思い、山奥に入り込んだが死ねず、そこでサガンに出遭った。

 サガンと義母との幸せな生活は長く続かなかった。ふとりともやみに呑まれ、私はまた生き残った。今度は乳児を抱えて。だから、私は再び私の命に向かおうと決意した。愛するわが子のためにやるしかなかった。考えてみれば私の命がそうさせたのだ。母もサガンも義母も私の命のために死んだのだ。

 意を決して真正面から向き合うと、一年ほどであっさりと暗黒の時が終わった。父さんの蒸発とともに。

 父さん。

 なにをお考えになってどこに行かれたのか。

 人々は口々にいろんな憶測を重ね合わせている。私にもイツキにもわかることではない。あのひとは常軌を逸したひと。いいえ、父さんでなくとも、ひとの真意というのは測れるものではない。なぜなら、ひとは神がおつくりになったもの、つまり、神そのものなのだから。神の御意志ははかれないものなのだ。

 だから、私にいえることがひとつだけある。父さんがいなくなったことは、父さんにとって、私たち兄弟にとって、空の国にとって、必然だったということ。

 あれからまだ二日。だけど、もう十年も前からこの仕事をしていたように思う。これが私の心が真に求めていた仕事。天職とはこういうことか。こんなにすがすがしいもの。まるでからだがないようで、空間に溶けながら、意識がぐいぐいと働く。これが私の自然、私の自由、私の喜び。お空さまからいただいた命を使っているということ。一瞬一瞬が嬉しくて涙が出そうになる。

 しかし、あの暗黒の時がなかったら、いまの私はあっただろうか。毎日毎日、死体を前に研究だけをしてきた。父さんから受け継いだ力。だからこそ、他の医師に比べて知識がある。それを生かすことができる。臨床経験はほとんどないが、それがなんと楽しいことか。私の中に、あの母がいる!

 これが私の本来の力、心の力。私の中の苦悩と絶望は終わり、私は新しく生まれた。すべてはこの国の末期を支えるために。

 ゲンさまはまだ苦悩の中におられる。

 ゲンさまの御力の矛盾はあまりにも大きく、そして複雑に入り組んでいる。ゲンさまの御体には、まるで何体かの神が同時に存在しているかのよう。それを制御するのは常に純粋な御心のみ。

 ああ、そうだ。サクさまのように。

 危ういほどの純粋な御心。


 「診療堂のことはお気になさらず。私がおります」

 「わかった」

 ゲンは振り向いて診療堂を後にした。

 エイリは深々と頭を下げた。

 結局、ゲンの怒りの光を診療堂に持ち込まれては困る、とエイリはいったのだ。

 しかし、ゲンは素直に応じた。そうせざるを得なかった。

 からだの力。否定するのではなく全肯定する。

 そうすれば、心の力、本来の力を発揮できる。

 確かにそうだ。その通りだと受け入れようとして、あんな高飛車な小娘にいわれなくとも、と苦々しく思いながらゲンは講堂に向かった。


 中央避難が始まって三日目。

 ほとんどの空人が中央に集まっていた。

 人々は疲れ果て、あきらめ、絶望の淵にいた。

 離れ離れになった家族、途中で命を落とした者たち。中央で息を引きとった者たち。すすり泣くような声。不安による沈黙。

 昨夜から、各村役、里役がおおかたそろっていた。川端、小河原の里長はまだ現地にいたが。ヨクはいままで統率していた長老たちと各村役と里役を呼び集め、責任をすべて村役や里役に引き渡した。

 そのことで各村、各里も落ち着きを取戻し、希望を求めて這い上がろうとした矢先、

 ―――今夜、チャルラが出現するらしい。

 という情報が飛び交った。

 中央には再び、底知れぬ不安と絶望が重たく降りている。


 雨は降り続いている。

 酉の下刻。

 そのころ、御堂本堂にはヨク、テルイ、ギンカ、ソウイ、サキイの五人がいた。五人はなにやらひそひそと話しこんでいる。

 ギンカが固い声で訊いた。

 「ヨクさま。それでは、いまのところ順調に進んでいるのですね」

 「うむ」

 「モトン族がここまで協力したことに感謝せねばのう」

 「確かにそうなんじゃが」

 「それはコウさまの力ではありますが」

 「サクさまがサイナを連れてこなければこういうことはなかった」

 「ふふん。お空さまはなんとも意外なことをなさる」

 ソウイが軽く笑い飛ばすようにいうと、四人がくっくっと笑った。

 「あと少しじゃ」

 ヨクはかすかな声を出した。すると気がぴんっと張ったような空気になり、四人は黙ってしまった。

 ひゅうと音をたてて隙間風が吹いた。全員がはっとして探るような目つきに変わった。

 ―――誰か入ってきた。

 ソウイは扉の方向を見定め、テルイに目で合図をした。テルイがうなずくと、ソウイはいきなり調子外れな声を出した。

 「それにしてもテルイさまもひどいもんですなあ。わしら年寄に長の真似事をさせるとは。慣れぬことをするとからだにこたえるわい」

 ギンカが珍しくソウイに呼応した。

 「若いもんの前で元気なふりをしとったが、どうもいかん」

 テルイは「へたればかりじゃて」といいながらヨクを促した。

 「ヨクさま。そろそろ」

 「うむ」

 テルイに支えられ、ヨクが立ち上がろうとしたそのとき、御堂本堂の扉がぎいと開いた。

 四人の長老は「あっ」と声を上げた。

 (まずい。ガンザンであったか)

 テルイは思わず懐を押えた。ヨクは立ち上がるのをやめ、ゆっくりと座り直した。

 ガンザンはすっと片膝をおとし、正式な礼をとった。

 「ヨクさま。伺いたいことがございます」

 そういってしばらく頭を垂れていた。

 ソウイが明るく声を張った。

 「なんじゃあ、ガンザン。持ち場におらんで・・・」

 「ソウイ。もうよい」

 ヨクはソウイのことばを止めた。

 「で、ガンザン。なにを聞きたいと?」

 ガンザンは膝をついたまま、顔をぐっと上げた。その目がぎらと光り、ヨクだけに注がれていた。

 (うへえ)

 ソウイは背筋がぞっとした。

 ガンザンめ、一分の隙も見せん。とても近寄れん。からだがビリビリする。あんな目で見られてはたまらんのう。ヨクさまは・・・。

 ヨクは白けた目をしてガンザンを見ている。

 (うむう、さすがはたぬきだ。さてどうごまかす?)

 ソウイは当事者のくせに、勝手に自分を部外者に仕立て上げ、わくわくしていた。

 ギンカはとぼけた表情をしている。サキイはその表情を横目で確認した。

 (さてはギンカめ)

 サキイは腰をとんとんと叩きながら、

 「んじゃ、わしゃ戻るかのう。ヨキイがひとりで頑張っとるでのう」

 と、そろそろと本堂を出ようとした。するとガンザンは、

 「サキイさま。それには及びません。ヨキイさまから、存分に話をしてこい、とおことばを頂きました。どうぞこちらに」

 と、恐ろしい目をしてサキイを睨んだ。いや、ガンザンは恐ろしい目をしたつもりも、睨んだつもりもなかったろうが、サキイはそう感じた。

 (ヨキイも一枚かんでいたか)

 サキイは後でヨキイを責めたててやろうと思った。

 ガンザンはソウイ、テルイに視線を移した。ソウイもテルイも(ひっ)と心の中で叫んだ。

 「もちろん、ソウイさま、テルイさまも本堂をお出になる必要はございません」

 ガンザンはギンカの名前をいわない。ソウイがこっそりギンカを見ると、ギンカはけそけそとなにやら作業をしているふりをしている。

 「ヨクさま。もうよろしいでしょう。私に本当のことをお話し下さいませんか」

ヨクはあくまでも白けた目をしている。

 「なんの話じゃ」

 横でテルイがはらはらしているのがわかる。

 「コウさま、長老さまが、モトン族を使ってなにかなさっていることぐらい、とうに気づいています。・・・村の食糧庫からほとんどの食糧が持ち出され、中央に保存されておりました」

 「ほう」

 「持ち出したのは山つきのモトン族でしょう。しかし、コウさま、長老さまの計画なのでございましょう? つまり、こうなることをご存じだった」

 「それで?」

 「そのことは、モトン族には知らされていた。山つきのモトン族でさえ。・・・我々、空人にはなにもいわずに・・・!」

 ガンザンは顔を紅潮させて、こぶしを握りしめた。腕の血管がぐぐっと浮き出た。長老たちはぎょっとしたが、ヨクだけはその顔に微笑みさえたたえていた。

 ガンザンはふっと力を抜き、うなだれて首をゆるく振った。

 「いえ、いいえ・・・。申しわけありません。恨み言をいうためにここに参ったのではございません」

 ヨクは目を伏せてただ聞いていた。

 「とにかく、モトン族はすべて知っていた。その証拠に、各里の空人たちが移動途中でそれぞれモトン族に助けられています。誘導役ならまだしも山つきに。南や東ならば山つきも偶然いることは考えられます。しかし、普段はいるはずのない西と北で、都合よく移動経路にモトン族が現れています。これは仕組まれたこととしか考えられません」

 「仕組まれた?」

 「サイナを遣って仕組んだのはもちろんコウさま。そして、首謀者はヨクさま、あなたさまでございましょう」

 「おまえ、・・・なにを知っている?」

 「なるほど、知るべきなにかがあるのですね」

 「ううむ」

 「私はなにも知りません。見えてきた、のでございます。仕組んだというより準備なさっていた、ということでしょう。ヨクさまとテルイさまはともにひたすら待っておられた。特別な巫女さまの誕生を。ライさま、ヨウさまも特別な巫女さまであらせられた。しかし、もっと特別で強大な、さらに特異な巫女さまを待っておられた。そして十二年前にコウさまがお生まれになった」

 ウルクが昔から気にしていたこと。ヨクさまとテルイさまの「待ち人来たらず」ということば。コウさまをお待ちになっていたということ。しかし、コウさまだけではあるまい。サクさまも特別な巫女さま。おそらくヨクさまがお待ちになっていた巫女さまのおひとりであろう。

 ガンザンはあえてサクには触れなかった。

 ギルは告白した。東浜で十年前から秘密にされてきたサクの疑惑。しかし、それ以上に情報はない。サクはやみの支配者だというのは確実だと、サクがやみに消えてからの状況を考えて、サクがやみひとを操っているというのは確実だと、ガンザンも納得はした。が、証拠はない。なんといっても巫女は、空人にとっては絶対なる存在である。推測でしかないことを、いやたとえ真実であろうと、長老たちの周知のことであろうと、そのような恐ろしいことを軽く口にするほどガンザンは不真面目ではない。

 (ガクウならサクさまの真実を知っていただろうが)

 いまとなってはガクウに訊くこともできない。

 ガンザンは幾度も見続ける夢を思い出した。

 始祖の巫女さまがゲンさまを伴って空人をお救いになった。遠い遠い過去生の記憶。始祖の巫女さまの顔も名前も思い出せない。その後なにがあったのかもわからない。ゲンさまはほどなく空にお帰りになられた。あのままゲンさまがいらっしゃれば、やみは空の国からいなくなったはず。いったいなぜ空へお帰りになったのか。

 夢の続きをどうしても見ることができない。いったいどうしてなのか。それは、いまがその続きだからではないか。なぜなら二千年経ったいま、ゲンさまが空の国に再び降臨なさった。やみは、コウさまとゲンさまのお力で(まさに、あの夢のように)消されている。

 そして同時に、空の国が壊れようとしている・・・。

 とすれば。

 「あるいは、始祖の巫女さまが空の国においでになられた時から、空の国の運命は決まっていたのではございませんか」

 テルイがピクリとまぶたを動かしたのをガンザンは見た。

 「この度の豪雨も、泉谷川の氾濫も、あらかじめわかっていたこと。そしてこれから起こることも・・・。そこにはゲンさまが関わっていらっしゃる。・・・しかし、ゲンさまご自身はおわかりではありますまい。つまり、あの御方は利用されている」

 この話はウルクの入れ知恵だ。さすがに始祖の巫女さまの話までは、俺の夢がなければウルクも気づかなかっただろうが、ヨクさまとテルイさまが特別な巫女さまを待っておられたとか、ゲンさまが利用されているだけだとか、そんなこと俺にはとうていわからなかった。あいつはさすがに察しがいい。ウルクは俺にいった。

 「ガンザン。すべておまえの考えとして話をしろ。俺の名前は出すなよ。なんせご老人たちはからだもかたいが、こころはもっとお固くていらっしゃるんだ。俺じゃ、シワひとつ動かさんだろうさ」

 ヨクは、幼い子供が智恵をしぼっているようなガンザンを慈しんだ。と同時に、なぜ巫女の始祖さまの存在までたどり着けたのか、そこは驚きであった。ガンザンはそこまで勘のいいやつではない。

 「いま起こっていること、これから起こることは、あらかじめ決まっていた。つまり、予言の書に書かれている」

 ガンザンが声を張った。ヨクはここではっとして目を開けた。ガンザンはヨクの確認して続ける。

 「予言の書は噂ではなく本当にある。ヨクさま、あなたさまがお持ちなのですね?」

 ヨクは驚いた。

 

 予言の書、だと?

 予言の書の噂は常に空人の興味の的。しかし、そんなものなど存在しない、ということになっているのだ。なぜここでそのことばが出る? しかも、始祖さまのことまで・・・。まるで予言の書を読み解いたかのような推測。仮にガンザンが予言の書を読んだとて、こやつが読み解くまでに至るわけがない。

 ウルクか。いや、やつは勘はいいが、勘だけでここまで読み解くことはできまい。

 それとも・・・ガクウ。あれが予言の書を手にしていたら、完全に読み解いていただろう。とはいえ、いかにガクウとて予言の書を読んだことはないのだから。いやいや、そのまえにガクウはいまはここにいない。

 まさか、ギルが受胎の夜のことを告白したか。とはいえ、それだけで予言の書との結びつきまで勘づくとは思えない。

 いずれにしてもガンザンごときにここまでいわれたのであれば、もう黙ることはできない。

  

 ここでヨクは観念した。

 「よかろう。では、ウルクとギルを呼べ」

 そこに緊張感のない声が響いた。

 「はいはーい。すでに馳せ参じておりますよー。さすがはガンザン。長老に信頼されていると話が早いなあ。まったくテルイさまもソウイさまもおひとが悪いったら」

 ウルクであった。ソウイはウルクに冗談でも返そうと思ったがことばが出なかった。ウルクが真顔だったからである。その後ろから、ギルが暗い顔をしてついてくる。

 ギンカが厳しい顔をしてギルに問うた。

 「ギル、おまえ、あのことをいうたんじゃな」

 「ぎ、ギンカさま、申しわけありません、あの、それが・・・ええと」

 ギルがいいわけをしようとすると、ギンカは長い手をギルの肩に回して、とんっとひとつ叩いた。

 「責めてはおらん。ここにおまえたちを呼んだのはわしじゃ」

 「え」

 ギルがぽかんとした顔つきでギンカを見つめると、横からサキイがギンカの頭をぽくんとこづいた。

 「やーっぱりか! おかしいと思ったんじゃ。おまえの迷いのない顔つきなど見たんははじめてじゃったからの」

 ギンカはヨクに向き直り、黙ったまま深く頭を下げた。ヨクは口をへの字に曲げただけであったが、その目は笑っていた。

 テルイがヨクにささやいた。

 「ヨクさま。まもなく亥の下刻。授かり岩にコウさまが向かわれます。そのまえにコウさまをお呼びすることはできましょうか」

 テルイはゲンさまを呼ぶとはいわない。痛いほどわかる。確かにチャルラを迎え撃つためにゲンさまはお忙しい。しかし、そういう問題ではなかった。

 ゲンさま。あの純粋さゆえにすべてを聞けば必ずお怒りになるに違いない。そのことが目覚めを呼ぶ可能性が高い。空の国の未来にゲンさまの目覚めは必須。しかし、いまではない。この場でもない。もしもいまここで目覚めを果たされたら。

 ヨクはぞっとした。

 あの御方が空の国の元凶の原点であり、同時に空の国の新しい生をおつくりになる御方であるのだ。

 「いや、よい。長に伝える時機はわしに一存されていたのじゃ」

 今夜、コウさまはいよいよ授かり岩。コウさまの御心を乱すようなことをしたくない。予言の書の話となると、どうしてもあのことをいわねばならない。コウさまが決して口に出されない、あの御方のお名前を。

 ヨクはしゃがれた声ではっきりといった。

 「二千年前、やみひとは滅ぶはずであった。しかし、始祖の巫女さまによって生かされたのじゃ」



 【稲塚書記役による避難名簿より】


 中央避難三日目

 避難者人数(死者・行方不明者)


 【申中刻】小河原五(三十四)


 <中央避難者総数(死者・行方不明者)>


 御前谷一三八(十九)、稲塚一二六(十一)、田野池一一二(十三)、雷山八七(二十)。合計 四六三(六三)

 葛原一一二(二十一)、猪野口九九(十八)、牛飼山九三(十)、猿沢九十(十一)。合計 三九四(六十)

 土橋一二二(十二)、川端九八(二二)、小河原五一(六五)、泉谷七三(二二)。合計 三四四(一二一)

 松浦九七(二六)、瀬戸七三(十五)、六の瀬六九(十)、日出浦四十九(六)。合計 二八八(五七)


 総合計 一四八九(三〇一)



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