村役会議
広い部屋であった。
いちばん奥に高座がある。そこから分かれるようにして丸く二列に座布団が並んでいた。部屋の入口には六、七十がらみの老人、中年の男女、十代、二十代と思われる若者もいて膝をついてかしこまっている。
コウはまん中をすたすたと歩き、奥の高座にすとんと座った。ゲンは後につき、その横に座した。
コウの右手前にガンザン。その後ろに最長老のヨクが座った。そのあと村役たちはそれぞれの決まった位置でもあるのだろう、手際よく並んで座った。
全員がゲンを凝視している。空の神の遣い、伝説の仙獣である。奇跡の存在なのだから、それはもう凝視せざるを得ない。
驚き、歓び、畏れ、憧れ、好奇心。それぞれ強い感情の混じった視線に囲まれてゲンは居心地が悪かった。
ガンザンが口を開く。
「皆、揃ったか」
一同うなずき、その視線はあっさりとゲンから外れた。真摯な視線がいっせいにガンザンに向いた。
「では、はじめる」
人々は目を閉じて合掌した。
静寂が降りてくる。
ゲンはただ見守るしかなかった。
しばらくしてガンザンが声を発した。
「コウさま」
コウは目を閉じていたが、ゆっくりとまぶたを開け、皆の顔を見わたした。信頼と愛情のこもった視線。
「まず、皆に心配をかけたことを申しわけなく思う」
声は部屋の隅々までよく響いた。
「だが空の神のお導きによりこうしてゲンを呼ぶことができた。皆に礼をいう。支えてくれたおかげだ。感謝している」
コウは人々の向かって深く頭を下げると、
「それから昨夜、ゲンが私を助けてくれた」
といってくるりとゲンに向き直った。
「ゲン、昨夜はおかげで助かった。礼をいう」
コウは手をついて深く頭を下げた。すると人々もこぞって頭を下げた。
「いや礼は要らない。それよりサクのことだ」
ゲンは自分から興味を逸らしてほしくて話題を変えた。
「そうだな」
コウはゲンのことばを受けて皆の顔を見まわし、息を吸った。
「昨夜はいままでにない巨大なやみが襲ってきた。そのことは以前から予想はしていたのだ。ゲンがこの地に降りてくれば、やみひとは焦って必ず巨大化して襲ってくる、と。そこで母上にはひとつの計画があった。みずからやみに入り、やみの中で祓いを行い、やみの力を中から弱め、私とゲンが外から一気にやみを祓うという計画だ」
場内は混乱した。
「えっ」
「そんなことができるのですか」
「できたとしてもお命に関わるのでは」
コウが応える。
「その通りだ。私は反対した。だが母上の決意は固かった。そして昨夜ゲンの力も借りて巨大なやみを一散したが、母上はそのままやみから出て来られなかった」
「そんな」
しばらくざわざわと互いに不安の声を出していたが、そのうち人々の視線がコウに集まった。
場が静まったところでコウが口を開いた。
「母上は生きておられる。母上はかねてから、やみに呑み込まれても戻ってくることができるとお考えであった」
「なんと」
「呑み込まれても戻れると」
人々は騒ぎたてた。
これにはゲンも驚いた。あの恐ろしいやみに呑まれても生きて帰れるというのか。
コウは静かに視線だけを流し、左手前に座っている男を見た。
「そうだな、ガクウ」
驚きの目がガクウという男に集まった。その男はゆっくりとコウを見た。間をおいて低い声で応じる。
「・・・はい。さようでございます」
ガクウは色が黒く体格のいい男であった。南麓村の長である。
「ガクウ、そのような大事なことをなぜ我らに報告しない?」
「そうじゃ。長老に報告するのは当然であろう」
よく似た老婆がふたりでまくしたてた。姉妹であり、南麓村の大長老サキイと、その妹で長老のヨキイであった。確かに小言が多そうだ。
「大長老」は各村にひとりである。村長の経歴があり、その後も長老として国に貢献し続けている者が村役たちによって選ばれ、巫女によって認定される。その大長老の一番上にいるものが最長老と呼ばれる。
ガクウは静かに頭を下げる。
「サキイさま、ヨキイさま。お叱りは後ほどお受けいたします。恐れ入りますがこの場ではお控えください」
落ち着いた錆のあることばがガクウの口から放たれた。
サキイとヨキイの方が叱られた子どものように黙ってしまった。他にも「俺だって聞いてないぞ?」という顔が見えたがことばを発する者はいなかった。ガクウのひとことで皆、発言する気が失せたようである。ただ発言はしないものの、納得がいかないらしく場内はざわついていた。
そのようすを確認しながらコウが続けた。
「そうだな。恨み言はあとにしてくれ。ただこのことは仮説なので他言無用だ。皆を混乱させることになる。だからこそいままでも一部の役でしか共有していなかった。これは母上の指示だ。なあ、ガクウ」
「はい。・・・そのとおりで、ございます」
ガクウは顔を動かさずやや視線を伏せて応える。
(陰気なヤツだ)
とゲンは思った。ほかの空人とはどこか雰囲気が違う。
コウは淡々と話した。
「つまり母上は、以前から一部の役だけでその仮説の検証をされていたのだ。ここでわかってもらいたいのは、母上の行動は決して思いつきではないということだ」
場が少しずつ落ち着きを取り戻していた。
「母上は『私の命はすでにないものとし、おまえが空の国を導くように』とおっしゃった。それほどのお覚悟でいかれた。確かにいまのままではやみの力が強くなるばかりで、現状打開のためなんらかの対策を取る必要はあった。そこでこの度の計画実行はゲンがこの地に降りてのちと決めていたのだ。そうすれば最悪の事態になっても国を守ることはできる」
(オレはサクの命と引き替えにここに来たということか)
ゲンは形にならない気持ちを抱えている気分だった。
「ただ最悪の事態ではない。私は母上の仮説は正しいと思っている。母上は必ず生きてお帰りになる」
コウがいい終わるまえにガンザンは腕組みを解き、眉をしかめながらいった。
「ということは呑み込みにあった者たちも生きている可能性がある、ということでございますか」
場内がざわめいた。
コウは考えるようにしてうなずいた。
「可能性の話だ。仮説の域を越えない。重ねていうが他言は避けてほしい」
神妙な顔つきで考えている者や隣同士でささやきあっている者などその反応はさまざまであったが、ガンザンだけが怖い顔をしてコウをじっと見ている。コウはその視線に気づき、目を閉じてひとつ大きく息をついた。
「ガンザン。いいたいことがあるようだな」
「おそれながら」
ガンザンの声は強く響き、皆がガンザンに注目した。ガンザンは前のめりになっていた。
「お話はよくわかりました。確かにいまうかがいましたことには私も非常に驚いております。皆を混乱させるという理由で、いまのいままで秘密にされていたというのも仕方ないことです」
コウはうなずいた。
ガンザンは続けた。
「巫女さまがご存じの真実は無数にあることでしょう。その真実を私どもがすべて理解することは到底できません。ですから、それをおっしゃらなくとも特に問題はございません」
コウはうんうんとうなずいた。
ガンザンはさらに続けた。
「ですが、こと、やみひととの闘いにおいては話が違います」
コウは明らかに「まずい」という顔つきになった。
「私ども村長は巫女さまの動きを把握し、起こる事態を予測し、人々を治める必要があります。ですから巫女さまだけで計画なされるのはともかく、秘密裏に実行なされば人々の不安を駆り立てます。そのことはよくおわかりのことと思いますがいかがでしょうか」
まわりの者たちがうなずいた。
「うむ。それはわかっておる」
「それに私ども村長は、驚くような事実を聞かされても、混乱するようなことはございません。しかも、巫女さまから口止めされていることを、簡単に下役にしゃべるようなことも致しません。そのこともよくおわかりのことと思いますが、いかがでしょうか」
まわりの者たちがうんうんとうなずいた。
「うむ。それもわかっておる」
「でしたら、なぜその計画を事前に私ども村長にお伝えくださらなかったのですか」
「ゲンがこの地にきたらすぐにいうつもりだった。それから皆にいっても遅くないと思っていたのだが」
コウは平然を装っているが焦っているのがよくわかった。
「遅かったではありませんか。サクさまは生きておられると私も信じております。ですがこの地からいなくなってしまわれた」
(ガンザン、やるじゃないか)
ゲンは心の中でほくそえんだ。まわりの者たちと一緒になってうなずいた。
「えーと、確かにそうだが」
「もちろん、巫女さまのお力はお強うございます。しかしいまは非常事態。なにがあってもおかしくはございません。あらかじめお知らせいただければ非力な私どもでもなんらかの形でお手伝いできたはず。サクさまをお助けできたかもしれません。それとも? 相談もできぬほど私どもは頼りのうございますか」
「いや、そうではないぞ。そうじゃなくてだな」
コウは助けを求めて皆の顔を見渡す。しかし、皆したり顔でうんうんとうなずいているばかりである。
ガンザンは口調が強くなっていく。
「サクさまに直接申し上げとうございますよ! お命に関わることを私どもになにも伝えずに簡単に実行なさって。そりゃ私どもの力ではお手伝いにもならないででしょう。ですが、ですが。くっ。サクさま。ヨウさまのときのようなあんな思いはもう」
ガンザンは涙をこらえて息を詰まらせた。まわりには我慢できずに泣き出した者もいた。
いままで心のよりどころとしていた巫女が、どういう理由であれ、ひとりいなくなったのである。ここ十二年のうちにふたりも失ったことになる。死んでいないといわれても不安であることは間違いない。
「ガンザン、わかった。わかったから。すまなかった。私の読みが甘かった。皆、申しわけない」
コウは頭を下げた。
そこで声を発したのはヨクであった。
「これ、ガンザン。いちばんおつらいのはコウさまじゃ。気丈に支えねばならんのは西麓の村長であるおまえじゃろうが。甘えるな」
「はっ。申しわけございません」
ガンザンは頭を下げた。ヨクはコウに向き直った。
「コウさま。ガンザンも自分が情けのうていうておりますのじゃ。お許しくだされ」
頭を下げたヨクを見ながら、コウはいちど息を吐いた。
「いや、いいのだ、ヨク。我ら巫女の傲慢であった」
「さようにいうてもらえばありがたく存じます。さすればコウさま、今後やみひととの闘いにおいてお考えのことがあれば、すべて我らにご相談いただくとお約束いただけませぬか」
「わかった」
コウはようやくほっとした。
「ありがとう存じます」
ヨクは恭しくお辞儀をした。その後ヨクは皆に目を向けていった。
「皆、よいか。コウさまからお約束いただいた。我々は役につくものとして責任ある行動をせねばならぬぞ。ご指示いただいたことは心して実行せよ。相談いただいたことは他言するな。また、長のみが知ればよいこと、長老のみが知ればよいこと、役が知っておかねばならぬことなど、すべてコウさまに判断していただく。知らなかったからといって不平不満をいうでないぞ」
ところどころ震えるような嗄れ声であったが、よく通る低い声でまるで歌を聴いているかのような美しい語りであった。
人々は歌に聴きいる観客のようにしてじっと耳を澄まし、ヨクがいい終えると、口々に返事をしながら頭を垂れた。南麓のサキイとヨキイだけは頭を垂れたまま、お互いの顔を見あわせて首をすくめた。さきほどガクウを責めたてたことを叱られたと察したのであろう。
ゲンは感心した。
ふむ。最長老ヨク、うまいことまとめたな。ガンザンにたっぷり文句をいわせ、コウが謝ったのを確認した後にガンザンを叱り、巫女相手に約束までとりつけ、皆の責任感をあおり、ついでに長老をも遠巻きに叱る。さすがは最長老。自分のことを「死に損ない」などと卑下していっていたがとんでもない。生きる気満々のばあさんだ。
そんなことをゲンが考えていると、ギルが興奮してまくしたてた。
「コウさまっ、では早く計画を教えてください! やみが今後どのように我々を襲ってくるか、我々がどう闘うのか、すでに計画がおありでしょう? 浜としてはどのような行動を取ればいいか」
「ギル、焦るな。コウさまを急かすでない」
ギルをいさめたのは東浜村の大長老ギンカであった。
痩せた背中を丸くかがめるようにして座っていたが、くいっと背を伸ばし、前にいるギルを叱った。
「はっ!」
ギルは躾けられた犬のように黙った。
「まったくうちの長は気が早すぎる。じっと状況を見ながら待つということを、そろそろ覚えてもらわんと。コウさま、申しわけありません」
ギンカは眉をしかめてふうっと息をついた。
「いや、構わぬ。ギルがいると話が早い」
コウは笑顔で応じると前を向き直り、すっと真顔になる。
「ではまず伝えておきたいことがある。・・・やみひとは、このコウを呑み込もうとしている」
一瞬、場が凍りついたかと思うとにわかに騒然とした。
「な、なんですって!」
「そんなことができようかっ」
「そうじゃ! 巫女さまを呑み込むなど前代未聞じゃ」
「しかし、サクさまは」
「それは呑み込まれたのではなく、ご自分から行かれたのでしょう?」
「としても、本来やみは巫女さまに近づくことさえできなかったではないか」
「それだけ巨大なやみ、ありえるのでしょうか」
「どんなに大きかろうとコウさまを呑み込むなどできんわ!」
「そうとも! コウさまはこれまでの巫女さま以上の強大なお力をお持ちではないか!」
しばらく場が収まらず、コウは『だからいいたくなかったんだ』という顔をしていた。
どう説明したものか思案しているコウを見かねてウルクが口をはさんだ。
「まあまあ皆さん、落ち着いてくださいよー。昨夜御所だけにやみが出現し、ゲンさまがコウさまをお助けになったって聞いてるでしょ? その時点でコウさまが狙われていることぐらいわかりそうなもんだ。問題はそこじゃない。ほら、コウさまも困っていらっしゃる」
「だけど信じられません。本当にコウさまが狙われているなど」
「そうじゃとも。いままでそんなことはなかった」
場はまだ混乱している。コウははあっとため息をついた。
ウルクは肩をすくめていたが、ふとゲンを見ていたずらでも思いついたような目をした。
(コイツ、オレになにかいわせる気だな)
ゲンは目をそらした。
ウルクが隣にいるガンザンに耳打ちをし、ガンザンがうなずいている。
(こら、ガンザン、納得するな)
ガンザンはコウに歩みより、小声でなにか話していた。今度はコウがうなずく。
(あー、もう。コウまでうなずくな)
ゲンの思いをよそにとうとうコウはゲンにささやいた。
『ゲン、昨夜のことを話してくれ。特に長老は過去に例がないと信じないんだ。おまえがいうのであればきっと信じる』
ゲンがうなずく番だった。
(正直に話すぞ。どうなっても知らんからな)
コウが凛とした声を出す。
「皆、聞いてくれ」
皆がはっとしてコウを見た。
「昨日私が狙われたことをゲンから説明してもらう。そうだな。ゲン」
皆の視線がゲンに向けられた。
「そうだ。確かにやみはコウを狙っていた」
低い声がずしんと響き、人々は足もとから納得させられた。おお、という嘆きに似た声があちこちであがる。ゲンは続けた。
「コウが光を発するときはやみは近寄ることもできず、一散されてしまう。コウの祓いの力は強力だ。しかし昨夜は巨大なやみが次々に襲ってきた。以前のやみの力がどうであったかオレは知らないが、あれが何回も続くようではコウとて危うい」
声は異様に響きわたる。
「おまえたちにとってコウは万能の巫女と見えるか? オレから見ればコウはまだ小さな子どもだ」
顔を見あわせる者、眉をひそめる者。
(少し威圧的だったかな)
ゲンは声を柔らかくするよう気をつけた。
「これはサクがいっていたことだ。いまは『大巫女』がいない。コウにいくら力があってもしょせんはまだ十二歳の小さな子ども。コウが受胎を迎えるまえに決着をつけようとしている、と」
はっとする者、視線を下に向ける者。
どうやらサクの名を出したことで少しは受け入れられたようだ。その結果にゲンは満足し、ついでに自分のことも正直に告白してしまおうと思った。
「いっておくがオレはこの国のことをよく覚えていない。伝説の、と騒がれているようだが、実はオレにはなんのことだかよくわからない。自分の力さえまだうまく使えない」
場が一瞬固まった。とまどった顔がいくつも見られる。「伝説の仙獣」自身の口からその肩書を否定するような発言があったのだから、とまどうのも無理はない。
「コウが受胎前であるとか、オレが力を使いこなせないとか、やみの連中がどれだけわかっているかは知らない。だが最近のやみは変質しているんだろう? だったら、わかった上で早い段階で攻撃をしてくると考えた方がよかろう」
場は水を打ったように静まり返ってしまった。
(いかん、志気が下がったか)
コウが慌ててあとを続けた。
「皆、安心せよ。ゲンが強いことはいずれわかる。とりあえず私のいいたいことがわかってくれたようで良かった。話を進めるぞ」
皆はうなずき、やっと場が落ちつく。
コウはガクウに声をかけた。
「ガクウ、なにか考えがあるのだろう」
ガクウはコウに一礼し、
「はい。それでは申し上げます」
というと、からだの向きを変えて座り直した。
「やみひとはコウさまを狙うことでコウさまの動きをとめ、その間に各村で空人を襲うはずだ。皆がいうとおり巫女さまを呑み込むことはいままではなかった。しかし不可能ではない。それだけ強力なやみの力が必要なだけなのだ。昨夜はその力を使ってきたということだ」
「じゃあ、やみがコウさまを狙うときはほかで空人を襲う力は大きくないのでは?」
ガクウの横にいる若者がたずねた。この若者はガクウの子でイツキという。ガクウに似て色が黒く、体格がいい。つぶらな黒い瞳がきらきらと輝き、若さを象徴している。ガクウも若い頃はこのような目をしていたのかもしれない。
「おそらくそのように推測されるが油断はできない。今後やみの力はもっと強くなることが考えられる。したがって我々がまず手掛けることは、各村に数か所の避難所を設け人々を非難させることだ。そうすれば各避難所に祓い師を十名以上派遣できる。これで呑み込みの被害を最小限に食い止める。二番目にすることは・・・」
ギルがかぶせるようにことばを投げた。
「えっ、ガクウ。そんなことして村人の仕事はどうするつもりだ」
ガクウは静かに応じた。
「非難するのは夜だけだ。昼間は仕事ができる」
「だがっ、避難所から毎日仕事場に通うことになるんだっ。村人の負担が大きすぎる。それに農作物だってまともに収穫できなくなるんだぞっ」
「非常事態だ。やむを得まい。いざという時は各村の備蓄分を使うことも考慮している」
「それはそうだが、しかしできるのか。いや、全員は無理だ。だいいち、みんな納得するだろうか」
ギルは独りごとを唱えるようにいった。
「私は、空人が生き抜くためになにをすべきかについて伝えている。できない理由などいくらでもあるものだ。それに心をとらわれるべきではない。いまは空人が『呑まれないこと』を優先してすべきだ」
低い声であるが威圧的ないい方であった。場が緊張している。
ゲンはガクウという男が少しわかってきた。こいつは冷静に物事を考える質なのだろう。空人は底抜けに明るいヤツばかりと思っていたが、そうでもないらしい。またそういうヤツもいないと国は成り立たない。
ウルクが細い目をまぶしそうに細め、あごをなでながらなにがうれしいのかにやにやして発言する。
「うん、まあそうだよね。まずからだがないと農作物の収穫もできないわけだし。各村でみんなで合宿って思えばいいんじゃない? そうだねえ、『祓いの教習強化合宿』だね」
ギルはウルクのことばを聞いているのかいないのか、ぶつぶつと独りごとを続け、ガンザンはまったく口をはさまず腕を組んで黙っていた。
ガクウの話が続いた。
「二番目にすべきことは空人全員の祓い能力の底上げだ。そのウルクの案をいただこう。各避難所で祓いの教習をすればいい。そう考えれば避難所は各里にひとつがいいだろう。里単位であれば里役も祓い師も動きやすい。医療班も里単位で配属している。彼らには各避難所に向かうように私から伝える。それでどうだ、ガンザン」
ガンザンは腕をほどいて口を開いた。
「よし、早急に実施しよう。避難場所については各村でそれぞれの里長と話し合って決めよ。それから、ウルク。避難所での行動規範と祓いの学習計画を作成し、ガクウに渡すように。ガクウ、それを体系化して整え、今日中に皆に伝達してくれ」
ウルクは(あーあ、やっぱりね)というような顔をして、
「はいはい」
とわざと大きな声でいった。前列にいる長老の中で眉をしかめる者が何人かいた。ふざけたいい方をしたウルクが気にいらなかったのだろう。
ギルはあわててつけ加えた。
「ガンザン! これだけやみの力が増幅してはやみひとは夜だけでなく、夕方も出現するぞっ。山奥とか地中、海の底とか、自然の多いところは日中だってあぶない。行動を厳しく制限するよう伝達書を書いてくれ。あ、心構えとか正しい逃げかたとかもきちんと書いてくれよ。東浜は特にそうだ、ですね、ギンカさま」
ギンカは厳しい顔をしてうなずいた。
ゲンはギルがまたギンカに叱られるんじゃないかと、内心はらはらしていたので少し拍子ぬけした。はらはらしていたのはどうやら自分だけらしいとも理解した。つまり東浜村の空人はやみひとの認識が低い、ということか。それともそれだけ厳しい自然があるということか。
ガンザンも深くうなずいた。
「ギルのいうとおりだな。ウルク」
と、ガンザンが声をかけると、ウルクは、
「はいはい。やりますとも」
とため息まじりである。長老たちはウルクをにらんでいるが、ウルクはまったく気にしていない。口笛でも吹きそうな勢いである。
もうひとり、のほほんとしている男がウルクの前にいた。この男は北麓村の長老ソウイである。ソウイはなにやら思いついたように補足をした。
「西山の奥、地中深いところにやみの拠点があるというのが昔からのいい伝えですからなあ。そして高いところ、つまり空には近づけん」
皆がうなずく中でゲンもうなずいた。
「で、人里、空中の高いところにいることが望ましい。そのために羽犬を育ててきた。羽犬を持っとる者はできるだけ羽犬を連れて行動することも付け加えたほうがよろしかろう。全員が羽犬に乗れれば問題ないのじゃが羽犬は人数分おらん。ま、いちばんいいのは空で生活することですな」
ソウイとウルクが同時に、あはは、と笑った。しかし他に笑っている者はいなかった。横にいる老婆があきれ顔でソウイをにらんだ。この老婆は北麓の大長老でテルイという。
「ソウイ、冗談をいっている場合ではないぞ」
ソウイは肩をすぼめてウルクを横目でみた。ウルクはぷぷっとふき出した。
「ほんにおまえたちは。少しは緊張感を持たぬか」
テルイは声を荒げているわけではないが厳しさが伝わった。とうとう我慢できずに戒めたという感じである。
ガンザンもウルクをたしなめる。
「ウルクも一緒に笑うな」
ウルクはおどけて見せた。ソウイという長老は悪びれず笑っている。
「いや、失敬、失敬。ただ、そう考えればおのずとできることが見えてくるじゃろう」
コウは笑顔である。
「ソウイのいうとおりだな。テルイ、ガンザン、そう怒るな。で、ガクウ」
「はい」
「まだほかにいいたいことがあるんだろ?」
「ですが」
「遠慮することはない」
「それでは申し上げます」
ガクウはあっさりと話しはじめた。
「まず、コウさまとゲンさまに日没から日の出の間、各村を見まわっていただきとうございます。おふたりは別行動でゲンさまには村役がつき案内申しあげます」
するとガンザンの横にいる青年が質問してきた。
この青年はガンザンの息子、タイシであった。西麓の長補佐を務めている。
「ガクウさん、ゲンさまはコウさまのそばにいていただいたほうがいいんじゃないですか? コウさまは巨大なやみに狙われているんでしょ? だったらゲンさまの力で守ってもらったほうがいいですよね。コウさまがおひとりで村におられるときに巨大なやみが襲ってきたら、村人はとばっちりではないですか」
ここでガンザンがタイシの頭をげんこつで、ごつん、と殴った。タイシは「あたっ」といって頭を押さえた。
「タイシ! まったくおまえはなんてことをいうんだ」
「父さん、そんなに思いきり叩かなくても。だって考えられることでしょう。みんなだって心の中では思っていることなんじゃないですか。はっきりいったほうがいいですよ」
「いいかたを考えろっていってるんだ。ばかやろう」
「ほら、父さんだって思ってたんじゃないですか」
「この・・・」
ガンザンの顔が紅潮している。まわりからくすくすと笑い声があがっている。どうやら恒例の親子喧嘩らしい。
ウルクはくつくつと笑いながら、
「タイシ、おまえの疑問は正しいぞ。ガンザン、まあ落ち着けよ」
といってガンザンをなだめた。ガンザンはウルクをじろっとにらんだ。長老たちもウルクをにらんでいる。
ウルクは気にもとめず、
「タイシ、いいか。よーく考えてみろ」
と軽い調子で話しはじめた。
「巨大なやみが来てコウさまを狙うとする。するとコウさまはそのやみを祓われる。おまえ、コウさまの祓いの力はかなり広範囲に渡ることを知ってるだろ。たとえばおまえがコウさまの近くにいたとする。するとおまえを襲おうとしたやみひとも祓われるんだ」
タイシは首をひねってまた質問した。
「でも次々と巨大なやみが襲ってくるって、さっきゲンさまがおっしゃったじゃありませんか」
ウルクは、その答えを予想していたかのように、即応じた。
「そうさ。そのたびにコウさまは祓いの光を出されるんだ。つまりそのたびに俺たちは助けられるのさ。だから、ちょいと祓いの力を持っている空人の近くにいるよりは狙われているコウさまに近くにいたほうが安全なんだよ」
「あ、そうか」
タイシはあっさり納得した。
「だからな、コウさまの近くにいてやみに呑まれるとしたら、コウさまが祓いの光を出されなくなったときだ」
「え」
「つまり、コウさまがやみに呑まれたときなのさ」
テルイが身を乗り出して、ウルクの頭を扇子の角でバチッと叩き、
「ウルク、縁起でもないことをいうな」
と厳しくいった。ウルクはぺろっと舌を出している。ところがタイシは納得の顔をして、
「なるほどー」
とうなずいている。ガンザンが再びタイシの頭をげんこつで、ごつんっと殴る。タイシは「あたっ」といって頭をおさえた。
「父さん、おんなじところを殴らないでください。だいたいコウさまが呑まれるはずがないでしょう。コウさまを信じていないからそうやって腹が立つんじゃないですか」
タイシはそういってガンザンをまっすぐに見た。
(面白いヤツだ)
とゲンは思った。
ガンザン、怒りで我を忘れて会議の軌道修正ができないか。タイシはガンザンの息子らしいがあまり似ていないな。母親似か。色が白く、ふっくらとした頬にえくぼができる。まつげが長く瞳は黒く大きい。顔といい、態度といい、人を喰ったようなところがありながら、どこか子どもっぽい素直さがある。こいつ、きっと女にモテるんだろうな。ガンザンに似ているとしたら鼻筋がとおっているところぐらいか。
ゲンはコウのようすをうかがった。コウは片膝をたて膝のうえにを肘をついて頬杖にしていた。コウのことでいろいろな議論がなされているにも関わらず、話を聞いているのかいないのか眠そうな顔をしている。
(こいつはまた、なにを考えているのか)
ガンザンが軌道修正できないので、ギルがいらいらしてきたらしく、
「で? おい、ガクウ、まだ続きがあるんだろ。早くいえっ」
と、つばを飛ばしながらいった。
ガクウはうなずいた。
「皆、ウルクのいうとおりだと思ってほしい。実際はひとつの場所に全員がいることが望ましい。つまり、コウさまとゲンさまがおられ、祓いの力が強い役の者が多数いるところ。そうすればやみが総力を持って『呑みこみ』にきても必ず勝つ。犠牲も少なくすむ。しかしそれはいまの状況では無理だ。だからその状態に近づけるための避難所なのだ。これからはやみがコウさまを狙うと同時に複数の場所でやみひとが出現するだろう。だからこそ、コウさまとゲンさまには別行動で警邏していただく必要があり、我々は個々の祓いの力を強化する必要があるのだ」
ガンザンは気持ちが落ち着いたのか、再び腕組みをして指示を出した。
「村人は全員、日没までに避難するよう指示。食糧は里の備蓄庫から調達する。そこでウルクの作成した学習計画にしたがって、なるべく全員に皆に祓いを学ばせよう。早速、里長に伝達し、場を整えるよう伝えよ」
ことばに力があり、さきほど真っ赤な顔とはまったく違ったガンザンがいた。場がびしっとひきしまり、全員が「はっ」とかしこまった返事をし、頭を垂れた。
「ガンザンどの。祓い具を増やす必要がありましょう」
声をあげたのは中年女性だった。
この女性はギルの妹でカラという。議事録を執っていたらしく、いままで下を向いていることが多かったが、さっと顔をあげた。ギルとは違った落ちついたまなざしで、低い涼しげな声が心地よかった。
「ううむ」
ガンザンは一瞬、顔を曇らせたが、コウに向き直った。
「コウさま、祓い具は」
「すぐに準備する」
コウは即座に答え、頬杖をはずした。
「ありがとうございます」
ガンザンはガクウ、ギル、ウルクを見まわした。
「至急、各村で必要な数をとりまとめ、報告時間は日の入りまで。各村、よいな?」
村長たちはなにやら不安な表情でうなずく。
ゲンはいぶかしく思った。
(あのウルクでさえおとなしい)
するとコウが少し息を吸って、ゆっくりと答えた。
「いや、それは必要ない。空人全員分を新たにつくる」
「えっ」
皆がどよめく。
ゲンにはそのどよめきの理由がさっぱりわからない。
「コウさま、お札、護符、数珠、すべてにおいてでしょうか」
「そうだ」
「コウさまおひとりで?」
「そうだ。私以外誰がいるというのだ」
コウはあきれたような顔をしてあっさり答えたが全員に緊張が走っている。
(どういうことなのか)
ゲンだけがきょとんとしていた。
「コウさま、おからだは」
「三人の巫女さまがいらっしゃる時でもかなり体力を使われるというのに」
「そうですよ、コウさま。やみひとに狙われているのに」
「毎晩見まわりをせねばならんのですよ? いくらコウさまでも病気になられる」
ゲンは納得した。かなりの体力を消耗する作業なのであろう。
コウは切れ長の目でぎろっとまわりを見わたした。
「おまえたち、私を誰だと思っているのだ」
居あわせた者全員が(しまった)という顔をした。ゲンがそのようすを不思議そうに見ていると、コウがゲンを横目でにらんできた。
「だいたい、ゲン、おまえが悪いんだ」
「え」
ゲンにはなんのことかわからない。
「私を『小さな子どもだ』などと」
「ああ、それか」
でも小さな子どもに間違いはないだろう、と反論しようとしてゲンは思いとどまった。
(空気が重い)
この場全体がコウのことばだけを待っているように思えた。
「まあ、からだは子どもだ。だが」
コウはそういったあと、すっと前を向き、
「私は、空の子、コウである」
といい放った。
一瞬で場が静まり返った。
コウは冷たいほど真顔であった。
「母上はやみに入っていかれ、一時的にせよ、このコウがこの国を統べることになった。私はこの地に生を受けて十二年しか経っていない。そのことで皆、不安や不満もあろう。しかしその短い間でも、皆がこれまで家族をやみに呑まれ、つらい思いをしてきたことはよく知っている。私についてきてほしい。必ず空の国を守る」
青い瞳が美しい。ゲンはまたコウの瞳に惹き込まれ、からだが痺れた。
どれだけ時間が経ったろう、わずか一秒だったかもしれない。
正気に戻り、場内をみると時がとまったように皆も惚けている。
ゲンは息を呑んだ。
場の空気がこのうえなく澄んでいる。そのなかで気の粒子たちが鈴の音を鳴らしているように思えた。
ガンザンがはっと気づき、コウに向かって手をつき、深々とお辞儀をした。
「コウさま、精いっぱいついてまいります。よろしくお願いいたします」
すると皆がそれにならった。場内にざざっと手をつく音がした。皆が一同に頭を深く下げ、まるで舞踊でも見ているようであった。
たとえ先が見えなくても、英雄は神を信じ、神に与えられたみずからの力を信じ、壮絶な決意を持って人々を導く。確かにこの国は小さく、コウという少女も小さい。しかしこの小さな少女も間違いなく英雄の道を歩んでいる。
コウとゲンはとりあえずガンザンの屋敷の一室で睡眠をとった。人が休む部屋としてはかなり広いその部屋は、ゲンの毛で覆い尽くされ、コウはその毛の上でうずくまるようにして眠った。
ゲンのからだはさほど長い時間の睡眠は必要ではないのか、早くに目覚めた。頭痛がひどい。ゲンが肉体を充分に使いこなせていないことも理由のひとつだろう。
通常は肉体がこの世に生を得るのと同時に意識体が入るが、今回のようにできあがったからだに入ることもある。が、そうなると頭痛や吐き気、発熱などの不具合が起こることもある。ましてや特殊能力を持った獣だと使いこなすのも時間がかかる。
コウはゲンの腹部のあたりで死んだように眠っている。ゲンの光がコウを包んでいた。
(この光でコウもずいぶん癒されることだろう)
ゲンはその姿をぼうっと眺めていた。さすがに昨夜の闘いでは疲れたとみえる。その顔はやはり「小さな子ども」である。
これからやみの襲撃はいつくるのか、どんな方法でくるのか、ゲンにはまったく予想がつかなかった。だがコウはある程度わかっているのだろう。この小さなからだで国の危機を守っていくのだから、並の意識体ではできない。
おそらくコウの意識体は「仙人」であろう。生まれの星が同じだと目を合わせれば「仙人」だとお互い認識できる。星が違うとはっきりとはわからない。
普通の人体に仙人の意識体が宿るというのはたいへんなことだ。
ゲンも昔、人のからだに宿って働いたことがあるが、そのときは仕事ができずに苦労した。どちらかというと動物のからだに宿ったほうが仕事はしやすい。この星も同じような状況だろう。
ゲンはコウの幼い寝顔を見ているとあわれでならなかった。
(この子を守りたい)
と切に感じた。
それが今回の使命だからそう感じるのか、コウが小さいからそう感じるのか、ゲンにはよくわからない。しかし、うえから決められたことだろうがそうでなかろうがそれはどうでもよかった。正しかろうが間違っていようがそれもどうでもよかった。
(たったいま、この時点で自分自身がそう決めた。それでいい)
ゲンは安心したように目を閉じた。




