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空の子  作者: そうじ
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中央避難一日目

 中央避難の指示が出されたその日、ゲンは中央の一室で悶々としていた。

 ゲンは不満であった。なぜならコウが出発前に、

 「おまえは中央から出るな」

 と指示を出したからであった。当然ながらゲンは不満をぶつけた。

 「泉谷川付近の里は大変なことになっているんだろう。オレまで中央避難してどうするんだ。それに、やみひとだって里によっては出ることろだってあるんだろう。なんでオレがここにじっとしていないといけないんだ」

 しかし、コウは気にもとめず、さっさと出かけてしまった。

 ゲンの横にはヨクがついている。ヨクは稲塚に住んでいるので、中央は自分の里みたいなものであり、昼過ぎには中央にいた。しかし、ヨクの取り巻きたちがいない。取り巻きの老女たちは、ヨクの身辺警護をゲンに託して、今夜集まる避難民のための準備で忙しくしていた。

 ゲンは、すべてはコウの指示によるゲン自身の幽閉だと気付いていた。今夜は中央にやみが出現しないと誘導役が報告していたのを知っている。いったいなにがヨクを襲うというのだ。が、身辺警護だといわれ、簡単に外に出ることはできない。ゲンはそんなお人よしの自分にも腹が立っていた。

 ヨクは落ち着いた表情でゲンの隣に座り、茶をすすっている。

 (まるで監視役だな)

 ゲンはとうとう怒りを声に出した。

 「なんでオレがここにいなくちゃいけないんだ」

 「ゲンさま。おそばにおるのがこんなばばではご不満でございましょうが、若いものは皆、いろいろと忙しいのでございます。人が集まれば若い者も増えますし、そのうち、若い女子をゲンさまに付けることができましょう。それまでご勘弁下さい」

 「若い女子を付けろといっているのではない!」

 「これは失礼いたしました。では、若い男のほうがよろしいので」

 「そうじゃなくて!」

 ゲンの怒りをよそにヨクはかっかっかっと大声で笑い出した。まわりで慌ただしく働いている者たちがぎょっとして足を止めた。

 「ゲンさま。そうお怒りになりますな。もどかしい思いは私とて同じこと。コウさまがおっしゃったことは覚えておいでなのでしょう」

 「むろんだ」

 ゲンはコウのことばを思い出した。

 人が集まっている中央の地にチャルラが現れるかもしれず、チャルラに対抗できるのはゲンだけであり、中央に待機する必要がある、ということ。さらに雷雨が突然止んでやみひとが出現することも考えられ、その場合に対応するためである、ということ。

 しかし、ゲンは納得していなかった。

 「この雷雨が突然止むとは到底考えられぬ。今夜、中央にはやみひとが現れないと誘導役がいったではないか。チャルラはやみひとではないがからだにやみを纏っているんだぞ。現れるわけがなかろう」

 ヨクは茶をすすりながら答えた。

 「コウさまは、最悪の状況を推測しておられるのです。やみひとはともかく、チャルラという存在がいかに厄介か。そのことはゲンさまがいちばんご存じでございましょう」

 ゲンははあっとため息をついた。

 「わかった。もういい」

 ゲンはすっくと立ち上がった。ヨクがはっとして声をかけた。

 「ゲンさま。どちらへ」

 「外を見てくるだけだ。すぐ戻る」

 「さようで」

 ヨクはほっとしたようすで腰を落ち着けた。

 (オレを中央に閉じ込める理由はなにか)

 ゲンは外へ出た。

 時刻は酉の下刻。

 松浦、猪野口、田野池の里の者たちは、一部の役を除いてすでに避難が済んでいる。次に避難してくるのは、御前谷、瀬戸、葛原の者たちであった。

 雨が激しく降っていた。時折、雷が鳴っている。ゲンは庭に出て強い雨に打たれていた。

 そこへ、つうと羽犬が降りてきた。シャシャであった。もちろん背中にはサイナを乗せている。

 「ゲン! ひさしぶり!」

 「なんだ、サイナか」

 「あれ、なんか怒ってる?」

 「まあな」

 いつもならシャシャの機嫌をこっそり窺って、不機嫌度を楽しんでいるゲンだが、今日はシャシャのようすを窺う気にもならない。見もしないシャシャの顔がこのうえなく忌々しく思えた。シャシャもそういうゲンを察知し、いつもより不機嫌な顔で着地し、ふんっと鼻を鳴らした。

 サイナはそんなふたりに首をすくめた。

 「ふうん。ここに待機していることが不満なのね」

 「ああ、そうだ。そうだろう? 人が溺れて死んでいるかもしれないんだ。そんなときになんでオレはここにじっとしていないといけないんだ。コウのやつ、なに考えてるんだ」

 ゲンは思わず怒りをぶつけた。

 するとサイナは白けた目をしてため息をついた。

 「あなた、幸せね」

 「は?」

 「自分を誇示したいんでしょう? だから目立った行動をしたいのね。そうしないと面子にかかわるってことでしょ?」

 「ち、違う!」

 「ふうん。本当は行動を起こしてはいけないってわかってるくせに」

 「わかってる? オレが?」

 「そうよ。だからいまここにいるじゃない。ここで動かないのは誰のせいでもない。あなた自身が決めたことよ。それなのに面子を気にして誰かのせいにするの? そんなに偽善者になりたいの?」

 「な・・・」

 「知ってる? ホンモノの偽善者って、自分が偽善者だって気づかないんだって。だから、幸せっていったのよ」

 ゲンはびくっとした。以前どこかで聞いたような台詞であった。

 (あ、チャルラだ。昔、チャルラにいわれたことがあった。そのときオレは逆上して・・・)

 「ま、この国では正解かもよ。だって空人は偽善者ばかりだもの。偽善に気づかなければみんなが幸せになる。あなたが自分を正当化してコウちゃんのせいにしたところで、みんな気づかないしね。それどころかあなたの株が上がるかもね。『ゲンさまはさすがだ』なーんてね。あはは」

 「なんだと」

 「ほうら、怒った。偽善者で、正当化が得意で、責任逃れ。的を射たことをいわれると、本当の自分に気づくのが耐えられないから、怒りで相手を威圧する」

 (くそ! チャルラにだってここまでけなされたことはないぞ)

 ゲンは黙った。

 「ああ、そういえば聞いたことがある。怒りはあなたがやみを消す時の原動力ってね。だったら、ゲンが怒っても誰も文句はいえないってことねえ。だって空の神から頂いた力なんですもの。ねえ? そうでしょう。責任逃れの究極のことばを教えましょうか。『天から与えられた使命なのだ』。どう? あなた、しょっちゅう使ってるんじゃない? なんてったって空の神の遣い、白狼犬さまですものね」

 サイナは次々と毒を吐いた。おしゃべりだとは知っていたが、ここまで毒を吐くことにゲンは驚いた。しばらくは呆気にとられてサイナの毒舌を聞いていたが、つい、

 「おまえも機嫌が悪いんだな」

 と口をすべらせてしまった。

 サイナはぐっと口をつぐんだ。

 (サイナ、怒ったか)

 しかし、サイナには怒りの表情はなかった。疲れを帯びた表情であった。

 「別に。機嫌が悪いわけじゃない。頭の中を整理していただけ。ゲンって空人と良く似ているから分析しているの。そういう世界もあるってこと、否定はしない」

 サイナはさっとシャシャにまたがると、シャシャがふんっと鼻を鳴らした。ふたりは、ばたばたと音を立てて降りしきる大粒の雨に打たれながら、空高く飛んだ。

 (あいつ、空人とモトン族のつなぎだしな。苦労しているのか)

 ゲンはしばらくその姿を見送りながら、サイナにいわれたことを反芻していた。一つ一つのことばがずきずきと胸に響いた。反芻が終わるとなぜかシャシャの不機嫌な顔が思い出され、無性に腹が立った。

 「ええいっ!」

 悔しいがすべてその通りだ。

 しかし、その中でどうしてもひっかかることばがあった。

 『本当は行動を起こしてはいけないってわかってる』

 オレは本当はわかっているということか。

 この胸騒ぎはなんだ。なんでこんなに落ち着かない? そのくせ確かにそうだと納得している。

 オレは知っている。が、思い出せない。なにかとても大事なこと。たぶん、イライラする原因はそれだ。

 あの赤い朝焼け・・・。

 あれから胸がざわざわしている。思い出したい? いや、本当は思い出したくないんだ。思い出すのをオレ自身が止めている。受け入れられないほどの事実。そして、コウもヨクもおそらくそれを知っているに違いない。

 オレを中央に閉じ込める理由。チャルラの存在とか、サクがやみの支配者であるとか、そのレベルの問題ではない。もっと深刻な、絶望的な。遠い、遠い記憶。しかし、思い出せない。

 そう、オレはこの国にいてはいけない気がする。なにかが起こる。

 ―――なんだ、また怖がってんのか?

 ああ、怖いさ。だがな、怖いってことがどうしていけないんだ。オレがいるからいろんな事件が起こるんだろう。チャルラだってそうだ。あいつはオレの因果だ。オレがここからいなくなれば、あいつもいなくなるはずだろう。

 ―――また、逃げるの?

 逃げてなにがいけない。コウもヨクもすべてを知っていながら、オレにはなんにもいわないんだ。あいつらはただオレを利用したいだけなんだ。こんなことにいられるか!

 ―――あんた、成長しないね。

 うるさい! 黙れ!

 ・・・またか。またオレは誰かと話をしていた。ずいぶん心が乱れている。

 なんだかここは迷いの廊下のようだ。天井にはいまにも落ちそうな黒い雲が立ち込め、激しい雷の音、豪雨の壁、先の見えない視界。単調な音の世界。

 「こんなところでじっとしているから余計なことを考えるんだ。変な声が聞こえるし! くそう、なんといわれようと小河原に行く!」

 ゲンは吐き捨てるようにいって飛び立とうとした。が、からだが動かない。

 「ええい! オレを止めているのはおまえだろ! オレを動かせ! なんとかいえ!」

 ―――さっき、黙れっていったくせに。

 「うるさい! おまえはいったい誰なんだ!」

 ―――あーあ。やっぱり忘れているんだね。ま、期待してなかったけどさ。

 「おまえなんか知らん!」

 ―――あんたさ、自分のことばっか考えてっからまわりが見えないんだよ。ほら、見てみなよ。

 「あ」

 ぞくぞくと里人が中央の地に入ってきている。疲れきった足取りで、互いに支え合うようにして歩いてくる。その中のひとりの男がふらふらと列から離れていったかと思うと、頭からゆっくりと地上に落ちていく。ゲンは思わず駆けよった。

 「ああ・・・、ゲンさま」

 その男はばったりとゲンので中に倒れ込み、気を失った。

 ゲンはやっとまわりが見えた。

 たくさんの人々が疲れはて、力もなく、ゆらゆらと歩いている。病気の者、老人を背負っている者たち。羽犬を持たない貧しい者たち。その者たちを支えてきた里役たち。子供をしっかりと抱いて歩く母親。

 幾人かは安心したようにゲンのからだに倒れ込んだ。

 そこへ、青黒い作業服を来たものたちが駆け込んでくる。そのなかにひときわ色の白い娘がいた。その娘の顔は自ら光を放っているかのようにまぶしかった。娘の小さな顔から放たれる光が目立つほど、ゲンのからだは光を失っていた。ゲンは娘の放つ光から視線を外すことができなくなった。娘は大声で指示をしている。

 「歩けない者を診療堂へ運んで! 歩ける者は講堂へ!」

 娘の細いからだに似合わない、太い声であった。豪雨で、敷き詰められた芝が滑りやすい。娘はずるっと滑って、みじめなほどにばったりと倒れた。

 (なんて情けない)

 ゲンはおかしくなって駆け寄ろうとしたが、娘はすぐに立ち上がった。娘は一度ゲンを見たが、すっと目を逸らし、たったっと歩いた。まるでゲンなど眼中にないとでもいうようだった。確かにそうであったろう。もはや光を失っているゲンなど無害な獣でしかなかった。彼女の目に映っていたのは、その向こうにいる、倒れそうな避難民たちである。

 娘の顔は大半が泥に汚れ、長い髪が頬にびったりとついている。なのに、娘はぬぐおうともしない。どうでもよいことなのだろう。もしかしたら、さっき転んだことさえ覚えていないのかもしれない。ただ自分のやるべきこと、一点のみを見つめているのだ。その表情には無駄がなかった。まるでそこにしか生きる術がないような、すがるような、嘆きにも似た表情。ぞっとするほど汚れのない眼光を前に向け、その眼光がからだを導く。

 (この娘、誰だ)

 ゲンは感動していた。みじめに転んで泥まみれになった娘の表情が、情けないほど前向きな姿が、この上なく美しいと思った。いま、自分が持ち合わせない情熱をはっきりと見せつけられた。果たして自分はあれほど懸命な表情をしたことがあるだろうか。さっきまでヨク相手に文句ばかりいっていたことを恥じた。そのときゲンは、自分のからだから光が放たれていないことにはじめて気づいた。

 「エイリ先生!」

 ゲンの背に寄りかかっていた男が叫んだ。ゲンははっとして我に返った。

 「先生!」

 何人かの医療団の者がエイリに近寄ろうとすると、

 「私は大丈夫。それより、避難してきた人を」

 「はいっ」

 青黒い作業着を来た医師団の者たちが、素直にエイリの指示に従う。エイリは乱れた黒髪をそのままに、雨に打たれながら指示をし、疲れ果てて歩けない者達を励ました。

 ゲンは診療堂まで何度か往復し、病人を運んだ。ゲンのからだは光を取り戻し、その光が病人に癒しを与え始めた。

 診療堂の中は、すっかり様変わりしていて、家具が片づけられ、毛布が敷かれていた。病人を解放している者たちもかなり体力を奪われている。

 医師班の者たちは年寄と若い女ばかりであった。力のある男たちは小河原に派遣されているのだろう。

 ゲンは人々を運び終え、またすぐに外に戻り、避難してきた者たちを誘導し、弱った者たちを運び続けた。次々と避難してくる人々が絶えず、ゲンも医師班のものたちも忙しく動き回っていた。避難してきた者たちの中でも体力のあるものは、看護や食事の準備などに駆り出された。


 ヨクは部屋の隅でそのようすを見ていた。取り巻きの老女たちが戻っていた。

 取り巻きの老女は全部で五名いる。ヨクは、ふいと近くにいる老女のひとりに声をかけた。

「おまえたちも手伝っておいで」

 すると声をかけられた老女は、他の四人にヨクのことばを告げ、自分は残った。 ヨクはふうっとため息をついた。

 「カスミ、おまえも行っておいで」

 カスミと呼ばれたその老女は頑固な表情をして、ヨクの前に膝をついた。

 「我々の使命はヨクさまの『盾』でございます」

 「今日はやみは出んじゃろ」

 ヨクがのんびりとした口調でいうと、カスミは厳しく首を振った。

 「いつなにがあるやもしれませぬ。本来ならあとひとりは残したいところ、ヨクさまのお気持ちを察して、私だけが残ったのでございますよ。ゲンさまやコウさまがお近くにいらっしゃるのならまだしも、いまは有能な祓い師さえおりません。ゲンさまはあの調子でお忙しいようすでございましょう?」

 「カスミ、わしは結構、有能な祓い師なんじゃが」

 「存じております」

 「こんな老いぼれでも、まだ若い祓い師には負けん」

 「存じております」

 「はあ・・・。おまえの気持ちはわかった」

 ヨクは(また始まった)とばかりに、適当に話を流そうとしたが、カスミは許さなかった。

 「いいえ、ヨクさまはおわかりではございません。だいたい、いつもいつも、我々をだまして外にお出になられて、これでヨクさまになにかあったら、タイさまになんと申しわけをすればいいか」

 ヨクは耳の後ろをがりがりと掻いた。

 「わかっとるわい。ふう。・・・おまえのような頑固な女をようもお選びになったもんじゃ」

 ヨクはそういって、杖を撫でさすった。

 「そういうことは、タイさまに直接お伝え下さいませ」

 「ふん。いま、タイさまにいうたんじゃ」

 「ほほう? では、タイさまはなんとお答えに?」

 「教えんわい」

 「我々の行動を、お褒めになったのでしょう?」

 カスミは得意そうな顔をつくって、上目づかいにじっとヨクを見た。ヨクはカスミの強い視線に気圧されたまま、しばらくカスミの目を食い入るように見ていた。

 老女でありながら澄んだ瞳を持ち、その視線をいつもまっすぐに向けてヨクを叱るカスミ。

 「ヨクの盾」の頭であった。「盾」はもともと十人いて、皆、祓いの力を持ってはいたが、最近の強力なやみの力には対応できず、五人がやみに呑まれた。

 (タイさまによって編成された盾たち)

 「そうじゃ。タイさまは、おまえたちの行動をお褒めになった」

 ヨクはカスミの目を見つめたまま静かにいった。とたんに、カスミの得意そうな顔が一瞬、驚きに変わり、それから涙があふれそうになった。

 ヨクは子どもをあやすようにして、カスミの頭を撫でた。カスミはしばらくされるままになっていたが、さっと気丈な顔に戻り、涙をさっと拭いた。

 「いっておきますが、我々も好きでヨクさまのおそばにのおるのではございませんから」

 「わしもじゃ」

 ヨクとカスミは互いに目を逸らした。

 「カスミよ、もう少しの辛抱じゃ」

 「はい」

 カスミは頭を垂れた。

 ヨクは、騒然とした屋敷を見まわした。

 ゲンの姿が見えた。

 半日前まであんなに憤って、外に出せとうるさかったのに、いまは中央で生き生きと動いている。傷を負った人や弱った者たちに光をあてていた。

 穏やかな表情。視線がすずやかでするどい。目を閉じれば厳かな雰囲気をかもしだし、目が開かれれば強く方向性を示唆する。

 そして、彼の放つ光。存在するすべての命への憐みの光。中央の地全体が癒されているようであった。まぶしいばかりの光。空の神の力。確かな空の国の希望。

 ヨクは目を細めて見続けた。見続けざるを得なかった。ゲンの姿はヨクが見据える未来の全容なのであった。

 (あの御方の存在は確かに希望。しかし、その希望は・・・)

 ヨクはゲンから目を逸らした。

 部屋の入口付近に座り込んでいる子どもたちが見えた。

 どうやら小河原の子どもたちらしかった。多少のけがはしているようだが、命に別状がないので放られているのだろう。どの子も呆然とした表情の子ばかりであった。しかし、泣いている子がいない。泣き疲れたか、泣くことさえ忘れるほどの惨劇を見たのかもしれなかった。ここに至るまでにどんな地獄を見てきたのだろう。両親が川に流されたか、それとも、兄弟がやみひとに呑まれたか。

 いずれにしても生きた顔ではない。中央で着替えを済ませ、温かい味噌汁を飲ませてもらってはいるが、心の傷が簡単に癒えることはなかろう。

 (その希望は、破壊と怒りと悲しみの果てにある)

 ヨクは子どもたちを見続けた。見続けなくてはならないと思った。

 すると、ふっと子どもたちの顔が和らぎ、目に輝きが見えた。ヨクは驚いた。あれほどの絶望を表情をしていた暗い目がなぜ突然輝いている?

 そこにひゅうと風が入ってきた。ヨクは目を見はった。

 (はっ。コウさま)

 入口は開け放たれている。

 そこから大股で歩いて入ってくるコウがいた。びしっと決まった姿勢のよさ。腰はぶれず、からだごと、すっ、すっ、と流れるように歩く。からだをとりまく多大な力が清らかな風となって周囲に放たれる。

 風はきらきらとした光の粒子を含み、部屋いっぱいに広がっている。途中でゲンが放つ光に出会うと、光の粒子たちは幼い子どもが笑っているかのようにきらめいた。そしてゲンの光を抱き込みながら、部屋の隅々まで広がった。

 部屋の奥にいたゲンは、気の変化を感じ、さっと入口の方向を振りむいた。近づいてくるコウを見つけ、納得したような顔をしてまた作業にもどった。

 コウはゲンを一瞥しただけで、早足で部屋じゅうを歩き回り、倒れている人々に声をかけ、医師班をねぎらっている。

 ぎりとした顔つき。がっしりとした動かぬ芯というものが感じ取れる。そこにいればおのずと場の中心になってしまう。巫女だからではない。コウという存在だからである。居合わせる者たちの心が沸き立つ、なごむ。太陽のように自らが力を発し、あふれんばかりの気でまわりを圧倒する。自然とその存在を中心にして人の輪ができる。人はその力に庇護を求め、その力の前に畏怖し、心動かされ、そのために生きようと思う。そういう存在なのである。

 コウが歩き進むと、人々はコウを見るために上を向いた。

 病人が上を向いた。

 医師班が上を向いた。

 看護人が上を向いた。

 立って動き回っている者たちもひざまずいて上を向いた。

 ああ、次々と花が開いていくようだ。人の顔はこんなにも光り輝くものか。まさにしおれた花が太陽の光を浴び、太陽に向かって開くように、人々の顔が破顔し、光っている。ヨクの目はコウに吸い付けられるかのようにコウの動きを追った。

 (この御方こそ、大いなる希望)

 コウはヨクを見つけると、さっと手をあげた。ヨクが恭しく頭を垂れると、カスミはすっとからだを引いた。

 「ヨク、いま、帰った」

 「お帰りなさいませ」

 コウはヨクに近寄ると小声でささやいた。

 「ゲンは駄々をこねたか」

 「それはもうお怒りで」

 「世話をかけたな。いまは機嫌よさそうじゃないか」

 「はい。なにがあったかはわかりませぬが、おひとが変わったように」

 「ばかなやつだ。・・・なにか気づいたか」

 「いえ。それはまだ」

 「それでよい。あれが気づいたら厄介だ。なにをしでかすかわからん」

 ヨクはくすりと笑った。

 「で、外の状態はいかがでしたか」

 コウの表情が曇った。

 「泉谷川付近の里は、・・・もうだめだ」

 ヨクはあえて平然と声を出した。

 「さようで。ではゲンさまはいましばらく中央にいていただかなくては」

 「そうだな。・・・それはそうとして例の件だが」

 ヨクは黙った。コウは続けた。

 「ジャクルはなんといっている」

 ヨクは表情を雲らせたまま答えた。

 「推測ではございますが、二日後と」

 「・・・早いな」

 「まったく」

 「場所は、やはり授かり岩か」

 「さようでございます」

 ヨクは恭しく頭を垂れながら、がく、がく、と膝をついた。ヨクの足で膝をつくのは至難の業であった。が、ヨクは膝をつかずにはいわれなかった。膝をついて、コウの顔を見上げた。ヨクの顔も太陽を慕う花となって光り輝いた。

 ヨクにはコウの顔がはかなく見えた。

 (大いなる希望は、こんなにも小さな、こんなにもはかない命から発せられている)

 「どうかご無事で」

 「案ずるな。授かり岩では死なない」

 コウは笑った。


 中央避難一日目は、騒然としていた。

 ぞくぞくと避難してくる者たちを各建物の振り分け、宿舎を確保。怪我をしたものは診療堂に連れて行かれたが、そこは重傷の者が運ばれ、軽傷の者は隣の薬師堂に振り分けられた。

 医療班だけでは対応できず、体力のある者は看護、食糧の配給に当てられた。

 中央の管理は西の担当である。通常ならば御前谷が取り仕切るが、まだ御前谷の役たちが全員そろっていない。緊急措置として稲塚の里が担当し、稲塚の里長をはじめ、里役が現場を仕切っていたが、夜になれば中央の見回り、里の見回りも必要になり、管理する者が手薄になる。年より、女子ども、といった者が多く、若い男たちは各里に残っているか、もしくは他の里の応援に出向いている。

 コウはもちろん中央にじっとしていなく、夕方一度戻って仮眠をとったあと、各村の警邏に出かけている。

 ゲンは人々の治療に忙しく、現場を仕切ることはできない。

 ようすをじっと窺っていたヨクの側にテルイが来た。

 「ヨクさま。お話が」

 「うむ」

 「各里の統制が取れずにおります。村長をはじめ、若い者たちはまだ里に残っている現状です。村長、里長も、臨時に仕切る役を任命はしているようですが、全体を見ることが難しいようです。このままでは・・・」

 「うむ」

 ヨクはテルイがいいたいことはよくわかっていた。だれかが仕切らないと現場がまとまらない。このままでは健常者さえ精神的に弱ってしまうだろう。意識の統一をはかる必要がある。しかもこれから夜になる。 クニ抜けを企んでいるものがいるだろう。それを最小限にとどめなくてはならない。

 「幸い、年寄たちはほとんど中央に戻っており、各里の長老はそろっております。ここは、国の決まりを一時解いて、長老も各里、各村の指揮に当たるようにすればどうかと」

 「ううむ」

 空の国では、いったん役を退いて長老になると現場を取り仕切る権限がなくなる、というのが「掟」であった。あくまでも長の命による動きをとる。もちろん、小河原のように長の力が強い里もあり、内々に長老の指示を受けて動く長もいる。しかし、表だって動くことは禁じられている。特にここ中央で全里の者たちが集まっている時に、長老が指揮を執るなどもってのほかであった。が、そんなことはいってられない状況であった。

 テルイは続けた。

 「御前谷、カシイ。田野池、イシン。稲塚、ミヤ。土橋、ソウイ。川端、セグル。葛原、サキイ、ヨキイ。牛飼山、セイガイ。猪野口は、ゲンカイ。猿沢、コマ。松浦、ギンカ。瀬戸、コザキ。六の瀬、ヤナ。泉谷、雷山についてはまだ到着しておりません。小河原は四十六名到着し、現在はイデアが取り仕切っておりますので、そのままでよろしいかと存じます」

 懐かしい名前が挙げられ、ヨクは時々ほほえんだ。

 「みな、よう生きておったのう。しかし、サキイとヨキイはのう」

 「はい。葛原はサキイ、ヨキイがおりますが、ふたりとも医療に当たりますので、私、テルイが担当致します」

 ヨクは苦い顔をした。

 「・・・総指揮は誰がするのじゃ」

 テルイはにっこりと笑った。

 「それはもちろん」

 「わしか」

 「さようで」

 「コウさまに確認を取らねばなるまい」

 「すでに確認済でございます」

 「なんじゃと」

 ヨクは、さきほどコウと話をしたとき、すでにコウがそのことを決めていたことを察した。

 (おかしいと思った。いくら緊急事態とはいえ、テルイが勝手に担当まで決めているわけがない)

 実は「掟」に厳しいのは巫女よりもヨクであった。厳格だった巫女はヨウぐらいなもので、ライもサクもコウも、あっさり「掟」を無視するところがあった。巫女は基本的に変わり者である、というのがヨクの持論である。サクは「掟など始祖の未練に過ぎない」とよくいっていたし、ライに至っては「掟」を知っていたかどうかさえ疑問である。

 長老は総じて「掟」を重んじる傾向にあったが、テルイは柔軟な考えを持っていた。そういうわけで、コウはテルイを使ってヨクを説得することが多かった。テルイは頭が切れ、行動も早い。ヨクの片腕であるテルイが「あとは実行するだけ」の形を作ってみせれば、ヨクはしぶしぶではあるが必ず納得する。

 ヨクはため息をついて、意を決したようにいった。

 「わかった。そのようにしよう」

 テルイは、改めて膝をついた。

 「ご指示を」

 ヨクは右足の膝をさすりながら少し考えた。

 「では、まずフユウを呼べ」

 「はい。ただいま」

 テルイはさっと立ち上がった。



 【稲塚書記役による避難名簿より】


 中央避難一日目

 避難人数(死者・行方不明者)


 【午中刻】 稲塚一二六(十一)。

 【未下刻】 松浦四二(十五)、川端三七(十五)、田野池一一二、(二十三)、泉谷三(五))、雷山五(九)。

 【酉中刻】小河原三四(二十)、猪野口五六(十)、瀬戸四十(四)、泉谷二(三)、雷山二(一)。

 【戌中刻】御前谷一三八(十九)、葛原七七(十五)、土橋五七(十)、泉谷五(二)、雷山四(三)、小河原二(不明)

 【子の中刻】六の瀬三四(六)、牛飼山三七(八)、猿沢四九(三)、瀬戸五七(十)。

 【寅上刻】川端五(二)、泉谷三(不明)、雷山三(不明)。



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