泉谷の里
泉谷の里から、中央に歩いていけば丸二日はかかる。
貧しい里であるため、泉谷の羽犬の数は少ない。病人や年寄りは、いちはやく羽犬に乗せて中央へむかわせ、残った者たちは互いに助けあうようにして歩いていた。
泉谷川の水位はもう限界だった。少しはずれた小高い丘つづきの道を歩く。起伏が激しいため体力の消耗が激しい。
里長コタイは列の先頭を歩いていた。ふと泉谷川を見て、おかしいと思った。水位が低くなっている。
(下流で決壊したか。川端か。いや、あそこは先だって堤の強化を行っている。とすれば川瀬か)
羽犬が中央から帰ってくるときの指標になるよう、笠には白い布を巻きつけ、蓑には鈴をつけた。白い笠の集団が鈴の音をしゃんしゃんと鳴らしながら塊になって歩く。
道は小河原に続いていた。中央に行くためには小河原から田野池にわたる必要がある。いっきに中央に向かうことは不可能なため、小河原を通りきって田野池の里まで一日で入り、避難所で睡眠をとる予定にしていた。
もうすぐ小河原に入る、というとき、空から羽犬が一頭降りてきた。乗っている者が大声で叫んでいる。コタイの息子、サイトである。
コタイは皆の足をとめた。
「父さん! 川瀬が決壊した! この道はだめだ!」
「やはり。田野池は」
「だめです! 田野池も危ない」
コタイは舌打ちをした。
(どうするか)
引き返すということはできない。コウさまは全員中央に向かうようにいわれた。泉谷はもうだめだ、ということなのだ。
サイトが降りてきた。
「とにかく、引き返した方が」
「いや、引き返すことはならん」
「でも、このままでは小河原も田野池も通れません」
「わかっておる」
泉谷の南隣の里は雷山である。泉谷と雷山の境には険しく高い山がそびえる。雷山の里も泉谷と同様、捨てねばならぬ里である。当然その道はない。
コタイにもサイトにも、残された道がひとつしかないことはわかっていた。
(土橋か。しかし)
土橋は北麓村の中心地であり、羽犬の少ない泉谷の里の昔の里役たちが苦労して一本の道を作った。いまでもその道は使われているが、曲がりくねった険しい山道である。体力のある者たちならよいが、豪雨で疲れ切った者たちには厳しい。泉谷ほど雨が降っていないにしても土砂崩れの危険性もある。
仮に山をのぼり切ったとして夜が更けるだろう。そこは土橋と泉谷の境にあたる。土橋は雨は降っているが泉谷ほどではなく、雷の被害もないという報告を受けていた。
ここまで考えてコタイは眉をしかめた。
雷が落ちない。つまり、やみが出現する可能性が高い。しかも奥深い山道である。力の強いやみひとがうようよいるだろう。そして、体力の消耗した人々をやみひとは嬉々として襲うに違いない。そのやみひとたちに対抗するだけの気力を皆が保つことができるかどうか。泉谷は祓い師が少ない。いまこの里は雷の被害があるから、やみひとの心配がなく移動ができるという皮肉な状態なのだ。
コタイが決めかねていると、傍らから声がした。
「土橋に行くしかなかろう」
長老のノセであった。
「ですが・・・」
コタイはノセの近くににじり寄った。
「ノセさま。土橋の手前まで進み、羽犬での移動を根気よく待つのはいかがでしょうか。一晩明かせばなんとかもつのでは」
「ばかめが。この雨と雷でおかしゅうなったか。コウさまが泉谷を捨てよとおっしゃったのじゃ。どういうことかわかっておろうが」
「ですが、川の氾濫を避け、山道であれば危険も少ないのではないでしょうか。それに土橋では・・・」
やみひとが襲ってくる、と声に出すのがはばかられた。まわりの人々に恐怖心を与える必要はない。しかし、ノセは首を振った。
「おまえはなんもわかっとらん。土橋には祓い師を残すように指示が出とる。つまりまだ護りがある。じゃが、泉谷にはひとりも残ってはならんと指示が出とる。護りがなくなるということじゃ」
「あ」
「護りのない里で全滅するか、まだ護りのある土地でやみひとと闘うか。答えは明らかであろう」
ノセははっきりと「やみひとと闘う」と声に出した。叩きつけるような雨の轟音で声は打ち消されているが、近くにいた者は耳にしたらしく表情がこわばっていた。
「なにがあっても我らは泉谷から出なければならん。さてはコタイ、おまえ怖がっておるのか」
「そんなことは・・・」
「ここでやみひとと闘わずば、我々はなんのためにヨウさまより祓いを学んだのか。なんのために祓いの力を磨いたのか」
目の前にいる、このやせほそった老婆は覇気の塊のようであった。目がらんらんと輝いている。
(どこからそんな力が出てくるのか)
いつもはぱたぱたと落ち着きのないノセがどっしりと地に足をつけ、確かな導きを示していた。
(いかん。私がしっかりしなければ。私が皆を助けなければ)
コタイの全身に圧力がかかってくるようであった。重たい。手足には枷があり、背中には大きな荷物がずっしりと乗せられたように感じた。頭にはずっと強い雨が叩きつけられている。
そこに野太い声で叫ぶ声がした。
「わしらがおる!」
声は下のほうから聞こえた。背が低い誘導役の者たちであった。皆の視線が集まった。
泉谷には三人の誘導役が派遣されていた。いちばん小さいのはナザル少年。その後ろにナザルの両親がいる。声をあげたのは、ナザルの父ハキルであった。いつもはどこを見ているのかわからないような大きな眼を、いまはしっかりとコタイに向けている。
「わしらがおまえさんたちを導く」
ハキルの目はぎらりと光った。コタイは襲われるかと思った。
コタイは自分を恥じた。
私は確かに怖がっていた。激しい豪雨の中を歩きつづけ、皆、極端に体力を失っている。そこにやみひとと闘う気力があろうはずがない。そう思っていた。しかし違った。
気力がなかったのは、この私だ。
すると、ナザルがコタイのそばに駆け寄って、
「おじちゃん。とうちゃんって顔怖いけど、本当は優しいから安心して」
といった。コタイは思わず微笑み、そしてハキルの目をしっかり見据え、強くうなずいた。ハキルはにっこりと笑った。優しい顔だとコタイは思った。
コタイは声を張り上げ、手を上に高くあげ、方向を示した。
「皆、聞こえるか! 川瀬が決壊した! 小河原は危険だ。我々はこれから土橋に向かう!」
豪雨で人々にははっきり聞こえない。しかし、そんなことはどうでも良かった。指示が聞こえたところで異議などあろうはずがない。我々は里長を信頼している。長に従う。たとえ命がなくなったとしても。
皆、一様にこっくりとうなずいた。真摯な目がいくつもコタイを見た。この豪雨と雷鳴で声が聞こえなくとも、重い蓑笠に覆われて表情がみえなくとも、ただただ里長を信頼し、ゆだねる気持ちがコタイの心臓にじかに飛び込んできた。
(ああ・・・)
心に熱い火種が一点、ともったようであった。それは力であり、指標であった。コタイの全身に課せられた重圧は、その瞬間、光となった。
コタイは握ったこぶしをさらにぐっと握りしめ、
「うおお!」
と怒鳴った。皆、なにが起こったかわけがわからず、コタイを見守った。コタイは怒ったような目を皆に向け、
「なにがなんでも全員で中央に行くぞ!」
と叫んだあと、再びうおおっと叫び声を上げた。心にともった一点の灯は全身を駆け巡った。光は熱になった。コタイはずっと叫び続けたかった。人々もコタイにつられて、うおおおっと声を上げ、こぶしを作った。
その傍らでノセだけは、
「そうと決まったら、さ、さ、いそぐぞ。ほれ、動け」
といつもの調子でせかせかと動き出した。
コタイも他のみんなも拍子抜けし、握ったこぶしのやり場に困った。さっきのノセはいったいなんだったのか。しかし、この期に及んでこうして普段通りのノセを見ることができる。それが嬉しかった。
「ええ、ええ! 参りましょうとも、ノセさま」
列が動き出した。
コタイは、羽犬部隊にこのことを知らせるようにサイトに指示をした。
「わかりました。父さん、そのあと、土橋に飛び、祓い師と羽犬の応援を養成します」
「ああ。よろしく頼む」
コタイはそう応じたものの、土橋からの応援は期待できないと思っていた。川瀬が決壊した以上、小河原の里の応援が優先だろう。
サイトもそんなことはわかっていた。が、泉谷は祓い師も羽犬も少ない。羽犬の体力も限界がある。わらにもすがりたい気持ちであった。
一行は六十名程度が二列に並んで歩いた。互いにぐっと肩を抱きあうようにして固まっている。ひとりが足を滑らせれば、まわりにぐんと負担がかかり、したがって進むのは遅くなる。山道にさしかかるとますます困難を極めた。互いに励まし合いながら重たい脚を引きずって歩く。羽犬部隊が時々現れて状況を伝え、体力が持たない者たちを優先的に羽犬に乗せていく。
泉谷の人々の一行がもうすぐ土橋に向かう一本道にさしかかろうというとき、ユウキが羽犬に乗って空から下ってきた。ユウキは泉谷の里では数少ない羽犬部隊に属していた。
(俺の家が近い)
ユウキの家は土橋の里へ向かう道の入り口に面した、白泉という地にある。山深い地で、昔から祓い具職人が住んでいた。とはいえ、もう祓い具職人はユウキしかいない。家族はやみに呑まれてしまった。最後に残ったのは、一番上の兄マサキとユウキだけだった。その兄も数日前に呑まれてしまった。
白泉は羽犬たちがからだを浄める、神聖な泉が湧く地である。しかし奥深い山の中であり、夜になるとやみがはびこる。それだけに呑まれる可能性が高いが、ユウキの一族は白泉から離れようとはしなかった。人が多く住まう地では気が低く、神聖なお札や数珠、護符をつくることはできない。
ユウキの気がかりは護符であった。お札と数珠はすでにコウに渡している。コウから護符の依頼はなされていないが、依頼があればいつでもつくれるよう準備していたのである。
「仕事は準備で決まる。準備に妥協するな」
ユウキの兄マサキの口癖であった。ユウキの兄は頑固な職人であった。見えないところで努力することにとことんこだわった。それだけに本人も表には出ず、コウとのやりとりはすべてユウキにまかせ、自分は淡々と「準備」をしていた。
マサキは飲まれる前の数日間、なにかに取り憑かれるようにして護符づくりに没頭していた。コウから「急がなくてもよい」といわれたことを、ユウキはなぐさめるようにして伝えたが、マサキは手を止めようとはしなかった。時と闘っているようでもあった。いまから思えば、自分が呑まれることを予期していたのかもしれない。いや、完全に「準備」を終え、ほっとしたことで油断したのかもしれない。
(あの護符は、必ずみんなを助けることになる)
ユウキはそう強く思っていた。マサキの形見だ、などという感傷は持ち合わせなかった。マサキもユウキも、自分たちの仕事は空の神の仕事であることを生まれながらにして知っていた。祓い具職人として生まれ、育ち、死んでいった兄。その兄が、死ぬ間際まで寝る間も惜しんでつくった護符。これが空の神からの啓示でなくてなんであろう。
(あれだけはコウに渡さねばならない)
今日中に作業を終え、まとめて明日の朝にでもコウに持っていくつもりだった矢先に、中央への避難命令である。非常事態のさなかにあり、泉谷の里の羽犬部隊で動いているユウキであったが、どうしても気になってつい意識をもっていかれる。
「ユウキ! なにしてる。こっちだ」
コタイから声をかけられた。ユウキはちっと舌打ちをした。
「おうよ!」
急いで降りていくと、どの目もユウキにすがっていた。しかし、皆を乗せていくわけにはいかない。
コタイは老人と子どもを連れてきた。子どもはぐったりとしている。ユウキは羽犬に二人をしっかりと固定した。
「これから俺たちは土橋に入る。サイトには十分に気を付けるよう伝えてくれ」
「わかった」
ユウキの答えを聞いているのかいないのか、コタイは皆のようすを見渡しながら、ぐっと奥歯をかみしめていた。ユウキはコタイの腕をこぶしでつついた。
「大丈夫だって。ほら、ちび親子がいるじゃん」
ユウキはナザル親子を指さした。三人とも確かにちびだった。コタイは、ふふっと笑ったあと、あっと口をおさえ、ゲンコツでユウキの笠の上から頭をごつんと殴った。
「ばかっ。失礼なことをいうな」
「なんだよー、コタイだって笑ったじゃんかー」
ユウキはふくれっ面をすると皆が笑っていた。ちび親子も笑っている。
「笑うなよー。ふん。じゃなっ。また来るから、それまでおまえら死ぬなよー」
ユウキは羽犬に乗って飛び上がった。
「あんちゃん! 気をつけて!」
ナザルが大きく手を振っていった。
「おう、ちび! みんなをよろしくなー」
ユウキも大きく手を振って答えて飛び去った。
しばらくしてガセンがぼそっといった。
「あいつもちびなんだがなあ。自分がでかいとでも思っているのかね」
そのことばでまた笑いが起こった。
コタイはほっとした。
(ユウキか。あいつは不思議な力を持ってやがる)
コタイはさっと向きを変えた。
「さ、急ごう。もう少しで土橋だ。土橋に入れば雨は小やみになっている。あと少しだ」
全員、コタイにならって向きを変え、また歩き出した。少しからだが熱くなっていた。
山道は険しく暗い。
雨はやまない。病気を抱えている者、体力のない者は、羽犬で中央に運び終えているとはいうものの、この状況では健常者でもつらい。
一行は疲れ果てていた。ユウキにもらった熱などすぐに使いきってしまった。感覚のない両足をひきずるようにして歩く。
すると、どこからともなく歌が聞こえてきた。
(これは?)
コタイはじっと耳を澄ました。聞いたことがある。ああ、うみんとたちの歌だ。いつもは太鼓と笛のの音に合わせて、うみんとたちが陽気に踊る。
コタイはハキルを見た。ハキルはゆっくりと歌っていた。太鼓の代わりに足音で拍子を刻む。皆、その拍子に合わせて歩き出し、ハキルに合わせて歌い出した。ナザルが笑顔を見せた。
たくさんの風が吹き
たくさんの木が揺れ
たくさんの花が笑う
さあ、わしらは踊ろう
たくさんの風を受けて
たくさんの光を受けて
たくさんの闇とともに
さあ、わしらは歩こう
ここに、幸せの地がある。
たくさんの命に囲まれながら
たくさんの神さまのもとで
なぜか皆、泣いていた。つらかったのではない。遠い遠い祖からつながっているルーツを感じたのだろう。皆一身に雨を纏い、ただ歌うしかなかった。いま、歩くことも歌うことも息をすることも、すべてが生きることであった。中央に向かうとか土橋に入るとか、やみひとがいるとか泉谷の里が滅ぶとか、そういうことは頭になかった。ただ歌うことに生があった。いまを生きること、ただ今だけを生きて歌っていること、前を向いて歩いていること、それを感じているだけであった。
そのとき、どこからか草笛のような音がなった。歌に合わせるような音であった。
ハキルの目が上を向き、にやりと笑った。高い木々の上になにかがいた。草笛の音は次第に大きく太く、見事な音色を奏でていた。
「きたか」
ハキルが目をほそめた。
一人の小柄の男がすとんと降りてきた。かと思うと、しゅっと山間の林に入り込んだ。
「皆の衆、こっちだ!」
ハキルが誘導した。
林の中に入っていくと雨が小やみになっていた。
「ここはもう土橋か」
コタイがつぶやくとすぐにハキルが答えた。
「そうじゃ」
コタイは雨の重みがなくなり、からだが少しだけ浮いた気がした。
しかし、寒い。山あいからは時折風が吹く。蓑がぐったりと重く肩にのしかかる。
はるか前方にさっきの男の影が見え隠れしている。まるで猿のようにすばやく木々の間を跳びながら、ときどき立ち止まってこちらを振り返る。
「あの人は・・・」
ハキルが笑って答えた。
「ははは。あんたたちが『やまんと』と呼んでいるものじゃ」
「え」
確かにそうに違いない。ずんぐりとした体格。ぎらぎらした目。黒い縮れ毛。
村人は一瞬身構えた。なにかされるのではないかと思ったのだ。だが、抵抗しようにもからだが寒さで凍り付いて動かない。杖を持った手は固まって感覚もない。
コタイはすがるような目でハキルを見た。
「ハキルさん」
「ん。とにかく、皆ついていけ。悪いことはせん。陽気ないいやつじゃ」
ハキルをはじめ、うみんとたちの足取りが軽い。
皆、おずおずとついていく。
雨は上がっている。
険しい林の中をくぐり抜けると焚火が見えた。あかあかと燃え、我々を誘っているようであった
「おお・・・」
皆の目に輝きが戻った。いや、焚火の光が移ったのであった。しかし、それは希望の光であった。それが皆の目に輝きを灯したことに間違いはなかった。
これは夢ではあるまいか。我々はあまりの悪条件で精神がいかれてしまったのではないだろうか。
いやいや、これは「やまんと」のわなではないか。
いや、しかし、たとえ「わな」でもいい。夢でもいい。あの焚火のそばによって暖を取りたい。
さまざまな思惑が心の中にうずまきながらコタイに視線が集まった。
コタイは皆を見渡して重くうなずいた。
「心配するな。まず私が話を・・・、え?」
次の瞬間、目の前の情景を見て、コタイは呆気にとられた。長老のノセがいつのまにか焚火に当たっているのである。ノセはせかせかと蓑を脱いだ。
「ノ、ノセさま・・・」
全員がためらっていると、ノセが皆に気づいて声をかけてきた。
「ふぉー、あったかいぞー。みんな、なにしよる。はよこんか」
コタイをはじめ、皆がぞろぞろと焚火のまわりに集まってきた。
(ああ、生きていた)
コタイは手脚の感覚がまったくなかった。ゆっくりと両手を焚火にかざした。じんわりと感覚が戻ってくる。同時に涙があふれてきた。はっと我に返ってまわりを見まわすと、皆、型にはまったように同じ格好で、両手を焚火にかざし、同じように涙を流していた。しかし、顔は笑っていた。
コタイはとにかくハキルと「やまんと」を探した。お礼をいいたかった。
ノセの甲高い声が聞こえてきた。
「いやー、さすがに今度ばかりは死ぬかと思うたわい。いやいや、ハキルさん、ありがとう」
ハキルは上機嫌で答えた。
「なんの、シャムルのおかげじゃ。久しいのう、シャムル。元気じゃったか。それにしても遠いところご苦労じゃったのう」
「大したこたあない」
シャムルはがらがら声でこたえた。がっしりとした体つきではあったが、ノセと同じぐらいの身長であった。ノセはシャムルに向かって深々とお辞儀をした。
「いやー、助かった。シャムルさんとやら、わしゃノセというもんじゃ。ほんにほんにありがたいことです」
「あんた、きつかったのう。なんせソラモンは弱い。弱いのにようがんばったのう」
シャムルはやっぱりがらがら声だった。ノセはコタイに
「ほれ、おまえも礼をいわんか」
といってあごをつきあげた。
「は、はい」
コタイは駆け寄って、ハキルとシャムルにじっと目を向けていた。黙って二人を見続けた。早く名乗ってお礼をいいたかったが、それができない。真摯な眼がコタイを動かさない。なにかをいおうとすると感動で涙が溢れそうだった。
ハキルもシャムルもにやにやとしながら、うんうんとうなずいていた。
「あんたもきつかったのう。なんせソラモンは弱い。弱いのにようがんばったのう」
シャムルのがらがら声がコタイに降りてきた。温かい、と思った。
「はいっ。ありがとうございますっ。これでみんな助かりました」
コタイは頭を下げたまま涙を流した。びしょ濡れの頭からは冷たい水がぽとぽとと落ちていたが、その合間を縫うようにして涙が温かった。
他の人々も深く頭を下げていた。
「みんな、きつかったのう。なんせソラモンは弱い。弱いのにようがんばったのう」
シャムルはうんうんとうなずいて同じことばを伝え続けた。ガラガラ声は聞き取りにくかった。しかし、人々の心にじんわりと響いた。




