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空の子  作者: そうじ
47/74

小河原の里

 空の国全体に夕方遅くまで雷鳴が鳴り響き、雨が降り続けた。

 豪雨もさることながら、雷による被害は前代未聞であり、各村の長老たちでさえ恐れるほどであった。

 朝早く、中央への避難指示が出た。ここ小河原は、泉谷の山奥から流れ出る泉谷川沿いにある。

 雷山、泉谷、小河原の三つの里の移動は困難を極めた。雷鳴が轟き、各所に光の矢が鋭く落ちた。その御蔭でやみの出現こそなかったものの、自然の脅威にただ身がすくむ思いであった。

 泉谷川の流れは昨日までとはまったくようすが違っていた。あの清らかな流れと豊かな恵みを運んでくれる泉谷川ではなかった。

 (川が巨大化している)

 小河原の長ルキクは、愛犬ビビに乗って泉谷付近を見まわっていた。

 ビビは雌犬で、毛が長く顔は白い毛でおおわれているが、頬の部分から首にかけて茶色の毛が流れるように生えていて美しい。ルキクが頬から首にかけての茶色の毛をなぞるようにして撫でると「くうん、くうん」と鳴いて甘えてくる。

 ビビは体格の良い羽犬ではない。が、敏捷で人や動物などの気配をいちはやく見つけ、ルキクに知らせてくれる優秀な羽犬だった。

 河原はすべて呑みこまれている。土手に植えられた楠たちは水面から顔を出し、豊かに茂った葉を揺らし、どうどうと横殴りにされながら懸命に耐えていた。

 泉谷川は遠い昔に氾濫したことがあり、堤は高く強く築かれている。その強固な土手に、川は容赦なく怒りをぶつけた。繰り返し、繰り返し、泣き喚きながら堤を壊しているようにも思えた。堤はその力に耐えて耐えて耐え疲れ、あきらめたように壊れていく。

 (泉谷川め、狂ったか)

 ルキクはいつもは大好きな泉谷川を忌々しく思った。

 ルキクの目のまえで、いままさに堤がどうと音を立てて切れた。ここは小河原の泉谷川付近の集落、川瀬という地区である。川瀬は堤より低い位置にあり、堤が切れてしまえばひとたまりもない。

 被害はひどかった。その最大の理由は統率がとれなかったことにある。

 小河原の避難所、つまりルキクの屋敷は小高い山の麓であり、そこにおとなしくいてくれれば、ルキクたち里役も豪雨のなかで飛びまわる必要もなかったのだ。

 先日のやみの出現により、誘導役の指示に従わず、我が家に戻るものが多かった。それが原因でやみひとに呑まれたものが多数であったにもかかわらず、いまだに、家、土地にこだわるものは多くいた。

 原因はやはり、キユウであった。彼の生き様がそのまま小河原の生き様であったといえる。キユウは小河原を愛し、小河原に執着し、ゆえにやみひとに呑まれた。そのキユウが長年、実権を握っていた里である。我が里に執着する気風は簡単になくなるわけがない。

 父キユウがいなくなった小河原の里で、キユウの残像に悩まされながら、里長ルキクの苦悩は続いていた。ルキク自身、父の教育を直接受けてきた存在である。自分のなかにもキユウの影が見え隠れする。だからこそ、人々が里にこだわる気持ちは痛いほど理解できた。理解したうえで、断腸の思いで里を捨てる覚悟を決めたのであった。

 ルキクは、キユウがいなくなってからというもの寝る間も惜しんで働いた。しかし、ルキクの遁走もむなしく人々は動かなかった。

 黄土色の濁流が狂ったように流れ出る。

 川の近くに建てられていた家家はあっさりと流され、何人もの人々がその屋根にしがみつき、力尽き、流される。

 一人の男がまさにいま、屋根にしがみついていた。ルキクはその男を助けようと急いだ、そのとき、

 かっ!

 と、光で辺りが真っ白になったかと思うと、ほとんど同時に、

 どどん!

 と、轟音が叩きつけられた。ルキクの全身にびりびりと電気が走り、一瞬動きが止まった。近くに雷が落ちたのであった。その振動で、やっとのことで濁流に浮いていた屋根と男が流れに巻きこまれていった。

 「雷は救いではないのかっ」

 ルキクは思わず怒鳴った。男が流されていく。ルキクは叫んだ。

 「いま助ける!」

 しかし間に合わない。男は流れに呑まれながら首を振っていた。そしてなにかをいった。

 (なにをいっている?)

 ルキクは男の口元にだけ意識を集中させた。

 ―――わたしは、救われた。

 (なんだって?)

 男は流れにのまれた。その最期の顔は微笑みさえ浮かべていた。

 ルキクはしばらく雨に打たれながら、呆然としていた。

 「ルキクさん! こっちだ!」

 背後から里役の声がした。はっと我に返ったルキクはさっと向きを変え、

 「わかった!」

 と大声で応じながら、里役のところへ戻ったが、ルキクの脳裏から男の顔が離れない。

 (救われた、だと?)

 しかし、それに執着してばかりはいられない。

 各里の村役たちをはじめ、羽犬を持った者たちが飛びすさび、力を尽して助けていく。

 羽犬によっては、人を三名ほど乗せることのできる体格のいい羽犬もいる。しかし、ルキクの羽犬ビビはふたりが限界である。流されている梁にしがみついてもがいているものがふたりいた場合、ひとりは置いていかねばならない。

 ビビが「わうん」と鳴き、するりと飛ぶ方向を変えた

 「ビビ、でかした! みつけたか!」

 ルキクが興奮の声をあげ、ビビのむかうほうに目を凝らす。果たして、丸太にしがみついている者をふたり見つけた。少年とその母と思われる女性であった。少年はぐったりとしている。母親がわが子の脇に手をまわしてなにかを叫んでいる。ルキクは少年の腕をつかみ、母親と息を合わせてビビの背中に少年を乗せた。

 ルキクは少年をぐっと抱きしめ、

 「すぐに助けにくる! 頑張れ」

 と母親にむかって叫ぶ。残された母親は気丈にうなずく。その強い目をルキクはしっかと見返し、少年を川瀬の拠点に連れていった。そこには里の医療班が控えている。

 少年を医療班に預け、ルキクは急いで川の濁流に戻った。しかし母親はどこにもいない。母親どころではない。さきほどまで流れていたものはすべて影もない。

 (あの女性、強い目をしていた。流されてなんかいない)

 そう信じて、ルキク自身も激しい雨に打たれながら、あたりを探してまわったが、やはりみつからない。

 (あんな気丈な目をしたひとを、あんな目の生きたひとを、俺は・・・)

 しかし、絶望を感じる暇などない。

 すると、雷光の隙間からすうっと羽犬の姿が現れた。乗っていたのは誘導役のイデツルであった。

 「ルキクさあん、こっちは大丈夫じゃあ!」

 「あ」

 羽犬にはもう一人乗っている。イデツルの妻ライナであった。ルキクを見て強くうなずいた。いつもへらへらとした笑顔を見せているライナとは別人である。

 と、イデツルがひょーんと飛んだ。どうどうとうねりをあげている泉谷川に身を投じたのだった。

 「うわっ。イデツルさん! いったい・・・」

 ルキクは思わず叫んでイデツルのそばに行こうとした。が、すぐにその行動が無駄だとわかった。ライナは羽犬を操ってイデツルのすぐ上をすいすいと飛ぶ。イデツルは襲ってくる河水の山をよけながら、もしくは挑みながら、巧みに目的の場所に向かっていた。ときどき見える肩の筋肉が雷光に照らされて光っていた。

 三人の男たちが楠のてっぺんにつかまってもがいていた。一人の男が耐え切れずむなしく流され、濁流に呑まれた。

 「あっ」

 ルキクはビビを促し、すぐさま方向転換した、そのときイデツルが流された男を抱えて濁流から姿を現した。

 (すごい・・・。人間技じゃない)

 「気張れっ」

 おぼれかけた男を叱咤したイデツルの声だったが、ルキクの心臓に直に響いた。

 ルキクは残っている二人の男のほうに急いで向かった。

 イデツルの羽犬は水面ぎりぎりに滞空し、羽犬に乗ったライナが手をさしのべ、男の腕をぐいとつかみ、顔を真っ赤にして男を引き上げた。ライナは獣のような咆哮をあげ、男を羽犬に乗せた。

 ルキクは一人の男を引き上げてビビに乗せ、もう一人の男に声をかけた。

 「もう少し頑張れ! 必ず戻る!」

 しかし、残された男にうなずく力はなかった。

 (くそっ。間に合うか。それにイデツルさんはまだ川の中だ)

 そのときもう一頭、羽犬が飛んできた。

 「とうちゃあん」

 と声がする。イデツルの息子クイルである。川をぐいぐいと泳いでいたイデツルは、クイルに向かって何か叫んでいる。クイルの後ろには・・・。

 (あ! あの女性が乗っている!)

 さっきルキクが助けられなかった女性であった。クイルは女性と協力して楠に残されていたもう一人の男を羽犬に乗せた。

 ルキクはイデツルを助けるために羽犬を馳せようとすると、ライナが男のような声をあげた。

 「うちん人はこんな川でおぼれたりせん! はようその人を連れていけえ!」

 「お、おう」

 確かにイデツルは生き生きと泳いでいた。

 川瀬での「うみんと」の働きは目覚ましかった。川端、土橋合わせて八人の誘導役が川瀬に派遣され、次々と怒り狂う泉谷川に飛び込んでは流される人を助けた。

 この豪雨である。人や羽犬の体力を容易に奪う。しかも生死の境にいる人々を助けることができないまま、その痛みを捨て次にむかわねばならない。人も羽犬も限界であった。

 「うみんと」たちの働きは、そんな里役たちに希望と力を与えた。

 しかし、助けなければならないのは川瀬だけではなかった。

 川の濁流をまのあたりにしない家々では、別の闘いががおこなわれていた。土地に執着し、残るといいはっている者たちの説得であった。

 山の中腹に住む者たちは、まだうちは大丈夫、という。しかし、いつ土砂崩れに遭うかわからない。そのうち、説得にまわった役たちもろとも土砂崩れに遭い、命を落とした者もいた。

 ルキクは里役の要請を得て、山の中腹にある集落、赤谷に出向いた。川瀬地区を「うみんと」たちに託し、羽犬で飛びすさびながら里役の者達を指示する。

 ルキクはいまにも山肌が崩れそうな場所に、二軒の家が肩を寄せるようにして立っている姿をみつけた。ルキクは急いで羽犬を低空させた。

 ビビが左側の家にむかって

 「わうっ」

 と吠えた。人のにおいをかぎつけたのであろう。ルキクはビビを促し、なかをうかがった。

 すると、幼い娘が震えながらうずくまっていた。

 ルキクはビビから飛び降りて家に駆けこんだ。

 二人を乗せたビビはさっと外に出た。激しい雷の音が轟いた。

 どどんっ

 と轟いたかと思うと、一気に山が崩れた。

 その時であった。どんっと突かれたような衝撃を受け、ルキクと娘はどうっと地面に放り出された。娘は気を失っていた。

 「ビビ!」

 ルキクがとっさに振り返ると、なんとビビの下半身に柱が倒れ込んでいた。ビビは、

 ひゅう、ひゅうん

 と声を上げていた。必死でもがきながら柱から抜け出そうとしている。

「ビビ! 頑張れ! いま助けるっ」

 ルキクは柱をぐっと持ち上げ、自らの肩を柱の下にねじまこませた。

 「ぐう、うおおおおっ」

 顔を真っ赤にして力のかぎり、柱を上にあげた。

 「・・・ビビ、・・・出られるか?」

 ビビの後ろ足と柱の間に隙間ができた。ビビはからだをくねらせるようにして這い出た。

 ルキク自身も柱の下から肩を抜き、さっとビビにからだを寄せた。

 なんと、ビビはすっくと立った。

「ビビ! おまえ、立って・・・。大丈夫なのか?」

 ビビはルキクに顔を寄せた後、

 「わうっ」

 と元気に答え、ばたばたっと羽を羽ばたかせた。

 「ああ、良かった。でも無理しているだろ。わかってんだぞ。いまから避難所に帰るから、すぐに医療班に見てもらおうな」

 ビビは、倒れたまま動かない娘を見て

 「わっ」

 と吠えた。ルキクは娘をビビに乗せた。

 「ほら、ちゃんと生きてるよ、大丈夫。ビビ、おまえが見つけ出した娘だもんな。わかってる。避難所に連れて行こう」

 ルキクもビビも埋まってしまった家のほうを見やった。寄り添っていた二軒の家はあっけなく押しつぶされていた。ルキクは娘をしっかりと抱いて顔を背けた。

 ず、ずずずず。

 と遠くから地鳴りがした。

 (また崩れてくる。赤谷はもうだめだ。里役を撤退させよう)

 ルキクは赤谷地区の拠点にいる里役に撤退を告げ、小河原の避難所へ戻るよう指示をし、自らも小河原に戻った。避難所には医療班と里役を残し、あとはすべて中央に向かうよう指示している。

 小河原の避難所まえにある庭に、ルキクは降りようとしていた。

 先日のやみひとの呑み込みに遭い、父はこの地で呑まれてしまった。建物は三棟あったが、そのうちの一棟が呑まれ、庭にきれいに並べられていた木材も食い散らすようにしてやみひとは呑み込んでいった。その後片付けもできていないうちにこの豪雨である。土砂に埋もれるようにして丸太が何本か転がっている。

 (このまま、この地を捨てねばならん)

 ルキクが庭に下り立ったとたん、からだがぐらっと揺れた。ゆっくりと地面に横倒しになり、

 どしゃっ

 と音を立てて、泥水のなかに娘もろとも滑り込んだ形になった。

 ルキクは半身を起してまわりを見た。

 「ルキクさん!」

 避難所のなかから数人が飛び出してきた。

 ルキクは娘を抱き起こし、

 「この子を」

 といってゆらゆらと立ち上がり、ビビのそばに歩み寄った。

 ルキクはなにが起こったのか察していた。

 ルキクは倒れたビビの顔を両手で包み込んだ。頬の部分から首にかけての茶色の毛が強い雨に叩かれ、ぐしゃぐしゃに乱れていた。

 ルキクは、その毛をきれいに撫でつけた。いつもなら「くうん、くうん」と甘えるような声で顔をすりつけてくる。だが声はしない。その目は閉じられたままであった。ビビは息絶えていた。

 (あっ、この顔・・・)

 最期の安らかな顔。あの流された男のように、救われた、といっている気がした。

 ルキクはビビを抱くようにして突っ伏した。

 「ごめん、ごめんな。みんな、みんな、ごめんな」

 ルキクは苦しそうにうめきながら泣いた。

 (俺は、いつか許される日が来るのだろうか)

 ルキクは立ち上がった。

 立ち上がるしかなかった。


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